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スパークス&ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ
LA公演レポート

19 August 2023 | By Wataru Sawabe

私がわざわざ《Hollywood Bowl》までライヴを観にいった理由は、勢いだと言ってしまったらそれまでだが、その勢いにだって理由がある。スパークスがゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ(以下、TMBG)と《Hollywood Bowl》でライヴをやる。「あの」《Hollywood Bowl》にスパークスとTMBGが立つ。キャリアの初めにはアメリカからは理解されず、イギリスで成功を掴んだスパークスが故郷に何度目かの錦を飾るのだ。その様子が見たい。そして1997年以降一度も来日していないTMBGのライヴが見たい。それらが重なってしまったのなら、驚異的な円安のその最中、1ドル140円のアメリカに飛び込む理由にだってなり得るのだ。

《Hollywood Bowl》のキャパシティは17500人。日比谷野音を5倍にした感じ、といえば伝わるだろうか。野音だって都心の割には自然豊かだし、幾分かピクニック気分が伴うものだと思うが、いざ《Hollywood Bowl》に着いてみると、街からほんの少し外れただけなのに山の中にあるように感じ、ピクニック気分は野音のそれとは格が違うように感じた。そしてそのピクニック気分の只中にいるみんながスパークスかTMBGが好きなんだ、と思うと不思議な気持ちになった。会場を見渡してみると若者も確かにいるのだが、予想通り年齢層は高い。数日後、日本でのスパークスのライヴは本当に「老若男女」と言える客層だったと、比べてみて初めてわかった。指定の席に座ると隣には陽気なおっちゃん3人組。そのうちのひとりが「俺はそいつ(3人組のうちのひとり)と1981年の《Whiskey A Go Go》でのライヴも見ているんだ!」と話しかけてくれた。負け惜しみで「我々だって2008年のフジロックみてるもんね……」って心の中で思うことしかできなかった。とにかく今夜ここにはいろんな思いの人がいるのだろう、しかし、その思いはピクニック・ムードに打ち消されて、ものすごくゆるい雰囲気になっていたのもカルチャー・ショックだった。興奮して高揚しているはずなのにそれがバカらしく思えてきて、これほどまでに気負いのない待ち時間なんて久しぶりだった。

数々の伝説を産んだLAの《Hollywood Bowl》


そうしてTMBGのライヴは始まる。1曲目は「Damn Good Times」。曲が始まって何が起こったのか一瞬わからなかった。2004年発表のアルバム『The Spine』からのナンバーだ。ライヴのオープニング、それも少なく見積もってももうすでに10000人以上は集まっていると思われる観客の前で演奏するオープニング・ナンバーがこれか、と驚嘆の声をあげた。そうして冷静になる。スパークスは何度も見ているから、こういう選曲で来るかもしれない、とか、「The Number One Song In Heaven」や「This Town」は終盤だろうな、とか予想がつくのだけど、TMBGがどういうライヴをやっているのか、ということは観たことすらないから全く予想がつかないのだ。「Birdhouse In Your Soul」は終盤にやるのか? Uberのドライヴァーと一緒に口ずさんだ「Boss Of Me」は演奏されるのか? 近年の彼らの曲で一番好きな「Let’s Get This Over With」はやってくれるだろうか? ジェットコースターのように心を揺さぶりながら曲はプレイされていく。

ジョン・フランズバーグはマイクスタンドを持ちあげ、ステージ中を移動して客を沸かす一方、ジョン・リンネルはキーボードという楽器の特性上、一歩も動かずクールに歌っている。その佇まいは確かにスパークス的とは……言えないか。3曲目を始める前にフランズバーグが「They Might Be Giantsより国民的アンセムをお届け、さあ、ここから一瞬でも重いケツを上げて! みんなの顔がよーーーく見える!」と観客を煽り、総立ちとなった観客を前に始まったのが「Birdhouse In Your Soul」だった。海外のライヴだし普段だったらやらないけど動画とか撮っちゃおうか、と回し始めたのだが、ヴァースが終わった後のブリッジのオルガンを聴いてエモーショナルが爆発して、動画を止め、聴き入った。夕暮れ迫る《Hollywood Bowl》に響き渡る「Birdhouse In Your Soul」を聴いて、ここまで来てよかった、ここでTMBGが観れてよかった、ここで「Birdhouse In Your Soul」が聴けてよかった、なんなら前日に車で2時間くらいの街でやっていたTMBGの単独公演も行ってしまおうか迷っていたけど行かなくて正解だった、と心の底から思えた。

