エクスペリメンタル、そしてある時代のギター・ロックが内包するロマンス性
少し強引かもしれないが昨年辺りからドリーム・ポップは、エクスペリメンタル寄りかギター・ロック寄りのどちらかに分かれているようだ。なかでもエクスペリメンタルの要素を孕んだドリーム・ポップとして、シャネル・ビーズのデビュー作『Your Day Will Come』とアストリッド・ゾンネの4作目『Great Doubt』、この2作品は一つの指針になる気がしている。シャネル・ビーズはアンビエントにクラシックの要素を継ぎ足し、不穏なシンフォニーを響かせたドリーム・ポップ。アストリッド・ゾンネの『Great Doubt』はエレクトロニック・ミュージックのビートを解体し、そこに抒情性のある、つまりフォークのメロディーを乗せることでドリーム・ポップを再構築した。どちらの作品もドリーム・ポップで顕著だった、か細いギターのアルペジオや余白のある生ドラムを重ねてはいない。加えて、これまでは軽いシンセの音色がノスタルジアを想起させていた。しかし、苦悩や痛みを感じさせるキー、そして暗い音色はゴシック・ロックのようだ。話が少し逸れてしまうけれど、音楽はその時の社会背景を少なからず映し出すものだ。ならば、今ここまでゴスが反映されるのは、どんな共通意識が人々に芽生えているのか考えてしまう。
その一方でギター・ロックの要素を含むドリーム・ポップに、Mk.gee、Nourished by Time、urika’s bedroom、ニューダッド……などなど一部ではあるが挙げてみる。背景にはアーティスト個人が影響を受けてきた、ある時代のギター・サウンドが垣間見えるだろう。こうした個のコラージュ性を広げていく作風も、昨年辺りからより顕著になったと感じる。
では、ベルギーはアントワープを拠点とするプロデューサー、Milan W.の本作『Leave Another Day』はどうだろう。端的に言うと、上述の要素をすべて孕んだドリーム・ポップだ。サクソフォンの奇妙な音階、ブラスとシンセの境界が曖昧な試みは、エクスペリメンタル寄りだと言える。それに彼の弾くアコースティック・ギターは、ザ・スミスのような80年代の華美なギター・トーンを想わせる瞬間がある。
このMilan W.というアーティストは、BEACH、Flying HorsemanやCondor Gruppeのバンドメンバーとして活動。ソロでは、電子音楽に特化した《Ekster》、《JJ Funhouse》といったレーベルから作品を発表してきた。まさにアントワープの要となる人だろう。そして自国ベルギーに特化した《Stroom》からの本作で、彼は初めてシンガー・ソングライターとしての魅力を発揮している。
全編を通して、失恋による自己喪失や苦痛、絶望、悲しみといったあらゆる苦しみを表現している本作。オープニング曲「I wait」では、たった6単語ほどを用いてそれらに値する悲嘆を歌う。朦朧としたヴォーカルの周りには、オーボエやブラスの弱々しい一音が伸びていて、重苦しくも耽美な空間になっている。とくに「Face To Face」は煌びやかなアルペジオはあれど、メロディーの裏で奏でるキラキラしたカッティングなど、ジョニー・マーのギター・サウンドが浮かんでくる。こうした酩酊を誘い出すギターの重なりは本作の魅力だろう。この音のレイヤーで言うと、続く「Wanda」も素晴らしい。ヴァイオリンのスタッカートが生み出す薄気味悪さ、そこにトレモロの効いた電子音が軽快にリズムを取る。相反する音のトーンは、どっちつかずで解決しない苦悩を表しているようだ。本作には「Wanda」を含めてインストゥルメンタルが3曲収録されており、そのなかの1曲「Interlude」も映画音楽のようにセリフはなくとも感情に訴えかける。ゆっくりと近づくビートの危険な匂い、シンセからブラスへと繋がる音の広がりなどは、聴き手に視覚的なイメージを呼び起こす。
冒頭に書いた昨年辺りからのドリーム・ポップの新しい流れに、本作『Leave Another Day』も挙げておきたい。ナルシシズムのように苦悩を表現した本作は、エクスペリメンタル、ギター・ロック、ゴスだけでなくノワール・ポップのロマンス性をも含んでいるからだ。もちろん特定の時代や音楽スタイルだと、そんな単純に分けられるものではない。けれど、本作を聴いてある時代のギター・サウンドが浮かんできたり、新しいアプローチに気がつくことが出来るんじゃないかと思う。(吉澤奈々)