ジル・スコットの解放宣言
──黒人共同体に捧げるラブレター『To Whom This May Concern』
ジル・スコットが、2015年の前作『Woman』から実に11年ぶりとなる新作『To Whom This May Concern』で、ついにその沈黙を破った。11年という時が流れたのは、2015年当時6歳だった息子さんの貴重な成長にじっくり向き合いたい、という想いがあったからだという。知性と女性性豊かで、溢れ出る自信をまとうジルに、大いなる母性愛が加わり、この長い歳月の間に貯め続けたアイディアや表現願望が、満を持して世に送り出されたのだ。
まずはこのタイトル、『To Whom This May Concern』。ビジネス・レターでは、冒頭で「関係者各位」を意味する「To Whom It May Concern」という言葉がよく使われる。ジルはその間接的な“It”を直接的な“This”に変えることで、この作品が届くべき相手を選び、このタイトルだけで受け手との距離を一気に縮め「誰にこのメッセージを伝えたいか、あなたには分かってるわよね」と暗号を送り、瞬時にパーソナルな関係を築きあげる。そのメッセージを送る相手は、黒人女性、ブラック・ピープルなのかもしれないし、長年彼女の音楽を愛してきた世界中のファンなのかもしれない。
さらにこのカヴァー・アートからは、このアルバムに込められた彼女の声明がはっきりと伝わってくる。一見アフリカの女性を思わせる身体をよく見てみると、あらゆる決意や宣言が刻まれている。「わたしは自由」「わたしたちは自分たちを救うことができる」「あなたたちのルールなど意味はない」「これはわたしの身体」「触らないで」「わたしたちは闘う」など、黒人女性や黒人コミュニティに目覚めや団結を呼びかけるような言葉が並ぶ。これは彼らが背負ってきた歴史と痛みに“関与する者”へ向けられた手紙なのかもしれない。
『To Whom This May Concern』カヴァー・アート
ポエット/スポークンワード・アーティストであるジルが1曲目に選んだのは、ポエトリー・リーディングでその才能に惚れ込んだという、マハ・アダチ・アース(Maha Adachi Earth)というマイアミ出身のポエットの「Dope Shit」だ。この序幕でマハは、自分は、宇宙の采配に導かれながら、常に自分で選び、使命に集中し、行動することで夢を現実にし、人生を創造してきたと宣言し、黒人女性の創造的主体性を掲げている。その力強い宣言とみなぎる自信は、ジルのそれと美しくシンクロナイズする。
迫力あるホーンが鳴り響く「Be Great」では、ニューオーリンズのブラスを象徴するトロンボーン・ショーティがプロデューサーとして制作に関わり、ホーン演奏でも力強い存在感を示している。ここで初登場するジルは、そのホーンを追い風にして、翼を広げて空高く自由に舞い上がる。彼女を泣かせ、歩みを止めた歴史、常に彼女の自由を奪おうとした批判や重荷、恐れをすべて振り払い、「I’ma go ‘head and be great, why not?(わたしは堂々と偉大になる、だっていいでしょう?)」とジル節を炸裂させる。言うなれば、これは“ジル・スコットの解放宣言”だ。この曲からは、単なる自己肯定ではなく、歴史的抑圧を振り払い、黒人社会、黒人女性全体を高みへ、心と身体を解放へと導くジルの姿を感じることができる。
本作のリード・シングルであるゴージャスな「Beautiful People」は、同胞との愛の祝祭だ。黒人コミュニティでは、同胞のことを親しみを込めて「My People」と呼ぶが、ジルはこの曲で「My Beautiful People(わたしの美しい人たち)」、と愛情を込めて連帯を呼びかける。自分たちの愛は本物であり、人種によって分断されてきた歴史を乗り越えてきた。それは共鳴する力を持つリズムや魅力であり、どんな困難をも乗り越える戦術にもなれば、邪悪な制度による抑圧を超え、アルゴリズムをも打ち破る力も持つのだと、共同体としての輝きを賛美している。
