ボサノヴァの美学と“ノルデスチ”の伝統を融合する異才
フィリップ・ヌネス・アラウージョが語る
自身の音楽と、ブルーノ・ベルリらとの絆
UKの《Far Out Recordings》は、ブラジル音楽を世界に普及し続ける最大の功労者といえるレーベルのひとつだ。その仕事はエルメート・パスコアールやマルコス・ヴァーリといったレジェンダリーな音楽家だけでなく、アマーロ・フレイタスやアントニオ・ネヴィスといった、若く才能あふれる新進気鋭のミュージシャンにまで及ぶ。そんな彼らが近年力を入れているのがブルーノ・ベルリを筆頭とする、ブラジル北東部=ノルデスチ出身ミュージシャンによる作品群だ。2022年にリリースされたブルーノ・ベルリの『No Reino Dos Afetos』を皮切りに、その続編となる『No Reino Dos Afetos 2』(2024年)がリリースされると、同年にはブルーノとその音楽的パートナーであるバタータ・ボーイ(batata boy)が《Festival de FRUE》で来日。今年の初めにはブルーノ&バタータがプロデュースした同郷アラゴアス州出身のナイロン・イーゴルによるアルバム『Nyron Higor』もリリースされ、静かな支持を集めている。今回紹介するフィリップ・ヌネス・アラウージョ(Phylipe Nunes Araújo)のデビュー・アルバム『Phylipe Nunes Araújo』も、そういった一連のノルデスチ・シリーズのひとつと言えるだろう。
ノルデスチとは、英語でいうノース+イーストのこと。バイーア、セルジッペ、アラゴアス、ペルナンブーコ、パライーバ、リオ・グランヂ・ド・ノルテ、セアラー、ピアウイ、マラニョンといった州からなるブラジル北東部地域を指す言葉だ。内陸にはセルタォンとよばれる過酷な乾燥地帯があり、豊かな南部と比較して貧しい地域も多い。そういった地域から都会に出ていった人々を勇気づけるかのように、全国的な人気を獲得した音楽がフォホーであり、その最大の象徴がルイス・ゴンザーガだ。また、この地域はとりわけアフロ系ブラジル人が多い。奴隷貿易における世界最大の“輸入国”であったブラジル最初の首都がバイーアの州都サルヴァドールにあったことがその要因だ。当然ながら音楽にもその影響は色濃く、バイーアのアフロ・ヘギ、アシェー、ペルナンブーコのマラカトゥやフレーヴォなど強烈なリズムを持つアフロ系音楽が多く存在している。
ただ、ブルーノ・ベルリの音楽をはじめて聴いた時、これまでのノルデスチ音楽のイメージと結びつかなかったというのが正直なところだ。インティメイトでありながら、ジャンルを越えたリスナーを惹き付けるブルーノたちの洗練された音楽と、郷愁を誘うフォホーや、かの地のカーニヴァルで繰り広げられる爆発的なエネルギーを持つ音楽が、あまりにかけ離れていたからかもしれない。
そういったギャップを埋めるべく、今回フィリップへのインタヴューでは、彼の音楽的背景から各曲のスタイルにいたるまで幅広い質問を送ってみた。サンバやボサノヴァとも異なるニュアンスを帯びた彼の音楽には、ノルデスチの音楽や文化がすみずみまで息づいていることが理解できるだろう。
(インタヴュー・文/江利川侑介[diskunion/Think! Records]写真/Virginia Guimarães 協力/Far Out Recordings)
Interview with Phylipe Nunes Araújo
──ペルナンブーコ州カルアルで生まれたと聞きました。あなたが育った環境について教えていただけますか?
Phylipe Nunes Araújo(以下、P):カルアルで生まれましたが、育ったのはサンタ・クルス・ド・カピバリビ(Santa Cruz do Capibaribe)です。この二つの街は大きく異なりますが、青空市場、繊維産業、そしてストリートでのお祭りといった共通点も多くあります。
子どもの頃、母はカルアルで行われるフェスタ・ジュニーナのための民族衣装を作る仕事をしていて、私はその仕事に何度か同行していました。一度、私は母に付き添ってクアドリーニャ・ジュニーナ(Quadrilhas Juninas。カップルたちが集まりシンクロするように踊るフォホー・ダンス)の大会に行ったのですが、“フォホーの首都”と呼ばれるその街には、独自の音楽、振り付け、衣装をもつ多くのグループが集まっていました。地元の人々がこのような地域の祭りをどれほど大切にしているか、その時に実感しましたね。
サンタ・クルスでは庶民的な地区で質素な生活を送りながら、タクアリチンガ・ド・ノルチ(Taquaritinga do Norte)地区にあるアルゴダン(Algodão)のような近郊の村にもよく行っていました。ちなみに「Bixin」という曲のミュージック・ヴィデオはそのアルゴダンで撮影されています。ペルナンブーコ州のアグレスチ地方では、町に住みながらも、わずか30分ほどで田舎の村に行けるという特別な体験ができるのです。
──子供の頃から、ギターを弾き、歌い、作曲をしていたのでしょうか?
