終わらせることをポジティヴに奏でる痛快なポップ・レコード
「やーめた」というアルバム・タイトルが本作のトーンを的確に言い表している。アイ・クィット。すなわち、《やめる》のは他ならぬわたしが自発的に決めた選択であり、アクションであるということ。それをどんな風に軽やかに鳴らすことができるのか、という実践が本作である。
ハイムは北米の音楽シーンにおいて(インディ・)ロックが勢いを落としつつあった時代に登場したギター・ロック・バンドであると同時に、クラシック・ロックの素地にコンテンポラリーなR&Bを加えることでモダンな感覚をアピールしたポップ・グループであった。あるいはこうも言える──ポップスにおいてもインディ・ロックにおいても女性ミュージシャンが存在感が増すなかにあって、その中間に立った3姉妹は《ガールズ・バンド》と呼ばれることを侮辱だとはっきりさせた上で、自分たちの想いや経験を率直に表現することで現代女性の声のひとつとなった。ややダークなトーンも加味された前作『Women in Music Pt. III』は音楽業界の男性中心主義に異議を唱えた作品だったわけだが、アルバムのアートワークに象徴されるように、そこにユーモアが含まれていたことが何よりも重要だろう。因習や硬直した価値観をあっさりとあとにするような軽妙さが彼女たちの魅力であるはずだからだ。そしてポール・トーマス・アンダーソンの映画『リコリス・ピザ』に出演した3人は、現代映画界の最重要監督の作品にさえ新しい風を吹かせていた。
3人全員がシングルの状態で制作されたはじめてのアルバム、という本作についてのアナウンスをシリアスに捉えるならば、とりわけダニエル・ハイムとこれまでハイムの作品のプロデュースを手がけてきたアリエル・レヒトシェイドが別れたことが大きく影を落とした一枚ということになるのかもしれない。実際、このアルバムにはちょっとした失恋話ではなく、長く続いた関係を終わらせることの苦さが確実に入っている。それでも、ジョージ・マイケルの「Freedom! ’90」をサンプリングしたオープニング・トラック「Gone」がそうであるように、全15曲というヴォリュームのなかには多彩なアイデアと遊び心があり、そして何より開放感がある。「わたしが自由になるまで」。ハイム屈指のポップ・チューンとして仕上がったリード・シングル「Relationships」は、いきづまった恋愛関係を歌いながら、スムースなグルーヴで聴き手をゆったりと踊らせる。歴史的にフィメール・ポップはうまくいかない関係に留まらなくてもいい、あるいは、そんな男捨ててしまえというメッセージを発してきたが、ハイムもそうした伝統を取りこんで彼女たちの爽快なR&Bをものにしている。この曲のビデオに添えられた宣言はこうだ──「シングル・ガール・サマー、レッツ・ゴー」。
本当にいろいろなタイプの楽曲があり、キーパーソンは今回メイン・プロデュースを務めたロスタム・バトマングリであることは間違いないのだが、ある意味ではそれも一部でしかないとも言える。初期ヴァンパイア・ウィークエンドを連想させるアレンジの「Now It’s Time」のような曲や00年代インディ・ポップ調の「Take Me Back」があるかと思えば、70年代フォーク・ロック調の「The farm」があり、シンセ・ファンク風の「Spinnging」があり、ヘヴィなギターが鳴る「Lucky stars」があり……まさにインディ・ロックとポップスの中間を駆け抜けてきたハイムらしいフットワークの軽さである。これまでは70年代のソフト・ロックを引き合いに出されることが多かったが、たとえばアラニス・モリセットを思わせるざっくりしたロック・チューン「Everybody’s Trying to Figure Me Out」などを聴くと、彼女たちが参照する《クラシック・ロック》の範囲が広がっているように感じられる。
この何でもありな感じは散漫になってもおかしくないのだが、不思議とフィーリングに一貫性があるのは、自分たちはいまどこにでも行けるという感覚があるからだろう。それは《やめた》からに他ならない。うまくいかなくなった人間関係を、あるいは過去に固執することを。「Try to feel my pain」や「Cry」のような曲では痛みがモチーフになっているが、サウンドが醸すエモーションはあくまで温かく前向きだ。そしてそれは、文字通りのシスターフッドによって達成されている……シングルの夏を謳歌するために。夏が恋の季節なんて誰が決めた? 楽しいことは他にもいくらでもある。何かをやめることは、新たなはじまりを招くだろう……もしくは、自由そのものを。(木津毅)

