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SP盤時代の音を永久に消滅させないために
タジ・マハールとライ・クーダー 今一度の共演

30 April 2022 | By Takuro Okada

今回、伝説のフォーク・ブルース・デュオ、テリー&ブラウニーのトリビュート・アルバムの制作という形で再び手を組んだタジ・マハールとライ・クーダー。彼らのレコーディング作品での共演は、マハールのファースト・アルバム『Taj Mahal』(1968年)や、かつて2人がソロ・デビュー以前の1965年頃に組んでいたブルース・バンド、ライジング・サンズ(Rising Sons)での制作以来、ほとんど半世紀ぶりというのは少し意外な気もした。同じバンドを離れた後もフォーク・ブルースをベースに、その時々で関心を持った南米、カリブ、アフリカといった各国の伝統音楽に接近しながら“新たなプリミティヴ・ミュージック”を錬金してきた彼らのこの半世紀の活動は、それぞれの視点や調理の仕方は違えど、まるで双子の兄弟のように感じていたからだ。

2人が再び再会するのは2014年のこと。マハールがアメリカ音楽協会から生涯功績賞が送られ、この授賞式で演奏する際にマハールはかつてのバンドメイト、クーダーに声をかけ半世紀ぶりの共演が実現した。ここでの演奏曲を決める際に、会場であるライマン公会堂に合いそうな曲としてマハールは当初「Lovin’ in My Baby’s Eyes」のような落ち着いてポップでシックなムードの楽曲を考えていたが、それをクーダーに相談するなり「いや、なに、足を踏み鳴らしてやったらどうだ?」と答えた。タジはその答えでそれが何を意味するか分かった。授賞式では「Statesboro Blues」が演奏された。フォーク・ブルース第一世代、ブラインド・ウィリー・マクテルの代表曲で、ライジング・サンズのレパートリーでありマハールのファースト・アルバムにも収録された楽曲だ(余談ではあるが「Statesboro Blues」の最も有名なヴァージョンとしては、オールマン・ブラザーズ版が挙げられる。ここで聴けるデュエイン・オールマンの革命的なスライド・ギターは、マハールのファーストに収録されたヴァージョンでのジェシ・エド・デイヴィスの演奏が下敷きになっている)。

さてここで少し時代を遡るが、タジ・マハールは1942年生まれマサチューセッツ州育ち、クーダーは1947年生まれカリフォルニア州ロサンジェルス育ち。マハールは地元の大学に進学した1960年代前半頃、《Folkways》や《Prestige》からリリースされていたピート・シーガー、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィス、ドク・ワトソンといったフォーク、ブルース・リヴァイヴァル系の音楽に出会う。当時、学生たちの間で公民権運動やベトナム反戦運動とシンクロしながらそれらはプロテスト・ソングとしてひとつのムーヴメントとなっていた。その頃には大学やその近くの小さなクラブ、コーヒーハウスにフォーク・シンガーやブルースマンも出入りするようになり、若きマハールも足繁く通いつめる。そうしたカルチャーの中で彼が最も心掴まれたのが、床を足で打ち鳴らしながら、ギターとハーモニカを奏で歌う2人。SP盤時代、戦前フォーク・ブルースの世界から抜け出してきたような素朴で力強い音楽。ハーモニカは汽笛で、独特のフィンガー・ピッキングから鳴らされるギターは平野を駆け抜ける汽車がレールを打つ摩擦音のようだった。ブラウニー・マギーとサニー・テリーだった。マハールの心はすっかり南部にあった。

フォーク・リヴァイヴァルの中心人物ピート・シーガーがホストを務めたTVショー《Rainbow Quest》より



一方アメリカの対岸ロサンゼルスで育ったクーダーは、幼少の頃から典型的なレコード・オタクだった。これは彼が12歳の頃の話。郊外の家からバスを乗り継いでロサンゼルスの中心街にレコードを探しに行くのが彼の日課だった。ある日、魅力的な白黒写真を使った1枚の10インチ・レコードを見つけた。そこに書かれた『Get on Board』の文字に乗っかる形でそのレコードを自宅に連れて帰ることにした。その後のエピソードはライナーノーツに書かれたライの言葉より引用させて頂きたい。ブラウニー・マギーとサニー・テリーの魅力を言い当てたユーモアのある文章だ。