P:9歳でギターを弾き始めました。最初の曲を作ったのは13歳か14歳の頃です。「Valise」は15歳の頃の作品で、最近ブルーノ・ベルリとの共演でリリースしたばかりです。自分で曲を作れるのだと気づいたとき、音楽家になろうと決めたのだと思います。
──ブラジル北東部にはフォホーやコルデルだけでなく、カンタドール、ヴィオレイロ、へペンチスタなど豊かな文化、そしてフェスタ・ジュニーナなど世界最大規模のサン・ジョアン祭があります。そういった環境でご自身の音楽を磨き上げたと資料で読みましたが、今のあなたのスタイルにもっとも影響を与えているのはどの部分ですか?
P:北東部の音楽が持つリズムと歌詞の世界から影響を受けています。名人たちの手の中で混ざり合う多彩なリズムから、田舎での暮らしをよく知る人の観察眼から生まれた歌詞の細やかな表現に至るまで、そのすべてが私に影響を与えています。
──資料によると、あなたの音楽はペルナンブーコ州における“アグレスチの音楽”であると書かれています。その他の地域との違いを教えてもらえますか?
P:アグレスチは、ゾナ・ダ・マタ(森林地帯)とセルタォン(乾燥地帯)の間にある中間地域で、気候や植生の面でその両方の特徴を持っています。音楽的に見ると、ゾナ・ダ・マタはペルナンブーコの中でも打楽器的かつ儀式的な側面が強く、マラカトゥのグループがその代表例です。一方、セルタォンでは、音楽の基盤が「アボイオ(牛追いの歌)」や「ヘペンチ(即興詩の歌)」に深く根ざしています。アグレスチはそのすべてを少しずつ取り込み、農村と都市の要素を融合させています。ルイス・ゴンザーガの発明によって、ペルナンブーコの大衆文化がポップ・カルチャーへと発展したのもここアグレスチです。
ペルナンブーコの州都レシーフェのカーニバル開会式で行われる大規模なマラカトゥ(指揮をしているのは故ナナ・ヴァスコンセロス) ヘペンチの録音──大変興味深いです。アグレスチを代表するミュージシャンを教えてもらうことはできますか?
P:もちろんです! ぜひ聴いてほしいのは、バンダ・ヂ・ピファノス・ヂ・カルアル(Banda de Pífanos de Caruaru)、アズラォン(Azulão)、ジュニオ・バヘット(Junio Barreto)、ドミンギーニョス(Dominguinhos)、マリネース(Marinês)、アメリーニャ(Amelinha)、パウロ・ヂニス(Paulo Diniz)、そして“メストリ”カマラォン(Mestre Camarão)などですね。
Banda de Pífanos de Caruaru – Pipoca Moderna カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルもカヴァーしている Camarão – Sereia Do Mar ドイツのレーベル〈Analog Africa〉よりコンピレーションがリリースされている(“Mestre”とはマスターのこと)──その後、州都のレシーフェではなくマセイオに拠点を移しますが、それはなぜでしょう?
P:2016年にマセイオへ引っ越したのは、アラゴアス連邦大学で哲学を学ぶためです。その頃にはすでにマセイオでブルーノや他の友人たちと知り合っていて、なぜかレシーフェでは得られなかったような機会を、そこで得ることができました。音楽を作ることができるという可能性──それが、私がマセイオに移る決め手になったのです。
──お話に出たブルーノ・ベルリとの出会いについても教えてください。マセイオではどういった活動をしていたのでしょうか?
P:私がブルーノと出会ったのは、ペルナンブーコ州アグレスチ地方の町ガラニュンス(Garanhuns)でした。そこでは30年以上にわたり毎年インヴェルノ・ヂ・ガラニュンス(Festival de Inverno de Garanhuns)という音楽フェスが開催されているのですが、2014年にその観客席で知り合ったのです。しばらくして、インターネットを通じて再び連絡を取り合うようになり、すぐにサンタ・クルスとマセイオで一緒にライヴをすることになりました。そこから私たちの音楽的なパートナーシップが始まりました。
私がマセイオに住んでいて、ブルーノをはじめとするグループのメンバー達と交流していた頃は、レコーディング機材を持参してお互いの家を行き来してました。当時はまだ十分な機材がなかったからです。それ以来、私たちは一緒に作曲、レコーディング、そして演奏をしてきました。
──ではこのたびリリースされたアルバム『Phylipe Nunes Araújo』について聞かせてください。制作のプロセスはどういったものだったのでしょうか?
