Review

Dorothea Paas: Anything Can’t Happen

2021 / Telephone Explosion Records
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SSWでありバンドでもある自由な在り方で辿り着いた、
トロントの音楽家ドロテア・パースのデビュー作

01 July 2021 | By Koki Kato

カナダはトロント拠点のシンガーでありギタリストのドロテア・パースがデビュー・アルバム『Anything Can’t Happen』をリリースした。新人だが、すでに他のアーティストの楽曲で彼女の歌声やギターの演奏を聴いたことがあったことを思い出して、その繋がりを辿ってみるとそこにはトロントの1つの音楽コミュニティが浮かび上がった。そのコミュニティは彼女のデビュー作がリリースされる上でも重要なものであったように思える。

いまトロントから聞こえてくる音楽が面白い。そう思って、筆者がこの地の音楽に耳を澄ますようになったきっかけに、Maximilian Turnbullを中心とするバンドBadge Epoque Ensemble(派生プロジェクトBadge Epoqueは今夏に新作リリース予定)と、メーガン・レミーのソロ・プロジェクトU.S.Girlsがあった。ジャズやプログレッシヴ、トロピカリアを混合させたようなBadge Epoque Ensembleと、ソウル・ミュージック色の強い最新作『Heavy Light』を2020年にリリースしたU.S.Girls。近年のこの2組のサウンドは方向性こそ異なれど、ミュージシャン達が集い、楽器を持ち、演奏することによって成り立つバンド・アンサンブルという点で共通した、セッション要素の強い音楽を志向している。夫婦でもあるTurnbullとレミーはお互いの作品に参加し合い(ときにはDarlene Shruggというロックンロール・バンドも組んだりし)ながら、互いに影響を与え合っている様子が伝わってくる。そんな2人の求心力に引き寄せられるようにトロント周辺のミュージシャン達が集まり、作り出された音楽は、確かな演奏力と発想に溢れた刺激的なもので、そこには豊かな音楽のコミュニティがあることを想像させた。そんなことを思っていた矢先、Badge Epoque EnsembleとU.S.Girlsの両方に参加したことのある1人のミュージシャンが、Badge Epoque Ensembleと同じトロントのレーベル《Telephone Explosion Records》からデビュー・アルバムをリリースした。その人が、ドロテア・パースだった。

本作がデビュー・アルバムではあるが、彼女の音楽活動は2011年から始まっていて、これまでにBandcampとカセット・テープでEPなど5作品をリリースしている。一通り聴いてみると、弾き語りをするシンガー・ソングライターのようにも思えるし、一方で(カセットMTRで録音したような)ローファイな録音から荒削りなパンク・バンドのような演奏が聴こえてきたりと、特定のスタイルに自身を定義しない自由な表現を続けている人という印象を持つ。彼女のインスタグラムの紹介文には「私は、ドロテア・パースという名のバンドをやっていて、それは私の名前でもあります」とある。個人の表現が、内省が、音楽となってベッドルームから世の中へと響く現代にありながら、バンドでもありたいということが伝わるような、二面性。その二面性が、何年かの時を経てゆっくりと混ざり合って行き着いた先であり、しかしそれはまだ途中過程かもしれない……そんな最新作『Anything Can’t Happen』は、定義していなかった彼女自身の在り方を自らの手で手繰り寄せようとする様子を映しているように思える。

本作の冒頭1曲目「One」は、エレキ・ギターのフィンガー・ピッキングと自身の歌声の多重録音による徹底した自作自演かつミニマルなサウンドで幕を開ける。と思えば、2曲目の「Anything Can’t Happen」では、ベースやドラム、キーボードと歪んだギターが加わったバンド・アンサンブルに舵を切るのだが、楽器の音量が抑えられているお陰か、楽曲同士がスムーズに繋がっていく。それ以降も作品全体が穏やかなトーンで統一され、「Waves Rising」のようなバンド・アンサンブルを用いたロック志向でありながら抑制の効いた曲あり、ガット・ギターによるインストの「Interlude」、アルバム中で最もシンプルなアレンジの「Frozen Window」、冨田勲やOPNを思わせるニューエイジな「Runnnig Under My Life」など、ヒーリングに包まれた音像が全体を通底している。ともすればスピリチュアルなアルバムとも思えるのは、彼女が幼少期に通っていたという教会での宗教音楽の体験や、オペラ合唱団での経験によるところがあるかもしれない。ファルセットを度々用いる透き通った歌声と、遠くまで響いていくようなそのハーモニーとが本作の軸になっているからこそだろう。

今作には、彼女の長年のバンド・メイトも参加しているが、これまでのように彼らと演奏することに惹かれつつも、ソロ作品としてセルフ・プロデュースしたかったと本人がインタビューで話している。自作自演歌手のソロ・アルバムであることを前提としながらも、バンド〈ドロテア・パース〉としてのニュアンスをわずかに残す。そんなオリジナリティある質感の作品を成立させている。これには、その絶妙とも思えるバランスのサウンドをミックスしたMaximilian Turnbullの貢献も重要だったはずだ(Badge Epoque Ensembleのマスタリング等に関わるSteve Chahleyもミックスに参加)。

シンガー・ソングライターであることとバンドであることを行ったり来たりしつつ、彼女自身の表現に引き寄せる。そんな絶妙なバランスでサウンドを成立させた一方、歌詞でもそういった1つの形に当てはめることが難しいテーマについて、自身の方へと手繰り寄せようとしているようなところがある。それはいずれも孤独と愛という特定の形を持たない感情についての詩。それを最も象徴する曲が「Container」だ。ここで彼女は、自身が理想とする形で愛を手に入れることができない恐れを水に例える。その水は重力に従って落ちていったり、容器=Containerの中に収まったり、蒸発させたりすることもできる。水のように物質化できれば、恐れという感情を自身でコントロールできるのだと思い込むように。けれど結局、それが蒸発して消えることはないのだろうか、という諦めにも似た疑問と共に歌い終えられる。形のない愛を掴むためには、簡単にコントロールできない恐れとも付き合いながら不断の、誰しもにとって長い努力の道のりが必要なのかもしれない。そんな人生の繰り返しを自身に言い聞かせるように、アルバム1曲目の「One」と同様のメロディと孤独を払拭するような歌詞のフレーズが、最終曲の「Running Under My Life」でも歌われているのは示唆的だろう。

彼女は、表現形態や感情を特定のものに定めてこなかったからこそ、本作で繊細かつ自由な表現を実現できたのかもしれない。そういった在り方は、ソロ・プロジェクトでありながらバンド・アンサンブルを志向する近年のU.S.Girlsのメーガン・レミーや、(2000年代であれば同じくトロントのバンドであるブロークン・ソーシャル・シーンがU.S.Girlsのようだったとパース本人が話すように、そこに参加していた)シンガー・ソングライターのファイストが、その自由で豊かな表現のお手本となっていたのかもしれない。シンガー・ソングライターでありながらバンドでもあるという在り方の模索や、心の中で形を変える感情は、アルバム・タイトルが示す通り(外側から一見すれば)何も起きていないように見えるかもしれない。けれど今、1人のミュージシャンが新たな一歩を踏み出して、トロントのシーンに動きが起きた瞬間だと思うのだ。(加藤孔紀)

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