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OHHKI: IMPRESSION

2024 / P-Vine
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足を踏み入れれば二度と戻ってこれない

28 November 2024 | By Dreamy Deka

エンタテインメント産業は産業だ。つまりそれは工場であり、大量生産されるファストフードアートだ。
作品を1本作るのに何千ドルと必要だと思っているなら、それはつまりあなたは騙されているってこと。


ロシアのパンク・バンド、プッシー・ライオットのメンバーにしてアクティヴィストのナージャ・トロコンニコワが『読書と暴動』に記したアジテーション。日本において、これに呼応するアーティストとして私が最初に思い浮かべたのがOHHKIである。 高品質で洗練された東京のポップスを向こうにまわし、古都・京都でハードオフのジャンク品のようなサウンドだけで作られたポップソングで反骨を体現する男。その骨組みをむき出しにした音像には、ラップトップ一台であらゆる音が鳴らせてしまう完成度にとらわれた時代の不自由を、あるいは物質文明が衰退した後の世界の恐怖を、まとめて笑い飛ばすような痛快さがある。そこにはもちろん、王様も私たちも裸だと告発する勇気も。2020年にリリースしたアルバムタイトルを『Inner city pop』、つまり都市の影に広がる貧困地域のシティポップと名づけたのはその反抗精神の表れだろう。

彼が以前はイサヤー・ウッダという名義で活動していたことは比較的知られているが、その前はまた別の名前でアシッド・フォークを歌っており、かなり長いキャリアを持つミュージシャンである。それゆえ、と結びつけるのは短絡的かもしれないが、彼の表現の根幹にはソングライターとしての力量がある。2023年、私は主催したライヴ・イベントに彼を招き、そこで初めて彼のパフォーマンスを観たが、妖しさ120%のキャラクターの濃さや暴力的に加えられるサウンドエフェクトに、歌がまったく負けていないことが強く印象に残った。イサヤー・ウッダ時代から前作『E.C.H.O』に至るまで、海外レーベルを含めたコアなミュージック・フリークの視線を集め続けたのは、スイートスポットを多分に含んだメロディを、チープな機材、ローファイなサウンドで構築するという構造のねじれが生むおかしみがあったからだろう。言い換えれば、楽曲を作るOHHKIと機材の間には、明確な主体と客体の関係があったということだ。

しかし今作を聴いて感じるのは、彼の代名詞と言うべき、そのねじれた関係性やそれに伴う批評性が、すっかり溶けてしまったのではないかということである。1曲目の「ODE TO THE BIRD」を聴けば分かるように、アルバム前半を特徴づけているのはこれまで以上にシンプルで原始的なリズムマシーンとシンセサイザーの波形。しかしそこに絡むOHHKIの歌声は何かを主張するのではなく、ひたすら電子の海を心地よくたゆたうようである。5曲目の「BETWEEN NIGHT AND DAWN」に至っては、もはやコンポーザー、シンガーとしての主体性や肉体性を、完全に放棄しているようにも聴こえてくる。

『IMPRESSION』というタイトルの通り、OHHKIが今作で意識をしたのはモネに代表される印象派の絵画とのこと。しかしこの脱力したサイケデリアは、AIが人間の知性を凌駕し、人間の残酷さが戦争映画を超えていく時代の、底の見えない虚無をも見透かしているようにも感じてしまうのは、うがった見方だろうか。しかしその思いはアルバムの後半に入っても変わらない。時に不穏さや暴力性も垣間見せるマシンビートだが、その上でゆらゆらと踊るOHHKIの声に抵抗の態度は感じられない。むしろオマエもこっちに来い、早く楽になっちまえ、と非人間的なものとの蜜月を見せつけるようですらある。

そして到達する最終盤の「YELLOW IN GREEN BANANA」、「I THINK YOU ARE FUNNY」の涅槃。その享楽的な美しさに惹かれながらも、足を踏み入れれば二度と戻ってこれないような不気味なアンビバレンツに戸惑う自分に気がつく。そう、OHHKIの「ねじれ」は消えてなどいなかった。それは聴き手の外から中へと寄生の場を変えただけなのだ。(ドリーミー刑事)


※上記購入リンクはアナログ・レコードのもの(カセットテープもあり)

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