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「影響を受けつつも目的を再定義して、完全に自分のものにする」──ウェンズデイに訊くバンド・フィロソフィー

04 December 2024 | By Yasuyuki Ono

この10年、インディー・ロックの苦境は何度も、何度も、何度も語られた。ジャンルの“死”。その終焉の表象をもって、逆説的にインディー・ロックの語りはあちこちで湧出していた。その論が全面的に正しかったとは思わないけれど、2024年現在にあって、そのような2010年代後半以降のインディー・ロックをとりまく閉塞感に風穴は確実に開いている。それを成し遂げたのが、ブルックリンのアンダーグラウンド・インディー・シーンで着々とその実力を蓄え《Saddle Creek》から『Capacity』(2017年)をリリースしたビッグ・シーフであり、南部アッシュヴィルのミニマルなローカル・インディー・コミュニティから生まれ、シカゴの新興レーベル《Orindal Records》から『Twin Plagues』(2021年)をリリースしたウェンズデイだった。

暴れ狂う轟音ギターと、フォーク/カントリー経由の牧歌的抒情を組み合わせたウェンズデイのロック・サウンドにあるのは、“あの頃”のシューゲイザーへの、グランジへの、パワーポップへの、オルタナ・カントリーへのノスタルジアでも、模倣でもない。彼らのサウンドへ与えられた“カントリー・ゲイズ”というカテゴライズも、彼らが生み出したサウンドへの一時的定義でしかない。本インタヴューでMJ・レンダーマンが自らの音楽について語った「影響を受けつつも目的を再定義して、完全に自分のものにする」という意識のもと、反省的に自らのサウンドを、ロックを再構築をくりかえす中で、ウェンズデイのサウンドは、ロックは生み出されている。

本インタヴューは2024年3月13日に澁谷《CLUB QUATTRO》で開催された《LIVE IN TOKYO 2024》時に行われたものだ。3月時点では知る由もなかった《rockin’on sonic》への出演決定やMJ・レンダーマンによるソロ・アルバム『Manning Fireworks』のリリースを経て、更に国内外で日々期待が蓄積されているウェンズデイのインタヴューは、過去から作品制作の大きなリファレンスのひとつとなってきた小説家のリチャード・ブローディガンと日本に関する話から始まった。

最新作である『Rat Saw God』のレコーディングにおける意識、バンドの肉体的/精神的/文化的“ルーツ”に対する思考系、バンドという集合体のあり方など現在のインディー・ロックにおけるサウンド・ディレクションの先端を担う、ウェンズデイの面々の語りは、現在における“バンド”もしくは“バンド・ミュージック”がどのようにあるべきかの範例を示すものだと思う。

(インタヴュー・文/尾野泰幸 通訳/竹澤彩子 写真/中野道 協力/吉澤奈々)

Interview with Wednesday (Karly Hartzman, MJ Lenderman, Xandy Chelmis and Alan Miller)

──あなたたちの作品には様々な文学的引用がちりばめられていると思います。そのなかでもリチャード・ブローディガンについて、アルバム・タイトルや楽曲名などへ引用を繰り返しています。彼は日本へ1976年5月に訪れ、一か月半ほど滞在し、日本滞在時に書き溜めた詩集『June 30th, June 30th』を残しました。そこには「人生のすべての可能性、すべての道はここ(東京:筆者注)に通じていたと、書かれています。日本に訪れてみてまだ少しの時間しか経っていないと思いますが、日本について考えていたことや、街の様子や体験したこと、ライヴをしてみて感じたことをお聞きしたいです。

Karly Hartzman(以下、K):誠実さみたいなものを至るところで感じる。それとよく言われていることだけど、自分以外の他人をリスペクトする姿勢、他の人に対する気遣いが伝わってくる。あと、昨日のライヴで一番印象的だったのがお客さんの集中力の高さだよ! 一音一音ものすごく大切に音を聴いてくれてるんだなってことがヒシヒシ伝わってきた。アメリカのオーディエンスは基本騒ぎに来てるからね。自分はそういうノリもめっちゃ好きだけど。

Xandy Chelmis(以下、X):アメリカのオーディエンスは、お祭り騒ぎに来るノリでライヴに来てるよね。

K:でも、昨日は余計な冷やかしが一切なしで、日本だとお客さんが一音一音に大切に耳を傾けてくれてるっていう、その熱量をヒシヒシと感じて、その感激が自分のパフォーマンスにも反映されちゃう、みたいなエネルギー構造になってたかな。 あと、ライヴ前にお客さんが整列して待ってるのとかもアメリカじゃ見たことない光景!

