エンパワーメントの象徴としてのザ・リンダ・リンダズ
ーーSNSで旋風を起こしたガールズ・パンク・バンドが映すもの
「もうパンクバンドやるしかねぇな!」
ここ数年間で3回ほど冗談で友人にこう言ったことがあった。口には出さずとも、最近も日本の政治ニュースを見ながら毎日のようにそんな気分になっている。何か社会の不条理にとてつもない憤りを感じたとき、「正当な手続き」ではそれがどうにもならないとき、叫んだり何かを殴ったり蹴ったり壊したりしたくなる衝動に駆られる。むしろそれが自然な反応ではないかと思うのだが、どんなにその感情が強くても、理性で抑え、コントロールできるのが「大人」だとされているのが現代社会である。
一人で黙々とサンドバッグを殴るとか、運動で汗を流してスッキリするとか、クラブで一晩中踊り明かして嫌なことは忘れるとか、瞑想するとか、負のエネルギーを発散する方法はいろいろある。しかし、それを音楽という表現手段に変換したものがパンクロックだ(と少なくとも筆者は思っている)。パンクは怒っていなければならないし、不満を持っていなければならない。「パンクバンドやるしかない」という言葉が意味するのは、それを「公衆の面前でぶちまけてやりたい」、つまりパブリックに表明したい欲求なのだ。
筆者は、(今のところまだ)実際にパンクバンドを結成するには至っていないわけだが、これを実行に移した4人のローティーンの女の子たち、ザ・リンダ・リンダズの短いライブ映像が先日Twitterの私のタイムラインにも流れてきた。大絶賛のコメントと共に瞬く間にシェアされ、今や音楽関係者で彼女たちの名前を知らない人はいないのではないかというくらいの存在になっている。
バズりまくった映像は、2021年5月4日に「アジア・太平洋系米国人の文化遺産継承月間」のプログラムの一環としてロサンゼルス公立図書館からオンライン配信されたミニ・コンサートの、中でも「Racist, Sexist Boy」という曲である。
どこにでもいそうな元気な女の子たちが、オーバーサイズに見える楽器を一生懸命弾きながら歌う姿は、とにかく誰が見ても微笑ましく、かわいい。そして「あんたはレイシストでセクシストな男子!/レイシストでセクシストであることを楽しんでる/私たちはあんたが破壊するものを再建する/このカッコつけ/バカ野郎/クズ野郎/間抜け面!」(筆者訳出)と思いっきりシャウトする様は痛快だ。
この数ヶ月前に、すでにバンドにアプローチしていたというバッド・レリジョンのブレット・ガーヴィッツが運営するインディー・パンク・レーベルの名門、Epitaph Recordsが間もなくして正式にアーティスト契約を結んだことを発表し、この図書館でのライブ録音が5月27日シングルとして配信された。
日本のリスナーなら、バンド名を聞いてすぐに思い浮かべるのはザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」だろう。6月3日に彼女たちが出演したテレビ番組『Jimmy Kimmels Live』での短いインタビューによれば、バンド名は、山下敦弘監督による女子高生バンドの奮闘を描いた日本映画『リンダリンダリンダ』を観たことと、そこで彼女たちがカバーする「リンダリンダ」を聴いたことに由来しているというから、よけいに親近感が湧いて親戚の子供みたいな気分になってくる。
だが当然のことながら、彼女たちがここまで注目を集めているのはただかわいいからだけではない。「Racist, Sexist Boy」の冒頭では、最年少10歳のメンバーのミラ(ドラム、ヴォーカル)が、この曲を作ったきっかけは、コロナのロックダウンに入る直前に学校のクラスの男の子が、父親に「中国人には近づくな」と言われ、彼女が自分は中国系であることを伝えたら、本当に逃げていったという経験が元になっており、いとこのエロイーズ(ベース、ヴォーカル)と制作したと紹介している。バンドのメンバーは、これにミラの姉ルシア(ギター、ヴォーカル)と彼女たちの共通の友人でラテン系の最年長16歳のメンバー、ベラ(ギター、ヴォーカル)で構成されている。
この曲が特に多くの人に響いたのは、そのタイミングによるところも大きい。この図書館ライブの約二ヶ月前、3月16日にはジョージア州アトランタで白人男性による銃乱射事件が起こっていた。8名の犠牲者のうち6名がアジア系女性だったことをきっかけに、その前年からトランプ大統領(当時)が新型コロナウイルスを「チャイナ・ウイルス」と繰り返し呼んだことなどによっても助長されていた、アジア人差別に対する抗議運動「Stop Asian Hate」の大規模なデモがアメリカ各地で行われた。「アジア・太平洋系米国人の文化遺産継承月間」はそのほんの数週間後に始まった。また、この事件は有色人種の、特に女性を狙った犯行であったことから、女性に対する攻撃でもあると見なされた。
言うまでもなく、昨年2020年のジョージ・フロイド氏殺害事件後に爆発的に再燃した、黒人差別に対する抗議運動「Black Lives Matter」によって、最も緊急な社会問題としてレイシズムの実態が可視化されていたところに、さらにアジア人と女性に対する差別の問題が交差してきたわけだ。
筆者も「Stop Asian Hate」デモでのアジア系アメリカ人女性によるスピーチの映像をいくつか見たが、印象的だったのは複数の登壇者が「モデル移民としてのアジア人」、「主張しないアジア人女性」のイメージがステレオタイプとなっており、その押し付けと内面化によって、アジア人差別は黙認されてきたと語っていたことだ。筆者もオーストラリアとドイツという白人中心社会でアジア系移民としてかれこれ合計20年ほど暮らしているので、ここで指摘されていることはよく理解できる。(筆者の場合は、その反動で絶対にナメられないよう主張しまくる人になってしまったが!)
