〈人間が夢みる幻想の電子化〉から〈電子が自ら夢みる幻想の生成〉へ──『LOVE & SALT』が結ぶファンタジー的想像力
今から10年ほど前、山口美央子が1980年代前半に《キャニオン・レコード》から発表したオリジナル・アルバム群を初めて耳にした際、現在(2010年代)の音楽との多様な接続可能性がそこかしこに渦巻いていることに深く感銘を受けた記憶がある。その時は、80年代の電子楽器のサウンド・テクスチャーや、アンビエント的音像、(ほんのりと)シティポップ的なハーモニー/リズムの構造の魅力に何よりも惹かれたのだが、意識の深いところで、そうした点を超えたより根源的なレベルでの現代文化との接点があるようにも感じられたのだった。
当時は、そうした接点のありようについて言語化することは叶わなかったのだが、久々に届けられたソロ作品『トキサカシマ』(2018年)や、それに続く諸作を聴いて聴く中で、徐々にイメージが結ばれていったのだった。
結論を先に述べてしまえば、恐らく山口美央子の音楽は、現下の高度テクノロジー環境が生み出すエレクトロニック・ポップの重要な祖型の一つであり、同時に、現在進行形の優れた例でもある。
まず、彼女の音楽の中に連綿と流れているファンタジー的想像力、ある種の楽観的なテクノロジー志向について考えてみよう。それらは、1970年代以降の幻想文学受容や、精神世界志向の上昇、さらにはそれらに続くアニメ/ゲーム的想像力が、渾然一派とした形で具現化したものと捉えることができるだろう。そしてそれは、電子的な人工性が幻想性や象徴性と無媒介に結合しているという点において、〈技術を介した新しいロマン主義〉とでもいうべきものであり、ベンヤミンの用語における〈アウラ〉を、むしろそれを脅かす存在と目されてきた電子的テクノロジーを介して、逆転的に敷衍しようとするものであった。
しかし、後の1980年代半ば以降、より一層の電子的技術の一般化や、複製技術の高度なデジタル化の流れと軌を一にするように、テクノロジーそれ自体がいつしか人間の〈創造性〉抜き去り、その特権性を疑わねばならない状況へと運ばれていったのだった(山口はその間、ソロアーティストとしての活動から遠ざかり、プロフェッショナルの商業作曲家として活動を続けることで、この荒波をやり過ごしたといえるかもしれない)。
このような〈アウラ〉の決定的な減殺≒脱魔術化に直面し、私達はしばらくの間呆然とするしかないように思えたが、意外なことに、〈アウラ〉復権の試みは、情報テクノロジーの更なる伸長の元で行われるようになる。SNS以降のインターネット環境が人間の時間・空間感覚を細分化し、高速度でコピーし、AIの登場によって事実上ほぼ無限の〈コンテンツ〉が人間の〈創造性〉を介さずに生成可能となっていく中で、人々はむしろそのような〈ポスト・ヒューマン〉の地平とアルゴリズムの輻輳の彼方に、ヒューマニティやスピリチュアリティの幻影を(ここでもまた逆転的に)見出そうともがくようになった。そしてついには、電子が自ら夢見る幻想の可能性に、逆転的な形で〈創造性〉を見出すようになったのだ(こうした趨勢を一言で表現するならば、「音楽の再魔術化」ということになるだろう)。
山口美央子の『LOVE & SALT』は、これまでの作品に比べても一段と躍動的でダンサブルな内容となっており、現在のデスクトップ・ミュージックと音楽的なフォルムを相当程度共有しているように感じられる。その一方で、何よりも山口自身のセンシュアルな歌声と、松武秀樹のサウンド・プロデュースとプログラミングが、あきらかにプロフェッショナルな──こういってよければ、1970年代、1980年代以来の電子的〈アウラ〉や〈新しいロマン主義〉と結びついた質感を体現している。更に、サウンドや歌詞のモチーフには確かに伝統的な幻想的趣向が溶け込んでおり、ゲーム的な想像力興隆の「以前」を想起させるが、他方で、現下のポスト・ヒューマン時代における新たな霊性志向とも響き合っているように感じられる。つまり、『LOVE & SALT』には、〈人間が夢みる幻想の電子化〉から、〈電子が自ら夢みる幻想の生成〉に至る、この40年以上に及ぶファンタジー的創造力の歩みが映し出されているといえるのではないか。そう考えてみれば、TR.10「SEVEN SEAS OF DREAMS」のリミックスを原口沙輔が手掛けている事実は、なんとも象徴的に思える。
翻ってみれば、進歩史観的なポップ・ミュージック観にとってあまりに困難の多いこの時代において、私たちが、ある音楽に〈創造性〉を感じ取れるのだとしたら、おそらく上で述べてきたような(無自覚なものも含めた)系譜学的なプロセスの存在が深く関わっているのではないかと思う。かつて山口美央子の音楽を初めて聴いた時に抱いた感動にも、おそらくそういう背景があったのだろうと、今になって思うのである。(柴崎祐二)
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