Alan Miller(以下、A):そもそもライヴが時間通り始まること自体にびっくりした。すべてがスケジュール通りだった。

X:演奏してる間はお客さんが静かに耳を傾けて聴いてくれて、終わってから一気にワーッて盛り上がる展開もこれまで経験したことがなかったから斬新だったね。

──わたしは、あなたたちの音楽に二面性を感じています。ラウドでヘヴィーなエレクトリック・ギターと咆哮にも似たヴォーカル・スタイルからはエモーショナルで衝動的な強さを感じます。他方、カントリー・スタイルの楽曲やハート・ウォーミングなヴォーカルが印象的な楽曲からは深く沈み込んでいくような思慮深さや温かみ、優しさを感じます。その二面性もしくは良い意味で混ぜ合わさった楽曲のスタイルがバンドをユニークな存在にしていると過去作からずっと感じていました。 特に最新作である『Rat Saw God』ではこれまでの作品よりもその二面性を顕著に感じました。

K:二面性ってことに関しては、人生において避けられないことだと思うんだよね。もう絶対的に、そこにある。ただ、自分はできるだけ明確な形でお客さんともコミュニケーションを取りたいし、そう心がけてる。人生にキラキラした美しい光の部分が存在するのと同じように、その影として闇の部分が存在してるわけで……。その両者のバランスを取っていくようには意識してる。もしどちらか一方しか描いてなかったら、それってやっぱりリアルや真実とは乖離してるような気がするから。光と闇の両方あっての人生だからね。

──そのようなスタイルの折衷はどのようにして構築されたものなのでしょうか?

X:考えてやってるっていうよりは無意識のうちだよね。ずっと同じ音ばっかりやってたら、どうしても飽きてくるし。

A:そう、単純に静と動のバランスってとこで。

X:普通に一本調子でやってたらつまんないから。めちゃくちゃハードな曲をやってエネルギーを発散させた後には、少しチルに入るみたいな。ハードな音の間に一瞬だけソフトな瞬間を織り込むってことを、考えるというよりはむしろ自然な流れでそうなってる。自分たちも飽きないように。

MJ Lenderman(以下、MJ):基本的に、カーリーの持ってきた曲に対して反応しているだけで、どんな球を投げられたとしても打ち返すし。そもそもカーリーの持ってきた曲自体がソフトな音を要求してたら、それに応えるし。

A:「Formula One」とか、あれをハードに演奏するとか普通に無理だし。そもそも元曲がそういう音を求めてないんだから。

J:いや、実はそれもありだったかもしれないけどね(笑)

──例えば「Fate Is…」や「One More Last One」、「Three Sisters」、さらには「Chosen to Deserve」でも感じるのですが、再生ボタンを押した瞬間、一音目で楽曲の中へと引きずりこまれるような、一音目に最大の魂を繊細かつ大胆に宿したような楽曲の空気感がバンドのチャームになっていると感じています。昨日のライヴでも静から動に切り替わる一瞬の爆発に、自分も周りのオーディエンスも思わず声が漏れていました。この一音目に収められた爆発とカタルシスは意識的なアイデアでしたか?

K:そう。自分でもよくわからないけど、これって自分の性分みたいなものなのかな。メンバーに対してもこれまで言葉で伝えたことないけど……。とはいえ、メンバーももしかして過去作から気づいてるのかな。まず、最初の一発目に関しては強烈にガツンとカマしたい、即効性のあるものにしたいんだよね。聴いた瞬間「はい、こういう曲なんだ!」ってのがわかるように。だから、わたしたちのアルバムを聴いて最初の一曲目で響かなかったら、「いいよ、もうこの先聴かなくて」っていう感じかな。だって、最初にあれを出しといてダメ出しされたらさ…… 

X:「そもそも性格合わないし、これ以上、付き合っても時間の無駄だよね」的な(笑)?

