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ただ今だけが終わることなく
マウント・イアリのフィル・エルヴラムが
ザ・マイクロフォンズ名義で回想録的大作を発表

07 August 2020 | By Shino Okamura

これは確かにフィル・エルヴラムという個人の回想録のような作品だ。だが、一方でどんな人間にも待ち受ける、人生で避けては通れないある一瞬を切り取ったような作品ということもできるのではないだろうか。避けては通れないある一瞬——それは、過去も未来も全ては現在の手の中にあり、天地自然に委ねて生きていく、ということを悟る刹那。誰もが等しく行動を制限され、自分自身と向き合うことを強いられたようなこの2020年、コロナの夏に、それが発表されたことにも大きな意味がある。

マウント・イアリとして活動するフィル・エルヴラムが、突如ザ・マイクロフォンズとして新作『Microphones in 2020』を発表した(CDは日本盤のみ)。2003年の『Mount Eerie』を最後に、その後はアルバム・タイトルそのままにマウント・イアリ名義での活動を続け、妻を亡くすというプライヴェートでの苦境と対峙しながらリリースした近年の2枚の連作『A Crow Looked At Me』(2017年)と『Now Only』(2018年)によってさらに高い評価を得ただけに大いに驚かされた人も少なくないだろう。

尤も、伏線がないわけではなかった。2019年7月、リトル・ウィングス、ロイス、ブラック・ベルト・イーグル・スカウトらと共にフィルの地元であるワシントン州アナコースでのイベントに出演。しかし、その後、フィルは秋にジュリー・ドワロンとのコラボレーション・アルバムの第2弾『Lost Wisdom pts.2』(日本では2008年のpts.1との2枚組仕様でリリース)をリリースしたものの、そのままマイクロフォンズとして作品を制作することを選んだ。おまけに、フィル自身の回想録のようなリリックの大作……1曲44分44秒の作品を一人で作り上げてしまった。それが新作『Microphones in 2020』。そう、2020年、コロナで誰もが足を止めざるを得ない状況になることを予期していたかのように、彼はフォト・アルバムを1ページ1ページめくるがごとく自身の半生を辿った作品を制作したのである(そして、実際に「Microphones in 2020」のPVは彼が撮影した様々な写真が曲の内容に沿って折り重ねられていく象徴的な内容だ)。

しかしそれは決してただ振り返る作業などではない。確認する作業でもない。確かに過去を思い出しては丁寧にその時の思いと光景を綴ったような歌詞ではある。「1995年、僕は17歳だった」「カート・コバーンはもういなかった」「2002年の暮れに僕は、ザ・マイクロフォンズの名を、北方ノルウェーの極寒の地で、しわくちゃにして洞穴の中で燃やした」………合間合間にふと漏らす本音やため息……。だが、過去があり今がある、そして過去がどうであれ、未来がどうであれ、現在が全てであることを受け入れて日々を過ごす泰然自若とした佇まいをただ、ただ伝えるだけだ。曲の冒頭でフィルはこう歌う。「僕は死なずにやっている、太陽は変わらずに昇ってくる」。そしてエンディングは「「ただ今だけが」そして「終わることなく」」。フィルはそうした真理をずっと歌ってきたと歌の中で述懐する。44分44秒、ラフなアコースティック・ギターは、ノイジーなフィードバック音は、ドラム・セットの激しい轟は……折り重なりながら繋がり演奏は止まることがない。その中でフィルは淡々と過去の様々な光景、経験を回想しては現在に帰結させていく。フィル・エルヴラムはこの作品の心臓部分に一体何を置いたのか……。

《Pitchfork》では「BEST NEW MUSIC」を獲得したこの壮大な新作についてフィルに話を訊いた。なお、今後このままマイクロフォンズとしての活動を続ける気はないというフィル。「今は超ラウドな音楽が作りたいかな、自分自身の楽しみのためにね。分かってるのはそれくらいだよ」。その先もまた、“Now Only”……直感に従うのみなのだ。
(インタビュー・文/岡村詩野)

