Back

マイクをカメラに変えて
ラッパーが手がけるドラマ・シリーズ注目作4選

17 March 2024 | By Tatsuki Ichikawa

ドラマ・シリーズ(テレビ・シリーズ)はこちらの時間を容赦なく奪ってくる。と言うのも、ここ8年くらいの間で、ストリーミング・サーヴィスの隆盛も手伝って、数々のシリーズが制作(そして時には打ち切り)を繰り返し、その量は、私たちに話題の作品だけですらも追いきることを諦めさせるほどになったからだ。

一方で、数シーズンにわたる人気ドラマ・シリーズのいくつかは、2020年代に入り終幕を迎え、世間の“ドラマウォッチャー”の間では所謂“ピークTV”と呼ばれるドラマ・シリーズ黄金期が落ち着きを見せ始めている感覚のようだ。しかし、その中で、埋もれてしまうような作品が存在するのも事実。すっかり全てを追うのを諦め切っている私自身も、それらはできるだけ拾っていきたいと思いながら、結局拾ったり取りこぼしたりしているのだが。

ここで注目したいのは、ラッパーが制作に携わるドラマ・シリーズだ。近年、映像作品の制作に着手するラッパーが、作家性を音楽以外でも目立つ形で強めつつある。代表的なところで言えば、一昨年に完結した、チャイルディッシュ・ガンビーノこと、ドナルド・グローヴァーの『アトランタ』(2016〜2022年)。元々俳優、コメディアン兼脚本家としても活躍していたわけだが、映像作品における彼の表現は、彼自身が作る音楽とも切り離せないくらい重要なものだった。プロデュースから監督、または主演まで。ユニークな形でラッパーが映像作品に関わる例が増えてきた中で、ぜひ注目してほしいドラマ・シリーズをいくつか紹介したい。

ドラマ・プロデューサーとしてのドレイク
『トップ・ボーイ』
(2011〜2013年、2019〜2023年)

昨年のテレビ界は『メディア王 〜華麗なる一族〜(原題:Succession)』(2018〜2023年)の完結が大いに盛り上がっていたが、一方で5シーズンに渡った英ドラマ『トップボーイ』も素晴らしい終幕を迎えた。

イースト・ロンドンに位置する“サマーハウス”という団地を中心に、ドラッグ・ディーラーたちの生き様を描くこの作品は、当初、英国の地上波チャンネルが2シーズンまで制作し、一旦打ち切られていた。そこで、シリーズを拾ってNetflixに持ち込み、継続させたのが、シリーズのファンであったドレイクである。

そもそも、ドレイクは近年、プロデューサーとして精力的に活動しており、映画からドラマ・シリーズまで多岐にわたる。有名なところで言えばHBO『ユーフォリア/EUPHORIA』(2019年〜)などだろうか。しかし、『トップボーイ』に関して言えば、一度打ち切りになったシリーズを復活させた功績は大きく、その上、Netflixでの制作になって以降、映像作品としてのクオリティも格段に上がり、広く見られるシリーズに成長したと言える。この作品でのドレイクの功績は大きいだろう。

一方で、ドラマ自体にも、主人公サリーを演じるカノをはじめ、リトル・シムズやデイヴなど、UKのラッパーが複数出演。劇中をJ・ハス、コジェイ・ラディカル、ナックス(Knucks)などのUKラップが彩る(全体のスコアはブライアン・イーノが手がけている)。2013年放送のシーズン2と2019年配信のシーズン3の間には6年とだいぶ長い月日が経っているが、その間にリリースされたドレイク『More Life』(2017年)におけるスケプタやサンファなどUK勢の参加も、多少なりとも繋がっているのではないかと思いを巡らせることもできるかもしれない。