 「ブラインド・レモン・ジェファーソンは悲し過ぎたし、ハウリン・ウルフは手に負えないし、ワイノニー・ハリスはいやらしくてたぶん意地が悪かった。でもフォーク・ブルースに隠された意味はなく、人種的なテーマが潜んでいる心配も無用だった。俺は『Get On Board』をロサンゼルスのダウンタウンにあるチルドレンズ・ミュージック・センターから家に持ち帰って、それを聞いた両親は安心してそれ以上興味を示さなかった」

お気付きのようにマハール&クーダーの新作のジャケット・デザインはこのレコードのパロディとなっている



さてここで、このトリビュート・アルバムの主役であるブラウニー・マギーとサニー・テリーについても触れておきたい。ブルースといって思い浮かべるチャーリー・パットンやハウリン・ウルフ、BBキングといった強面の面々に比べるとかなり地味な印象で、一般的な地名度も決して高くないが、ブラウニー&サニーの魅力はクーダーと両親とのエピソードからも感じられるようなあまりに素朴なまでにリアリズム的な語りから感じ取れる親しみやすさにあるように思える。

ブラウニー・マギーは1915年生まれテネシー州キングスポートで育った。4歳頃にポリオにかかり、右足が不自由になった。父親は工場労働者で、街ではギターを弾きながら歌うことで知られていた。マクギーは、叔父がブリキのマシュマロ箱と板切れで作ってくれたギターを片手に地元のハーモニー・グループ、ゴスペル・カルテットで歌い、独学でギターを弾くなど、音楽に没頭した青春時代を送った。22歳で旅回りのミュージシャンとなり、旅先で出会ったブラインド・ボーイ・フラーと親しくなり、彼のギター演奏に大きな影響を受けマギーのギター・スタイルが形成されていく。恩師であるフラーは1941年に亡くなってしまうも、マギーは“ブラインド・ボーイ・フラー2号”として少しずつ名をあげていく。そして1942年にニューヨークへ移ってから、生前フラーが組んでいたハーモニカ奏者であり生涯のパートナーとなるソニー・テリーとコンビを組む事となる。

テリーは1911年ジョージア州グリーンズボロに生まれ育つ(ちなみにブルース年表で言うとロバート・ジョンソンと同い年!)。農夫である父からハーモニカの手ほどきを受け。16歳の時に目に怪我をして失明し、農作業ができなくなったため、生活のために音楽をすることを余儀なくされた。その頃の逸話としては、テリーは耕作馬のためにハーモニカで「Camptown Races」を演奏し、その地域の農業の効率を向上させたとか。その後、少しずつ都市に出て演奏するようになりブラインド・ボーイ・フラートコンビを結成。1938年からフラーとの録音作品をいくつか残している。フラーの死後は先述のようにマギーとコンビを組む事となる。

50年代に入ると、朝鮮戦争が始まり、行き過ぎた反共産主義に基づく社会運動、政治的運動マッカーシズムが猛威を振るい、そして50年台半ばから公民権運動が活発化していく中、ピート・シーガーを中心にフォーク・リヴァイヴァルがムーヴメント化(ウディ・ガスリーやピート・シーガーは、アメリカ共産党の党員だったが、シーガーは、ソビエト共産主義とは明確に対峙する姿勢を取り、後年に共産主義的なものの反省も記している事もここで付け加えておきたい)、《Folkways》や《Prestige》、《Bluesville》といった新興のフォーク系の作品を扱うレーベルが次々に立ち上がり、1952年にはハリー・スミスの『Anthology of American Folk Music』が発表され、戦前のフォークやブルース音源の再発掘が進んでいった。再発掘は音源のみならず、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスやミシシッピ・ジョン・ハート、スリーピー・ジョン・エスティスといった戦前に音源を残しその後の表立った消息がわからなくなっていたレジェンドたちを再び表舞台へと導いた。そうしたフォーク・リヴァイヴァルが大きな動きを見せていた1954年に《Folkways》よりリリースされたのがテリー&ブラウニー『Get on Board』だった。

