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シンセサイザーの面白いところは、値をいじることでフレーズが変化すること
パソコン音楽クラブ インタヴュー

22 October 2024 | By Haruka Sato

パソコン音楽クラブの5作目となるアルバム『Love Flutter』。ダンス・ミュージックに軸足を置き、ノイズや音の揺らぎにも満ちた作品だ。聴こえるのは、大人になってそのかたちは変わったかもしれないけど、なくなることはなく、むしろ通り過ぎることができないような、生活にある心の機微、ときめきについて。

アナログ・シンセサイザーを導入し、身体の動きがそのまま伝達される手演奏も多く取り入れたというこの作品で、パソコン音楽クラブの二人が考えていたのはどんなことだったのか、今作で取り組んだサウンドや活動のあり方についても話を訊いた。

(インタヴュー・文/佐藤遥 写真/Syuya Aoki 協力/岡村詩野)

Interview with Pasocom Music Club (Shibata Aoi and Nishiyama Masato)

──早速ですが、今作のテーマのひとつである「フラッター」には、ときめきやざわめきといった意味があります。特に日常でのときめきやざわめきは、これまでの作品でも表現されてきたことだと思います。今作で改めてそういった心の動きにフォーカスすることになったのは、どんな経緯だったのでしょうか。

西山(以下、N):具体的なエピソードが先にあったわけではなくて、サウンドデザインとしていろいろ作ってある程度デモがまとまってきた段階で、自分たちがときめくというか、なんかいいなって思う音を入れてみようと、毎度そうですけど今回も改めてそうしようって二人で話し合いました。ちょっとメタ的な話になりますけど、アルバムのコンセプトを決めるときって、日常の経験とかリアルなエピソードがあって、そのときの気持ちから音楽を作るときもあるんですけど、逆に、音楽がまとまってきて、そのムードからコンセプトを固めていくことも多くて。

今回のアルバムは後者のやり方で、まずサウンドの部分でときめく音から入って、生活とか世界観として膨らませていくとどういう感じだろうかと二人で考えて、全体のコンセプトに落ち着いたと思ってます。

──個人的にモジュラーシンセの音はきらめきや動きを持っていて、ときめく音だと思ったのですが、どういった流れで使うことになったのでしょうか?

柴田(以下、S):モジュラーシンセって、(機材を手にとって見せてくれる)こういういくつかのモジュール単位でシンセサイザーの機能を組み合わせて、ひとつのシンセサイザーを作るシンセなんです。僕、普段メルカリとかヤフオクとかをめちゃくちゃ見てて。『FINE LINE』を作ってた頃に、メルカリでたまたま、グラニュラーっていう音の質感をグニャグニャさせるエフェクター兼シンセがモジュラーで中古で売られてるのを見て買ったんですけど、モジュラーって入れるためのケースが必要なんですね。そのケースが3万、4万とか高くてしばらく放置してたんです。そのときに関西にいらっしゃるトラックメイカーの909stateさんに、モジュールを買ったんですけど全然使えてないんですよねって話をしたら、ケースを貸してくださって使えるようになって。買えやって話なんですけど(笑)。そこからモジュラーシンセに興味が出てきて、いくつか買ってみたのがいちばん最初のきっかけです。

僕たちはこれまでモジュラーシンセみたいなものを一切使ってこなくて、昔のSC-88とかのPCM音源って呼ばれる音源モジュールの、ペナペナしたMIDIのサウンドを追求してたんです。でもそれも10年くらいやっていると、ほかのこともやってみたい気持ちが出てきて、かちかちしたMIDIの打ち込みも好きな一方で、有機的なシンセサイザーっていうんですかね、音に動きやピッチの揺らぎがあるシンセサイザーの音色にも興味が出てきて。

そういうときに、どういう機材が相性が良くて目的の音が出るか考えたら、モジュラーシンセサイザーかなと。自分が買ったのはTiptop AudioのBuchlaっていう奇怪な音が出るモジュラーシンセなんですけど。つまみを捻って音程を指定したり、外部からシーケンスのトリガーを送って音程がバーっと変化したり、音色が保存できなかったり、まともな音を作って器楽的な演奏する発想がなくて、とにかくもうヘンテコな音しか出ないんです。それがすごく面白くて、揺らいでるような有機的なサウンドを作るのにしっくりきて今作で多用しました。

──いろんな音が重なっているのにスマートにダンス・ミュージックとしてまとまっていて、そのなかでサウンドに揺らぎがあり、部屋で聴いていて心地よくて、オーヴァーモノやボーズ・オブ・カナダなどを思い出しました。

S:的確です。

──それでは回転のムラによる音の歪みとしてのフラッターも、機材を触っている過程でテーマのひとつになっていったのでしょうか?