このように、UKシーンと密接にリンクするこのドラマ・シリーズも昨年ファイナル・シーズンを迎えた。個人的にも、本シーズンこそが、シリーズ最高傑作であると推したい。何よりも、物語を推進させることにやや必死になっていた前シーズンに比べ、終幕に向けて、演出としてのドライさを獲得し、必要以上に語らない作劇が質を高めている。作品は登場人物たちを突き放し、感傷性の代わりに残酷な呆気なさをものにした。貧困やジェンダー、ジェントリフィケーションの問題まで重くのしかかるシリーズの中で、それらの社会的背景から目を背けず、それでいて演出としての洗練を見せる。雑な風呂敷畳や押し付けがましさ、執着などから離れた、渋く誠実な着地には感動さえ覚え、これこそがある程度の長さを刻むドラマ・シリーズのあるべき姿なのではとすら思った。全体としても、これが昨年のベスト・シリーズであると断言したい。

ユーモラスな奇才、ブーツ・ライリー
『僕は乙女座(原題:I’m a Virgo)』
(2023年)

単発のドラマ・シリーズを仕上げたブーツ・ライリーはどうだろうか。彼が監督/脚本/エグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされているシリーズ『僕は乙女座』のエキセントリックな楽しさには魅入られた。AmazonのPrime Videoで配信されたこの作品は、一話30分弱のコンパクトな尺で、4m身長の黒人少年が、現実世界に飛び込んでいく奇妙なファンタジー作品である。

まるでジョー・ダンテとスパイク・リーを合体させたような、あるいはチャーリー・カウフマン的な奇天烈を自分色にしてしまったような代物をブーツ・ライリーが送り出したこと自体は、実はそれほど意外なことでもない。彼の前作『ホワイト・ボイス(原題:Sorry to Bother You)』(2018年)は、テレマーケティングの仕事をする黒人主人公が、ある日“白人声”を手に入れたことによって出世、そこから怪しいビジネスや大企業への反対運動に不可思議に巻き込まれていく作品である。物語が進むにつれて奇妙さを露わにするこの映画で、ブーツ・ライリーは強烈に反資本主義を掲げた。

その上で、『僕は乙女座』にもそのアナーキーさが備わっていると言えるだろう。本作も反資本主義、社会主義という点で、明確なテーマが備わっている上、プロット上、昨今のスーパーヒーロー映画へのアンチテーゼになっているのも見所だ。カタルシスを持たないクライマックスは、権威やシステムに反旗を翻しながら、暴力の主体になることを拒否しているようにも見え、より直裁的になっていることからも、アメリカの分断に対するブーツ・ライリー自身の危機感を感じとることもできるかもしれない。

ヒップホップ・バンド、The Coupのリーダーであるブーツ・ライリーの世界観は、当然のようにヒップホップと密接にリンクするが、その中でオルタナティヴな感覚を持っていることも特徴的だろう。因みに、劇伴はチューン・ヤーズが手掛けている

リル・ディッキーによるラップ・コメディ
『デイヴ』
(2020〜2023年)

リル・ディッキー(デイヴ・バード)が主演/脚本/エグゼクティヴ・プロデューサーを務めたFXドラマ(正確にはFXのパートナー・チャンネルであるFXXで放送)『デイヴ』は、ラッパーとその友人たちの日常を描くという点で、まさにお下劣コメディ版『アトランタ』と言いたくなるようなプロットだが、寓話的かつ深淵な『アトランタ』とはまた違う方向を向いている印象だ。

2020年から始まったこのシリーズは、昨年シーズン3を配信。知名度を獲得したスターとしての彼の生活が描かれるが、シーズン1から一貫して、リル・ディッキー自身が、自分を“素朴な男”として自虐的に捉える様がこのドラマの味だろう。彼の音楽のように下品な話題を欠かさない、しょうもない話の羅列の中で、所々で切実さが滲む作品でもある。『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007年)などで知られるグレッグ・モットーラの監督登板や、制作に参加するケヴィン・ハートも、このコメディを支えているだろう。個人的には、ラッパーの成り上がりコメディとして、ネルソン・ジョージが脚本に参加した映画『CB4』(1993年)に遡れそうな文脈でもある気がするのだが、本作が美点として持ち合わせる“大したことなさ”は、同系統の他作品にないものと言えるかもしれない。あくまでカジュアルに、リル・ディッキーという浅はかで弱々しい男の日常を描いている。