Interview with Phil Elvrum

——素晴らしいアルバムに絶句しながら聴いています。私はマウント・イアリの約2年前の京都でのライヴを観ているのですが、このまま順調にマウント・イアリとして活動を続けていくものかと思っていただけに、突如マイクロフォンズの新作がリリースされるとアナウンスがあった時には大変驚きました。まずはなぜマイクロフォンズ名義で出そうと思ったのでしょうか? 理由ときっかけ、動機をおしえてください。

Phil Elvrum(以下、P):ありがとう。まず、重要なこととしては、僕は実際のところあんまり名義とか気にしたりしたことはなくって、名義がどうとかってちょっと馬鹿らしいなって思ってたんだよね。ただ、このマイクロフォンズとしての新作の理由としては:2019年夏に自分のホームタウン(ワシントン州アナコース)で小さなライヴをマイクロフォンズ名義でやるって発表したんだ、ただ楽しみのためにね、ところがこの小さなおかしなことがインターネットでは注目を集めて。で、これって何なんだろうと考えさせられて、人生を前にでなく後ろに進むことの意味とか、例えば自分の過去でもって前に進むことが可能なんだろうかと。これが僕がこの新しいことで自分に与えた仕事なんだ。過去に対しての明晰な視点で、前に進むっていう。

――『A Crow Looked At Me』と『Now Only』の2作品をリリースしたことで一つの節目を感じられたのかもしれない……と想像したりもしていました。実際に、昨年はジュリー・ドワロンとのコラボ・アルバム『Lost Wisdom pt.2』も発表されて、マウント・イアリ単独名義での新たな作品への踏み込みに少し躊躇しているのかなとも思えたからです。今振り返ってみて、マウント・イアリとしての『A Crow Looked At Me』と『Now Only』の2作品があなたに残したものは何だったと感じていますか? あくまで感覚で構いませんので、あなたの存在感をさらに高く絶対的なものにしたこの2作品を改めて位置付けしてみてください。

P:あの2枚のアルバムは間違いなく強烈。あの2枚も自分の全てのアルバムと同じように、時間の経過に沿った里程標/しおりのようなものだね。全ての衝撃の集積が加わって今の自分がある。僕は今もあの2枚を作った大きな感情と共に生きている。悲しみ、喪失、記憶等々、それに愛と驚きともね。(今回)違う名義を使うことで線引きをしようって意図はなかったよ。実際、それとは反対のことが狙いかも。境界なんてものは存在しないし、この音楽は全て同じ川の一部で、名義とかの線引きは幻想に過ぎないという。

――なるほど。この新作『Microphones in 2020』には聴く前からいくつものフックがあると感じました。一つは長尺の1曲であるということ。もう一つは44分44秒というカウントの数字、そして、そのタイトルさながらに2020年の一つのドキュメントのような側面があるような……しかもコロナでステイホーム期間が多くあった後にアナウンスされたということなどなど……。しかも、リリックはまるであなたの回想録のようです。これを読めば、あなたのキャリアを振り返ることができるようなドキュメントでもあります。現在の地点から振り返っていることが明白な展開ですが、まずこうした回想録のような曲を作るアイデアはどこにあったのでしょうか?

P:2019年の5月にこの作品について考え始めたときに、「マイクロフォンズって何なんだ? 何を意味するんだろう?」と自問したんだ。それで、あの時代と場所、1997~2002年、オリンピアでの自分の人生の明確な像を作るための回想録的なスタイルの書き方にトライしたんだ。音楽が生まれる契機になった場所や素材を提示して、質問に答えようとするような。

――つまり、今回の曲は完全な新曲ということですか。

P:そう、全部書き下ろしだ。

――では、今のこのコロナのタイミングでこうした歌詞の曲を残しておこうと思ったのはなぜでしょうか? そもそもあなたはステイホーム期間にどのように過ごしていたのでしょう?  ステイホーム期間中に曲を作ったり自宅で録音したりするミュージシャンが大変多いですが、あなたはこの期間に何を思い、どういう活動をしていたのでしょうか?