また、パンクというムーヴメントを振り返ってみると、白人中心的であったことは否めない。筆者はこのシーンに直接関わってきた者ではないのでそこを強く批判する立場にはないのだが、2003年に『Afropunk』というドキュメンタリーに日本語字幕をつけ、監督のプロモーション来日でも通訳などをしたことが強く印象に残っている。(当時ナウオンメディア社からDVDで発売されたが現在は廃盤。)
(残念ながら日本語字幕付きではない)
その後「Afropunk」は黒人の抵抗の音楽文化を幅広く祝福するプラットフォームとなっており、大規模なフェスティバルを開催するまでになっているが、一部では商業化されてしまったと嘆く声もあるようだ。しかし、この低予算でDIYなドキュメンタリーの中で黒人のパンクキッズが繰り返し語るのは、「白人文化」であるパンクに傾倒する人種的なコンプレックスと、パンクスであるがゆえの黒人コミュニティで感じる疎外感についてだった。そして彼らにとっての数少ないヒーローであり、エンパワーメントの象徴として出てくるのがバッド・ブレインズだった。
非白人の女の子パンクバンドが、これだけアメリカ全土ひいては世界の支持を集めること自体が2021年的な現象であり、それは大いに歓迎することである。そしてある意味、パンク・シーンは自らをアップデートするために、彼女たちのような存在を必要としていたのかもしれない。元々パンク・カルチャーは既存の体制や規範を批判・破壊していく中でフェミニズムを後押ししてきた。ザ・リンダ・リンダズは、このフェミニスト・パンクの伝統を正統に継承していると言っていいだろう。
Pitchforkのインタビューで触れられているが、ミラとルシア姉妹の父親はグラミー受賞歴のあるプロデューサー/エンジニアでスタジオを経営しているというから、ザ・リンダ・リンダズは文字通りの「ガラージ」バンドではなく、二世のエリート・パンクバンドである。(彼女たちのこれまでの作品のプロデュースとミックスは、しっかりそのお父さんが手がけている。)そもそもバンド結成のきっかけが、音楽を通して女性・女の子をエンパワーすることを目的とした〈Gxrlschool〉というロサンゼルスのフェスティバルでヤーヤーヤーズのカレン・O(彼女も韓国の血が入ったアジア系である)らと一緒に演奏したことだそうだし、その翌年には、彼女たちがビキニ・キルの代表曲の一つである「Rebel Girl」をカバーしているのを見た(ビキニ・キルのリーダー)キャスリーン・ハンナの誘いで、同バンドの再結成ライブの前座に抜擢されている。キャスリーン・ハンナといえば、まさに90年代アメリカのフェミニスト・パンク・ムーヴメント、「Riot grrrl」を牽引したその人だ。それをきっかけに、今年Netflixで公開された、女子高生が校内の性差別を告発するジンを作るというフェミニスト/エンパワーメント映画『モキシー』にバンドとしての出演を果たし、「最年少の革命家たち」として、ここでも「Rebel Girl」のカバーを演奏している。
だからそこには大人の入れ知恵もふんだんに盛り込まれているだろうし、業界のコネもしっかり生かされているだろうが、まだ短い彼女たちの活動遍歴は一貫してフェミニスト的であり、社会を変える使命をすでに自覚しているように見えるところが頼もしい。昨年の年末には、当然ながら選挙権を持たない彼女たちが有権者に投票を促す「Vote!」という曲もリリースしている。その中でエロイーズはこうシャウトする。「声を上げなければ/誰にも聞こえない/だから大声で叫べ/はっきりと伝わるように」(筆者訳出)。
Epitaphのアーティスト・ページに掲載されているプロフィール文によれば、「Racist, Sexist Boy」のビデオを見た小さい女の子からおばあちゃんまで、世界中から称賛のメッセージが彼女たちの下に寄せられたという。『リンダリンダリンダ』を観た彼女たちがインスパイアされたように、彼女たちの存在は確実に、特に移民バックグラウンドの女の子たちをエンパワーメントしていくだろう。ムカつくことはムカつく、おかしいことはおかしい、と言っていいのだ。冷笑の時代から、主張する時代に移行しているのだ。わきまえる必要はない!
かつては反社会的、ゴロツキの若者としてエスタブリッシュメントから煙たがられることを美徳としていたパンクが、今や公共の図書館に招待され、子供からおばあちゃんまでお茶の間のハートを掴むものになったのかと思うと、違和感がないわけではない。前向きに受け止めれば、時代が、一般社会が、やっとパンクなアティチュードに追いついたのかもしれない。
ただし最後にこれだけは釘を刺しておきたい。少女たちに代弁させて、自分は安全なところから何もせず拍手だけを送っている大人たちよ、お前たちが正してこなかったから今こんな無茶苦茶な世の中になっていることを忘れるな。必ずしもパンクバンドである必要はないが、自分も声を上げろ、叫べ!(浅沼優子)
Text By Yuko Asanuma