じっと宵闇を眺めるように
どこにも行きたくない。どこにいても同じだから。外界の喧騒や東京の華やかさとは裏腹に、心の内側はどん詰まりの気分で満ちている。SNSは相変わらず華やかで、部屋で鬱屈と過ごしている自分を否定するように感じる。2024年、世界では惰性でリール動画を眺めているこの状態を見事に表現する「brain rot(脳腐れ)」という言葉が流行したらしい。誰もが虚勢を張った時代に飽きているのだろう。いや、心底疲れているのかもしれない。そんな時に心をやわらかく掬い取ってくれるのは、音楽くらいだ。無理にどこへも行く必要はない。自分らしくあればいいと、音像が語りかけてくれるように感じる。
去る2024年末、ベルリンの友からの勧めで耳に飛び込んできたのが、ブリストルの3人組、Jasmine Butt、Alex Rendall、Amos Childsによるジャブー(Jabu)のサード・アルバム『A Soft and Gatherable Star』だ。ビートは基本的にスロウで、どこを切り取っても耽美。メロディも歌声も甘やかだ。デカダンスな音世界へと誘われる感覚が広がっていく。せっかく長くなってきたヨーロッパ暮らしの疲れを癒しに生まれ育った日本に帰ってきているのに、どこか馴染めずアウトサイダーとして街を眺めていた私の気分にこのアルバムがぴったり合致した。
調べてみると、Young EchoのOssiaが仕掛けるイベントでジャブーのパフォーマンスを目撃していたことがわかった。2023年初夏のベルリンで、彼らの音を生で体感した時には、まだその存在を認識していなかったが、その音の存在感はすでに私の心に足跡を残しフィルムカメラで収めていた。ドリーム・ポップ的なスリーピース・バンドの要素を持ちつつも、脈々と受け継がれるブリストル・サウンドに多くの音楽ファンが期待するトリップ・ホップ的な音像を参照しているのに、嫌味がなく奇跡のようなバランスで成立しており、ツイン・ヴォーカルが印象的だった。点と点が自然と繋がっていった。
アルバムの楽曲を詳しく見ていくと、スリーピースでありながら、いくつものアーティストのコラボレーションを果たしている。2曲目の「Gently Fade」には、Birthmarkによるキーボードとシンセがフィーチャーされている。3曲目の「Košice Flower」では、Rakhi Singhのストリングスが美しく響く。「Sea Mills」では、Birthmarkのシンセとキーボードに加えて、Josh Horsleyによるチェロ、続く「All Night」でRakhi SinghとSebastian Gainsboroughのストリングスがフィーチャーされている。「Ashes Over Shute Shelve」では、Memotoneによるクラリネットと(彼が同年リリースしたアルバム『Fever of the World』も美しい)やDaniela Dysonによる詩の朗読が加わる。
ともすればトーンが近く、単調になってしまいそうな楽曲群。しかし、こうした共作者たちの生楽器の演奏が奥行きを与え、丹念に作り込まれた楽曲群が感情的な揺れを描き出すことに成功している。前作まであったダンサブルなビートは音の海に溶け込み、有機的なバンドとしてのアプローチは、ドリーム・ポップの枠をゆうに超えた質感を讃えている。説明が漏れていたが、アルバム・タイトルはメンバーのAmos Childsの父が書いた詩からの抜粋だ。別の詩が「Ashes Over Shute Shelve」のバックボーンになっている。
このアルバムが想起させるのは、心の奥深くで渦巻く感情を丹念に見つめる時間そのものだ。人に説明できない、忘れがたい詩的な瞬間、打ち明けられない秘密そのものだ。例えば窓辺から街のランドマークをみているうちに、自分のありようも世界そのものも変わっていってしまうような──。
生きることはままならない。虚勢や虚栄に疲れ果ててしまった。だったら、まずは目の前の確かなものを見つめたい。日々の波打つ心の揺れを自分のものとして大切に抱えながら。ジャブーの『A Soft and Gatherable Star』は、そうした決意を促すように、個人的な北極星としてひっそりと誰かの心を照らし続けるだろう。(冨手公嘉)