N:そうですね。ワウフラッターというプラグインがあって、意識せずに作っているときに、そのプラグインをめちゃくちゃ使ってることに気がついて。それで、フラッターってどういう意味だったっけ?って改めて調べたりして、これだなとピンと来たのが始まりですね。正確に言うとフラッターって佐藤さんが言う通りの意味だと思うんですけど、そこからちょっと広げてピッチの揺れやアナログ的な音の揺れも全部含めて、サウンドデザインとして強調して作ることになりました。だけど、きっかけはそのプラグインでしたね。

──細かく揺れている音がフラッターのエフェクトがかかってる音ですか?

N:フラッターのエフェクトはかなりかかっているんですけど、一聴してエフェクティヴに聞こえるような音ではなくて。例えば普通のピアノの音がピーンって鳴っているのがちょっと揺れて聞こえるみたいな、コーラスとかよりもさらに自然なかかり方をするように調節しているので、深くかかってるポイントはほぼ存在しないと思います。だからめっちゃ揺れているのは、フラッターエフェクトをかけているというよりは純粋にピッチを揺らしてますね。

──そうなんですね! 前々作の『See-Voice』だと心の揺れ動きの表現にリヴァーブが重要だったと思うのですが、今作ではフラッターにそういったものを託していると思います。その変化が面白いなと思いましたし、心の揺れ動き方の変化でもあるのかなと思ったのですが、いかがですか?

N:すごく面白いですね。心の揺れ動き的なところはもうちょっと考えないと出てこないんですけど、『See-Voice』の時にリヴァーブでそういうものを表現していたのはおっしゃる通りで。『See-Voice』の段階ってまだPCMシンセ、デジタルのハードシンセをかなり使っていた時期で、今回のアルバムでモジュラーシンセを導入したりアナログ化してアプローチを変えてみようと思ったのには問題意識もあって、それがデジタルシンセのピッチがきれいすぎるっていうことなんですよ。

デジタルシンセってチューニングが確実なんですよね。揺れが全くない。中に揺れ動くようなサンプルがあって、それを再現することで擬似的に揺れを作ったりはしているけど、いわゆる生楽器的な毎回演奏する度に音がちょっと違う、波形が変わるっていうことは基本的には起こらないんです。なのでその機械っぽさや無機質な感じを抑制するために、『See-Voice』ではリヴァーブをめっちゃかけるやり方を取ってたと思うんですよね。この考え方は大昔の機材も全部そうで、プリセットでそもそも入ってる音もリヴァーブが深いですし。それで誤魔化すみたいな感じを逆手に取って、独特なテクスチャーが作れたらなっていうのが『See-Voice』のときの考え方だったと思うんです。

今作はそもそも機械的に同じものを再現する音源ではなくて、毎回出てくる音がちょっとずつ違うようなものをシンセサイザーでも使いたくて。アナログシンセやモジュラーといった機材を使うことで、機械的ではない人間的な感じというか、有機的な動きを達成したいと思っていました。なので前回よりはリヴァーブをあまり使わなくなりましたね。

S:あとテーマとも関連はしていて。基本的に僕たちのアルバムは自分探しがテーマなところがあるんですけど、『See-Voice』の最後は、狭い幽閉された中で頑張ってできるだけ遠くに行ってみて、自分を探して元に戻ってくるみたいな部分があって。疑似的に遠くて広い空間を作る必要があったり、当時コロナで逃避願望みたいなものもあって、そういうときにリヴァーブは欠かせないエフェクターだったんです。

対して今回のアルバムはダンス・ミュージックが大きなテーマで。ダンス・ミュージックは踊るという行為が発生するから、「踊る」の解釈もいろいろありますけど、ベタな地に足ついた感覚は大事にしたいなと思っていて。もちろんジャンルにもよりますし、達成しているアーティストもいるんですけど、リヴァーブをかけるとちょっと浮いたような音になるのもあって、かけすぎて遠くに行っちゃいすぎ感はあんまり出したくなかったのは明確にありました。それでリヴァーブのエフェクター自体は使っているんですけど全面に出してはないです。

かつ、リヴァーブをめっちゃかけるとPAシステムで鳴らした時に、音が飽和して何が鳴っているのかわかんなくなっちゃうんです。『See-Voice』は家のスピーカーとかイヤホンで聞くことを想定して作ったんですけど、今回はダンスミュージックっていうことで、大きな会場とかPAで鳴ることにも対応できる音楽を作りたかったので、リヴァーブを薄めにする意識は当初からあったかもしれません。

──たしかに地に足ついているサウンドだと感じていたので、『See-Voice』との機材やテーマの違いとも関連していて興味深いです。でも一方で、部屋で聴くことにも適していますし、各トラックの終わりには余韻が残っているような気がします。

