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skirts: Great Big Wild Oak

2021 / Double Double Whammy
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木漏れ日のように揺蕩う
インターネット経由のフォーク・ミュージック

09 September 2021 | By Yasuyuki Ono

本作はテキサス州ダラス出身のアレックス・モンテネグロによるプロジェクト、スカーツによるファースト・フル・アルバムである。これまでにミツキ『Bury Me At Makeout Creek』(2014年)やフランキー・コスモス『ZENTROPY』(2014年)、近年ではロメルダ、ハウディといったインディー・ポップやフォークを土台とする佳作を多く世に送り出してきたブルックリンのインディー・レーベル《Double Double Whammy》からリリースされた本作には、モンテネグロがマウント・レーニアを訪れた際に偶然撮影した写真を使用したという、柔らかい陽光とそれを瑞々しく反射する大自然を写したアート・ワークから伝わるような、朴訥とし木漏れ日のように揺蕩う音像をもったフォーク・ミュージックが収められている。

本年26歳となるモンテネグロは、DJプレイヤーの父を持ち、しゃべりもおぼつかないころからレコード・プレイヤーへの針の落とし方をその父から教えられ、70年代ディスコ・ミュージックに囲まれながら育ったという。高校生になりTumblrにアップロードされたインディー・ミュージックを蒐集しはじめると、モンテネグロはいまもリスペクトをささげるというフラットサウンドの音楽に出会うことになる。メンタルヘルスの問題により10年以上も外出を極力避けながらホーム・レコーディングを続けてきたフラットサウンドによる同時代的にインターネット経由で“発見”されたチルウェイブ作品群と接続しつつ、それらよりローファイかつ厭世的な音色を伴ったアンビエンタルな宅録サウンドに魅力されたモンテネグロは、自らが作り上げた音楽をインターネット上で公開しながら、現在までにつながるソングライティングの経験を積み重ねていく。そして、自らの音楽的影響源をインターネットに求めていたモンテネグロは地元であるダラスのレコード店で働き始める。それをきっかけとして彼女は後に自身のライヴ・バンドの一員となり、本作を共に作り上げることになるエヴァン・ゴードンと出会うなど、ダラスのインディー・ミュージック・コミュニティへとアクセスしていった。そうして2018年にはスカーツという名のホーム・レコーディング・プロジェクトとして、ベッドルームでの録音作品を収めたEP『Almost Touching』をリリース。同作リリース時のライヴ・ツアーにて、後に所属レーベルとなる《Double Double Whammy》を主宰するバンド、LVU UPや同世代のシンガーソングライターであるスネイル・メイルらと出会いながら、本作にも参加しているスペンサー・ラドクリフとツアーを回り、モンテネグロが作りためていたデモや詩を解体、再構築しつつ本作へ向かう作品の枠組みを作り上げていった。

そのような本作では過去作と比べ、サウンドはより繊細かつ大胆に。ザ・バンド、ボブ・ディランからフリート・フォクシ―ズ、ボン・イヴェールまでを影響源としたというバンジョーなどが交わるアメリカーナ的音像にまず耳を引かれることは間違いない。ドリーミーなエレクトリック・ギターのうえを、リヴァーヴ、オーバー・ダビングを効かせた歌声が伸びやかに広がる「Always」。ホーン、アコースティック・ギター、ペダルスチール、ピアノ、天から届くようなコーラスそれぞれの絡み合いが朝霧に包まれた森の静けさを想起させるように響く、ザ・ナショナルの「So Far Around The Bend」にインスパイアされたという「Easy」。中でも、大粒なピアノがエコーの聴いたエレクトリック・ギターとホーン・セクションに支えられ、エモーショナルなボーカルの響きを増幅させるフォーク・チューン「Swim」が出色。自らの音楽的ルーツであるインターネット経由で出会った2010年代以降のベッドルーム・ポップを、地元ダラスのコミュニティと接触して得た仲間たちととともに上述したような多くの楽器を駆使したバンド・サウンドの下でまとめあげた本作は、まさにモンテネグロ自身の音楽活動の遍歴をドキュメンタルに示すものであるとともに、90年代半ばの生まれであるモンテネグロが、インターネット・ネイティヴとして経験したウェブ経由の音楽的ルーツを、2021年現在におけるフォーク・ミュージックの一潮流であるといってよいアンビエンタルな音像を伴ったサウンドをもって昇華した極めて現代的に響く作品でもある。

そのような本作と、バンジョーやペダル・スチールを用いながら淡麗なドリーム・ポップ/フォークを展開し、《Secretly Canadian》から『Skullcrusher』(2020年)、『Storm in Summer』(2021年)という快作EPを継続的にリリースしているスカルクラッシャーや、チルウェイブ、ドリーム・ポップという音楽的影響源をフォーク・ミュージックと折衷させたサウンドをもってクイアという自らのセクシュアリティに関するテーマを自身のライフヒストリーにまつわるリリックを介し、見事に表現したベッカ・マンカリ『The Greatest Part』(2020年)といった作品群との接続点を見出すことは難しくない。さらに少し遡ればグルーパー、ジュリアナ・バーウィックといったフォークとアンビエントを接合した作品を生み出してきたフィメイル・ミュージシャンとスカーツの(音楽的な)結びつきを本作を起点に考えていくことも可能だろう。

本作は心の痛みという大きなテーマを持っている。それはいかに自身の心の痛みと折り合いをつけて生きていくのかということとも不可分である。“また一年が経つ。私は年を取ったようには感じない/免許証に書いてあると言われるまではね/私が成長して巨大なオークになったこと/そして私はいつまでも母の苗木のまま”とモンテネグロは「Sapling」で歌う。成長し、“大人”になった自分は母から見ればいつまでも子供のままであること。その感情のちぐはぐさや時分自身ではどうしようにもならない時間や自然の節理を当然かもしれないが、大切な気づきとしてモンテネグロはかみしめるように歌う。“そのリリックは全てにつながっているのです。どんな状況もコントロールできないこと、つまり自分自身が無力であることについて全ての歌に同じような感情がこめられているのです。私は無力であると感じるけれども、もう一つの方法でそれを見る別の人たちもいるからこそ、この歌(「Sapling」: 筆者注)は本当に特別な歌なのです” とモンテネグロはいう。そのようにモンテネグロは視線を複数可することを可能にしてくれる他者という存在を、生を営むことと不可分に結びつけながら本作の物語を積み重ねていく。(尾野泰幸)

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