P:コロナ云々は意図してなかったね。これは2019年の5月に書き始めたから。ただ、自分は5歳の子のシングル・ファーザーだから、最近はあまり自由になる時間がなくって。ステイホーム期間が始まる前にこのアルバムはほぼ完成していたんだ。最後の録音はステイホーム期の初めの頃に終えたんだけど、ほとんどはそれより前に娘が学校に通っていた頃に録音した。今現在、僕の人生は完全に子供と一緒に何かをやるか、あるいは料理するか、掃除するか、寝るかだけだね。

――つまり、全て一人で作業をしたと。

P:そう。自宅で自分だけでほぼ一つのマイクとコンピューターだけで録音した。他には誰も楽器は弾いてない。大体、娘がプリスクールに行ってる日中に録音したけど、静かなものに関しては彼女が寝てから夜に録音したものもある。ヴォーカルは5回くらい録り直したかな。歌詞が変わり続けたし、上手く歌いたかったし、良い音で録るために家の小さな部屋にあった家具を全部外に出さないとならなかったりで。44分44秒ずっと同じフレーズだから、たぶんごまかしてギターの循環コードをカット&ペーストすることも出来たろうけど、実際に長時間弾いてるんだ。肉体的にチャレンジだったね。


――その44分44秒というこの曲の数字カウンターはどうでしょう? 例えば、ジョン・ケージの「4分33秒」に対しては、「合計273秒」……つまりセルシウス度(ファーレンハイトではなく)での絶対零度「-273度」にあたるという解釈がいまだにあるように、あなたのこの作品の数字にも「合計2684秒」という数字も含めて何か意味があるのでしょうか? ちなみに、日本では4という数字が忌み嫌われていて、例えば4時44分44秒にはよくないことが起こる……というような言い伝えもあります。

P:4が縁起悪いというのは知らなかったな。いや、曲の時間数については特別な意味はないんだ。ただの良い偶然だよ。

――リリックにおいては何より一番最後が強烈です。「いずれにせよ、僕が今まで歌ってきた歌はみな、同じことを歌っている:おおよそは、地面に立ち、考えを巡らすことについてだ。もしそこに詞が必要だとしたら、それはきっとこうなるだろう「ただ今だけが」そして「終わることなく」と……。つまり、どういう状況であろうとも、名義がなんであろうとも、誰と過ごしていたとしても、同じことを歌ってきた、地面に立ち、今だけがそこにある、ということを歌ってきたとしています。実は日本には、夏目漱石という文豪が残した「則天去私」という言葉があり、それはあなたのこの歌詞のテーゼともかなり重なるところがある気がしますが、あなたの場合、こうした思想はどこから来たものだと考えますか?

P:夏目漱石も則天去私も知らなかったけど、仏教にはとても興味があって、良く仏教関係の本は読んでるんだ。指摘してくれたようなアイディアは、実際のところ僕の音楽のほとんどにも存在しているように思う。その『Microphones in 2020』の最後のラインは、この巨大な曲のゴールとしてうってつけな要約であるけど、同時に僕自身の作品の他の地点への言及でもある。「ただ今だけが(Now Only)」は明らかに2017年で、「終わることなく(there’s no end)」はこれまでの僕の曲に多用されてきたフレーズだ。例えば2001年の”I Want Wind To Blow”(『The Glow pt.2』1曲目)の最後のラインとか。

――「同じことを歌ってきた」という事実と気づきは、今のあなたに、そしてこれからのあなた、もしくはあなたの作品に、どのような進化をもたらすと思いますか? そもそも「進化」という概念はあなたにとってどのようなものと考えますか?