K:そうそう(笑)。だって一曲目で答えが出ちゃってるんだから。

MJ:というか、『Rat Saw God』の一曲目って何だっけ? ど忘れした。

X & A:「Hot Rotten Grass Smell」。

MJ:ああ。あの曲が一曲目なら間違いないね。個人的に大好きなやつだし(笑)。

K:そう、一曲目ってある種の使命、宣言みたいなものだと思ってるんで。私は曲を聴いた最初の瞬間から自分がその曲を好きかどうか知りたいから。だから自分もコミュニケーションの第一歩として最初にそれを全面に打ち出しておきたい。たとえ最初の一発目で拒否られたとしても(笑)。

MJ:そもそも理屈とか抜きにして、ラウドな音をガツンと一発ブチかます以上の快感が果たしてあるんだろうか?ってのもあるし。

A:ああ、わかるー。

X:間違いないでしょ。

MJ:一人じゃ無理だし、全員一緒に同じ場に揃ってないとできないからね。

A:たしかに毎回できることではない。

K:でも、毎回そればっかりやってたら、それはそれで飽きるよね。

A:一応、これからどういう音を鳴らしていくのかバンド内で話し合ったり、レコーディングしてる最中に「うわ、これは絶対にライヴでキターッ!! ってなるやつだろ!」って感じで、そこをガンガンい攻めてくときもあるけど、大前提がオーディエンスのウケ狙いというよりは演奏してる側の自分の体感として、「うわ、マジで今の一発キマったってやつだ!」って本人が実感してるからそういう一曲目の一音目に対する感性が湧き出るというか。演奏する側というより、完全に自分もいちオーディエンスの体感として。

X:うん。ダイナミックな力が働いたら、それを補うために他の楽器、パートが静へと向かって動いていく。そうなるとその静を補うために前回よりもさらにハードに打ち返さなくちゃいけないっていう、その応酬だよね(笑)。

A:でも、今聞いて面白いなって思ったのは、今、質問に上がった4曲どれも例外的にこの2人(Xandy Chelmisと MJ Lendermanを指して)仕切りで書いた曲っていうのが面白い(笑)。

X:どれも相当レアだよね。ライヴでもほぼやってないもんね。

MJ:「Three Sisters」 に至っては一度もライヴでやったことないなぁ。

──その一音目に込められたラウドネスという側面からも感じるように、ウェンズデイはギター・オリエンテッドなサウンド・メイキングに焦点化して語られることが多いと思います。しかしながら、『Rat Saw God』ではバンド・アンサンブルがこれまでの作品以上に繊細、慎重かつ丁寧に録音されているように感じます。バンド・サウンドの構築にあたっては、どのような部分を意識的に組み立てられているのですか?

K:意識的に、というよりは、単純にバンド内でのコミュニケーションが進化してるだけなんじゃないかなあ…… ギターに関して言うなら、それぞれにソロをやってる感じ。完全に丸投げして委ねちゃってる、みたいな。自分もうまく説明できないけど、自分だったらどうやって説明する? ギターのアンサンブルに関して?

X:どうだろう、自分の音楽的な趣味とか感性が自然に出てるだけな気がするかな。自分がこれまで音楽をやっていく中で、あるいはリスナーとして吸収してきたものが、演奏してる最中に自分の進むべき方向性を教えてくれてるみたいな……。それは他のメンバーにしてもきっと同じ気持ちで、お互いの音から自分が次に進むべき方向を教えてもらってるような……。そうやって押し引きしていく中で、あの中間地点でお互いの音が重なるポイントが訪れるというか。

MJ:わかる。そうだよね。前に自分とXandyのギターをブドウの木に喩えられたことがあったな。蔦がぐちゃぐちゃに絡まり合って何がどの木から伸びてるのか判別不可能なように、誰が何の音を弾いてるのかもはや区別がつかないときもあるし(笑)。 あるいは2人で同時に同じことをやってるときもある。ただ、バンドがどんどん大きくなって、会場が良くなるにつれて、最近になってからお互いの音に耳を傾けられるようになったっていうのはある(笑)。

A:地下室でモニターもなしの中で演奏してた時代とは比べものにならないよね。

MJ:あれはあれでまた別の趣きがあっていいけどねぇ。

──そのようにバンド内でのコミュニケーションや感性を共有しながらウェンズデイというバンドのサウンドが構築されているのだとしたら、お一人ずつ現時点での最新作『Rat Saw God』のレコーディングにおいて最も意識的に取り組んだことを聞かせていただけますか。

