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ベラルーシのバンド、ソユーズが踏み出す新たな“一歩”
──バンドの作曲家/アレンジャー、アレックス・チュマクが語るソユーズの音楽の実像

24 October 2025 | By Shota Suzuki

東欧の国、ベラルーシのミンスクを出自とするバンド、ソユーズ(SOYUZ。ロシア語の表記はСОЮ3)。2023年にUKの名門レーベル《Mr.Bongo》からリリースしたサード・アルバム『Force of the Wind』をきっかけとして世界的に注目を集めるようになったグループだ。ブラジル音楽を初めとしてイタリアの映画音楽、ライブラリー・ミュージック、ジャズ、フォークなどをミックスし、印象主義的なタッチでまとめ上げる彼らの音楽は、ブラジル音楽フォロワーによる単なる二番煎じではない。より良いサウンドデザインへの偏執にも似た敬愛を抱く一つの宇宙が、多様な物質を取り込みながら膨張を続けているのだ。

ソユーズは今年、2年ぶりとなるフォース・アルバム『KROK』をリリースした。前作を制作した直後にミンスクからワルシャワへ移り住み、加えてバンド・メンバーも移り変わってゆく中、彼らは今回のアルバムで初めてブラジルはサンパウロでの録音を決行。そうして出来上がったアルバムには、これまで用いてきたロシア語ではなく祖国のベラルーシ語で作詞が行われるなど、ある種の決意が明確に宿っている。前作で確立したソユーズの方法論をより深化させた、間違いなくキャリア最高傑作と呼べる作品だ。

しかし、ソユーズについては、その音を除けば情報が極めて少ない。一体彼らは何者なのか?そして最新作『KROK』は一体どのような経緯で制作されたのか? 今回、ソユーズが日本で特にストリーミングで再生されている国であること、そして彼らもまた日本に対して特別な想いを抱いてくれていることもあって、バンドの作曲家/アレンジャーを務めるアレックス・チュマク(Alex Chumak)がインタヴューに応じてくれた。
(インタヴュー・翻訳・文/鈴木翔太 写真/Biel Basile 協力/ Mr.Bongo)

Interview with Alex Chumak(SOYUZ)

──まずは、ソユーズのこれまでの活動について聞かせて下さい。ソユーズはどういった経緯で結成されたグループなのでしょうか?

Alex Chumak(以下、A):私はバンドの作曲家兼アレンジャーを務めています。2016年、私は初めてミキタ・アーロウ(Mikita Arlou)の音楽を聴きました。彼はApplepickerという音楽プロジェクトをやっていて、そこではテープ録音を駆使し、ホーントロジカル(幽霊的・記憶を喚起するような)でミニマルな音楽を探求していました。2人ともミンスクに住んでいて、音楽の趣味が多く共通していることに気づき、会って即興演奏を始めたんです。お互いマルチ奏者だったので、色んな楽器を使いながら演奏しました。デュオでジャムるのは楽しかったのですが、どこか物足りなさを感じていて、ライヴでコンピューターやルーパーを使いたくなかったので、新しいメンバーを探していました。

そして2017年、スタス・ムラシュコ(Stas Murashko)と出会いました。彼はベーシストでしたが、ドラム演奏に対する情熱を新たに育みたいと思っていたようで、ドラマーとしてバンドに参加する意向を示してくれたんです。トリオとして初めてのリハーサルに行く直前に、私は曲のアイデアを思いつき持っていきました。すると不思議とスムーズにまとまり、そのリハーサルの終わりには最初の曲が完成しました。数回会って録音も行い、ライヴで録音したEPができました。

これはカセットのTascam Portastudioを使ったもので、ソユーズの基礎を築いてくれました。《Studio 42》というスタジオもとても重要な役割を果たしていて。そこは私たちがトリオとして初めて出会った場所であり、私たちのサウンドや制作スタイルの基盤を形作りました。最初のEPやアルバム『II』、『Force of the Wind』の基礎も全て同じ部屋で、Tascam Portastudioを使いながらテープで実験を重ねて録音されています。

──2019年にはセカンド・アルバム『Ⅱ』をリリースしています。ブラジル音楽だけでなくエチオ・ジャズ、イタリアの映画音楽など多様な音楽からの影響を感じさせるアルバムであり、ファースト・アルバムとは大幅にテイストが変わりました。何か方向性が変わるきっかけなどはあったのでしょうか?

