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映画『わたしは最悪。』
──選択肢に溢れた世界と誰かを見つめることについて

14 August 2022 | By Tatsuki Ichikawa

ユリヤは視覚の人間だった──彼女が写真家になる理由を、映画はこうもあっけなく捉えてしまうのだ。“見ること”が視覚芸術である映画にとって重要であることは言うに及ばないが、それは同時に誰かの人生を見つめることでもある。そう、まさにヨアキム・トリアーによる映画『わたしは最悪。』は、主人公ユリヤがパートナーの様子を見つめているショットから始まる。

30歳を迎える主人公の、大きく分けて2つの恋愛を描く本作は、知性とユーモアが滲む会話劇と、トリッキーな演出、オスロの街、マジックアワーを美しく捉える撮影が特徴的な、いささかスタイリッシュに撮られた映像作品であると言うことができるだろう。

英題は『The Worst Person In The World』であるが、“World”という単語が入っていることこそが重要だとも思う。本作で描かれるのは、いつの時代でも普遍性を持つような、人生の選択や転機についての物語だが、2010年代のMeToo運動以降、フェミニズムが再びムーブメントになった後の世界での、ポリティカルコレクトネスやWoke的な価値観と人々の生活の関係性についても明瞭に綴っているからだ。我々は、ユリヤの人生を、映画を通して観察的に見るが、同時に、彼女が我々と同時代の(インターネットや、更新され続ける価値観によって、選択肢が無数に存在する)世界を生きていることを、数々のエピソードによって意識させられる。

映画はアップテンポなスピード感で始まり、細かいカット割り、細かいナレーション、そして細かい章分けによって物語を推進していく。あまりに忙しない作劇は主人公ユリヤの「どこにも落ち着かない」状況を表しているようにも思う。パートナーも度々変わり、写真家である彼女は、文章を書く才能にも目覚めはじめながら、人に「職業は?」と聞かれると生活のために働いている「書店員」と答えるのだ。正にアジズ・アンサリのNETFLIXシリーズよろしく“Master of None”(何も極まらない)な状態である。冒頭に流れているAhmad Jamal Trio「I Love Music」も彼女の移ろいゆく状態を代弁しているかのようだ。

たまに、それはほんの些細なふとした瞬間に、ブルーな気持ちになることは誰にでもあることだろう。不確定に、自由に移ろう彼女は、自分がまるで誰かの人生の脇役でいるような気分になると言う。つまりは誰かの人生を傍観しているようだと。ユリヤがある種の傍観者であることは、前述したファーストショットをはじめ、漫画家であるパートナーの同行者として、パーティーや彼の家族の集まりに顔を出すシークエンスからも強く感じ取れる。

一方で、彼女が人生の主人公に踊り出す瞬間は、一方通行の時間が忙しなく流れる映画の中でも逸脱した魅力に溢れるシークエンスである。一貫してユリヤの視点で物事を映してきた映画が、本作における後半のパートナーである男性アイヴィンの視点に移るパートはどうだろうか。彼が見る、パーティーで踊っている彼女の姿は、一瞬時が止まったかのように輝いて見えた。あるいは魔法のように時間がとまり、好きな人の元へユリヤが走っていく一連のシークエンスはどうだろう。まるでフラッシュモブのように人々は、世界は彼女のために止まり、彼女こそが世界の中心になる。

『わたしは最悪。』は人々が時々感じる孤独と、人生の主人公に躍り出た時に訪れる快楽、その両方を映す。誰かの人生の傍観者であるすべての人々は、同時に誰かから見つめられてもいるのである。ラストである人物を窓から見るユリヤは、相変わらず見つめる人であるが、そんな彼女が自らの写真を編集する姿を、他でもない我々は見つめることになるのだ。

フィービー・ウォーラー・ブリッジが、アジズ・アンサリが、古くはウディ・アレンが描いてきたような、人生の選択肢についての物語を、ヨアキム・トリアーは紛れもなく“今の世界”を舞台に、見つめることと見つめられることのドラマとして、この2020年代に成熟させた。ラストに流れるアート・ガーファンクル「Water of March」の、季節の移ろいを捉える淡々とした観察的な歌詞は、当然のように我々の心に沁み込む。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa


『私は最悪。』

監督:ヨアキム・トリアー 『テルマ』(2017年)、『母の残像』(2015年)
脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト
出演:レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム

© 2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VÄST – SNOWGLOBE – B-Reel ‒ ARTE FRANCE CINEMA/2021 / ノルウェー、フランス、スウェーデン、デンマーク/カラー/ビスタ/5.1ch デジタル/128 分/字幕翻訳:吉川美奈子/後援:ノ ルウェー大使館 R15+
公式HP

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