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Rapsody: Please Don’t Cry

2024 / We Each Other / Jamla / Roc Nation
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ラプソディーが経た自己開拓の旅

20 June 2024 | By Nao Shimaoka

「あなた自身が自分がどんな人間か知ってる?」。ラプソディーの最新アルバム『Please Don’t Cry』は、俳優のフィリシア・ラシャドがヘアサロンの美容師を演じ、1曲目の終わりにこの質問を彼女に問い掛けるシーンで始まる。ノースカロライナ出身のMC、ラプソディーは、約5年ぶりとなるスタジオ・アルバムで、覆面を剥がして、世界に(彼女の本名)“マラーナ・エヴァンス”が一体誰なのかを打ち明ける準備ができているようだ。

ストーリーテラーとしての実力が評価されグラミー賞にもノミネートされたセカンド・アルバム『Laila’s Wisdom』(2017年)、偉大な黒人女性たちの名前をそれぞれのトラックに名づけ、ブラック・ヒストリーと黒人が強いられる困難をアイディアにしたコンセプト・アルバム『Eve』(2019年)。これらの作品を通じて、ラプソディーが聡明な視点と考えを持つアーティストであり、ラップ・コミュニティの中でも彼女が唯一無二のリリシズムと高いライミング・スキルをマスターしていることは、すでに浸透しているだろう。

しかし、この優等生ラッパーは、マラーナ・エヴァンスという人物の内面を積極的に共有してこなかった。2020年、ちょうどパンデミックが始まった時にアルバム制作を始め、その際にプロデューサーから言われた言葉に彼女は目を覚まされた。「君がラップが出来るってことは皆わかっているけど、私はあなたについて知っていることを5個も挙げられない」。そこから彼女は当時の物理的にも隔離された環境で自身と対峙し、人生で初めての旅に出たり、自己探求の過程で知り得たむき出しの感情を『Please Don’t Cry』で世界に伝える。

アルバムの前半が示すのは、ラプソディーがこの数年間に抱いていた葛藤や疑問だ。金銭が物を言わす業界の世界で自分の価値を問い(「Marlanna」)、キャリアを諦め引退しようと思ったことも仄めかし、さらに黒人女性からの自身へのリスペクトの欠如について触れていく(「Look What You’ve Done」)。快楽主義について歌うフィメール・ラッパーの楽曲が流行っていることに警鐘を鳴らしながらも、Hit-Boyプロデュースのビートに乗せて、「もし自分が男だったら、最も偉大なラッパーの議論に名前が挙がっているだろう(「Asteroids」)」とラップ。

自分探しの旅と言っても、そんなに簡単なことではない。なにせ、今作を一つのアルバムとして生み出すのに360曲も必要だったのだ。特に、「Stand Tall」から「Loose Rocks」の流れは、境遇は違えどきっと多くの人の心を揺さぶるだろう。ラプソディーが1人の人間として成長するにあたって、とある女性との関係性が彼女に多くの気づきを教えたことは本作を通じて示唆されている。「That One Time」では自身の不完全さを打ち明け、エリカ・バドゥがコーラスを歌う「3:AM」では、艶やかなサックスの音色の上である人物との親密な思い出を辿っていく。時にラプソディーは儚げに言葉を吐き出したり、怒りを露わにするが(「Loose Rocks」)、バドゥとアレックス・アイズレーの艶やかなヴォーカルは彼女の不安な心情を包み込んでいく。「不安に苦しむ/医者はきっと私にうんざりしている/心を落ち着かせるために瞑想をしようとするけど、救急車みたいに動悸が激しくなる(「Stand Tall」)」。

確かにこのアルバムは、卓越したペンマンシップを持つラッパーとしてのラプソディーではなく、彼女の生の感情とマラーナ・エヴァンスとはどんな人間なのかを投影している。特筆すべき点は、ラプソディーは自身に関するすべてを世界に打ち明けるつもりではないことだ。今作の制作過程に影響を与えたという俳優=サナ・レイサンとのオープンな会話のヴィデオで、ソーシャル・メディアの時代に周囲からの意見をどう対処し、人との関係性においてどのように境界線(Boundary)を引くかの大切さについて語る部分がある。自分探しのプロセスをアートという方法で世界に共有しながらも、彼女にとっては、真実を自分の中だけに秘めて平穏を守ることも重要なのだ。

ポスト・パンデミックの今、多くのアーティストがヒーリング・ジャーニーについて作品で語っている。ラプソディーも、その道のりを通過した一人だったのだ。自身の経験や考えを直接的な言葉で表現せずに、リスナーに想像させる余白を与えながら、独創的なワードプレイと起承転結のある構成は、流石の一言に尽きる。アルバムの最後、「Forget Me Not」で物語は最初のヘアサロンに戻り、美容師は「さて、何がリアルで何が幻想だと思う?」と尋ね、「自分が信じて選ぶことならなんでも」と彼女は答える。アルバムのストーリーを通して彼女は不安定かつ不完全な素の姿を見せるが、作品の幕が閉じる時には、安心と自信に満ちているようだ。自己開拓の旅を素晴らしい音楽で披露してくれたラプソディーに、ぜひ花束を。(島岡奈央)



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