A:アルバム『II』のための楽曲は、2018年の終わりから2019年初頭にかけて、ウクライナのキーウとベラルーシのミンスクを行き来していた時期に作曲・編曲しました。その頃、世界各地の様々な音楽シーン、特にブラジルやイタリアの音楽にどんどん惹かれていきました。発見すればするほど魅了され、自分の音楽にもそうしたアイデアを取り入れたいという気持ちが強くなっていったんです。

キーウでは《Masterskaya(マステルスカヤ)》という小さなレーベルで働いていて、最初はそのレーベルから私たちの音楽もリリースしていました。そのレーベルの録音スタジオを使うことができたうえに多くの楽器もあったので、ドラム、ベース、ギター、ピアノなどを使ってiPhoneのGarageBandでデモを録音していました。これは、複雑なプロセスを避けて、思いついたアイデアをできるだけ速く、ダイレクトに記録するためでした。そして週末には夜行バスに乗って出来上がった楽曲をミンスクのミキタとスタスに持って行き、すぐにバンドでそれらを練習しました。2019年の春の初めには再びミンスクへ完全に移り住み、アルバムの制作を完了させました。この時初めて、自分でストリングス・アレンジも書きました。暗く日差しのない冬がアルバムのムードに少し影響を与えたと思いますが、同時に世界中から得た音楽的インスピレーションがそれを少し和らげてくれたとも思います(笑)。

──2022年には《Mr.Bongo》からサード・アルバム『Force of The Wind』をリリースしています。日本では、このアルバムを機にソユーズの存在を知った人が多いかと思います。どのような経緯で《Mr.Bongo》からアルバムをリリースすることになったのでしょうか?

A:実は、《Mr.Bongo》に最初に連絡を取ったのは、2019年にアルバム『II』をリリースした直後のことでした。その時に彼らとコンタクトを取り、「新しいデモができたら送る」と約束していましたが、次のアルバムの制作が予想以上に時間がかかってしまいました。やり取りが再開されたのは2021年の終わり頃で、私がすでにアルバムのミキシングを終えたタイミングでした。彼らはとても興奮してくれて、リリースに向けた条件の話し合いが始まり、最終的に2022年の末に《Mr.Bongo》からアルバムがリリースされました。日本の皆さんがこの作品を通じてソユーズを知ってくれたり、音楽を楽しんでくれたりしていることは、私たちにとって本当に嬉しいことです。

──『Force of The Wind』の楽曲が制作された時期は、新型コロナ・ウイルスの蔓延やロシアのウクライナ侵攻など、世界情勢が大幅に変化した時期です。さらに海外レーベルからのリリースとなったことで制作にも変化があったかと思いますが、当時を振り返ってみていかがでしょうか?

A:『Force of the Wind』は、2021年の終わりにキーウで完成しました。最終的な仕上げをするために《Masterskaya》のスタジオに向かいました。私はそこにあるMinimoogを始めとするアナログ・シンセサイザーの素晴らしいコレクションのサウンドを録音したかったんです。それはロシアによるウクライナ侵攻の数ヶ月前のことで、戦争はまもなく私たちの生活にも深く影響を与えることになりました。しかし、この時期について振り返るなら、私は新型コロナ・ウイルスが蔓延していた時期に焦点を当てたいと思っています。自分にとっては困難な時期ではありましたが、実りある時期でもありました。2020年から2021年にかけてのこの期間は、ソユーズのアルバム制作に集中できただけでなく、同時に世界の反対側で制作されていたセッサ(Sessa)のアルバム『Estrela Acesa』(2022年)にもリモートで参加することができました。

その頃セッサとはよくやり取りをしていて、お互いにデモを共有し合い、時には私が彼のデモに別の楽器を重ねて録音することもありました。そうしたデモのうちの一つは、後にリリースされました。私は『Estrela Acesa』で楽器は演奏していませんが、ストリングスやフルートのアレンジを書いたものはいくつかあって、アルバムでも実際に聴くことができます。また、このプロセスを通じて、セッサの他のコラボレーターたちとも知り合うことができました。たとえば、ブルックリン在住の作曲家/編曲家であるサイモン・ヘインズ(Simon Hanes)は、後に『Force of the Wind』のストリングス隊の手配を手伝ってくれたのですが、そこではセッサのレコードで演奏していたのと同じミュージシャンたちが参加してくれました。さらに、当時オランダに住んでいたブラジル人のマルチ奏者ガブリエル・ミリエッチ(Gabriel Milliet)は、ソユーズとセッサ両方のアルバムでフルートを録音してくれました。そして、セッサのファースト・アルバム『Grandeza』(2019年)でドラムを演奏していた優れたドラマー、ジェム・ミスルリオール(Cem Mısırlıoğlu)も、『Force of the Wind』でパーカッションを録音してくれました。おそらくこういったことは、コロナ以前には実現が難しかったと思います。当時は、リモートでのコラボレーションにそれほどオープンな空気はなかったので、これはパンデミックがもたらした興味深い“副産物”だったと感じています。

左からアレックス、セッサ

──2022年初頭にはあなたと、オリジナルメンバーのミキタ・アーロウ、そしてアントン・ネマハイ(Anton Nemahai)はワルシャワへと移住したと聞きました。ポーランドのミュージシャンも新たにバンドに加入したそうですね。ワルシャワでの生活はいかがですか?

