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『み空』以来となる日本語アルバムの再登場が現代に問うもの
金延幸子に訊く『Fork in the Road』

07 November 2023 | By Kentaro Takahashi

金延幸子が1998年にリリースしていた『Fork in the Road』というアルバムが、久保田麻琴による全面的なリプダクションを施されて、再発売されることになった。金延幸子は1972年に細野晴臣のプロデュースによるデビュー・アルバム『み空』を制作。だが、《URC》からそのリリースを待たずに。アメリカのロック評論家、ポール・ウィリアムズと結婚し、渡米していた。

渡米後の金延幸子の音楽活動はほとんど日本に伝えられることがなく、長い時が過ぎて、伝説的な名盤『み空』を残した金延幸子というシンガー・ソングライターは謎めいた存在となっていった。1992年に旧友の中川五郎がサンフランシスコのレコード店でSachiko & Culuture Shock名義の『Seize Fire』というアルバムのCDを発見。それが《ミディ・レコード》から発売されて、金延幸子が現役のアーティストであることが判った。だが、渡米後の彼女は英語で曲を書き、エレクトリックなバンド・サウンドとともに、それを歌っていた。ヴォーカルを含めて、アグレッシヴな感覚が強く、『み空』の頃とは距離のある音楽に思えたものだった。

1998年に日本のインディ・レーベル、《シールズ・レコード》からリリースされた『Fork in the Road』は、金延幸子が一時帰国して、レコーディングしたアルバムで、『み空』以来、26年ぶりに日本語で歌ったアルバムだった。その『Fork in the Road』がさらに25年を経て、リプロダクションされて再発売されるというのが、今回のリリースだ。久保田麻琴のリプロダクションは数多くのゲスト・プレイヤーを加え、曲を大きくリアレンジ、リミックスしたもので、再発売というよりは、完全な新作リリースに近いものと言ってもいいかもしれない。

ゲスト・ミュージシャンのクレジットには幾何学模様のギタリストだったDaoud’Akira’Popal、シタール奏者だったRyu Kurosawa、ドラムスの伊藤大地、パーカッションのAsa-Chang、ウェールズのキーボード奏者、カーウィン・エリス、アメリカのギタリスト、スティーヴ・ガンらの名前が。久保田麻琴も数多くの楽器やバッキング・ヴォーカルを加えている。

オリジナルの『Fork in the Road』は金延幸子が60年代の終わりに大阪のフォーク・シーンの一角で活動していた頃の盟友、松田幸一のプロデュースで制作されていた。これまた伝説的なグループ、愚(金延幸子、中川イサト、瀬尾一三、松田幸一)のリユニオンとなった録音もある。また、タイトル曲の「Fork in the Road」は1981年にアメリカでSachiko名義のシングルがリリースされていた。このオリジナル・ヴァージョンは英語で、シングルの制作をバックアップしたのは、SF作家のフィリップ・K・ディックだった。渡米後の金延幸子に音楽を続けるように強く勧めたのが、フィリップ・K・ディックだったのだという。

フィリップ・K・ディックの熱烈なファンだった僕などは、『VALIS』に始まる晩年の三部作を執筆中のディックと親交があったと聞くだけで飛び上がってしまうが、ともかく、いろんな時代のいろんなエピソードがこの一枚のアルバムに絡みあっている。いつの時代の音楽とも知れない不思議なサイケデリック感覚を放つ作品になってるのも、それゆえだろう。

アルバム完成後のある日、久保田麻琴のはからいで、金延幸子に直接、ネット越しのインタヴューで話を聞く機会が得られた。これまた様々な時代を行き来する内容だが、リスナーのアルバム理解の参考になれば幸いである。
(インタヴュー・文/高橋健太郎)

Interview with Sachiko Kanenobu

──『Fork in the Road』は1998年に日本でレコーディングしたアルバムですが、タイトル曲は1981年に米国でフィリップ・K・ディックの助力を得て、英語ヴァージョンのシングルをリリースしていますよね。今日はまず、そのフィリップ・K・ディックとのお話から聞きたいんですが?