K:自分の場合はどの作品でも同じで、その曲をレコーディングするにあたって自分がやっつけたい感情にフォーカスするということを意識してる。自分の言葉や声、ギター・パートなりメンバーが反応した音を総動員して、今、目の前にある感情をいかにしてピュアな形で音に還元できるかってことをやってる。ただ、それはそれでストレスでもあるんだけど。だって、一度これっていう感情にフォーカスして走り出したら、後戻りはできないから。しかも、それが完成形として世に出ちゃう。

A:相当なストレスだよね、後から「やっぱりやめた」ってことができないからね。

MJ:『Rat Saw God』に関しては、自分でも何をやってるんだかよくわかんないまま必死っていうか(笑)、始終、自分でも一体何をやってるんだろう?」って感覚が付きまとってて。ものすごい駆け足でレコーディングしてるから。

X:一週間ちょいくらい?

A:しかも、ほぼバンドで音を合わせことない曲ばかりだった。

X:そう、スタジオに入ってその場で練習して、同時進行でレコーディングも済ませていくみたいな形。

A:『Rat Saw God』のレコーディングは、スタジオで一時間くらい練習して「準備OK!」ってなったら即レコーディングに入るみたいな、ものすごい無茶ぶり(笑)。しかも、他のパートよりも自分が先にレコーディングする場合、「え、そもそも自分は何の曲を演奏してるわけ?」みたいな感覚のままドラムを叩くことになる。

K:それは、戸惑うのが普通だよね(笑)。

MJ:わかる(笑)、「え、自分が今、何やってるわけ?」みたいな感じがドラムの音からも伝わってきたし、「そもそも曲になってる?」みたいな(笑)。

A:「TV in the Gas Pump」をやってるときがまさにそういう精神状態だった(笑)。あれなんかドラムを最初に録った曲だから、「今、一体何の曲を演奏してる?」みたいな感覚だったし(笑)……。だから、ただメンバーを信じて委ねるってことが、今回のアルバムにおいて重要なプロセスだったのかもしれない。「一体、何やってるんだろう?」っていう、自分の中でまだ全体像が掴めてないんだけど、今この一瞬を信じて最後までやりきる、みたいな。そこが一番のハードルだったかもしれない……。マインド的には前のめりというよりは、若干および腰みたいな……。でも、それがある瞬間からフッと楽になるというか、自分が今ここで何をやってるのか完全に理解できるようになるっていう。それは今回のアルバム・レコーディングで学んだことかもしれない。手探りの状態のまま突入してゴールに辿り着いてから曲の全貌を知るみたいな。

──いま話してくれたようなバンド・メンバー一人一人が、互いに向けあう信頼に支えられながら、ここまでバンドが大きくなっても、あなたたちはバンドのルーツであるアッシュビルを含む文化圏としての“南部”について歌い、ローカルネスやルーツに重きを置いているように思います。バンドにとってそれはどのような意味を持つものでしょうか?

K:その通り、自分たちは“ホーム”ってものをものすごく大切にしてる。“ホーム”、つまりいつでも帰れる場所を持っているっていうのが自分にとってすごく大事。メンバー全員ともお家大好きだしね。私なんてって完全に家人間ってやつで、自分は一生ここから離れないってくらい地元に対する思い入れが強いんだよね。今とかツアーで全然家に帰れてないし。

MJ:あれ? 別の町に引っ越しする計画を立ててなかったっけ(笑)?

K:いや、そういう余計なツッコミ要らないから(笑)! ただ、私は今のところノース・キャロライナというか、アメリカ南部以外を離れるつもりはないよってことを言いたいの。自分と地元との深い結びつきとか、そこに暮らしてる家族や友人との深い結びつきを音楽の形で発信することでさらにとの結びつきが強くなってる……。しかも、それが巡り巡って自分にも還元されてるし、それが自分以外の人達にも波及している。地元について書くことで自分の中にある地元に対する愛情がますます強くなってるし、南部の人達からうちのバンドの曲を聴いて地元への愛が強まったって言われることがすごくよくあるんだよね。それって本当に素敵なことじゃない? ガンガンに惜しみない愛情を注ぎ込んで誇りに思える土地があるって。単に都会に出てニューヨークに出て一旗揚げるとか、そういうんじゃなくてさ。

