【未来は懐かしい】
Vol.53
アンビエントとドリーム・ポップが滲み合う、豊かな音の実験空間
アンビエントが一種のブームというべき状況に至ったこの10年ほどで、エレクトロニック・ミュージックやポスト・クラシカル等のフィールドに限らず、アンビエント的なサウンド・フォルム/様式がポップ・ミュージック全般に広く浸透してきたことを、《TURN》読者の皆さんであればよくご存知だろう。
そうした各種のサウンドは、例えばアンビエントR&Bだったり、アンビエント・ジャズ、アンビエント・フォーク、アンビエント・ポップだったりと、多種多様に呼称されているわけだが、そのように「アンビエント」という語がひとつの形容詞として汎用性を高めていくに伴って、過去に存在したさまざまな音楽が、同様の視点から再受容される例が増えてきている。アンビエントと他ジャンルの境界線上に位置するような作品が、そのようなプロセスを経ることによって、新たな視点から「再発見」されつつあるのだ。
《4AD》レーベルの代表的アーティストであるコクトー・ツインズのメンバー=ロビン・ガスリー、エリザベス・フレイザー、サイモン・レイモンドと、ブライアン・イーノらとのコラボレーションでも知られる音楽家ハロルド・バッドの共演作である本アルバム『The Moon and the Melodies』(1986年)もまた、今再び注目度の高まっている一作だ。この「再評価」の背景には、当然上に述べたような潮流の存在もあったろうが、もっと直接的な要因としては、本作収録の曲「Sea, Swallow Me」が、コクトー・ツインズの全カタログの中で昨今もっともストリーミング再生された曲であり、更にはTikTok動画で盛んに使用された曲でもある、という事情が深く関係している。複雑な情感と哀愁に満ちたムードを動画上で演出するために、同曲がにわかに人気を集めることとなったのだ。このエピソードからは、ショート動画文化にお馴染みのミーム的なBGM消費の予測しがたさをいつもながら見出すことができるが、それ以上に、決して華美とはいえないコクトー・ツインズ+ハロルド・バッドのサウンドの魅力が、意外にも広範な(しかも若い)ユーザーたちへとしっかりとリーチし得るという、興味深い教訓も得ることができる。
そもそも、ハロルド・バッドとコクトー・ツインズ(のメンバーたち)という、当時の感覚からすればかなり意外な感を抱かせる二組のコラボレーションは、いかにして実現したのであろうか。ジャンル越境的な企画を特異とする《4AD》の首領アイヴォ・ワッツ=ラッセルらのアイデアによるものだろう、と考えてしまいそうになるが、実のところは、独立系テレビ局の「チャンネル4」によって提案された、二組の共作を映像化する企画に端を発しているのだという。結局その企画は流れてしまったというが、意気投合した両者はスタジオ作業を続行し、その成果が一枚のアルバムとしてリリースされるに至ったのだ。
一聴してすぐに感じられるのは、普段のコクトー・ツインズ関連作品に比べると、フリーフォームの度合いがかなり高いということだ。ライターの黒田隆憲による日本盤ライナーノーツに引かれたガスリーの発言によると、これにはどうやら、元々アルバム発売を想定して進められた共作ではないという事情が反映されているらしい。バッドのピアノとガスリーのギターを主軸にさまざまな電子音やエフェクトが去来する様子は、確かに相当程度「即興的」に聴こえるし、4曲で聴けるフレイザーのヴォーカルも、アンサンブルの重要な中心点を担いつつも、あくまでサウンド上のマテリアルとしての扱われ方をしている瞬間も少なくない。このようなアブストラクトな音像の中で、つれづれに絵筆を動かしていくようなバッドのピアノ演奏が、より一層幽玄な響きを滲ませていくのだ。
その一方で、後にシューゲイザーというジャンルの始祖の一組と評されることになるコクトー・ツインズらしい、甘美なギター(ノイズ)の折り重なりにも強く耳を奪われる。例えば、ゴドレイ&クレーム開発によるアタッチメント「ギズモ」を使用していると思われる「Why Do You Love Me?」などは、その特徴的なロング・サステインが、確かにシューゲイザー的な音像を作り出している。かねてより私には、シューゲイザーの轟音とアンビエントの静謐は、本質的に同類の美学に貫かれているものである、という持論があるのだが、本質的に同類の美学に貫かれているものである、という持論を唱えているのだが、これなどはまさに、両者の先駆的な融合形=「(プレ)シューゲイズ・アンビエント」とでもいうべき格好の証左として聴くことができる。
更には、コクトー・ツインズ特有のゴシカルなムードと、バッドのピアノ演奏の持つパストラルな暗黒性の融合という面からも、大変に味わい深く聴ける。1980年代前半のある時期、なぜブライアン・イーノが、異様なまでに静的かつゴシカルな雰囲気を持った「ダーク・アンビエント」の始祖というべきサウンドに専念していたのか、という問いを考えるにあたっても、本作はなかなかに示唆に富んだアルバムではないだろうか。つまり、イーノとバッドの共演作に聴かれる、あのほのかなホラー風味を、ポスト・パンクを経由した耽美主義によってよりはっきりと可視化した作品こそが、この『The Moon and the Melodies』だったのかもしれない、などと妄想をふくらませることも可能だ。
様々な「アンビエント○○○」の実践がより一層多様な展開を見せる現在だからこそ、今一度この名作をじっくりと味わってみたい。非アンビエント・ファンにこそ強くオススメしたい、出色のアンビエント作品だ。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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