静かなメロディに乗せた「Offdaback」で、ジルは自分たちが今享受している自由な暮らしの前提に、祖先たちが人種隔離に抗い、危険を冒し、犠牲を払ってきた過去があること、闘いの積み重ねがあることに、はっきりと目を向け、感謝を捧げている。中でもアウトロで語る、「彼らは自分のために闘った。でも最終的にはわたしたちのためだった」というラインには、祖先からの強い“リネージ(Lineage)”、継承への意識を感じさせる。
そして! 一気に空気が変わる、アップビートな「Norf Side」は、同郷ノース・フィリーのティエラ・ワックを客演、DJプレミアを制作に迎え、MCジル・スコットが軽快に詩的なライミングを放つ。ヒップホップの王道テーマ=自分讃歌で繰り返される“自分が最高”節には、ニヤニヤが止まらない。ノース・フィリーのスワッグをまとったふたりが披露する巧妙なワードプレイ、スムーズなフロウには思わず体が動き出すし、ふたりの優雅なビッチぶりも何とも楽しい。ジルが木曜日の憂鬱(ブルース)を引き出しの奥に置いてくるなら、ティエラはそれをウーバーの後部座席に置いてくるという世代のギャップを感じる表現の違いもおもしろいし、苦悩や孤独さえもばったばったと切り倒しながら突き進んでいく様子も痛快だ。
「Disclaimer」では、その次に来る曲について、「一緒に歌ってもいいけど、もしあなたが痛い目に遭っても、わたしは一切責任を負わないからね」と警告する。
というのも、次の「Pay U on Tuesday」では、非黒人にはご法度のNワードを使うからだ。しかも一緒に歌いたくなる軽快でコミカルなメロディなだけに、その誘惑はなおさら。しかし、ジルはこの曲で、コミュニティ内部の自己破壊性を批判している。「Pay U on Tuesday」とは、「火曜日には返すから」という名の借金返済の先延ばしであり、約束を守らない態度を象徴していて、彼女はそれを断固拒否しているのだ。旅行には行くのに住宅ローンは払わない、また刑務所に入り、養育費を払わず、家が大変なのにドレスを買う。「詐欺して、盗んで、嘘ついて、自分じゃない何かを演じて、持ってないものを持ってるフリして、そんな“n**** blues”はもういらない」と、疲れ果ててノーを突きつける。ここに、境界線を引きながらも、愛があるからこそ批判するジルの姿がある。そんな人生の憂鬱にため息をつくのに、弱さを歌える強さの音楽、ブルースほどぴったりくるブラック・アメリカン・ミュージックが他にあるだろうか。
そして、セカンド・シングルでMVもリリースされた、ブルーな雰囲気の「Pressha」。ある女性に惚れ込んだ男性が、いわゆる社会的に正しいとされる見た目(インスタ映え)にそぐわない彼女を、夜の寝室では溺愛するのに、公共の場では他人のフリをして、彼女との関係を隠す。この曲がパワフルなのは、女性が「わたしは“映える存在”じゃなかった、まあ、分かるわ。わたしを(周囲の目、SNS的評価、セレブ文化が求めるトロフィー的な女性像を持つ)彼女たちみたいな恋人に見せなきゃという社会的プレッシャーがあったのね」と受け止めるが「わたしはダメだった」とは決して言わないからだろう。彼女は相手の弱さを指摘できる自信を持ち合わせているのだ。恋愛のテーマを通して、社会的風潮を指摘してみせる、ジル・スコットは最強だ。
ちょっと脱線になるが、ネオソウル世代でジルを愛聴してきた女友達と彼女について話していた際、わたしがジルに感じていた「自信満々な女性像」に対して、友人は「それは自信のなさの裏返しだと思う」と指摘した。たとえば「Exclusively」や「Gettin’ in the Way」で、なぜ「彼は私の男だ」とあえて主張する必要があるのか、と。別の友人は「音楽も笑顔も大好きだけど、どこか意地悪さも感じる」とも言う。その言葉に驚きつつも、わたし自身もまた、ジルに対してなぜか心のどこかで引っかかる感覚を抱いていたことを思い出した。おそらく、彼女のあまりにも強い女性性や、その裏にあるかもしれない揺らぎを含んだ自信は、一部の女性リスナーに複雑な感情を呼び起こすのではないだろうか。
