「怒り」は無くならない、でも今は自分のために── 友情の終わりと自問の果てに
ステラ・ドネリーが語る音楽との絆、その再生の3年間
これまでの二作以上に、好きなサウンドだ。ともあれまず、別人のように洗練された音像に驚かされる。柔らかくも澄んだシンセを幻想的かつノスタルジックに響かせ、ドローン音やアンビエント的なギター・サウンドを重ねて、それらがこれ以上なく繊細かつ自然な形で溶け合っている。彼女のフェイヴァリットであるジェニー・ヴァルの直近作にも似た、これまでのジャングリーなギター・ポップという枠を超えたサウンド・プロダクションからは彼女自身の音楽への付き合い方の劇的な変化を感じずにはいられない。いわば、昨日までの全てをリセットするような「まっさら」さが、ステラ・ドネリーの3年ぶり3枚目となる『Love and Fortune』の魅力だ。今作から《Secretly Canadian》から地元レーベルへ移籍しているが、音楽的にはますます深みを増し、サウンド的な冒険心が内省的な感情を導いた、キャリア史上最も豊穣な作品だと言い切っていいだろう。
ピアノやシンセを使ったアレンジ自体は前作『Flood』でも試みられていたが、今作はサウンド・パレットを絞ることで散漫になることを避け、それが彼女という人間そのものの脆い心身の奥深くに招き入れてくれる。実はその前作から約3年、目立った音楽活動は行わず、SNSでの発信もリラックスした日常の様子がたまに上がる程度という、ほぼ隠居のような状態にも見えた彼女だが、それは曰く意識的なブランクだったという。インタヴューでも触れられている、突然の友情の終わりもその一因であったのかもしれない。
要するに、今作はこれまでのステラ・ドネリーのパブリック・イメージとはまるで異なる作品なのだ。社会問題や女性の地位について、ウィットと皮肉に富んだリリックと高音のヴォーカルで怒りや批判を表明するシンガー・ソングライター、という外向きのペルソナはここでは一旦傍に置かれている。過去を解きほぐし、人生の岐路となった体験を自分の胸の内に呼び起こしながら、傷ついた記憶を自己修復する過程が今作では描かれているのだ。インタヴュー内でも語られている通り、確かに今作には、最低限の必要な音しか鳴っていない。期待されること、求められるペルソナから一度距離を置くことで、音楽と自分の関係にとって必要なものだけが残り、無理に大きく見せようとしないことがかえって作品の深さにつながったのだろう。
痛みをひしと自分自身で抱いてやるような歌唱の変化も印象的で、低音を効かせた声も生々しく人としての確かな成熟を湛えている。自分の部屋でピアノをポロポロと鳴らしながら傷ついた気持ちを絞り出すかのように、震え、掠れながらもファルセットで歌い上げる「Year of Trouble」のコーラスからは、これまでになくステラ・ドネリー個人としての哀しみと切実さがリアルな体温を伴って溢れ出している。ジャンルも脈絡も関係ないけれど、近いテーマを内包したブラッド・オレンジの今年のアルバム『Essex Honey』と並べて同じように聴くリスナーがいても何ら不思議ではない。
「(社会への)怒りは無くしたわけではなく、むしろ今もとても怒っている」と彼女は言う。しかし音楽を通じてファイティングポーズを構えることを一旦中断し、まっさらな自分からまた始めていこうという今作は、きっとステラ・ドネリー第二章の始まりであり次なるステップへの(かなり実の詰まった)助走になることだろう。
(インタヴュー・文/井草七海 通訳/竹澤彩子)
Interview with Stella Donnelly
――2022年にセカンド・アルバムをリリースしてツアーを回った後、音楽から少し離れていたようですね。インスタグラムを見ると2023年の終わり頃からしばらく更新が途絶えて、以降は周りの人たちと過ごす時間を大切にされていたように見えていたのですが、実際このところは主に何をして、どう過ごしていましたか? 前回のツアーの間やツアーを終えて、何か心境の変化があったのでしょうか。