A:アントン・ネマハイは、ソユーズ以前にも一緒に演奏していた長年の友人です。2020年にスタスがバンドを離れた後、新たにソユーズに加入しました。彼はアルバム『Force of the Wind』にも参加していて、その繊細で洗練されたプレイでソユーズのサウンドを確実に引き上げてくれました。私たちがワルシャワに移住した後は、『Force of the Wind』のリリースが大きな助けとなりました。その評判が広まるにつれ、ワルシャワの中でも特に素晴らしい会場からライヴのオファーが届くようになり、地元のリスナーや音楽コミュニティにも受け入れられ、評価してもらえるようになったのです。その後、ワルシャワの音楽シーンで活躍する著名なミュージシャンであるアルベルト・カルフ(Albert Karch)とイゴール・ヴィシニェフスキ(Igor Wiśniewski)と共に活動を始めるようになった時、彼らが「初めてソユーズの音を聴いたとき、本当に“新鮮な風が吹き込んできたかのよう”だった。他に誰もこんな演奏はしていなかった」と打ち明けてくれたことがありました。ポーランドの音楽シーンはとても活気があり、面白い人たちやプロジェクトがたくさん存在しています。そんな素晴らしいコミュニティに温かく迎え入れてもらえたことを、私たちは心からありがたく思っています。ここで出会ったミュージシャンの何人かは、新作アルバムにも参加してくれましたし、他にも多くの方々がさまざまな形で手助けしてくれました。

──ワルシャワで録音中、アントン・ネマハイはグループを脱退してしまったそうですが、グループにとってどのような影響があったのでしょうか?

A:2024年初頭、アントンは自身のプロジェクトに専念するためにバンドを離れました。その後、私たちは素晴らしいドラマーであるアルベルト・カルフと一緒に活動を始め、さらにソロ・ギターとしてイゴール・ヴィシニェフスキを加え、編成をカルテットに拡大することにしました。結果として、バンド内での日常会話もポーランド語に切り替わりました(笑)。

バンドの雰囲気も少し変化しました。ライヴ・パフォーマンスは以前よりも自由度が増し、即興演奏の要素が多くなりました。また、4人目のメンバーが加わったことで、演奏により多くの音のレイヤーを加えることができるようになりました。

──では、そろそろ最新作『KROK』(2025年)について詳しく聞かせて下さい。本作は、前作『Force of the Wind』と比較するとややシリアスなトーンが強いような印象を受けました。本作のコンセプトについて教えてください。

A:“よりシリアスな”アルバムを作ろうと思っていたわけではありませんが、この作品が生まれた時期や背景は、『Force of the Wind』を生んだパンデミックの時期ともまったく異なるものでした。予期せぬ他国への移住、すぐ近くで起きている戦争、そして日に日に緊迫感を増していくニュースの数々……さらに、以前のようにピアノが手元にある環境ではなかったため、代わりにギターで作曲することが多くなりました。この楽器の変更もまた、アルバムの雰囲気やサウンドに影響を与えたのだと思います。

──「Krok」はベラルーシ語で「Step」を意味するそうですが、このタイトルにはどのような思いが込められているのでしょうか?

A:これは、新しいサウンドへの「一歩」として捉えることもできると思います。私は常に、新しい作曲や音の可能性を探求することに関心がありますし、もちろんそれだけでなく、私たちが異なる国へ移住したこと、特に私たち特有の状況におけるその経験も、このタイトルに反映されています。

──本作の楽曲の歌詞は、言語も旧ソ連諸国で度々使われるロシア語からベラルーシ語へと変化したそうですね。どのような意図の表れなのでしょうか?

