Rhye: Spirit

2019 / Loma Vista Recordings
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意識の行き来のあいだで、ピアノが取り戻していく音楽家の平静

11 June 2019 | By Nami Igusa

くすんだ音色、流れる旋律…ライのミニアルバム『Spirit』の主役は、ピアノだ。静謐に、優しく奏でられるピアノの音にひそやかなストリングスが絡んでいくサウンドスケープは、否が応でもポスト・クラシカルという言葉を想起させる。マックス・リヒター『The Blue Notebooks』(2004年)、ニルス・フラーム『Felt』(2011年)のような、ピアノの素朴な”鳴り”がささやかに聴き手の内面に入り込んでくるような、そんなポスト・クラシカル作品の横に並べることのできるアルバムですらある。

私事だが、先日、とある展覧会で北欧の風景写真をいくつか見た。どれも緯度の高い地域らしく薄明るくぼんやりとした弱々しい光の具合が印象的だったのだが、今作のぼやけたピアノの音色を聴いて脳裏をよぎったのが、まさにその風景だった。そしてそれはあながち筆者の思い込みではなかったらしい。というのも、今作はアイスランドでライが参加したイベントからインスパイアを受けたものだそうで、うち1曲はそこで出会ったポスト・クラシカルのミュージシャン、オーラヴル・アルナルズとの共作になっているのだ。

その官能さや優美なストリングス・アレンジが大きな魅力であるライはそもそも、ポスト・クラシカルとの親和性は十分に高かった。ただこのジャンルは、ある側面ではちょっと厄介でもある。聴き手の心地よさにおもねるような、要は“安易”な音楽だと受け取られかねないからだ(それが作り手の意図でなくても)。だからこそライは、そうした音楽性に傾きすぎないよう、ファースト・アルバムからずっと、あくまでダンス・ミュージックであることでそのレッテルから慎重に逃れてきたように思う。つい先ごろ《FFKT》(《TAICOCLUB》の後継にあたるフェス)に出演したライのライブを実際に観てその思いは確信に変わった。というのもそこでのパフォーマンスは、大方のこちらの予想を裏切り、ソリッドなリズム隊とファンキーなカッティングやソロを弾き倒すギターが観客を踊らせまくる、キレキレのダンス・セットだったからだ。

では、今作はライがその慎重さを欠いた、ルーズな作品なのだろうか? 筆者に少なくとも言えるのは、今作はいまのマイケル・ミロシュに絶対に必要な作品だったということである。今作で使われているピアノは彼のガールフレンドがもらったものだそうで、彼にとって毎朝それを触ることが日課になり、そうやってできたのが今作なのだという。たしかに、そのピアノの音は、すぐそこのリビングルームで鳴らされているように聴こえる。そのくすんでぼけた音色は、先述の通り彼の北欧での見聞にインスパイアされたものであると同時に、クラシックの音楽家の父を持つ彼にとって子どもの頃の自分を思い起こさせる効果もあったのかもしれない。

ただ、それとは対照的に今作の楽曲には打ち込みのビートが緻密に絡み合っている点も見逃せない。そのビートは、いつかどこかの自分へと遥かに飛んで行ってしまいそうな意識を不意に引き戻すのだ。そんな意識の行き来のなかで徐々に瞑想に耽っていくような今作は、本来ならば誰に聴かせるものではない、彼自身のための音楽なのかもしれない。つい先ごろもミツキが9月をもってライブ活動を停止すると宣言したことが象徴的であるように、世界中を飛び回るツアーは音楽家を相当に消耗させるのだろう。同じように、タフなツアーをこなすライには、朝食を摂るようにピアノを触り、日々の平静を取り戻すような時間から生まれた作品が、これからの自分のために必要だったのだろう。

ちなみに、ラストを飾るミニマルな編成の楽曲「Save Me」は前作にも参加していたダヴマンことトーマス・バートレットとの共作で、ポロポロと音が漏れ出すように奏でられるピアノがセンチメンタルな1曲だ。そういえば、ダヴマンがリミックスしたスフィアン・スティーヴンスの「Futile Devices」が使われ、リビングでピアノを弾くシーンも印象的な映画『君の名前で僕を呼んで』は「1983年夏 北イタリアのどこかで」という一節から始まる。“いつかどこか”に意識を飛ばすのに、ピアノの音色ほど飛翔力のあるものはない。(井草七海)

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