P:この質問に答えるのは、実はちょっとおかしな気分なんです。というのも、このアルバムは、ブルーノとバタータが私の作品をキュレーションしてくれたものだからです。収録曲は2014年から2023年の間に作られたもので、ブルーノはアルバムの中で最も古い曲である「Valise」がある頃から私のことを知っています。そんな二人とともに収録曲の選定を行いました。なので、この作品は私にとって初めてのアルバムではありますが、この10年ほどにおける私の音楽の軌跡をまとめたようなものです。
──なるほど。だからローファイなものがあったりと曲によって質感が異なるのですね。
P:これらのミキシングはすべてバタータが担当しています。スタジオでは、ヴィトール・アンジョス(Vitor Anjos)との共同プロデュースのもと、多くの素材を録音し、部屋自体の音も収めました。その後ミックスによって、より没入感のあるサウンドにするなど、アルバムのサウンドを大幅に向上させる、より細やかな作業が加えられました。ほとんどの素材は別々に録音されていますが、それでもアルバムには、まるでミュージシャンたちが一緒に演奏しているかのような雰囲気が漂っています。
実は、このアルバムに収められた「Muito dengo」「Ainda é verão」という2曲は、まさにローファイなスタイルで録音されています。「Muito dengo」は2023年に私が住んでいた家のリビングルームでiPhone 6sを使って録音されました。バックグラウンドではバイクの音も聞こえます。「Ainda é verão」は古いノートパソコンに付属のマイクを使って録音しました。
──「ナイロン弦ギターを弾くブラジルのミュージシャンといえば、ボサノヴァを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし私のベースとなっているものは別です。北東部なのです」というあなたの言葉がとても印象的でした。たしかに、あなたの曲の多くはサンバやボサノヴァとは異なるリズムを持っているように感じます。どの曲がどのようなスタイルに基づいているのか教えていただけますか?
P:もちろん! 例えば「Bixin」や「Santa Cruz」といった曲には、バイアォンやマラカトゥの要素が強く表れています。曲の一部のリズム・パターンには、この二つのリズムが交差する箇所もあります。一方で「Valise」や特に「Ainda é verão」は、歌いまわしや即興で詩を朗読する“カントリーアス”の影響がより直接的に出ています。「Subindo a ladeira」にもその要素は多く見られますが、同時にブリンケードス(brinquedos)と呼ばれるポピュラーなお祭りの文化を直接的に参照した部分もあります。全体的にこのアルバムの音楽の大部分はバイアォンから来ており、曲のテーマもその影響を受けています。時にはロマンチックな愛といったテーマから逸脱して、友情やお祭り、その他の人生にある素敵なことについて歌ったりもしてますね。
ただ忘れてはならないのは、ボサノヴァの中心人物とされるジョアン・ジルベルト自身も北東部出身であり、その音楽的基盤にはバイアォンが流れていたことです。この影響は、彼が自身で書いた数少ない楽曲のひとつ「Undiú」などで明確に聴き取ることができます。
──一方で「この10曲ではノルデスチのソングブックを基盤に、ナイロン弦ギターでポップ・ミュージックを作る実験をしている」ともあなたはおっしゃっています。どのような点を意識し、どのような工夫をしたのか教えていただけますか?
P:それほど明確な野望を抱いていたわけではありません。つまり、若い頃に出会ったポップ・ミュージックの中に、意図的にそうした音楽的基盤を取り入えようと考えたわけではなく、自然にそうなったのです。これは、ある種類の音楽を聴きながら育ち、のちにまったく異なる音楽に触れた経験が積み重なった結果です。
ただし、ナイロン弦ギターの選択や、それを中心とした編成は、たしかに美的な選択でした。私の音楽は厳密にはボサノヴァではないと考えていますが、編成にはそのジャンルの発想が取り入れられています。言い換えれば、ナイロン弦ギターは今も世界のブラジルのポップ・ミュージックのアーティスト像に結びつく象徴であり、私の作品でもひとつの表現手段として用いているのです。
──ご自身でアルバムを聴き直して、完成した作品をどのように感じていますか?
P:個人的には、このアルバムはまさに人生の集大成です。私のアーティストとしての道のりにおける、最初の大きな成果でもあります。今日、完成した作品が世に出ていくのを見ていると、むしろここからが本当のスタートだという感覚です。友人たちが共感し、家族や自分たちの地域の人々も認めてくれるような作品を作ることができました。これは、まさに夢の実現と言えるでしょう。
──最後に、今後のプロジェクトについて教えてください。
P:近いうちに、いくつか新しい曲を録音したいと思っていて、どこか素敵な場所で録音して、新しい作品の構想を練り始めるつもりです。
ですが現時点では、2026年に向けたツアーの準備に集中しています。このアルバムをブラジル国外のステージで届けることができればと思っております!また、ブラジル国内でのブルーノ・ベルリのライヴにも同行しています。大切な友人のバンドの一員になれることは、とても特別な経験です。近いうちにぜひ日本にも行き、私たちの音楽を届けられることを願っています。
<了>
Text By Yusuke Erikawa
Photo By Virginia Guimarães
Phylipe Nunes Araújo
『Phylipe Nunes Araújo』
LABEL : Far Out Recordings / Think! Records
RELEASE DATE : 2025.10.24 / 2025.11.07(国内盤)
ご購入は以下から
https://diskunion.net/latin/ct/news/article/1/133529
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