ライ・クーダーはテリー&ブラウニー『Get on Board』がリリースされた時代に対して、こう綴っている。“『Get on Board』が最初にリリースされたのはマッカーシズムの真っ只中だった。つまり、ひどい時代といい音楽はいつだって魅力的な組み合わせだ。タジとおれはあの時代からずっとこの音楽の中で生きてきた。〜中略〜今はおれたちが古株なんだ”。

この言葉から2020年代というますます混迷する時代に、テリー&ブラウニー『Get on Board』をトリビュートすることは、かつてのフォーク・リヴァイヴァルの時代を重ね合わせたというのは間違いないと思われる。そしてタジやクーダーはかつてリアル・ブルース世代の面々のエネルギーを直に体験していて、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスやスリーピー・ジョン・エステイトらにギターの手ほどきを受けたりもした。そうした事が出来た最後の世代である彼らも80歳近い年齢を迎え、かつてリアル・ブルースマンたちから自分たちが恩恵を次の世代のために残そうとしているというのはタジ&クーダー版『Get on Board』で力強く鳴らされる足踏みから感じさせてくれる。それはテリー&ブラウニーの演奏のように思わず声を上げて笑ってしまいそうな素朴な楽しさを思い出させてくれる一方、最後のリアル・ブルースを経験した彼らの切迫した感情も感じられなくもない。

このレコードを聴きながら、先日チリの少数民族であったヤーガン族の末裔で、彼らの独自の言語「ヤーガン語」を話せる最後の1人だった女性が亡くなったというニュースを思い出した。生前彼女は「私が死んだら、悲しいことですが、すべてが終わってしまうと思います。もう誰もヤーガン語を話さなくなるでしょう」と話していた。

時代と共に文化や価値観が変わっていくのは当然の事だが、思い立ってここ何年かのグラミー賞にノミネートされた近年のブルース・アルバムを聴くとフォーク・ブルース時代のエネルギーやビート、質感を思わせるものは殆ど残っていないように感じられた。その点から浮き彫りになるのはマハールもクーダーもフォーク・ブルースが収められたSP盤時代のビートを捉えるのが同世代のどのミュージシャンたちと比べて鋭かったと感じる。そしてクーダーは、SP盤時代のサウンドが持つ質感を捉えるのに抜群の感度があった。思い返してみれば彼のユニークなギターやアンプのセレクトはまさにSP盤をモノラル針で鳴らした時に聴こえるあの強烈なエネルギーと埃っぽさを感じさせる。こうしたビートや質感への感度は、もう言語で捉えることは本当に難しい。タジ、クーダーの音楽への真髄な姿勢はこれまでの彼らのキャリアでも感じられるが、本作の仕上がりは、本当に頭が上がらない。そして1990年代に生まれこの時代を生きる身として、“果たして私たちの世代は一体どんな音楽を残せば良いのだろうか”という事を突きつけられる。ヤーガン語のコミュニケーションは悲しいことにもうこの世からは永久に消滅してしまった。その点、音楽はまだ救いがある。戦前のリアル・ブルース世代の生演奏も手ほどきも受けることは叶わないが、彼らの残した音楽は今も針を落とせばその時代のその時間が再び再現される。彼らのエネルギーやビートは再び目の前に立ち現れる。(岡田拓郎)




Photo by Abby Ross



Text By Takuro Okada


Taj Mahal & Ry Cooder

Get On Board

LABEL : Nonesuch / Warner Music Japan
RELEASE DATE : 2022.04.27


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