聴き手を引っ掻くたまりん、それ笑ってる俺達
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アートワークに写る、つるんとした質感の人物。これにはChilla’s ArtやNekoromorphのような日本のゲーム作家によるインディー・ホラー・ゲームを連想させられる。『Granny』などが影響源に上げられるこれらの、チープさをあえて残した3DCGによる違和感は、恐怖と笑いを呼び、ゲーム実況を中心に盛り上がりを見せた。“姫かわラッパー”、霊臨(TAMARIN)の『CITYBOY Starter kit』と名づけられたEPのアートワークで、その違和感は皮肉と諧謔に昇華されている。上記のゲーム作品は視覚でプレイヤーの脳を引っ搔いた。霊臨は言葉と文脈でリスナーの心と感性を引っ搔く。
「本屋で買い占めろブルータス」。「分割で買ったMac/色彩学の本とソース漁る/ピンタレスト」。どうしても耳を惹く、そして神経を逆撫でするようなリリック。しかし冷笑やら憤怒やら諦念やらを促すのでもなく、くだらない笑いの中に少しのエモさが混ぜこまれている。そんな霊臨のリリックの強さは2020年の「バッド入る高円寺」や「アートかっこいいじゃん」の時点ですでに芽吹いていた。2022年にリリースした3枚(!)のアルバムのうち、『Log in!』の淡々とした描写やスピリチュアルな匂いが「バッド入る高円寺」の系譜を受けたものだとすれば、『NEO NORMAL』での軽薄なカルチャー受容に対する露悪的な言葉たちは、「アートかっこいいじゃん」の系譜を継承するものであるといえよう。
昨年12月にリリースされたばかりの『Baka City』はメッセージ性とエモーショナルさの前景化が顕著であった。それに対し今回の『CITYBOY Starter kit』は「アートかっこいいじゃん」の方向性への揺り戻しといえるだろう。つまりはくだらなさと毒。その辺りのバランス感覚は若干損なわれたように感じなくもないが、言葉の着飾らない剝き出しの悪意は『NEO NORMAL』を確かに思い出させるようなものだ。
実際に、本作に収録された6曲のうち3曲は『NEO NORMAL』収録曲の、ビートとヴォーカルを再録したリメイク版となっている。つまり半分は「シティボーイ」というテーマに沿ったさながらコンピレーション的な様相の作品ということか。『NEO NORMAL』ではダークなビートと皮肉っぽいフロウが前面に出ていた。それに対して今回は露悪的なリリックはもちろんそのままだが、軽快な印象が強まったフロウからは、一見するとキュートでアップリフティングなビートと相まって意地の悪さが後退したかに見える。ただ同時に天井が抜けたような明るさは不敵な笑みでもあり、むしろ皮肉っぽさを増強している。
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本作が伝える“シティボーイ”像とは。先行シングルで、身の回りのアイテムを固めることで自意識を保とうとする姿に切り込んだ「CITY BOY」や、芸能を経由した軽薄なファッション浪費を甘美なラヴソングに接続した「SUDAMASAKICHACKYO! – aromatic ver.」は、このEPの核となるような楽曲だ。つまり自分の生活や持ち物を切り売りすることで、周囲や外部に自分の価値を誇示しようとする。あるいは自分が聴いている音楽や観た映画や身に着けているもので自身のアイデンティティを規定しようとする動き。「トレンド」や「カルチャー」は溶解していき、そこから何よりも大切にされている「自分」が立ち上がる。「SUDAMASAKICHACKYO!」のMVを観れば、霊臨のユーモアと皮肉をミックスする鮮やかな手つき、また特定の界隈を想起させる固有名詞の羅列とその華麗でグロテスクなコラージュ感覚を体験いただけるのではないか。「ぼくはふつう!」で歌われる「おしゃれ磨く/げんじの動画で学んだ中和」、「週末出かけたヴィレバンで/買うのはボサノバ風のJ-POP/グランドヒットカバーアルバム」といったリリックには、そんなに「ふつう」って固定観念的? と思わされるが、それは筆者の「ふつう」が外部によって捻じ曲げられ再規定されてしまっていることを示唆しているのかも。
冒頭の話題じゃないが最終曲「ゲーム」では、ゲーム実況者やプロゲーマーへの敵意が剝き出しにされている。「ゲーム実況者が1番好きなのは/ゲームでもリスナーでも無くてお金」、「ヤツらにとって普通の金は紙幣/俺らにとって普通の金は小銭」と、今やプロゲーマーよりもYouTube上のゲーム実況者やストリーマーの方が収入が多いともされる現代の、ゲームをめぐる苛立ちを表明する。大人になったら『サルゲッチュ』をやめてソシャゲや、本当はやりたくない『ツムツム』を始めた。でも大抵の人は『ポケモン』しかやってない。と固有名詞から社会や時代の変化をあぶりだす流れも鮮やか。映画『花束みたいな恋をした』(本作の収録曲に倣えば、“菅田将暉着用”の映画です)でのパズルRPGゲームの扱われ方にも似た、優れた批評性が発揮されている。
そんな皮肉屋で批評的な側面以外でも、霊臨の言葉は常に強く、そして笑える。「Graffiti Art stu」では「お前のグラフィティーもなかなかのでき/シュルシュルの文字どこで覚えたの?/グッチメイズとか好きそうだしね」と、メタリックな鋭く硬い質感のグラフィティを「シュルシュルの文字」と表現する。緊張と弛緩というか、“トホホ”感というか、既存の固定されたイメージを軟弱なユーモアに変えてしまうセンスに長けている。トホホ感を演出するラップは他にも、「クロックスも履きたいが/アシックスのタイガー/地面ちけーな…」、「もしかして俺っちは/すごいセンスありですかい?」、「お前もしかして美大生?/イカしてんね」と、語尾に、言葉の端々に、響きの日常感と野暮ったさ(イカしてなさ)を伴いながら意識的に差し込まれている。
ラップスキルの向上と拙さの共存。前作『Baka City』に引き続き、「Graffiti Art stu」、「Ollie」のような楽曲では特定のラッパーのオマージュにも聴こえるが、以前に比べてフロウの幅が広がっているのを感じる。その一方で、リズムに完全に乗り切れていなく聴こえる「CITY BOY」や「ぼくはふつう!」のような楽曲もある。つまり“単なる早読み”と“自然なたたみかけ”の中間にあるような、シティボーイを目指すあまりに無垢な若者のモノローグであり、とてもチャーミングにも聴こえる。
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おしゃれとかイカしてるといった価値基準に汎用的なマニュアルなんてないはずなのに、あるかのように無意識に振舞ってしまう若者たち。広告は、プロパガンダは、無垢なところから順に日常へ侵略し、自覚に至っていない若者を食い物にしつづけている。一方で霊臨のリリックに笑いながら、「こうやってくだらなく午後を過ごしてたいね~」とか思っている最近。
街頭インタヴューで地上波に出演、メディアに恣意的に切り取られた発言をインターネット上で取り沙汰された霊臨。だが何かを笑い、何かに怒っているうちは常に、自身も両側から撃たれる覚悟はしておく必要があるだろう。彼の不敵なフロウは我関せずと引き目に見ながらのうのうと時間と貯金を費やすわたしたちに鳴らされるサイレン。天使のような微笑の裏に鋭いパステルカラーの爪。あなたの鼓膜を引っ搔いてくる。都内在住の「普通」の青年が、メディアやら何かには負けてもマイクに克ちつづける、最後まで快調な18分間。(髙橋翔哉)
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