ショウは続く。まさかやるだなんて想像すらしていなかった「Spy」で見せたトンチキなアウトロがとにかく最高だったことも付け加えたい。リネルが指揮をしながらぐちゃぐちゃなセッションを繰り広げていく。そうしてリンネルはこう話す。「1930年代のサウンドをお届けします、スウィング時代のサウンドでございます。ただし、あれから何十年も経過しているんで凸凹だらけなのはご愛嬌。それをあえてバンドで生音で再現するのなら……」と腕を振り下ろし、混沌としたセッションが再び始まった。おもむろに再び腕を上げると「どうだ、(傷だらけのレコードで聴くのとは)まったくの別物だろ! まるで伝説の《Frank Daly’s Meadowrrook》か、《Glen Island Casino》か《Avalon Ballroom》や、あの時代の華麗なダンス・ホールにタイムスリップしたかのように! あのサウンドを安物の78回転のレコードで再現しようとなると……そりゃガッカリするに決まってるって」と再び混沌のセッションが始まり、先ほどより具体的にリンネルはバンドに指示を出していく。混沌の中、トランペット奏者を指させば彼のソロになり、腕を下げればバンドが全体で演奏し出す。その役割を羨ましげ見ていたフランズバーグがその役割を継ぐのだが、ルールは一緒なのにこれがまったくかっこよくない! 自分が見たかった人懐っこさとアート性を兼ね備えたTMBGはこれだ! と猛烈に感動した。ホーン隊やフランズバーグはステージ中を動き回り、「昼間のライヴは慣れていないんだ」と言いながらもTMBGのあのポップ・ワールドが目の前で展開されていく。これまでTMBGが好きだ、と先輩たちにいうたびに「《クアトロ》で観たよ(おそらく1990年/1992年/1997年)」「《渋公》はガラガラだったけど(1995年)」「恵比寿の《みるく》もよかった(1997年。この年を最後にTMBGは来日していない)」という具合に羨ましい自慢をされてきた。当時に間に合えなかったことはもう仕方がない、受け入れる。しかし私はこうして(最後尾かもしれないが)列に並ぶことができた喜びを今は噛みしめていたい。45分ほどのステージだったが、キャリアから満遍なく選曲されていたのも嬉しかった。俺のTMBG道はここからようやく始まるのかもしれない、という自分ですらわからない感慨に耽ってしまうほど素晴らしいステージだった。

ハリウッドは20時を過ぎてもちょっと明るいぐらいだったが、TMBGが終わった頃には陽もとっぷりと暮れ、会場は主役の登場を待つのみとなった。TMBGにがっつり心を揺さぶられた私にスパークスを楽しむ余裕なんてあるのか?と不安にもなったのだが、バンドがステージに登場した段階で会場の熱気は最高潮に達していて、否応なしにスパークスのモードに切り替わってしまった。なんて夜だ!! もはや「お馴染み」といった構えで堂々と演奏された「So May We Start」でショウは始まる。ラッセル・メイルの声も、過去のどの来日公演よりパワフルなように思え、(レオス・)カラックスの『アネット』の幕開けを告げる「So May We Start」は、ここカリフォルニアでの撮影シーンもオーバーラップして特別な演奏に聞こえた。そのままバンドはニュー・アルバムの表題曲「The Girl Is Crying In Her Latte」を投入。近年の曲を2曲続けて演奏してここまで盛り上がるバンドもそうはいまい。デビュー52年目のバンドのセットリストとは思えない攻めの姿勢に感動した。故郷に錦を飾るようにカリフォルニアのFM局《KROQ》との蜜月の象徴でもある(らしい)1982年発表の「Angst In My Pants」、1973年発表のセカンド・アルバムから「Beaver O’Lindy」といった具合に過去と現在が交差し、スパークスという物語がより立体的に形づいていくのを感じる素晴らしい演奏と選曲。それぞれ40年前の曲、50年前の曲ではある。しかし、それが一体なんだっていうんだ、分厚くなっていった歴史書なんでどうでもいい、今、スパークスが目の前で演奏している、それ以上のことなんてここにはない、と言い切ってしまいたい衝動にも駆られた。