Stella Donnelly(以下、S):そうなの、SNSとの付き合い方が以前とちょっと変わって。前は何かあったらすぐに投稿しなきゃって感じだったんだけど、その欲求みたいなものが段々と薄れてきて。そうなったのって、たぶんコロナのロックダウンとかとも関係してると思うんだけど。だからここ何年は、ほとんど音楽を書いたり、現実の世界で生きることに重きを置いてたというか。自分の身近にいる人たちにとっての良き友人として、パートナーとして、そっちのほうに自分のエネルギーをもっと使っていきたくて。目の前にある日々の生活をコツコツと生きること……そのありきたりな日常こそがかえって自分のソングライティングにいい影響を与えてくれてるような気がするんだよね、それはホントにそう思う。
――そうしたブランクの期間を通じて、あなたにとって音楽そのものがもたらすものや、人生における音楽の位置づけについても変化があったりしたのでしょうか。
S:そう、しばらくライヴからもツアーからも遠ざかってて。その決断をした理由は、自分と音楽との関係性をもう一度見直してみる必要があるって感じたから。音楽が自分にとってまだ喜びであるのかどうか確かめてみたかった。そこでしばらく距離を置いてみたんだけど、そうしたら改めて音楽が自分の人生にとってなくてはならないもので、これからもずっと音楽と共に生きていきたいって確信できた。うん、自分が書きたいから書いてるっていう状態に戻りたかったんだ、曲を書かなくちゃって自分に強いるようなかたちじゃなくてね。今の自分と音楽との関係性は、それこそファースト・アルバムを出す前よりもずっと強くなってる。今はまた、他の誰のためでもなく、自分のために曲を書いてるっていう感覚が戻ってきてて、そこにプラスしてそれをみんなと分かち合えるって自分はなんて恵まれてるんだろうって思うよ。
――これまでの作品では、例えば代表曲である「Boys Will Be Boys」のように、自分のことも取り上げながらも身近な人、あるいは全ての女性など他の人の声を代弁するようなものも多かったと思います。けれども今作は、自分の内側に起こった変化を内観したり俯瞰したりするような楽曲が多くを占めていて、内省的でありパーソナルなものになっているのも、そうした変化の結果ということですか?
S:本当にそう。ファーストのときなんて、それこそ自分の外の世界に指を向けて問題点を挙げ連ねていってた(笑)。でも今回のアルバムでは、ちょうど大切な友だちが自分から離れていってしまうという経験があって。それが本当に精神的に堪えたし、自分自身のあり方について自分に問わなくちゃいけない時期に来ていた。自責とか、許しとか、傷心とか、怒りとか、そのへんの感情を一通り体験することになった。これまで友情について書いたことだってあまりなかったから、それも自分にとっては新しい扉だった。これまでは元カレの批判だの、腹黒い政治家について書くことを得意技としてたけど(笑)、今回はそれとはまったく違う種類のストーリーなんだよね。
――なるほど、その点も含めて今作には「今の自分を形作った経験を受容する」というテーマがあるように感じました。しかも、現在進行形で起こっていることを歌っているというよりも、人生の分岐点を振り返って、今自分が立っている場所を確認しているような、というか。多くの曲で他人との関係性の終わりについて歌っていると思うのですが、「Please Everyone」の中では、主人公が「自分が選んだのとは違う道の先で、相手も自分の人生を生きていてほしい」と思って歌っているように思えるのも興味深いです。そこにも人生観の変化があったのかなと推察するのですが……。
S:正直、ただ自分がそのとき抱えてた痛みにひたすら必死に対処しようとしてただけなんだよね。自分の心の傷を癒そうと、そこから自分なりに成長しようと必死に努力してた。その間にも社会問題とか、そういうテーマついての曲も書いてはいたんだよ。だけど、今回のアルバムには合わないと思った。自分の心が完全に折れてて脆くてどうにかなってしまいそうなときに、社会に対して物申すみたいな曲を一緒に並べて出すのは何かちょっと違う気がしたし。
――そこからどのように自分の身に起こったことや、友人との関係の終わりを受容するに至ったのですか?
