鬱屈した経験を過去の物語とするための80年代リバイバル
アメリカ・メリーランド州にあるボルチモアで育ち、UKのロンドンを拠点に活動するMarcus Brownのプロジェクト、Nourished By Time。彼は自身の楽曲以外にもイェジ「Happy」ではゲスト・ヴォーカルとして参加、ドライ・クリーニング「Gary Ashby」のリミックスを手がけている。そうした部分でも話題を集めた彼によるファースト・アルバムが本作だ。全9曲34分とすっきりまとめられた本作は、少し悲しげな雰囲気がダンス・ミュージックの高揚感の中に同居した作品になっている。ボルチモアにある実家で2021〜2022年にかけて録音され、作曲から演奏、録音まで彼一人でやったとクレジットされている。
「Unbreak My Love」と「Rain Water Promise」では関係の終わりが歌われ、「Quantum Suicide」と「Shed That Fear」では長年彼の中にあった憂鬱と向き合ってきた様を描写しているという。一人でコツコツと作られた本作は、こうした過去の自分を物語として落とし込み客観視する過程が詰め込まれているように思う。「Unbreak My Love」や「Quantum Suicide」など核となる楽曲は、ギターが使われており本作全体のアクセントとなっている。それだけでなく、クオンタイズされた80年代を思わせる打ち込みのドラム、加工というよりは歪みが施された声などニュー・ウェイヴを通過したダンス・ミュージックという印象を強く受ける。
本作のこうした音作りはツイン・シャドウ『Forget』(2010年)を想起させる。ツイン・シャドウ『Forget』を簡単に説明しておくと、グリズリー・ベアのクリス・テイラーがプロデュースしていたことでも当時注目を集めたが、いまの視点から振り返ると、現在の80年代リバイバルにおけるザ・ウィークエンドに代表されるような、ニュー・ウェイヴに再びスポットライトを当てる大きな役割を果たしたと私は思っている。しかし、現在このツイン・シャドウ『Forget』があまり顧みられるようには思えない。でも、自分の憂いをダンス・ミュージックの高揚感に包み込み、過去の音像を使うことでノスタルジックな感覚の中に落とし込んだ本作『Erotic Probiotic 2』を聴いていると、音像だけでなく憂いをダンス・ミュージックとして昇華する所がツイン・シャドウ『Forget』への13年越しの返答だとより強く思わせる。あと「Daddy」や「The Fields」でのシンセサイザーの音色は、メトロノミー『Nights Out』(2008年)で見られた音像を思わせる所も、直接的に80年代を踏襲しているというよりも、2010年前後の80年代リバイバルを通過しているように思わせる。
彼一人で制作し彼一人の物語に見える本作だが、実際にはより広い射程があると私は考えている。その例が奴隷労働の現場となったコットンフィールドを思わせる描写が歌われる「Worker’s Interlude」だ。ノスタルジックという言葉は過去の美しい部分をフォーカスする言葉として使われるが、この曲では、こうした過去の負の側面が現在の構造にも通じていることを示唆しているように歌われる。ブルースがこうしたコットンフィールドから生まれたことを踏まえたかのようにアコースティック・ギターで始めるなど、本作の他の楽曲とは違う作りになっている。本作のこうした所は、彼自身のセラピー的なノスタルジックな過去の物語としてだけでなく、歴史の縦軸を踏まえることでより射程の広い普遍的な要素を持った作品となっている。(杉山慧)
関連記事
「ジャンルは後から誰かが決めてくれる」
サウス・ロンドンから放たれるドライ・クリーニングの抑えきれない高ぶる感情
http://turntokyo.com/features/dry-cleaning-interview/