閑話休題。ベイエリアのレジェンド、Too $hortを迎え、 「Biggest Pimp of the Year(年間最優秀ピンプ)」の頭文字がタイトルになった「BPOTY」は、「西海岸ピンプ文化の象徴であるToo $hortが、ピンプ(ポン引き)として女性を卑下するのか?」という、わたしの単純すぎる予想が最も痛快にひっくり返された曲だ。信者から巻き上げた寄付金で豪勢に暮らす教会の牧師たち。病気を治すためではなく、症状を抑えるだけの薬で病人から金を巻き上げて富を肥やす製薬業界。そんな彼らをジルは、絶妙な比較で批判を込めて「Biggest Pimp of the Year(年間最優秀ピンプ)」と呼ぶ。そこでピンプ学の専門家としてToo $hort先生にご登場願い、ピンプの思考について講義してもらうのだ。ピンプは、売春婦に依存させて搾取し、相手をコントロールする象徴的な存在で、そのToo $hortの説明によって、ジルが批判する牧師や製薬業界の人物像が、依存を生み出すアメリカの制度、構造の闇そのものであることを浮き彫りにする。なんという天才的なキャスティング、秀逸な伏線回収! 「歌は時代を映す鏡」というが、ジルはそれを「教育」として、見事にこの曲で体現している。
ブルーな雰囲気の「Me 4」は、自らを“結婚していない男性との間に子供がいる女性”を意味する「“ベイビーママ”4番目」と表現し、自分の判断ミスも受け止めることを歌い上げている。返してくれないと分かっていてお金を貸してしまった。急いで結婚したらとんでもない相手だった。金持ちになりたくて散財。どれもこれも、「止めておきなさい」という心の声、直感を無視した結果起こった、痛い経験だ。そんな自分は「4番目の女」だったけれども、過ちから学び、「もうそんな自分には戻らない」という決意する。「Me 4」は綴りをかえれば「Me For」=「わたしのため、今度は自分を大事にする」ととらえられるところも、興味深い。
「The Math」では、ジルは感情ではなく論理である“数学”というメタファーを使って、断定せず、客観的、冷静に、次々と聴き手に内なる真実を問いかける。「わたしたちは過去に傷ついたから、愛を自分で壊しているのかも?」「私たちは自己評価が低く、基準も持たないから、苦しんでいるのかも?」「私たちの醜さが、実は一番手放したくない悪い癖なのかも?」。その問いの数々には、聞き手をドキっとさせる真実、人間の性(さが)が見え隠れしている。「その答え、自分とは何なのか、自分で探してみて?」。その根底に流れているのは、やはり愛なのだ。
2度の結婚と離婚。婚約者との妊娠、別れ、子育てを経験してきたジル。自分を愛し、自分の人生に満足し、愛する音楽や家族、友達に囲まれて、孤独など感じていなかったと断言しながらも、宇宙的な繋がりを感じさせる新しい出会いに触れるのが「A Universe」だ。しかし、その運命的な出会いを通してジルは気づいてしまう。実は、心の奥底で孤独を感じていたが故に、“強がり”という鎧で身を固めて心を閉ざしていたことに。そしてその関係から、自分はまだ愛することもできれば、愛される存在であることを教えてもらう。雪を溶かす春の暖かさのように、女性味溢れるなめらかな表現の中に、静かに、しかしとても熱い、ジルのソウルが脈々と流れている。
気持ちを上げることを主題にした「Liftin’ Me Up」には、フィリーにほど近い、ワシントンD.C.でファンクのサブジャンルとして生まれたご機嫌なゴーゴー・ビートが、とてもよく似合う。「Beautiful People」と並んで、ライヴで最高に盛り上がる曲になりそうだ。人間生きてりゃいろいろあるけれど、あなたの愛は、わたしの気持ちを持ち上げて、わたしは自由なんだってことを思い出させてくれる、傷口を癒すアロエのよう。これは前の曲に続いて、新しい恋人のことを歌っているようにも聴こえるけれど、家族や親友、同胞たちに当てはめてもしっくりくる、普遍的な愛を感じさせる。このアルバムで、ジルは幾度となく“自由”であることに感謝し、享受している。