S:いや正直、全然受け入れられてなかったと思う。自分でも認められなかったし、どうしたらいいのかわからなかった……。自分の友達がもう私と友達であることはやめるってことを決めて、その理由が何なのかも聞かされないまま自分から完全に離れていってしまって、それが精神的に本当にくらっちゃって……。その痛みを理解して消化するために、自分にできた唯一のことは曲を書くことしかなかったんだよ。今になってようやく少しずつ受け入れられるようになったとはいえ、それはもう、自分から何か行動を起こしたからっていうよりも、完全に時間のおかげだよね。それと、あれだけ深い沼に落ちていても、ふと周りを見渡してみると人生には美しいものがたくさんあって美しい人たちに囲まれていて、それだけでもう十分すぎるほど与えられてるじゃない? そういう気づきも、自分にとってはすごく大きかった。
――そう思うと、自分が無意識に囚われてきたもの、これまで執着していたものや感情、過去を「手放す」ということも今作のテーマの一つなのではないかと。これって、一種のセルフケアですよね。ただ、それはともすると過去の自分を否定してしまうこととも紙一重なんじゃないかとも思うんです。
S:すごくよくわかる。ただ、不思議なことに、今の自分のほうが過去の自分に近づいてる気がしてて……。このアルバムを作る前の、自分は音楽をやめようって決意したころよりもずっと昔の自分に近づいてる気がしてる。立ち止まって、自分のまわりにあるものを再び見つめ直す時間が必要だったんだね。長いあいだ自分にずっと足りてなかったのはそれだったんだって気づいた。これまでのアルバムについても今でもすごく誇りに思ってるけど、あの境地に自分の状態を持っていくためには、しばらく自分自身とじっくり向き合う時間が必要だったんだと思う……それがあったからこそ、こうして今ここに辿り着くことができた。
――先ほど昔の自分は外の世界に対してばかり批判していたともおっしゃっていたように、これまでのリリックについてあなたの創作の原動力には個人的なことや社会的なことに対する「怒り」も少なからずあったと思うのですが、今、その「怒り」との付き合い方は変わりましたか?
S:ううん、そこは全然変わってない、相変らず怒ってる(笑)。というのも、結局私が怒ってることって、どれも本来だったら簡単に変えられるはずのことだから。男性優位にしろ、ミソジニーにしろ、人種差別にしろ、本来なら今すぐに解決に向けて行動できるはずの問題なのに、そこにお金や権力や欲が絡んできて、ちっとも物事が進展していかない。今ガザで起きてる大量虐殺やアメリカで女性が中絶する権利が奪われてることもそうだし、あるいはオーストラリアでは10歳の子どもでも刑務所に収監できる法になってるんだけど実際にそのくらいの子が刑務所に監禁されてたり……そういう現実を前に今でも怒りで心頭してる。しかも、それは当然であり必要な怒りだと思ってるんで。今回のアルバムで直接そういうテーマについてこそ取り上げてはいないけど、SNSでもライヴでも、そういう問題について今でも声を上げて発信し続けてる。たとえ曲の中でそのことに触れてなくても、自分の中では今でもそうしたテーマとずっと繋がってるっていう感覚がある。
――サウンド・メイクにも今作にはかなり大きな変化を感じました。ギターのみならず、前作から登場したピアノ、さらにシンセ・サウンドもレイヤードされた慎重で的確な音色選びが、柔らかく溶けるような音像を作り出しています。ヴォーカルやコーラスのリバーブも深く、「Please Everyone」や「W.A.L.K」などではギターをアンビエント・ミュージックのように音響的に使ったり、鳥の声が差し込まれたりと、実験的な印象も受けました。こうしたサウンドへの変化は、制作前からイメージを膨らませていたものですか? それとも制作しながら徐々にこうしたサウンドになっていったという感じでしょうか?
S:今回のアルバムは、曲ごとにそれぞれのサウンドなり世界なり、自分だけの宇宙を形成してるようにしたかったの。だから、曲を書くときにその都度テーマはあったけど、音楽的なテーマみたいなものは特に決めてなくて、どの曲もそれぞれ好きように単体のものとして独自の世界に存在してるようにしてあげたかったから。だから、曲作りの段階でも自分から何かこうしようってコントロールすることはなくて、ただ流れに任せて、それが自然に曲の形になっていった感じ。その結果、今回のアルバムでは前作よりもたくさんギターが使われてる。つまり、自分の人生にギターが戻ってきてるサインでもあって、それが私的にはすごく嬉しいんだよね。
――あなたはジェニー・ヴァルのファンだそうですが、澄んだシンセのレイヤーやコーラス・ワークは特に今年出た彼女のアルバム『Iris Silver Mist』にも通じるところがあるように思いました。温かさと、冬の朝のようなひんやりとした清らかさが同居するような感じというか。ダンサブルで浮遊感のある「Laying Low」でアルバムが終わるのも印象的ですが、今後もこうしたサウンド面でのチャレンジは追求していきたいですか?
