Review

quinn: quinn

2022 / deadAir
Back

より複雑な表現のためのパレットを手に入れた17歳

13 August 2022 | By Suimoku

quinnは現在17歳、米ジョージア在住の黒人トランス女性であり、2019年辺りからsoundcloud上でosquinn、p4rkrなどの名義でトラックを発表し始めた。「ok im cool」「i dont want that many friends in the first place」「I hate it here」などと題された楽曲で聞かれるdiscord上の会話を思わせるような親密で刹那的な質感、クラウド・ラップ/エモ・ラップの影響を受けた攻撃的なサウンド、ピッチアップされひび割れたヴォイス、自らのメンタルヘルスや自己嫌悪を歌うリリックなどはhyperpop / digicoreと呼ばれる音楽の重要な影響源となったが、ファンからの過度な期待やコミュニティ内の内輪揉めなどにストレスを感じた彼女は活動を一時休止。その後は変名でアンビエントや架空のゲーム音楽をアップするなど、「hyperpopのカリスマ」的イメージを混乱させる行動が続いた。そして、それらを経て、2021年末にはジャンルの定型から距離を置いたパーソナルなファースト・アルバム『Drive-By Lullabies』と、ミックステープ『i’m going insane』を続けてリリースする。さらに今回、Jane Remover(dltzk)らが設立したレーベル《deadAir》から発表された新作で彼女はときにオートチューンを外し、自らの地声で歌っている。このセルフタイトル・アルバムは既存のジャンルから独立した一人のアーティストの、新たな出発地点を示す作品といえるだろう。

『quinn』について500字程度で乱暴にまとめるとすれば上記のようになるだろうか。だが、このややおさまりの良すぎる「自己の表現を追求するアーティスト」の「既存のジャンルからの逸脱」というストーリー〜ブライアン・ウィルソンと西海岸ポップスの関係を筆頭に、英米ポピュラー音楽史で頻繁に語られる物語〜から脱するためには、もう少し彼女の音楽そのものと、そこに存在するaestheticsを地道に観察・検討する必要があるだろう。そうして改めて作品を聴き直したとき、そこで耳につくのはコラージュされた囁き声であり、ゆったりとループされるギター・サンプルであり(「hustle」)、オーケストラがかき鳴らす不協和音のブレイクであり、転がるようなエレクトリック・ピアノや後ノリで叩きこまれるスネアであり、マーヴィン・ゲイ「I Want You」などを思わせるシンコペートされたベース・ラインである(「please don’t waste my time」)。こうした諸要素からとっさに想起されるのは、Jディラ『ドーナッツ』やマッドリブの諸作品のようなビート・シンフォニー的世界だ。つまり第一に、quinnの音楽はヒップホップ…それもビートメイカー文化的なところに接続しつつあると言っておかしくなさそうなのだ。

『Pitchfork』および『FADER』のインタビューでquinnは自らのインスピレーション源について語っているが、そこではゴーストフェイス・キラーやディガブル・プラネッツといったレジェンドに始まり、強烈にコンプされたソウル・サンプルを用いる“soul-hop”の音楽、彼女が“ケタミン音楽“と呼ぶドゥームなchipmunks on 16 speedなど多様な音楽の名前が挙がる。そして、そのなかで彼女が特に重要な影響源として名指すのがニューヨークのグループ、Standing On The Corner とその元メンバー、Slauson Maloneである。SOTCについては、『Red Burns』(2017年)をquinn自らのフェイヴァリット・アルバムに挙げるほか、Slauson Maloneについては本人に発表前のアルバムを聴いてもらい、色々とアドバイスをもらったという。SOTCやSlauson Maloneはいずれも、ニューヨークを拠点としアンダーグラウンド・ラップ/アート・ラップなどと括られる音楽家たちだ。Earl SweatshirtやMIKE [1] とのコラボレーションもあって日本の音楽マニアにも評価の高い彼らだが、hyperpop周辺と結びつけられて語られる機会はそれほど多くはない。しかしSOTCの、多様なサンプルにピッチアップされたヴォイスを織り交ぜたコラージュ的サウンドが(ここ数年はむしろhyperpop系の音楽を指して多用される)「ポスト・ジャンル」の語を使って評されていた [2] ことからも分かる通り、ネットを通して多彩な音楽を食い漁ってきたquinnの音楽とは共通の精神があり、そう考えると彼女がシンパシーを感じるのも不思議はない。

また、SOTCやSlauson Maloneの音楽はコンシャスかつアフロ・フューチャリスティックな雰囲気を感じさせるが、それもquinnは受け継ぐ。そのうえで、レイシャル・プロファイリングの経験を基にした警察への抗議(「american freestyle」)など、自らのアイデンティティと結びついた表現も行なわれるのだ。ただ重要なのは、これを以前のスタイルに比してより“リアル“になったと二項対立的に捉えるのではなく、アンダーグラウンド・ラップの影響を取り入れてより重層的な表現が可能になったと捉えることだろう。それは本作において、エモ・ラップ的な平坦な節回しとグルーヴィでヨレたビートが/ピッチアップされた声とオートチューンを外した地声が、同一平面上に存在していることに端的に象徴される。その相反する要素同士がどれほど綺麗に共存しているか疑問の余地はなくもないものの、いまやquinnが以前と比べ、より複雑な表現のためのパレットを手に入れたことは間違いない。彼女が2019、2020年にsoundcloudにアップしたトラック――「ok im cool」や「i dont want that many friends in the first place」といった曲――の刹那的でパーソナルな感覚はいまだ魅力的だが、ここではそれらの感情はより深く・複雑な色彩をもって捉えなおされるのである。(吸い雲)



[1] quinnは彼らの音楽もフェイバリットに挙げている。こうした“アンダーグラウンド・ラップ”の近年の展開については次の記事を参照:小林雅明「【コラム】Earl Sweatshirt『Some Rap Songs』から紡がれるアンダーグラウンドの新しい波」FNMNL、2021年2月4日
https://fnmnl.tv/2021/02/04/116707


[2] ‘Meet Standing on the Corner, the Post-Genre Crew Whose Music Speaks a Secret Language’,Pitchfork, 2018.1.19.
https://pitchfork.com/features/rising/meet-standing-on-the-corner-the-post-genre-crew-whose-music-speaks-a-secret-language/



More Reviews

1 2 3 72