A:大まかに言えば、私が自分の言語的なアイデンティティと再び繋がりたいと思っていたからです。ある程度の時間と練習を重ねてからは、その成果をだんだん気に入るようになっていきました。もう一つの意図は、この美しく、とてもやさしい言語を人々に紹介したいという想いでした。そしてこの言語は今回の楽曲たちに、とてもよく馴染んでくれたと思っています。

──前作に引き続きサンパウロのセッサ、そしてセッサの作品にサポートで参加するドラマー、ビエル・バジーリ(Biel Basile)がアルバムにセッション・ミュージシャン/レコーディング・エンジニアとして参加したとお聞きしました。さらに新しくドラマーとして加入したアルベルト・カルフとあなたはサンパウロでレコーディングを行ったそうですね。サンパウロの著名なベーシストであるマルセロ・カブラルも参加したそうですが、サンパウロでのレコーディングはいかがでしたか?

A:新しいアルバムをサンパウロで録音しようというアイデアは、ミンスク時代に使っていた《Studio 42》というスタジオに似た場所をワルシャワで探し続けた末に思いついたものでした。もちろん、ポーランドにはそれ以上に立派なスタジオもたくさんありますが、当時の私たちは、ある種の個性があり自分たちらしいやり方で作業や実験ができる“音楽的な拠点”と呼べるような新しい場所を探していたのです。

私がセッサとビエル・バジーリのスタジオ《Estúdio Cosmo》に初めて関わったのは2024年初頭のことでした。その年の11月にリリースされたシングル「Калі ты запытаеш / Tenório」のために、ビエルにドラムの録音をリモートでお願いしたのがきっかけです。私は彼の音や演奏、アプローチをとても気に入っていたのですが、唯一の問題はリモート録音だったということです。私は、ミュージシャンが実際に顔を合わせて、少し“呼吸感”のあるテンポで演奏する方が好きなんです。そこで、私たちはサンパウロに行くことを真剣に考え始め、セッサにそのことを伝えたところ、彼もまた新しいアルバムの制作準備を進めていて、私にもセッションに参加してほしいと言ってくれました。それは私にとっても理想的な展開でした。

ただ一つ残念だったのは、経済的な理由でメンバーのミキタ・アーロウをサンパウロに連れて行くことができなかったことです。それでも、アルベルト・カルフがソユーズのセッションのためにサンパウロに来てくれることになりました。これは本当に素晴らしいことでした。アプローチの異なる2人のドラマーが揃ったのですから。サンパウロで過ごした時間は私にとって本当に特別なものでしたし、そこでソユーズのアルバムの土台を築けただけでなく、セッサの新作にも参加できたことを嬉しく思っています。

──2曲目の「Lingua Do Mundo」では、チン・ベルナルデスも参加しています。彼は現代のMPBシーンを代表する素晴らしいシンガー・ソングライターですが、彼とのコラボはいかがでしたか?

A:『Force of the Wind』リリース後のある時、チンから連絡がありました。彼は、サンパウロのラジオで私たちの曲の一つを耳にして、とても感動したと話してくれました。その頃にはすでに、後に「Lingua Do Mundo」となる曲のデモを録音していて、彼にこの楽曲への参加を提案しました。チンはそのアイデアを気に入ってくれて、すぐに彼は自身のパートを録音して送ってくれました。彼の歌詞は本当に美しくて、私自身とても共鳴するものがありました。

──「P7 Blues」で聞こえるコーラスといい、淡い郷愁を誘うフィーリングといい、ソユーズの音楽は、ブラジル音楽からの影響を強く感じさせます。ブラジル音楽のどういったところに惹かれますか?

A:私がブラジルから生み出されてきたたくさんの音楽に本当に魅了された点は、その非常に自由なスタイルの組み合わせ方や、ポップ・ミュージックでさえ不協和音に対してオープンである点、そして私自身も自然に惹かれるような独特のハーモニーやリズム、フィーリングへのアプローチです。

──ブラジル音楽だけでなくジャズやフォーク、ライブラリー・ミュージックなど多様な影響を感じさせる本作ですが、ルーツである東欧の音楽からの影響はあるのでしょうか?

A:このアルバムがルーツである東欧の音楽から直接影響を受けているとは思わないのですが、ある種とても「東欧的」と感じられる感情を内包しているように感じています。

──ちなみに、このアルバムを制作する際によく聴いていたアーティストなどはいらっしゃいますか?