A:普通に日常を暮らすってことが曲を書くには必要不可欠なんだと思う。ただひたすらツアー生活について書いていくしかないし、そんなのつまらない。

X:ツアーをやり出すと一年のうち300日は旅暮らしになるからね。それって本当に自分達が擦り減っていくようなハードなことでもあって、だからこそ自分には帰る家が必要だし、日常生活との繋がりが大事。

A:それが断たれちゃったら、今みたいな音楽は作れないだろうね。

X:うん、みんな家が大好きだしね。家で普通に家事をやったり、日常の生活を送ること人生の中心軸を置いてるというか…… 生きることとはすなわち日常であり、日常とは日々のこまごました作業の連続で、料理や掃除が自分の生きる道みたいなとこがあるもんね。

A:なんか気の利いた歌詞の一節みたいだね。

K:車のステッカーとかにありそう(笑)。

MJ:エプロンのロゴとかに良さそうだな(笑)。

──昨年『Rat Saw God』が多くの人のもとに届いたことで、あなたたちがdrive by truckersをバンドに取っての大きな影響源としているように、あなたたちのようなバンドになりたい!と思っている人もたくさん出てくるのではないかと思います。しかし、何かを目標とすることは、単なるサウンド・スタイルの模倣ではないとも思います。そのうえで、あなたたちがバンドという集合体を構築するうえで、最も大切にしていることを教えてほしいです。

K:うん、まさに今の質問の中に全部の答えがあると思う。影響を受けるってこととカヴァー・バンドというか単なる模倣に終わっちゃうのとの違いというか……。「わー、このバンド好き、自分もこれとまったく同じことをやりたい!」ってことで、同じサウンドをただ歌詞の言葉とメンツを変えてやってるだけ止まりになっちゃってるバンドが多い気がするんだよね。でも、自分たちはそういう目標をとくに必要としてない気がする……。仮に影響だのインスピレーションを受けるにしても、自分自身のカラーを一音一音に逐一反映して、確実に自分達だけの表現に落とし込んでいくようにしてる。だって、他人の表現をやったところで面白くも何ともないもの。少なくとも私にとってはね。

MJ:というか、そもそも5人でバンドをやっていて、そのうえ5人とも全然バラバラの音楽に影響を受けている……。その違いこそが、ある意味、バンドの基盤になってる。そのバラバラのものを、どうやって一つにまとめていくかってところで、お互いに協力し合うことがウェンズデイを形作ってる。それに影響って必ずしもサウンドやスタイルだけに還元されるものでもないと思う。もちろん影響を受けたバンドはサウンド的に好きっていうのもあるんだけど、そういうのを超えたところの何か……。「何なんだろ、一体?なんでこのバンドを聴くとこんなに熱くなるんだろう? その差は何?」っていう。だから、その具体的には言えない直感的な何かにインスパイアされていけばいいんだと思う。結局、いいバンドというか、自分がそのバンドを好きな理由って、ありのままの自分自身を表現してるからだったりするもんね。

X:自分も今まさにそれと同じことを言おうと思ってた。音楽って色んな構成要素が賭け合わさってゲシュタルト的に全体として一つの構造を描いていくものなわけで、その全体が徐々に独立して、一つの魂みたいなものを持ち始める。だから、本当に深いところまで音楽を聴き込んで、さらに自分の道を貫くということをしていたら、サウンドとか型よりも魂レベルでその曲に繋がるしかないんじゃないかなあ……。単に上っ面の表面の部分だけをなぞるんじゃなくて。

MJ:あるいは、影響を受けつつも目的を再定義して、完全に自分のものにするというかね。

A:だから、決してパクリではないんだよね。

MJ:うん、単なる模倣じゃない。だってサウンドとかスタイルが、自分たちのルーツから得る一番の重きを置いているものじゃないから。

A:魂のレベルの問題だよね。自分がある曲を聴いたときに起こる感情を自分の音楽でも再現したい、そういう感情を起こさせる曲を自分で作ろうっていう話だから。

<了>

Text By Yasuyuki Ono

Photo By Michi Nakano

Interpretation By Ayako Takezawa


Wednesday

『RAT SAW GOD』

LABEL : Dead Oceans / Big Nothing
RELEASE DATE : 2023.4.7
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Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music


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