わたしが本作で最も個人的に深い感銘を受けたのが、アブ・ソウルを客演に迎えた「Ode to Nikki」だ。これは黒人女性詩人、作家、活動家であり、わたしも尊敬するニッキ・ジョヴァンニへのオマージュなのだ(Rest in Peace Nikki)。60〜70年代に花開いたブラック・アーツ・ムーヴメントの詩人であり、怒りと愛を同時に語り、自己定義を徹底したニッキが、多くのアフリカ系アメリカ人に与えた影響は計り知れない。シカゴのポエット/シンガーであるジャミーラ・ウッズも、『LEGACY!LEGACY!』(2019年)の「GIOVANNI」という曲で威厳を持ってニッキを表現している。同じくポエトリー畑出身のジルが、「Ode to Nikki」で本領を発揮する。彼女のポエムは、非常にリズミカルな文学のように耳に心地よく、知的好奇心を刺激し、思考の糧(ご馳走)を与え、まるでジルにニッキが乗り移ったかのようだ。
「彼女は永遠に繰り返すループの中にとらわれていない」
「誇りもあり、謙虚さもあり、失敗も重ねてきた/もう自分を小さくするのはやめた──何のために? 誰のために?」
「気の合う、美しい太陽に触れられた存在/“輝き”を再定義し、音として振動する」
ポエトリーの美意識にヒップホップのスワッグを織り込んだアブ・ソウルも、ジルへアンサーを返しながら、独自の光を放ち、ケンドリック・ラマーに「いつかアブ・ソウルのように韻を踏めたらいいのにな」と言わしめた、哲学MC/韻踏み職人ぶりを大いに発揮する。ヤシーン・ベイ(モス・デフ)の『Black On Both Sides』(1999年)の「Mathematics」を引用した「すべては数学、裏も表もブラック」や、ブラック・スターの「K.O.S. (Determination)」が語る“自分を知ること”を引用したラインを耳にする度に、ヤシーン・ファンとしては、思わずニヤニヤしてしまう。
「あたしの感情で、身体で、遊ぶんじゃないわよ。本気で向き合って。すべてをちょうだい」。成熟した女性の心と身体の本音を大胆に、直球で、かつ自由に言葉にして、力強く歌い上げる「Don’t Play」。ジル・スコットを中途半端に扱ったら、間違いなく痛い目に遭いそうだ。自己解放感も心地良いこの曲で最初にと耳を奪われたのは、ベッドの上で激しく愛を交わす様子を、「アフロビーツみたいなリズムで強くわたしを喜ばせて/Kドット(ケンドリック)のリリックみたいにハードに」と表現するラインだ。そして「そのあと甘く/おばあちゃんのヤム(ソウルフード版さつまいも甘煮)みたいに/マシュマロが乗ったパイナップルとキャンディ・ピーカン付きで」なんていう表現に、思わず耳が舌鼓を打つ。『Who Is Jill Scott?: Words and Sounds Vol. 1』(2000年)の頃から、揺るぎない自信をまとっていた彼女だけれど、ここでは「わたしは成熟したワンダーウーマン/生き生きとして自由」と、今の年齢を心地よく楽しむ自信もセクシーだ。
とろけるようにポエティック、甘酸っぱくてほろ苦い、それでいて確実に流れる熱量で聞き手を夢見心地にいざなう「To B Honest」(Beじゃなくて“B”なところもいい)は、 ティーンエイジャーになったジルの息子さんの提案でJIDを客演に迎えたのだそう。「あなたを抱きしめたい/心のなかに入れてくれる?/あなたのこともっと知りたいの/まずは友達から始めたい」と、少し遠慮がちに、しかし情熱的に歌い上げるジル。運命の出会いと感じながらも、「僕は、君が求めているタイプじゃないかもしれない」とためらい、しかし「もしこれが運命なら/ もし僕のためのものなら/君を抱きしめてもいいかな?」とそっと打ち明けるJIDとの絶妙なかけあい、温度感、バランスには、思わずため息がでる。ジルのキャリアとソウルの重みを、若手ワードスミスであるJIDが絶妙に引き立てる様も、なんとも魅力的だ。