S:たぶん、自分が今回の曲を作ってるときには、ジェニー・ヴァルのあの作品はまだリリースされてなかったと思うんだけど、それでも彼女の音楽にはすごくインスピレーションをもらってる。すごく露骨で生々しい内容の歌詞を美しいサウンドとかけ合わせる妙がまさに秀逸で。間違いなく、自分がすごく尊敬してるアーティストのうちの一人だよ。実はこの『Love and Fortune』の次のアルバムにももう取り組んでいて今まさに曲を書いてる最中なんだけど、もっと活き活きとして元気のいい感じの、どちらかと言うとファーストに近い雰囲気のアルバムになると思う。今回のアルバムでこのしんどい時期を乗り越えてきたからこそ、自分の目指してるアーティスト像に一歩近づけた気がしてるし、もっとたくましいエネルギッシュな自分に成長できたんじゃないかって。
――「Year of Trouble」は、終盤のシンセが重なる部分以外はほぼピアノのみの弾き語りですが、そのシンプルな切実さがとても素晴らしいです。この曲のリリースの際にあなたも「ジュリア・ウォレス(キーボードや共同プロデュース、レコーディング・エンジニアとして今作に参加)が、ただ一人で演奏すればいいんだと教えてくれた」と語っていましたが、実はあなたは前作のリリースの際、この《TURN》の取材に「ピアノの前に座ったら正直な自分をさらすしかない」と語ってくれています。そうなるとやはりこの曲が一番、剥き出しの素直の自分に近いということですか?
S:そう、最初は哀愁を帯びたダンスフロア風の曲にしようと思ったんだよ。そしたら、だんだんそれがちょっと嘘っぽくなってきて、上から音を足せば足すほど、リアルさが失われていく気がしてたんだよね。そしたらジュリアが「今のバラードのままでいいんじゃない?」って言ってくれて、結果的にそれがすごくよかった。ただ、ライヴではエンディングにちょっとした仕掛けをして、かなり派手に盛り上がる展開にしてるんだよね。そっちのバージョンもめちゃくちゃいい感じなんだよ。自分の中の感覚として、この曲に関してはアルバムとは別にライヴ・バージョンも単体の曲として存在してるみたいな感じかも。
――この「Year of Trouble」のリリックは恋人との別れのようにも読めますが、同時に、あなたと音楽の関係を歌っているようにも感じられました。他の曲もそう取れなくもないですが、この曲が特にそう感じたのですが、その点についてはどうでしょうか?
S:そうだね、少なくともその曲を書いているときの自分の頭の中にあったものとしては、さっきも話した友情の終わりについて歌ってる曲で。それをどこまでもどこまでも深いところまで掘り下げて、その一番深いところに辿り着いた曲。ただまあ、これはよく言われてることだけど、自分が曲を書いて世に送り出したら、それはもう受け手側のものなわけで。だから、実際に起きた出来事はそうじゃないけど、曲の解釈はその人次第だし、そこが音楽の素晴らしいところでもあるわけじゃない? その人がどういう時期にいるかによって、曲に対する見方も変わってくる。もしかして自分と大切な誰かの関係性を見直してる時期かもしれないし、あるいは自分と仕事との関係だったり、あるいは自分のアイデンティティについて問い直してる時期かもしれない。音楽って、その人にとって必要な時期に必要な形でちゃんと届くようになってるんだなって思う。
――「W.A.L.K」の歌唱も印象的でした。後半に向かってドラマティックな展開の楽曲でもありますが、大きな抑揚やクセをつけて歌い上げるというより、子供のようにストレートにピュアに歌っている印象がありました。最後の「Ah~」のスキャットには、エモーショナルなのにどこか脆く儚い感じもあって、それがとても胸を打ちます。
S:「W.A.L.K」に関しては、最後にあのド派手な展開を持ってきたくて……その案自体、スタジオに入ってから思い浮かんだんだ。そこから、あのパートを何度も何度も歌ってるうちに、これはもうどこまでも巨大化していくしかないだろうって感じになっていった。その結果できたのが今言ってくれた最後の展開で。でも本当に、あれに関しても事前に準備してたわけじゃなくて、実際に現場で歌っているうちに瞬間的にポロっと出てきたものなんだ。
――「Baths」は、最低限のシンセのドローン音以外はほぼアカペラなのに驚きました。リリックもミニマルですが、他の楽曲と唯一違って何を歌っているかが明確には捉えきれなかったので、ぜひその内容について教えてほしいです。個人的には、民謡や伝承歌のような構成やメロディ・ライン、このドローン音のみのアレンジなどから、この主人公はすでに人生の終点に立っていて、自分のこれまでの人生を、古い伝承や物語のワンシーンのように、穏やかに振り返っているようなイメージを描いたのですが……。
S:ああ、すごくよくわかる。最初は母のお腹の中にいるイメージから始まってるんだよね。そこから 人生のステージを一つ一つ巡っていくような……自分としてはおそらく人生の儚さとか、 無常みたいな感覚を捉えたかったんだと思う。それと自分の家族への敬意とか思いやりとか、そういう気持ちも込めていて。 だからこそ、あの曲に関してはあまり音を足しすぎずに、そのままそっと静けさの中に置いておきたかった。ある意味、リセットみたいな瞬間というか、再び自分をリセットする瞬間だよね。その再生というイメージを反映して、あのMVの中では私が凍えるような冷たい水の中に飛び込んでいく内容になってる。
――タイトル曲の「Love and Fortune」もピアノがメインの曲ですが、コーラスが低めのパートを歌っていたりと、これまでのアルバムの楽曲に比べて抑制的なアレンジになっているのが印象的でした。無意識に自分のことを軽んじる相手のことを歌っているようにも読めますが、相手を糾弾するというよりも、自分の中に起こっている感覚そのものを取り出したような印象を受けました。それがあなたにとっては少し新しい表現だと思ったのですが、実際この曲ではどんな感覚を表現しようと思ったのでしょうか?