金延幸子(以下、K):私は『み空』を日本に置いたまま、こっちへ来ちゃったんです。それで、ポール(・ウィリアムズ)と結婚して、子供ができたり、色々忙しかったので、全然ギターも弾いてない状態だったのね。それがある日、フィリップ・K・ディックさんに会って、彼はポールとコネクションがあったんです。それでポールが僕の妻は日本のシンガー・ソングライターで、1枚レコードを出してるんだって伝えたら、彼が一度、聴いてみたいと言って。ある日、訪ねてきたんですね。その日はポールがいなかったんだけれど、フィリップさんがお友達と一緒にやってきて、レコードを聴かせてくれというので、『み空』をかけたんですよ。そうしたら彼がすごく感激して、君は音楽を続けるべきだ、“You have to”って強く言われて。それからまた曲を書き出したんです。でも、英語で書かないとダメだって言われて、自分のブロークイン・イングリッシュで書き始めた。その最初に書いた2、3曲の中からシングルにしたのが「Folk in the Road」で、フィリップさんもすごく気に入ってくれて、彼がレコーディングの予算も全部持ってくれたんですよ。

──そのフィリップ・K・ディックとの出会いというのは何年頃の話ですか?

K:え〜と、1976年になりますね。そのへんから曲をいっぱい書き始めて、フィリップさんも電話してきては、君は曲をちゃんと書いているか?って確かめるんですよね。

──ということは、『Fork in the Road』というアルバムには、1976年頃からフィリップ・K・ディックに励まされながら書いた曲が入っているんですね。

K:はい、そのへんから書いた曲と1990年代に書いた曲が混じってるんです。

──「Fork in the Road」のほかに、フィリップ・K・ディックに励まされながら書いた曲というのは、どのあたりですか? 「Dreamer」とか?

K:「Dreamer」はそうですね。その頃、私は『Big Wave』という映画を見て、すごく不思議な、面白い映画で、それに影響も受けています。「I Need You」もその頃の曲ですね。当時、フィリップ・K・ディックとはたくさん話をしました。彼はその頃からスマートフォンみたいなものが出てくるって分かってたんですよ。トランプカードみたいな大きさでポケットに入る。小さなテレビでもあるし、いろんなことができる。それが出てきて、人間の第二の脳のようになり、その結果、人はヒューマニティーを失うって、1976年頃には言っていました。その頃はまだ身近にコンピューターもなかったのに。あとは幽体離脱の話もしましたね。私も彼も経験したことがあって。何かすごく話が合っちゃって、その頃のことを書いたものがあるんですよ、フィリップ・K・ディックと話したことやその頃の出来事をストーリーにして、そんなにページ数はないんですが、いつかそれを出版できたらいいなと思っています。

──うわあ、それはぜひ出版をお願いしたいです。

K:レコードと一緒に出したいんですよ。フィリップさんに励まされて書いた曲が14曲になった時に、もうムズムズしちゃってね、これはパフォーマンスもしたいと思って、コンサートをしたんです。本当はフィリップ・K・ディックに観てもらいたかったんだけれど、彼はその時、『VALIS』という三部作に取り組んでいて、来れなかったんです。でも、聴きたいからテープを送ってくれということで、録音したテープを送ったら、それも気に入ってくれて、今度はサチコのアメリカでのファースト・アルバムを作りたいと。それでポールも一緒に話を始めたんだけれど、その何週間か後にフィリップ・K・ディックは死んでしまったんです。ポールに頼んで、フィリップに送ったコンサートのテープは持って帰って来てもらいました。そのテープをできたら、本と一緒に出したいなと。

──それはぜひ実現してください。それで1998年のアルバム『Fork in the Road』の日本でのレコーディングというのは、どういうきっかけで始まったんですか?

K:1990年代になって、サチコ&カルチャー・ショックというバンドを作って、ドイツにツアーしたりしていたんですね。

──はい、1992年にサチコ&カルチャー・ショックのアルバム『Seize Fire』が出ました。

K:はい、それから1995年に《ミディ・レコード》から話があって、アルバムを一枚作って、同じ頃に《シールズ・レコード》の秋山さんからもアルバムを作りませんか?という話があったんです。松田浩一さんがプロデューサーをやりたいと言っている。『み空』のようなアルバムを作りたいんだと。でも、私はもう全部、英語で曲を書いていたんですよ。そう言ったら、それを日本語に訳して歌いませんか、と。それでほとんどの曲は英語で書いてあったものを日本語に訳して、レコーディングしたんですよ。でも、「飛べたらほんこ」は日本語で書いた曲ですね。1972年くらいかな、NHKのドラマのために書いた曲です。それから「何を待つのか」も日本語で作りました。これは日本に帰った時、渋谷の駅から歩いていたら、いろんな人がカードボックス(段ボールで作った家)に住んでるんですよね。そんな状況を見たのは初めてだったので、そこからできた曲なんです。

