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細野晴臣: HOCHONO HOUSE

2019 / スピードスター / ビクターエンタテインメント
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ただ、そこにいる。HOSONOという名の大海のクジラはずっとずっと、そこにいる

12 March 2019 | By Shino Okamura

本作はオリジナル盤では最後に収められている「相合傘」で始まり、オリジナル盤ではオープニング曲の「ろっかばいまいべいびい」で終わる。まるでメビウスの輪のようにエンドレスで繋がっているということを意味しているかのごとく。確かに、これは細野自身が73年に発表したファースト・ソロのリメイク・アルバム。だが、ただ、現在の目線で旧作を今に上書きしただけの作品ではなく、現在は過去と地続きであり、これまでも実はそうやってシームレスに続いていて、未来もそのように回転していくだろうことを鮮やかに告げた見事なステイトメントでもある。50年前は50年後かもしれない。時間の経過がいかに意味のないことであるか。細野晴臣自身は大好きでもその絶対的な存在に同調する風潮にはどうしても距離を置きたくなってしまう筆者だが、もうこれには手も足も出ない。ぐうの音も出ない。悔しいけど完敗だ。

 ファースト・アルバム『HOSONO HOUSE』がリリースされたのははっぴいえんど解散後の1973年5月だが、制作のおおもとのきっかけは、細野、松任谷正隆、鈴木茂、林立夫によるキャラメル・ママを前年である72年に結成したことに始まっている。実際に「相合傘」ははっぴいえんどの最後のオリジナル作『HAPPY END』に収録されている曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンになっていて、つまりははっぴいえんどでの活動と『HOSONO HOUSE』があくまで緩やかに地続きになっていることを物語っていた。さらに『HOSONO HOUSE』に収録されている「CHOO CHOO ガタゴト」「薔薇と野獣」といった曲はそののちにティン・パン・アレー(キャラメル・ママから改名)のアルバムで再度とりあげられることとなり、そして今に至るまでに彼はライヴなどでもさりげなく過去の自作曲を取り上げたりしている。だがそれは、自身の過去と向き合う……なんて次元ではなく、過去も現在も未来もない、というポスト・モダンもかくやの哲学があるからではないかと思う。過去・現在・未来などというどんな生き物も抗えない時間軸をして、しかしそれは果たして本当に抗えないのか? という疑問を活動を通じて表現しているのかもしれない、と。

 だから、73年の作品のリメイクとされる本作はもちろん全く新しいアルバムではあるが、50年前の音かもしれないし、50年後の音かもしれない。演奏はもちろん、ミックス、マスタリングまで細野が手がけ、当時の音とも、近年のルーツ回帰系ともまた全く違う打ち込みを使ったりもしているが、一方で当時のデモをもとにした「住所不定無職低収入」、ライヴ音源をそのまま使った「パーティー」なんかもある。歌詞を大きく変えた曲もあるが、もちろんそのまま飄々と歌い直した曲も多い。もはやどこがいつの時代の音かがまったくわからない、でもそれは意識的に混在させることを目的とするような確信犯的な作業などではなく、ただただ自然と時間軸が捻れて麻痺してそうなってしまった、そんな結果なのではないか。細野晴臣にかかってしまえば、タイムマシンなど必要ない。「あの頃に帰りたい」も、「今がすべて」も、「将来が不安(楽しみ)」も何もないのである。だから細野の作品は、いつだって、ただ、ただ、そこにある。

 そういえば、ヴァンパイア・ウィークエンドが今年1月に発表した「2021」に、細野の「TALKING あなたについてのおしゃべりあれこれ」がサンプリングされていて話題になった。もとはといえば1984年に発表されたカセット・ブック『花に水』に収録されていたこの曲は、当時まだスタートしたばかりの『無印良品』の店内BGMとして作られたもの。そのアンビエント~ミニマルな作風が彼らの今の気風とフィットしたからなのか、ニューヨークのバンドであるヴァンパイア・ウィークエンドがそれをサンプリングした意図までは計りかねるが、細野の作品は、おもむろに水面から顔を出しては大きく潮を吹いたり、おとなしくまた海の中に戻ってしまったりするクジラのように、ずーっとそこにいる。そこにいるだけなのだ。

 一方、今から遡ること30年近く前、ピチカート・ファイヴは『女性上位時代』(1991年)という素晴らしいアルバムで「パーティー」をとりあげている。そこに自らコーラスで参加し「今日はうちでパーティー♪」と歌い出したはいいものの、「…難しい!」と思わず本音を漏らす細野。リハのその呟きをそのまま収録したこのピチカート・ヴァージョンの「パーティー」は、いくつもある細野作品のカヴァーの中でも断トツに粋で、「ただ、そこにいる」という細野の哲学を見事に捉えた秀逸な1曲になっている。ヴァンパイア・ウィークエンドのサンプリングもそうだ。やっぱり「ただ、そこにいる」。昨日も今日も明日も。自分で作った曲を難しいと認めてしまう素直で謙虚な、でも、それがぼく、細野だというさりげない主張。それは、ぼくより大きな動物はこの世にいないよ、という、穏やかにのびのびと海の中を泳ぐクジラのちょっとした自負にも似ている。

 細野晴臣、71歳。ロートルとして朽ち果てず、常に若い世代から慕われ、親しまれ、圧倒的な目標になっているわけを、本作はあっさりと伝えてしまった。細野に限らず、はっぴいえんど、はちみつぱい〜ムーンライダーズ、シュガー・ベイブ周辺がいつまでも老いることなくよほど若い世代より攻めていることはまぎれもない事実で、それはあまりに眩しく頼もしく、でもどうしようもなく悔しい。いい加減この状況を誰かなんとかしてはくれまいか、とは思うが、仕方ない、HOSONOはクジラなんだもの。旧作が海外でリイシューされて今の時代の音だのなんだのと高い評価を得て、今年5月にはニューヨークでライヴもして。しかもチケット売り切れで。もうお手上げ。でも、HOSONO自身はそんな我々の思いに気づかず、ずっときっとクジラのようにただただのらりくらりと大海を泳いでいる。ひょっこりと時折水面に顔を出しながら。(岡村詩野)

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