ダンスという、誰も侵すことのできない身体と精神の自由を獲得するために
プライマル・スクリームの通算12作目のアルバム『Come Ahead』は結成42年にして新たなキャリアハイを刻んだ充実ぶりだ。生々しい衝動と確固たる哲学に貫かれたビートとリリックからは、これを奇跡や偶然の産物と呼ばせないだけの質実たる手応えが感じられる。
本作は8年ぶりのオリジナル・アルバムとなるが、それほど長いブランクがあった気がしないのは『Give Out But Don’t Give Up』と『Scremadelica』のレアトラック集、ジェニー・ベスとのコラボレート作品『Utopian Ashes』(2021年)のリリースがあったこともある。しかしなんと言っても2022年に出版されたボビー自らが執筆した400ページを超える半生記『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』のインパクトが大きい。
スコットランドの労働者階級の家庭に生まれた少年がパンクの洗練を受け、アシッドハウスに祝福されるまでの物語は、UKロックの歴史そのものであると同時に、センスとスタイルの天才というイメージだったボビーが、実は信念と努力の人でもあったということを強く印象づけた。そして意外と言っては失礼だが、破滅的なロック・アイコンというボビー像を大きく覆す、文筆家としての表現力の豊かさにも、大いに驚かされた。
本作のリリースにあたってボビーが公開したセルフ・ライナーノーツにも、プライマル・スクリームとしての制作活動の行き詰まりから抜け出すために自伝の執筆に取り組んだことが明かされている。そしてアンドリュー・イネスが中心となって完成させたトラックに後から歌詞とメロディを載せるというこれまでのスタイルから、ボビーがギター一本で作る歌を出発点とする形へと変化させたという点も、執筆の中で得た作家、作詞家としての自信からくるものなのだろう。
その変化はソングライティングにも及んでいる。それが最も顕著なのが8曲目の「False Flags」だ。新自由主義によって労働の場を奪われた労働者階級の若者がやむなく軍に志願し、兵士として送り込まれた中東で無意味な殺戮に加担するというストーリー・テリング形式の歌詞は、これまでにない文学性を漂わせる。プライマルスクリームがガザでのジェノサイドに抗議し続けていることはよく知られているが、その政治的メッセージに加えて、中東における加害者=イギリスという国の労働者階級として生まれてしまったがゆえの悲劇を加えている点が、ボビーの生い立ちに重なるところがある。
ちなみにアルバム・ジャケットにフィーチュアされたサングラスの男性はボビー・ギレスピーの父親である。スコットランドの労働組合の役員として社会運動に身を捧げた活動家であり、モッズ風のスーツに身を包み幼いボビーにジョニー・キャッシュの7インチ・レコードをプレゼントした伊達男でもある。レベルとファッションを両立させるボビーの生き様は父親の影響なのだろう。
リリックと並んでこのアルバムの主役となっているのは、『More Lights』(2013年)以来となるDJ/コンポーザー、デヴィッド・ホルムスとのコラボレートから生まれたファンキーなビートにあることは間違いない。
ゴスペルへの再接近、肉体的なブルーズへの回帰という点では「スクリーマデリカ」や「ギブアウト〜』の再来とも言えるし、アグレッシヴなビートは『XTRMNTR』(2000年)を彷彿とさせる。
しかし流麗にして緊張感漂うストリングスと縦横無尽のベースラインからはカーティス・メイフィールドに代表されるニューソウルの、パーカッションとコーラスが織りなすポリリズム的レイヤーからはアフロビートの影響を感じさせる。言うまでもなく、1960年代から70年代にかけての、アメリカ公民権運動やアフリカ解放のサウンドトラックと言うべき音楽である。
中東やウクライナで、先住民やマイノリティの権利が脅かされる2024年。社会主義者の家庭で育ち、ゲイ・カルチャーが生んだハウス・ミュージックとサッチャリズムへのカウンターであるUKレイブに祝福されたボビー・ギレスピー/プライマルスクリームが、これらのビートが内包する社会的文脈に着目しなかったとは考えにくい。
アルバムのリード・トラックの一つである「Love Insurrection」の発火寸前のリズムの上では、陰謀論や圧政、貧困や戦争が蔓延り、知性と人権が後退した世界の現実が列挙された後に、愛の蜂起(=Love Insurrection)が呼びかけられる。そして後半に挿入されるポエトリー・リーディングでは、非現実的な夢想家と言われようとも、人間の魂が敗北することはないと毅然と宣言し、反ファシズム、メーデーのスローガンである“ノー・パサラン(奴らを通すな)”という言葉で締められる。
しかし私がこの原稿を書いている2024年11月の時点で、民主主義、法の支配、基本的人権といった近代社会における普遍的価値観の旗色は極めて悪い。ストライキもMDMAもインターネットも、平和で平等な社会をもたらしてはくれず、薄気味悪い冷笑と非人間的な貪欲さだけが世界を駆動させているようにすら見える。
それでもプライマル・スクリームはビートを鳴らし続ける。ダンスという、誰も侵すことのできない身体と精神の自由を獲得するために。空気の振動を他者と共有し、セーフ・スペースを取り戻すために。ベッドルームで、ダンスフロアで、地下壕で、私たちが生きていることを知らしめるための戦いは続いている。『Come Ahead』の強靭なグルーヴは、プライマル・スクリームから手渡された武器である。(ドリーミー刑事)