──「Dreamer」には中川イサトさん、瀬尾一三さんも参加して、1969年に大阪で結成した「愚」のリユニオンにもなっていました。

K:はい、「Dreamer」ではイサトさんにもっと弾いて欲しかったんだけれど、彼は割とバックで飄々と弾いている感じで、私がアコースティック・ギターのソロを弾いたんですよね。「愚」の頃は私を含めて、みんなペンタングルが好きだったの。ああいった感じのバンドを作ろうって始めたんです。イサトさんはバート・ヤンシュとジョン・レンボーンがすごく好きで、瀬尾さんもそう。松田幸一さんはあの頃はまだベースを弾いていて、すごく格好良いベースで、あのまま続けてたら良いバンドになったと思うんですよね。

──そんな60年代、70年代からの経緯があって、1998年に『Fork in the Road』というアルバムが作られ、それをこの2023年にリプロダクションしたのは、どういう経緯からだったんですか?

K:えっと、まこっちゃん(久保田麻琴)のことからお話しますけれど、まこっちゃんとは腐れ縁というか、愚の頃からの長い友達で、音楽的なことになると、いつもまこっちゃんとお話してたんですよね。彼はいろんなことを知っているし、マジシャンみたいな。

──はいはい、分かります、僕も長い付き合いなので。

K:それで『Fork in the Road』を私が送ったのかな。そうしたら、まこっちゃんがこれいいよね、誰が権利持ってる? と言って、《シールズ・レコード》の秋山さんだと教えたら、まこっちゃんが秋山さんとコンタクト取って、彼が買い取ったんですよね。

──ああ、そうだったんですね。

K:それで彼はプロデュースして、作り直したい、絶対いいものになるからって保証しちゃって、ちょうど、その頃、私は幾何学模様にすごく惹かれていたんですよ。

──アルバムには幾何学模様のギタリストだったDaoud ‘Akira’Popal、シタール奏者だったRyu Kurosawaの二人が参加していますね。

K:そう、最初は幾何学模様がこっちでツアーしている時に、一緒にやりませんかという誘いがあったんですよ。野外のコンサートの前座を。でも、それは私の住んでいるところからはドライヴして行くには遠すぎて、お断りしたんです。それはもう何年も前のことで、その後に音聞かせてもらったら、面白いな、本当に日本人なのかしらっていう感じで。彼らの音楽はゆるいところと凄い激しいところ、その両方を持ってて、そういう音楽って好きなんですよね。でも、私は彼らには会ったことはないんです。まこっちゃんが裸のラリーズの音と画像のショウをした時に、幾何学模様のメンバーがそこに現れて.そこで繋がりができたみたいです。その頃に『Fork in the Road』の話が出て、まこっちゃんは凄い意気込みで、絶対面白いもの作ろうと言っていて、それで幾何学模様のダオさんとシタールの龍さんに入ってもらうってことになったんですよ。他の友達にも入ってもらおうということで、こっちのお友達、スティーヴ・ガンやイングランドのカーウィン・エリスにもキーボードで入ってもらったり。

──面白いですね。完成したアルバムを聴いていても、いろんなニュアンスを持つ音が重なりあっていて、いつの時代に作られたのか分からない感じがします。

K:私も聴いた時、これは新しいよね、と思ったり、でも、70年代録音みたいに聴こえる時もある。

──さらに遡った話になりますが、60年代のアメリカでフォーク・ブームが起こり、それに影響を受けて、歌い出した人たちが日本にもいて、関西でもフォーク・シーンができた。金延さんもその中にいらっしゃった訳ですが、当時はまだ女性が曲を書いて歌うということは少なかったと思います。金延さんはどうして、曲を書こうと思ったんですか?