90年代ユーロダンスの“パワー宣言”を打ち出した、スナップ!(SNAP!)の「The Power」を思わせる、高揚感溢れるアップビートの「Right Here Right Now」は、同時にスピリチュアリティやマインドフルネスの世界の「今ここに在る」という概念も思い起こさせる。「愛は本当にあるの?」という不安気な問いに対し、「もちろんよ、それどころか、わたしは愛そのものなのだから」という、内から溢れ出る光で、迷える子羊たちを導いていく。「自分に恥じることもなければ、逃げることもない、愛そのものの存在であり、花や木々、雨や葉の中にも存在する」という神道にも通じる普遍性、「わたしの中にあなたがいて、あなたの中にわたしがいる」というワンネスの世界観を通して、「愛(わたし)は今、ここに在る」という実感へと着地する。
いよいよアルバムの精神的なクライマックスを迎えるのが「Àṣẹ」だ。“Àṣẹ(ア・シェ)”とは、西アフリカの民族、ヨルバの哲学の根本的な概念であり、物事を実現させ、変化をもたらし、願望を具現化させる神聖なエネルギー、言葉に宿る創造力、権威を表すものであるという。その言葉に宿る力を皆が持っていることを、愛するものたちに思い出させるかのように、ジルは女神のようなエネルギーで、全身全霊で歌いかける。また、11年間姿を見せなかったジルだが、その間も「あなたを見ていた(I See You)」という、祝福を込めたメッセージを、ずっと待っていてくれた彼女のファン、そしてこのアルバム『To Whom THIS May Concern』を向けた人たち、彼女の同胞たちに捧げているようにも感じられる。
静かに祈りを捧げるようにアルバムの最後を締めくくる「Sincerely Do」は、情報が散乱して常に外に目を向けさせ、本来の自分を見失いがちな現代社会の中で、「あなたは美しい/わたしは本気でそう思ってる」とラブレターのように語りかけ、「あなたは自分を見てる?(Do you see you?)わたしは本気で見ているわ」と、誠実に聞き手に問いかける。おそらくこのアルバムで、わたしの中で最も深く響いたラインが、この「Do you see you?」だろう。結局、本当の答えは、自分の内なる声──あまりに小さく、外部のノイズにかき消されがちだが──に耳を傾けるしかないのだということを、ジル・スコットはこの曲で思い出させてくれる。彼女の揺るぎない自信は、生まれながらのものではなく、常に自分と向き合い、自分の心に忠実であり続けてきたことから生まれた強さなのではないだろうか。
53歳という年齢を迎えることがとても待ち遠しかったと語るジルには、実年齢が今やっと、その早熟過ぎた魂年齢に追いついたような印象を受ける。その成長がじっくり投影された『To Whom This May Concern』を聴くと、11年間の沈黙は、必要ないものを削ぎ落とし、ジル・スコットの純度を上げるのに必要な期間だったのかもしれないと思えてくる。魂の叫び、心のせせらぎ、自己解放。あらゆるジャンルを行き来し、個と共同体を往復しながら、このアルバムを捧げた人たちに向けたラブレター。後世まで聴き継がれるブラック・ミュージックの集大成といえる大作だ。(塚田桂子)
Text By Keiko Tsukada
Jill Scott
『To Whom This May Concern』
LABEL : Human Re Sources / Blues Babe / The Orchard
RELEASE DATE : 2026.02.13
TOWER RECORDS / HMV / Amazon
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