A:私はよくエグベルト・ジスモンチの音楽に立ち返っていました。特に1973年のセルフタイトルのアルバムや、彼のその後の作品たちです。そして、ストラヴィンスキーもまた私の人生で最も大きなインスピレーションの源の一つであり、彼の「管楽器のための交響曲」にはとても影響を受けました。ラルフ・タウナーの『Solstice』(1975年)というアルバムも大好きで、特に「Nimbus」のような曲で彼が使っている12弦ギターの奏法が好きなんです。彼の独自のチューニングにとても共感しています。私が10代の頃のヒーローはニック・ドレイクでした。だから私もギターのチューニングを色々と試すようになったのがかなり早くて、今では何年も前に自分で考案したチューニングを使って、その可能性を今も探り続けています。

──アルバムの先行カットとして7インチ・シングルでリリースされた「Kali ty zapytaješ」でも印象的なローズ・ピアノは、ストックホルムのスヴェン・ワンダーのスタジオで録音されたとお聞きしました。彼はライヴラリー・ミュージック~レアグルーヴの分野で日本でも高い人気を誇るアーティストですが、彼とのコラボはいかがでしたか?

A:《Piano Piano Records》とジョエル・ダネル(スヴェン・ワンダーの本名)は私の親しい友人であり、彼らは『Force of the Wind』のプロモ盤を初めて聴いたときから、ソユーズをずっと応援してくれていると思います。2023年には、ジョエルと共にアシャ・プトゥリを迎えた楽曲「Spring has sprung」でコラボレーションしました。ジョエルはその曲に美しいストリングス・アレンジを提供してくれました。

その後、新しいソユーズのアルバムのために、いくつかの楽曲でアレンジを共同で行う話が持ち上がり、サンパウロでのセッションの直後にストックホルムへ行く予定を組みました。しかし、いざその時となるとジョエルは非常に多忙で、一緒に作業する時間がほとんど取れませんでした。それでも彼は快く数日間スタジオを使わせてくれたので、私はその間にいくつかの曲に彼のローズ・ピアノで録音しました。彼のスタジオに滞在して作業できたのはとても良い経験でしたし、《Piano Piano Records》 を運営しているジョン・ヘンリクソン(John Henriksson)との長い会話も楽しみました。私たちは音楽について語り合い、パッケージやカヴァーのクリエイティヴなデザインについても深く話し合いました。私は《Piano Piano Records》のデザインを敬愛しているので、それは特に印象的な出来事でした。後にジョンは、私が『KROK』のジャケット・デザインを制作していた際にも、とても貴重なアドバイスをくれました。

──ラストの「Smak žyćcia」では、日本のミュージシャン/打楽器奏者である角銅真実がスポークン・ワードで参加しています。どのような経緯でコラボが実現したのでしょうか?また制作にあたり詳しく話したことはありますか?

A:私たちのドラマーであるアルベルト・カルフは、以前から日本の音楽シーンに深く関わっており、青葉市子や角銅真実をはじめ、多くの音楽家たちとコラボレーションを行ってきました。ある時、アルベルトが「最近また角銅真実と一緒に制作をしたんだけど、その経験が本当に素晴らしかったんだ」と話してくれて、彼女がこの新曲「Smak žyćcia」にも合うのではないかと感じたと言いました。この曲ではアルベルトがドラムを担当し木管楽器のアレンジも手がけていたので、私は彼の直感を信じ、真実にコラボレーションの提案をすることに決めました。彼女はそのアイデアを気に入ってくれて、間もなくとても美しいスポークン・ワードを送ってくれました。それはまさに、このアルバムを締めくくるのにふさわしい曲でした。

──日本は特にソユーズの音楽がストリーミング再生されている国だとお伺いしました。日本は長らくボサノヴァが人気な国ということもあり、ブラジル音楽の要素が強いソユーズの音楽は多くのリスナーに愛されているのだと思います。日本についてはどのようなイメージをお持ちですか?

A:長年にわたり日本で仕事や旅をし、そこに家族もいるアルベルトから、日本の観客がとても温かく、そして音楽を愛しているという話をたくさん聞いています。私たちバンドとしてはまだ日本を訪れる機会がありませんが、細野晴臣、坂本龍一、清水靖晃、金延幸子をはじめ、多くの日本の音楽の大ファンです。アルベルトはいつも、「日本という国は美しくインスピレーションに満ちている」と話しており、私たちも日本の音楽シーンが魅力的で豊かだと感じています。

──《Mr.Bongo》からリリースされた3枚のアルバムをきっかけとして、きっと日本でのライヴを待ち望んでいるファンも多いかと思います。

A:日本で演奏するために訪れることは長年の夢であり、皆さんの前で演奏できる日を心待ちにしています。私たちの音楽をサポートしてくださりありがとうございます。どうぞ新しいアルバムをお楽しみください!

<了>



Text By Shota Suzuki


SOYUZ / СОЮЗ

『KROK』

RELEASE DATE : 2025.10.24
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