私はある瞬間にもっとも胸が熱くなった。それは、冷遇されていた80年代後半、1986年発表の傑作「Music That You Can Dance To」が大喝采で迎えられた時のことだ。止まない拍手のなか、ロン・メイルは胸に手を当て、ラッセルは満足げな表情で会場を見渡す。それでも拍手の勢いは弱まることがない。そうして「When Do I Get To Sing “My Way”」が始まったのだ。『スパークス・ブラザーズ』(ドキュメント映画)では1989年から1993年までの無慈悲さが際立っていた。ローカル・テレビの年明けの映像だけで、時間の経過が伝えられるあのシーン、あの無慈悲さの先に今、《Hollywood Bowl》で1994年発表、起死回生の大ヒット曲となった「When Do I Get To Sing “My Way”」が鳴り響いている。大袈裟な言葉を使ってしまうと、かつてこれ以上の祝福された復讐などあるだろうか。曲が終わる時、モニターのカメラはロンがキーボードから手を離す瞬間を抜いていた。その様子があまりに完璧で、つい涙が溢れた。そのまま「The Number One Song In Heaven」、「This Town Ain’t Big Enough For Both Of Us」とアンセムを畳み掛けていき、ステージには二人が残り「Gee, That Was Fun」を哀しくも美しく演奏して本編は終了。不思議とアンコールの拍手にも熱が入る最高のクロージング・ナンバーだった。昼間のピクニック・ムードはどこへやら、熱狂の拍手の中、バンドはステージに戻り、ラッセルは“Thank you, Thank you so much, Thank you”と感慨深げに話すと「My Baby’s Taking Me Home」がプレイされた。スパークスの歴史の中でも最も言葉が削がれに削がれたアルバム『Lil’ Beethoven』(2002年)の中でも、スピーキングを除けば「My Baby’s Taking Me Home」と繰り返すだけの究極の1曲だ。しかし、この反復が大きなうねりを生み、不気味なほどの一体感となって《Hollywood Bowl》に覆い被さり、間違いなくこの夜のひとつのハイライトとなった。新しい代表曲のひとつと言ってもいいほどの風格を持って演奏された「All That」では観客がそれぞれの携帯電話をライトにして掲げ、それはそれはエモーショナルな光景だった。ステージを去り難そうなふたりを見て、あらためて今日という一日の特別さを思い知ったのだった。

終演後、去り難い我々にひとりの男性が声をかけてきた。「なあ、あの二人は本当に兄弟なのか? ドキュメンタリーも観ていないんだけどそれで興味を持って来てみたんだ。それで、あの二人は本当に兄弟なのか!? 異母兄弟でも異父兄弟でもないの?本当?」と不思議がっていて笑ってしまった。今夜は濃いファンばかりが集まっていると勝手に思い込んでいたが、今のスパークスの状況を表すに彼ほどいいファンはいないだろう。『スパークス・ブラザーズ』で《Rhino Records》のゲイリー・スチュワートが語っていたように「ようこそ まだあるよ」という言葉を彼にそのまま贈りたい。(文・写真/澤部渡)


ムーンライダーズのTシャツを着た筆者の澤部渡。ライヴ後に会場で




Text By Wataru Sawabe


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