K:え〜っと、私はね、上手に真似をして歌うというのができなかったんですよ。あと、小さい頃から。何でも人がやってること、着るものとかでも自分が好きでないとダメというのがあって、そういう強情な面があった。それでギターを弾き始めた時も、瀬尾さんからこのレコードを聴いて、これをコピーしたらとか言われて、レコード借りてもコピーなんてできなくて、もうええわって(笑)。そのへんからクリエイトしたんですね、一番弾きやすい自分のやり方を。当時、沖縄の音階にすごく入り込んでいてね、面白い音階だなって、それでできたのが「アリス」って曲だったんです。愚の前ね。秘密結社〇〇教団というのを西岡たかしさんやイサトさんとやっていて、シングルを作りました。その「アリス」のシングルは10番ぐらいまである長い歌になっているんだけれど、私はもともと短いものを歌ってたんですよ。そうしたら、それを聴いた西岡さんが一度、さっちん聴かせたいレコードがあるから来ないかって。それで西岡さんに会いに行ったら、彼がジョニ・ミッチェルを紹介してくれた。なんかちょっと、君と合わない?と言って。え〜?と思ったけれど、すごく綺麗な声をしていて、でも、よく聴いたら沖縄的な歌い回しもあるなと思って。あと、「星の伝説」という曲でトゥトゥトゥトゥトゥって歌ってたんだけれど、ジョニ・ミッチェルもトゥトゥトゥトゥトゥって歌ってて、でも、真似したんじゃなくて、それまでジョニ・ミッチェルを知らなかったから。日本のジョニ・ミッチェルと言われたりして、私はすごく困ったんですよ。私はフォーク・シンガーではなかったから。

──フォーク・シーンというのは、アメリカでもみんなで同じ民衆歌を歌うところから始まりました。50年代にコニー・コンヴァースという女性歌手がニューヨークにグリニッチ・ヴィレッジにいたんですが、彼女は自分の書いた曲しか歌わなかった。ゆえに当時のフォーク・シーンでは認められず、レコードも出せなかったんですが、現代になって残された録音が発見され、カルトな評価を受けるようになりました。ボブ・ディランがニューヨークにやってきて、フォーク・シンガーが自分のことを歌うのが当たり前になる前のことです。

K:へえ、それは凄いですね。私もそういうところありました。他人の歌が歌えない。というのは歌詞が覚えられないんですよ。それで自分で自作してやろうとしたんですけれど、反戦の歌でもないし、《URC》でも扱いにくかったみたいで、みんなレコード作ってるのに、私だけ後回しにされていた。それで、はっぴいえんどですよね。はっぴいえんどが現れて、《URC》が飛びついた。ブラックテントというところで一緒にやったんです、私がオープニングで。はっぴいえんどが出てきて、面白いロック・バンドだな、こういうの今まで聴いたことないなと思いました。日本語がまたクールで格好良かったんですよね。それで《URC》にはっぴいえんどが入ってきて、私は大滝詠一さんとお友達になったんだけど、1年くらいつきあったかな、彼にいろんな音楽聴かされて、バッファロー・スプリングフィールドとか、ザ・バンドとか、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとか、そのへんから私も影響があったんです。

──ジョニ・ミッチェルは?

K:西岡さんに借りたレコードはすぐにお返ししたんですけど、東京に来て、恵比寿で暮らしていた時に『Blue』を聴きました。『Blue』はよく聴いてましたね。あと、カリフォルニアに来てから一枚、買いました。ベースのかっこいいの。

──『Hejira』ですかね。

K:そう、でも日本から持ってきたレコードは一枚だけだったんですよ。はっぴいえんどだけ。

<了>



Text By Kentaro Takahashi


【Makoto Kubota presents 金延幸子 半世紀の “み空”】

2023年11月19日(日)、20日(月) 東京 代官山 晴れたら空に豆まいて

上記公演詳細
http://haremame.com/schedule/75756/



【金延幸子 ジャパン・ツアー】(詳細は各会場まで)

2023年11月18日(土) 埼玉 音楽喫茶 mojo
2023年11月28日(火) 京都 拾得
2023年12月04日(月) 沖縄 宮古島・平良 pali gallery
2023年12月05日(火) 沖縄 宜野湾 カフェユニゾン



金延幸子

『Folk in the Road』

LABEL : 日本コロムビア
RELEASE DATE : 2023.10.25
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Tower Records / HMV / Amazon/ Apple Music

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