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曽我部恵一: パイナップル・ロック

2025 / Rose
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平時の大作

30 July 2025 | By Dreamy Deka

LP3枚組の大作と聞いて、まず思い浮かぶのは、ザ・クラッシュの『Sandinista!』やプリンスの『Emancipation』あたりだろうか。前者には、ファンクやダブの衝撃をパンクに落とし込もうとする衝動がみなぎり、後者には、長年にわたるレコード会社との確執から解き放たれた、勝利宣言のような特異な力が作用していた。いずれも「有事の大作」だったと言える。

曽我部恵一の膨大なディスコグラフィーにも、大作と呼ぶべきアルバムはいくつも残されている。たとえば2017年に予告なしで配信された『Popcorn Ballads』は、全26曲・1時間40分というボリュームで話題を呼んだ。続く『the CITY』も18曲を収録。ソロ作品においても、2014年の『まぶしい』は全23曲、2020年の『Loveless Love』も1時間24分に及ぶ大作だった。これらの作品の背景にも、バンドのオリジナルメンバーである丸山晴茂の不在、原発事故、コロナ禍による緊急事態宣言といった、「有事」の存在が影を落としていた。

そして2025年6月18日、突如としてリリースされた新作『パイナップル・ロック』。全32曲・2時間超という、曽我部史上最も圧倒的な物量を誇るアルバムである(69曲、2時間52分のマグネティック・フィールズ『69 Love Songs』には及ばないものの)。しかしこの作品には、緊急性も、大上段に構えたコンセプトも感じられない。言うなれば「平時の大作」であり、彼が主宰する《Rose》が掲げてきた「Everyday Music」の集大成と呼ぶべき作品だ。ミュージシャンであり、リリシストであり、父親でもある──そんな一人の50代男性の、24時間365日の日常を余すところなく歌にするという試み。その実現のために、曽我部はこの圧倒的な物量と、R&Bからパンク、ドリーム・ポップまでを網羅する音楽性、そしてストリングスやホーンを含む総勢36名のミュージシャンを必要としたのだろう。

特筆すべきは、全32曲のほとんどが素描や実験の域を超え、独立したポップ・ソングとしての強度を有していることだ。たとえば、伊賀航と北山ゆう子からなる旧知のリズム隊に、三輪二郎と谷口雄が加わった極上のロックンロール「虫になった」。そこから高野勲の鍵盤以外のすべての楽器を曽我部自身が演奏した「Love Monster」へと続く流れは、カーティス・メイフィールドばりのリズム&ブルースを想起させ、この路線だけで一枚アルバムが作れそうなほどのグルーヴを生んでいる。

ゆえに、この巨大な歌の集合体は、「歌うように暮らす/生きるように歌う」といった常套句が示すような音楽とは、むしろ対極にある凄みを放っている。金を稼ぎ、税金を払い、誰かを愛すること。自分の癖に折り合いをつけ、徐々に気配を濃くしていく死を想いながら、それでも続く人生にささやかな夢を託すこと――。生活のすべてを歌にするという試みの果てにあるのは、もはやライフスタイルの表明ではない。歌が店頭から消えた米粒の代わりになり得るのか。降り注ぐミサイルを防ぐことができるのか。この世にいない人たちの魂を呼び戻せるのか。これはそんな根源的な問いとの格闘である。

こうした無謀ともいえる挑戦を、曽我部恵一だけが続けられる理由として、彼がレーベルのオーナーだからだ、という理解は容易だ。しかしそれは同時に、32曲におよぶレコーディングの原資を自ら賄わねばならないことも意味している。マイ・ブラディ・ヴァレンタインがアラン・マッギーの、ハッピー・マンデーズがトニー・ウィルソンの金庫を空にしたのとは訳が違う。常識的に考えれば、アーティストと経営者という利益相反を一身に抱えることは、大作の制作において障害でしかない。

それでもなお、この作品を世に送り出す芸術的執念は、いったいどこから来るのか。その答えもまた、このアルバムの中に刻まれている。

若い対バン相手に打ちのめされた悔しさを歌った「負けたぜ!Baby」、自分の出ていない(ただし伊賀航は出ている)紅白歌合戦は見ないと拗ねる「大みそか」には、10代のような負けん気と向上心がみなぎっている。そしてその伸びやかな心を育んだ原風景の一つが、敬虔なクリスチャンであり現役の医師でもある「おかあさん」から受け取った、自己を肯定する力なのだろう。

もちろん「白鳥座」や「讃美歌3000」などで描かれる、彼にしか見えない心象風景には芸術家としての深い業がにじむ。しかし、この作品の中に幾度となく現れる生活者としての視界は、曽我部の歌がどこまでも遠大でありながら、私たちの日常と同じ地平に立っていることを示している。つまるところ、歌も人生も、それ自体が問いであり答えでもあるということなのだ。

「神さまがいるとしたら、この人生を自分に与えてくれてありがとうって言いたい。生きれば生きるほど歌も濃く、自分自身のものになっていく。この先、いろんな悲しみや苦しみがあると思うけど、そのたびに歌もよくなっていくんだと思います」 


2023年の著書『いい匂いのする方へ』で曽我部が語ったこの言葉を、最も明確かつ完全なかたちでアルバムとして結実させたのが、この『パイナップル・ロック』と言えるだろう。(ドリーミー刑事)



※購入リンクはCD(8月31日発売予定)のもの。配信は公開中

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