S:たぶん、魂の探求みたいなものを描こうとしてたんじゃないかな。当時は部屋に籠って自己啓発本ばかりを読んでて、起きてしまったことに対して自分なりに心の整理しようとしてたんだよね。 でも、自分が気づいてなかっただけで、愛も人生の幸せも昔からずっとすぐ目の前にあったんだよ。そばにいてくれる友達とか、外に出ることとか、自分のことを愛してくれる家族に既に自分は囲まれている。その癒しが、ブランケットみたいに昔からずっと自分を包み込んでくれてたんだなあって。それとちょっと自分を茶化してるところもある。 自己啓発本で別れの痛手から回復しようとしてただなんて、バカだなあって感じで。
――最後に、ジャケットのプールや水着のイラストと、歌詞カードの内側の水辺と水着の女性たちの写真がリンクしているのが気になりました。あなた自身もインスタグラムなどを見ているとよく水遊びを楽しんでいるように思うのですが、このジャケットのイラストも、以前あなたがインスタグラムに載せていた写真(2022年6月17日のポスト)がモデルですよね? この水遊びのイメージはあなたやこの作品にとって何を表現していて、どんな意味を持っているのでしょうか?
S:そう、アルバムのジャケットのイメージは私の写真をもとに描いてもらったイラストで。 水際の縁に座って、私が水の中に飛び込むのを躊躇してる気持ちが伝わってくる。冷たそうだし、怖いし、心が揺れてる……彼女は覚悟を組めて飛び込むのか?それとも飛び込まないのか?っていう、まさにその狭間で揺れてる瞬間みたいだし、そこに今回のアルバムの本質が集約されてる気がして。このアルバムを作ることは、再び音楽に戻ること、 友情を失ったことについて自分が抱えてきた罪悪感も全部受け止めて、信じてその先に飛び込むような行為だったから……まさに今回のアルバムを作るに至るまでの自分の心象風景を表してる。そこから内ジャケットを開くと、自分と友だちが水に向かって走り出して、 勇気を出して頭から飛び込んでる姿がある、しかも歓喜に湧きながら。たしかにそうだね、水は、私が歌詞を書くときに惹かれるモチーフだよね。
<了>
Text By Nami Igusa
Photo By Nick McKinlay
Interpretation By Ayako Takezawa
Stella Donnelly
『Love and Fortune』
LABEL : Dot Dash Recordings / Remote Control / Big Nothing
RELEASE DATE : 2025.11.07
購入はこちら
TOWER RECORDS / hmv / Amazon
STELLA DONNELLY “Love And Fortune Tour”
◾️2026年04月07日(火) 大阪 Umeda Club Quattro
◾️2026年04月08日(水) 名古屋 Nagoya Club Quattro
◾️2026年04月09日(木) 東京 duo MUSIC EXCHANG
(問)SMASH:https://smash-jpn.com/
詳細・チケット購入はこちらから
https://smash-jpn.com/live/?id=4587
関連記事
【INTERVIEW】
Stella Donnelly
「ピアノの前に座ったからには正直な自分をさらすしかない」
自分の中の自分を強く抱きしめる、ステラ・ドネリー3年ぶりのセカンド
https://turntokyo.com/features/stella-donnelly-flood-interview/
【INTERVIEW】
Stella Donnelly
人は脆くてもいい。そして他人を楽しませながら、言いたいことを言う、コメディアンのようにね。
笑顔に秘めたステラ・ドネリーの美学
https://turntokyo.com/features/interviews-stelladonnelly/
【FEATURE】
フジロックにも出演決定! 〜自然体のまま社会に噛みつく、キュートで鋭利なシンガー・ソングライター=ステラ・ドネリー
https://turntokyo.com/features/feature-stella-donnelly/