そしてこれは言わずもがなだと思うが、当然ヒップホップやポップ・カルチャーのネタも大いに含まれる。2016年に「XXLフレッシュマン」に選出された時のエピソード(当時のメンバーが集結している)など、現実のリル・ディッキーの活動とリンクさせながら、半自伝的に物語を紡いでいく作劇は非常にユーモラスで、2010年代のラップ・シーンを見てきた人であれば楽しめること間違いなし。今回のシーズン3では、リック・ロスから預かったネックレスを無くし大騒ぎしたり、メット・ガラに招待されて、ジャック・ハーロウと喧嘩したり、大忙しで楽しいエピソードに溢れている。多くのラッパーからハリウッドスターまで、数えきれないあまりにも豪華なカメオ出演にも注目。1話30分弱の、このくらい軽い作品は、まさに部屋の中で一日中流しておくのにもうってつけ(現に私自身作業中に流しておくこともしばしば)。そういう点で、かつてのストーナー・ムーヴィーのような緩さと、膨大な情報量の両方を携えたドラマ・シリーズとも言えるだろう。適当に流していたとしても、ふと画面を見ると笑えるような、そんなコメディのありがたみを実感するような作品である。

ヴィンス・ステイプルズの憂鬱
『ヴィンス・ステイプルズ・ショー』
(2024年)

最後に紹介するのは、ヴィンス・ステイプルズによるコメディ・シリーズ『ヴィンス・ステイプルズ・ショー』だ。『キッド・カディ: Entergalactic』(2022年)で共同脚本をしていたケニヤ・バリスがエグゼクティヴ・プロデューサーとして参加する本作は、一話20分から30分弱、全5話のコンパクトな作りでラッパー、ヴィンス・ステイプルズのロング・ビーチ(彼の音楽を聴いているものにとってはお馴染みの場所だ)での日常を描く。例えば一昨年のアルバム『RAMONA PARK BROKE MY HART』がそうであったように、ロング・ビーチでのハードなストリートライフを語る彼の音楽性は軽やかなものだった。そういう意味で、本作が持つシリーズとしての手軽さは、ステイプルズらしいと言える。

最も比較されそうなのは前述の『デイヴ』と同じく、ドナルド・グローヴァー『アトランタ』だろう。実際、本作にはある種の寓意性があって、似たバイブスを持っている。留置場や銀行、テーマパークで彼を襲う不条理の数々を見て、『アトランタ』寄りの作品であると感じる人も多いだろう。また、全体を通してステイプルズ自身の不機嫌そうなムード、憂鬱感が、本作のシュールさとシニカルさを高めている。

実際に、『アトランタ』以降のラップスター・コメディの流れはあるのだろう。本作に関して言えば、手触りとして『アトランタ』と『デイヴ』のまさに中間地点にある作品と言えるかもしれない。ヴィンス・ステイプルズの放つそれぞれのテーマも複雑で皮肉めいたものではあるが、『アボット エレメンタリー』(2021年〜)から『パルプ・フィクション』(1994年)まで、分かりやすくレファレンス、オマージュしていく様はかなりポップで、彼の音楽に触れたことがない人でも、非常に見やすい作品と言える。当然、決して重くなりすぎず、一方でメタファーに溢れるこの作品と、彼の音楽を相互補完することも可能だろう。もう少し話数を広げて、周囲の人間との関係性を掘り下げて欲しかった気もするが、手軽なコメディとして、彼の作家性を掘り下げる意味でも、十分に楽しめる出来である。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa

1 2 3 73