Back

映画『ケイコ 目を澄ませて』
喪失と孤独、誰かの実存を見つめること

11 January 2023 | By Tatsuki Ichikawa

確かに2020年のことは最近よく思い出す。具体的に言うのであればあの年の孤独を。それは、予測不能なパンデミックに対し、人々が翻弄され、抑圧された、そんな時期の始まりである。

回顧するにはあまりに近すぎる過去かもしれないが、一方で遠い昔のようにも思える。なぜなら、感染者が激減し、人類がコロナウィルスの危機から脱したわけでは決してないものの、少しずつかつての生活が戻ってきた実感を感じる、2022年がそんな年だったからだろうか。但し、あの時失われたもので、取り戻すことが難しいものがあるのも揺るがない事実だ。それは誰かにとっての大切な人かもしれないし、あるいは誰かにとって実存を確認できるような、居場所だったかもしれない。

そんな変化を感じるこの年に、この生活が始まったあの年を思い出しているのは何も自分だけではない。それこそ『ケイコ 目を澄ませて』のような日本映画から、『ナイブズ・アウト: グラスオニオン』(2022年)のような巨大資本で作られた海外の大作まで、この時期に2年前の近過去を舞台とするような作品が連続で公開されたのは偶然ではないはずだ。誰かの生命や居場所、実存が失われ始めたあの年を。

『ケイコ 目を澄ませて』は時間の映画である。場所の映画である。そして失われていくものについての映画である。2020年の12月から2021年の3月までを映す、物語の時期設定は具体的である。その中で、戦時中をも生き抜いた、東京の片隅の小さなボクシングジムが無くなろうとしている。そう、長く続いた一本の線が断たれようとしている。とりわけ『ケイコ 目を澄ませて』が、人々の実存について、静かに力強く向き合った作品であると、そう言うことができるのは、寧ろ、その時間や場所、何かが失われていくことについて、繊細に見つめているからであるだろう。

時間の映画であることと場所の映画であることは、つまりは三宅唱の映画であるということを意味している。モノクロ映像の中で、同じ場所を、同じ時間を繰り返す『Playback』(2012年)、OMSBやBIMが一つの部屋で行う音楽制作を捉えた『THE COCKPIT』(2015年)、終わりが見える夜と夏の時間を刻んだ『きみの鳥はうたえる』(2019年)。もっと言ってしまえば、NETFLIXで制作をした、一見三宅唱らしからぬ『呪怨:呪いの家』(2020年)という作品が、そもそも時間と場所に取り憑かれたホラーであることを思い出してみてもいい。時間と場所。数々の音楽や映画作品が、ここ2年間で意識が強まったであろうこのモチーフは、三宅唱の元来の作家性でもある。

映画はその時間を忠実に映す。目の前の時間を。そしてそのショットを並べる編集は、静的に、しかしテンポを損なわずにリズムを刻む。一方向に流れる時間に忠実な本作において、違和感をもたらすのは、三浦友和演じる会長が記者からインタヴューを受けるシーンでのジャンプカットだろう。ドキュメンタリーのような感触をもたらすこのシーンで、編集によって唯一時間が飛ばされる時、時間の断絶を我々は目撃する。

断絶と繋がりについて話そう。『ケイコ 目を澄ませて』は日常に潜むコミュニケーションの暴力性、断絶を、聾者であるケイコの視点で炙り出しつつ、一方で人々の繋がりも繊細に描写する。

例えば、練習する彼女のステップを真似するボクサーたちのショット。動きの伝播による繋がり。あるいは、会長からケイコに受け継がれる印象的な赤い帽子。孤独や喪失に向かいながら、全てが断絶されていくような予感の中で、視覚的な繋がりのイメージを16ミリフィルムに刻む。

または、前述したジャンプカットと対照的な、但し同じく一方通行の時間から逸脱するようなシーンの話をしようか。そのシーンは、劇中で唯一挿入歌が鳴らされる、ケイコの日記が読み上げられるモンタージュである。そこでは、断片的な時間と時間が、音読者の声と歌によって繋ぎ合わせられる。たしかにそこにその人が居た、そんな感覚を繋ぎ止めるように。

失われようとしているボクシングジムの日常は、ある種の終わりに向かって進んでいるかもしれない。我々の生活に続いていた線は、2年前で断たれてしまったのだろうか。あの時我々が共有した実存の喪失と孤独。その普遍性と、それを思い出すこと。その中でたしかにあった繋がり、孤高に佇む人の強さと弱さを、映画は見つめ、我々に断たれていない線の存在を思い出させようとする。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa


『ケイコ 目を澄ませて』

全国公開中

監督:三宅唱
キャスト:岸井ゆきの、三浦友和、三浦誠己、松浦慎一郎 他
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
公式サイト


関連記事

【FEATURE】
三宅唱 x Hi’Spec x OMSBが語る、共に過ごす日々が紡ぐ、尊敬と信頼のクリエイティブ~映画『きみの鳥はうたえる』Blu-ray&DVD発売記念インタヴュー
http://turntokyo.com/features/interviews-miyakesho-hispec-omsb/

1 2 3 73