アクセルを目一杯踏み込んで
ドライヴィング・ミュージックここに極まり! と、すっかりペーパー・ドライヴァーである自分ですら高らかに宣言したくなるようなドン・トリヴァーのニュー・アルバムである。このアルバムの真価が発揮されるのは、法定速度を超えて、夜のだだっ広い荒野を愛車でかっ飛ばしながら大音量で聴く時であるだろう。故に、最大音量の部屋の中のスピーカーで流し聴いた人間がこのアルバムをレヴューすることを、最初にことわっておきたい。
それにしても、このアルバムで“飛ぶ”ことができることは保証する。曲間の途切れることのないスムースな移行は、彼の音楽にスピードを宿しているがそれだけではない。
ヒューストン出身のシンガー/ラッパーであるトリヴァーの作品は他にはない独自性を持っていて、ここでしかあり得ないバランス感覚に溢れていると、このアルバムを聴いて改めて思う。
まず本作は、非常に現代的なR&Bアルバムである。同郷のトラヴィス・スコットを中心とする《Cactus Jack》周辺、カニエ・ウエストなどとの交流も含め、極めて重要なラッパーであると同時に、トラップR&B、またはトラップ・ソウル以降のシンガーとしても、彼は重要な存在だ。子供時代、その歌声を見出され、アーティストでもあった実の父親のレコードに参加したこともある彼のアーティスト的なルーツは、むしろシンガーという肩書きの方にあるのかもしれない。
実際に本作のヴォーカル・パターンは多種多様で、それだけでも飽きさせない。彼は誰もが認めるような甘い声の持ち主であり、自らの声を楽器のように音楽に溶け込ませる。ジャスティン・ティンバーレイク「Rock Your Body」をサンプリングした「Body」では、歌とラップの間を自在に行き来しながら、自らサウンドに寄り添った発声とフロウを披露し、2010年代のアンビエントR&Bの要素を吸収してナイト・クラブの物語を描いた「All The Signs」では、抑制されたクールさを保ちながら絶妙な転調を見せ、最終曲「Sweet Home」では、キャッチーなメロディーを歌い上げるオーセンティックに上手い歌唱を披露。彼のヴォーカル・アルバムとして、まず吸引力がある。
さらに、本作の多様なサウンドは、フィジカルな感覚で統一されてもいる。例えば「TMU」では、コーラスを複数招いたオーセンティックなソウル・ミュージックのような体制をトラップ・サウンドの中で実現させている。続く「Pleasure’s Mine」もサンプルではなく、ストリングスを実際に複数の奏者に演奏させることで引き続き生の感覚を付与する。また、カリフォルニアのモーターサイクル文化へ傾倒した前作『Hardstone Psycho』(2024年)で見せたロック・サウンドの再現も消えたわけではなく、エンジン音のようにベースが掻き鳴らされる開幕曲「E85」のバンド・サウンドは圧巻だ。勿論そのフィジカルな感覚の中には、前述した彼のヴォーカルの生物的な蠢きも含まれている。
このように、なんともゴージャスな録音物である『OCTANE』にとって、彼がカーレース文化にのめり込んでいき、ついに今やレーサーとして走り始めていることも重要なことだろう。ハイウェイを駆け抜けているところから始まり、恋愛やアルコールなどの快楽を通過しながら、彼は何者にも縛られない自由を求める。人生においてアクセルを踏み込む瞬間を捉えていく本作は、自らの故郷(ヒューストン)と走り屋としての現在の居場所(カリフォルニア)を行き来し、どちらもレプリゼントすることで終幕する。そう、彼は姿形を変えるシンガー/ラッパーであり、アーティスト/レーサーでもあるのだ。
このように、本作の良質なプロダクションの中には、彼なりの一貫性や意志、さらに文化や表現に対するフェティッシュさが備わっている。これはまさに、ハンドルを握っている人間の、主体性を持った表現と言えるし、だからこそ自然にオリジナリティが宿る。
最後に、自分としては本作をドン・トリヴァーの一つの集大成と位置付けたい。つまり、『Heaven Or Hell』(2020年)や『Life of a DON』(2021年)で自らの音楽性を提示しながらチラつかせていたカーレース・カルチャーへの傾倒、『Love Sick』(2023年)に連なる彼流のソウル・アルバムとしての達成と、『Hardstone Psycho』の変化や自由への渇望。そういった全ての要素の華麗なる統合である。どこで聴いたとしてもスピードを感じること必至の『OCTANE』は、今までの景色が走馬灯のように流れる全18曲のロード・トリップだ。(市川タツキ)

