懐かしいダンスフロアを思い出しながら、未体験のパラレルな次元へと誘う一枚
普段は熱心にダンス・ミュージックのアルバムを聴くわけではない自分が、静かに熱狂しているアルバムがある。ベルリンを拠点にするBarkerの最新アルバム『Stochastic Drift』は数少ない、部屋でのリスニングでもヒプノティックに楽しめる作品だからだ。
デビュー・アルバム『Utility』(2019年)以来、6年ぶりのフルレングス・アルバムとなる今作について調べてみると興味深い背景が見えてくる。コロナ禍も含め5年間にわたって制作され、「非常に重要で予測不可能な出来事」の連続を経て完成された。かつて『Debiasing』EP(2018年)でキックドラムを排除した“ドラムレス・テクノ”で注目を集めたBarkerだが、本作ではより幅広いアプローチを採用している。ブライアン・イーノ、マーク・フェル、Aleksi Perälä、Hiroshi Yoshimura、サシャ、Photekなどの影響を統合した独自のサウンドと《Boomkat》では評されていたりもする。
だが、個人的にひとところにとどまらず次々と予測不可能に展開されていくサウンド・フォームはマックス・クーパー(Max Cooper)の『Unspoken Words』(2022年)を感じさせる。あるいはフォー・テットがそれまでのキャリアを総括した『New Energy』(2017年)や、ボノボが高次元のファースト・アルバム『Animal Magic』(2000年)で見せた実験精神とスムースにラウンジで聴くに耐えうるサウンドに仕上げるエディット能力に近しいかもしれない。本作からはそのようなBarkerのプロデューサーとしての才を感じる。
意識的だろう。特徴的なのはBPMは80から140と幅広いが、面白いのはキックドラムがあまり前面に出てこないことだ。ダンス・ミュージックでありながら、従来のキック中心の構造から解放されている。トランシーなサウンド・フォームが冴えわたるM2「Reframing」を聴いていると、自然と部屋の中をうろうろとリズムを取りながら動き回っている自分がいる。リズムは確実に存在するのに、それは床を蹴るような衝撃ではなく、もっと浮遊感のある推進力なのだ。一方でM5「Positive Disintegration」ではダウンテンポでグリッチーなサウンドが展開される。でもよく聴くとBPMはそこまで落ちてない。M7「Fluid Mechanics」では生ベースが響き、サウンドの後ろのほうでかすかにドラムやシンバルが生っぽく鳴っているように聞こえる。そしてアルバム・タイトルにもなっているラスト・トラック「Stochastic Drift」が激しさをたたえて迫り来る。決してストレートなスウィングやビバップではなく、より実験的で複層的なリズム構造を持っている1970年代後期〜80年代のフュージョン・ジャズや、スクエアプッシャーやエイフェックス・ツインが参照しているような現代のエレクトロ・ジャズ・ドラム・アプローチに絡み合うシンセ・サウンド。この懐かしさと新しさは未体験の領域で、どこかパラレルな世界に突入したようにも感じる。
「確率論的な漂流」というタイトルが示すように、このアルバムは計画性と偶然性の絶妙なバランスの上に成り立っている。未踏の領域に踏み入れたサウンドはきっと、今後いくつかのエレクトロニック・ミュージシャンの参照点となりうる孤高の存在感を持ちながら、それでいてひらけた親しみやすさも併せ持つ。だからこそ、エレクトロニック・ミュージックに詳しくない自分でも楽しめるのだろう。奇跡の塩梅だ。あえて言い換えるならば、「懐かしさをたたえた未来」とでも言うべきか。どこか別の地平にいざなうのは野心的なブレンドと不確実性を楽しめる心意気なのかもしれない。だからこそ、身体が自然に反応してしまうのだ。(冨手公嘉)