P:次に何が来るのかが分かるなんてことは決してないから、直感に従うのみ。絶えず続く直感の底流、何ディケイドにも渡るこれらの曲たちを通してずっと続いているスレッドであると認識してる。進化と非永続性というのは、僕が最も注意を払い、この音楽を通して表現したいことだね。自分が望もうと望むまいと、変化というのが万物の中心だというのは、自分自身の人生を通じても証明されてきたし。だから、緩やかに手綱を握りしめつつ、変化に適応していくというのが唯一の道かな。

――では、今回は長尺の1曲という形式ですが、これは最初からイメージしていたのでしょうか? それともリリックなどのテーマに引っ張られてこのようになったのでしょうか?

P:長い曲にはしたいとは思ってたけど、たぶん最初は10分とかそのくらいかなと思ってた。アイディアが膨らむのと共に曲も長くなっていったんだ。長い曲になった理由の一つは、あの引いては返す、ギターの2コードだね。あの循環コードによる催眠的な世界が楽しくて、クレージーにやらなくてもとても長い時間この世界で過ごすことができるということを発見したんだ。2019年の1月にあの2コードを得たときに、こいつですごい長尺の曲を作れるなと分かったよ。この世界をどうやって拡張していくか分かるまでにはしばらく時間がかかったけどね。

――楽曲は最初から最後まで見事にスムーズでしなやかな流れになっています。まるで何気なくギターを弾きながら歌を歌い続け、そのままに仕上げたような自然な流れです。でも、途中からバンド・フォーマットへと広がる流れになっていて非常に計算された展開になっています。この曲自体はどのように作り、どのようにまとめたのでしょうか?

P:僕の持ってるアナログテープだと31分までしか録れないので、コンピュータで録音した。そのことで曲全体のラフなアウトラインを作るのにセクションを切り貼りする実験ができるようになったよ。ともかく長くて入り組んだプロセスだからここで詳細に話そうと思えば出来るけど、全体が上手く流れていくように沢山の編集と思考をした、とだけ言っておくよ。大きいスケールでも細かな瞬間でも上手く成り立つようにしたかった。寝ている時間、朝の時間等々、フェイズことに動きがあるようにしたかったんだ。

――この曲のPVは様々な撮影写真を重ねていく、ちょっとした短編映画のようなフィルムです。それも、ただいたずらに写真を置いていくのではなく、リリックも載せていることもあり、曲、歌詞の内容にちゃんとシンクロさせているような感じもします。このPVと曲の内容は、具体的にどう連動しているのでしょうか?

P:そうだね、ランダムではないね。全ての歌詞に上手くマッチするように、3週間かけて慎重に並べた。曲のビートを測って、セクションに分けたんだ。約850枚の写真が使われてる。僕自身が写真に写っているもの以外は、全て自分で撮ったものだ。大体1994年から2004年までの間の写真だよ。

――ところで、歌詞の中に、「ステレオラブのライヴを観て、永遠を作り出せると思った」という部分があります。この場合の「永遠」というのは、あなたにとって何を象徴するものでしょうか? 永遠を作り出せるというのは、「ただ、今だけが、終わることがない」という最後のリリックとも繋がるような気がしますが。

P:あれは彼らの「Lo Boob Oscillator」って曲のエンディングでの長いドローンを聴いたときの感情を表しただけさ。あれは音楽で何が可能かっていう自分の考えを変えたんだ。時間に関する感覚を消し去ってくれて、マジカルでインスパイアされるものだった。

――いや、実のところ、私は本作を聴きながらランボーの『永遠』を思い返していました。まるで本を読んでいるような感覚もある、という意味なのですが、実際に私はこのアルバムとランボーの『永遠』、そしてさきほど名前を出した夏目漱石の『こころ』という本を並べたいと思っています。あなたならどうしますか?

P:良い並びだね。自分では答えるのが難しい質問だけど……僕ならたぶんカール・オーヴェ・クナウスゴールの『我が闘争』と王維の『Laughing Lost In The Mountains』の間に置くかな。


<了>


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The Microphones

The Microphones in 2020

LABEL : 7e.p.
RELEASE DATE : 2020.08.07


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Text By Shino Okamura

Interpretation By Koji Saito

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