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Arlo Parks: My Soft Machine

2023 / Transgressive
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世界を感覚する悦びを知ること、人はそれを癒しと呼ぶ

14 June 2023 | By Nami Igusa

“傷ついているのはあなただけではない、だからあなたは一人ではない” というのはポップスにも歌われがちな道理だが個人的にはあまりピンと来たことがない。他の誰かの傷を知ったとて、自分の問題が解決するわけではないのだから、と。だが、あえて他人に向けて言葉にすることがないような、しかし確かに自分の中にある感情を、自分以外の誰かが本当は知っている、となればどうだろうか。きっとその感情がこの世界にとって “ない” ものではないことに気づかせてくれるだろう。その感情を受け取っている自分を許容することもできるだろう。アーロ・パークスの持つ特別な力とは究極のところ、そういうことなのかもしれない。そして、人はそれを “癒し” と呼ぶのかもしれない。

前作『Collapsed In Sunbeams』(2021年)が、彼女にとってパーソナルな固有名詞を多用していたことからも伺えるように、それまでの人生体験の中から題材を引っ張り出してまとめた「クロニクル」だとすれば、今作は彼女がLAに移住しての制作とあって、新たな生活の中で見聞きし感じたことをもとにした、現在進行形の “ジャーナル” とみなせるだろう。実際、彼女のユニークな魅力である歌詞(彼女の場合は「詩」)の中に埋め込まれた情景の描写も、これまで以上にヴィヴィッドに煌めいているように感じられる。LAで目にした世界との出会いとまっさらになったような自分を「Impurities」で星に喩えて捉えてみたり、フィービー・ブリジャーズと陽だまりで溶けあうようなハーモニーを聴かせる「Pegasus」では新しい恋に気づく気持ちを〈子犬を抱きしめ〉るようなどと多幸感たっぷりに表現してみたり。そのように新しい “感情の発見” の瞬間をキラキラと切り取ったかと思えば、「I’m Sorry」では〈ガソリンの匂い、藤の花、スクランブルエッグ〉といったような、五感を通じて切り取られた具体的なシーンをフラッシュバックさせて、息の詰まる日常の躁鬱感をリアリティを持って歌詞の中で追体験させてもいる。「Weightless」や「Puppy」に見られる、散文詩のようなパートも新鮮なスタイルだ。一つひとつの言葉には脈絡がないように見えるものの、ポエトリー・リーディングで一息に投げかけられることによって、断片的な感情を次々に呼んでいく瞬間の描写にリアリティを与えている。

彼女のこうしたコラージュ的な “感覚のフラッシュバック” に選ばれる言葉は、具体的で、無駄がない。それゆえに、受け手の中の感覚の記憶にダイレクトに訴えかけ、彼女自身のパーソナルな世界との間に橋を架けることに、今作では成功していると言えるだろう。そしてそれは実に映像的な手腕だとも思うのだ。あたかも、彼女の目を通じて撮影された素材から、印象的な場面を切り取って編集をしたような……事実、今作の制作にあたり映画を浴びるように見たらしいが、そんな背景にも自ずと頷くことができる。

サウンド・プロダクションやアレンジのユニークさに関しては正直なところ、ポーティスヘッドにも喩えられた前作に軍配が上がるかもしれない。Carter Langや元ブロックハンプトンのRomil Hemnaniが関わった「Impurities」に聴ける西アジア風の旋律などには新鮮味もあるが、全体を通じてR&Bベースのメロウなベッドルーム・ミュージックの域を大きく踏み越えることはない。ただ、メンタルヘルスやトラウマを扱ったナンバーであっても、最後には必ずユーフォリアを感じさせるのは特筆すべき点だ。その意味ではポール・エプワースのプロデュース曲よりも、ともにハイムを手がけたアリエル・リヒトシェイドとバディ・ロスの携わった2曲が重要な意味を持ってくるだろう。いずれも密室感と生感の共存するビートに胸がつかえるような感覚を味わわせながらも、「Puppy」のラストではドリーム・ポップのように昇華し、終盤にさりげなくメジャー・キーに転換していく「I’m Sorry」の構成には救いを感じさせもする。

他方、90年代のガレージ・ライクなオルタナを楽しげにプレイしている「Devotion」も重要なナンバーだ。純粋な気持ちで “楽しさ” を曲にぶつけているこの曲には、ただシンプルにこの世界と出会ったということに対する、赤ん坊のような悦びが満ちているようにも感じる。そう考えると、「Puppy」、「I’m Sorry」で描かれるトラウマ的な体験の中から聴こえてくるユーフォリアとはつまり、それがたとえ痛みであろうと、この肉体を通じて “何か” を感じることができていることに対する悦びそのものなのかもしれない。

匂い、光、感触……外の世界が体を通り過ぎると、それは五感を通じて感覚され、それをきっかけに内面世界が動き出し、感情が生まれる。あまりに当たり前だが、日常の中で心の襞が翻るそのごくささやかな瞬間は、糸の切れた凧のように、すぐにどこかに消えてしまう。しかし、その瞬間の美しさこそが、生きる悦びそのものではないのか。彼女が言葉や音楽を駆使して繋ぎ止めんとしているのは、まさにそれだ。「人生をありのままに見せられたりなんかしたくない(中略)柔らかなソフト・マシーン(=映画)を通じて体験される人生を見たい」という映画の中のセリフを由来とするタイトルとも呼応するように、彼女は自身のざらついた人生そのものから、ろ過して抽出した悦びを、決して壊さないよう慎重にラッピングして、私たちに手渡そうとしているのである。

そうして、それを受け取った私たちは、自分という器が決して空虚ではないことを知る。人生がどのように凡庸であろうが、あらゆる瞬間──ガソリンの匂いが漂ってきた時でも、藤の花の色が目に入った時でもいい──に、“何か” を感じ、ほんの僅かであってもその都度ちゃんと心が動いていることを、思い出す。それが人生の意味であり豊かさなのだと、実感できる。そしてそれを今作のアーロ・パークスが知っていてくれることに、私たちは深く安堵するのだ。(井草七海)


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