S:これは西山さんとも話してたんです。年数重ねていると聴いている音楽が結構変わってくるんですけど、アルバムを作るとなったときに、当時二人が聴いていた音楽のベン図で重なる部分がオーヴァーモノであったり、フローティング・ポインツ、Fred again..だったり、ボーズ・オブ・カナダとかで。そういうエレクトロニック・ミュージックなんだけど、ちょっと宅録のヴァイブスがある人たちの、リヴァーブというか空間のテクスチャーがふわっと乗ってるのにビートもちゃんと鳴っているみたいな、その感じが僕たち的にビシッとはまるものがあって、こういうのやりたいよねって話になったのは覚えています。

N:余韻に関しては、リヴァーブじゃなくてノイズで余韻を作っているところがあるのかなと思って。すごいノイズ入れてるんですよ、サーーみたいな。例えば最後の「Empty」も砂浜みたいな音をノイズで作ってみようと思って、最後音が切れたあとノイズだけ残っている感じにしました。残響感っていろいろあると思うんですけど、リヴァーブで前の音を残すんじゃなくて、ずっと鳴っているノイズを小さい音量で出すことで、ちょっと読後感があるふうに聞こえているんじゃないかなって思います。

──楽曲の終わり方に関して、ヴォーカルのある曲は、ヴォーカルが終わってからじっくり長めにビートが鳴っている感じもしました。

N:僕、基本的にJ-POPの構造がはっきりしているような音楽をあんまり聴かないんですよ。だからたまに記事で、イントロが短くなってる話とかを見て、たしかに言われてみれば、みたいな感じで。歌が終わって、まだビートが結構しっかりあるのって似ている話だと思ったんです。ポップス的なもの、特にJ-POPって歌を聴かせるために存在しているから、オケとか歌がないところって長くても誰も聴かないよねっていう考え方があるのかなとちょっと思っていて。それって僕がやりたい音楽とは違うというか。今回のアルバムとか特にそうですけど、ダンス・ミュージック以前にシンセサイザーで電子音楽をやっている立場からすると、歌のためにオケを作るのではなくて、歌も一つの構成要素としてあるのであって、シンセサイザーとかドラム、ビート、ベースとかと歌がイーブンになるように作れたらという考えは当初からありました。

なので歌が入っているところ以外がすぐ終わっちゃうのは、自分の中で自然じゃなかったというか。逆に歌の比重をどれだけ下げられるか考えたぐらいで。もちろんポップさを担保しないといけないと思ったので、しっかり歌ものとして聞ける曲は入れてるんですけど、例えば「Drama」は、歌を削ぎ落とした中でどこまで歌を印象的に聞かせられるか考えたいなと思った記憶があります。なので歌とオケの比率にこだわりがあって、こういう形になったんだと思います。

──たとえば「Fabric」のベースラインであったり、ビートのみの楽曲も含めて全体的にゆっくり着実に展開していく印象がありました。そういったじっくりとした展開は、そのほうが自然に感じるからなのでしょうか?

S:じっくりした展開に関しては結構意識的にやっていて。歌とシンセサイザーのどっこいどっこいな感じと近いかもしれないんですけど、ベースはベースとして捉えがちですけど、僕は主旋律としても成立すると思っていて。トラックの機能としてのベースの気持ちよさと、リスニングとしてのベースの細かな動きは両立すると思っているので、ちょっとした動きに着目して聴いてもらいたいと思ってああいうベースを入れたのは覚えてます。あと、矛盾した発言なんですけど、ビルドアップを使って作っている部分はあるんですけど、一方でそうではない、ちょっと抑制された感じを入れたくて。スネアの連打とかシューみたいなライザーの音が入るのではなくて、ベースの長さが変わることでもビルド感が出て、展開の抑制が作れることを今回試してみたかったので、そういうのが反映されてるのかなと思いました。

──歌とシンセやビートとの比率など、ポップさを担保することに関しては苦労しながら活動されてきたのでしょうか?

N:どちらかというとキャリアが進むにつれて、歌を少し減らしてもしっかり聴いてくれると思えるような経験とか、インストゥルメンタルな音楽をメロディアスにするのとは別のアプローチで雄弁に聴かせる方法とか、そういう経験値が少しずつついてきて、だからこそ内容的にはよりインストの比重が上がったり、歌の入れ方を工夫できているのかなと思っていて。苦労したかどうかでいうと意識はしてたかなと思うんですけど、どちらかというと自然と技術が上がってきてやれることが増えたのが実際のところなのかなって思います。

──今回のゲストの方々が参加されているのも、活動を続けてきたからこそなのかなと思いました。前作の『FINE LINE』から周りの方々の意見を取り入れていると思うのですが、今作では作詞のクレジットがゲストの方だけだったり、作曲も一緒にされた楽曲もある点が前作とは違うところだと思いました。そこにはどんなきっかけがあったのでしょうか。

N:二つ理由があると思うんですけど、一つは心境の変化というか性格の変化? 壁を作るまではいかないけど、自分たちの制作に対してあんまり外部の意見を入れたくないような、ちょっと閉じた感じがあったと思うんです。それが年々減ってきたっていう。人に頼ったりとか人の意見を入れることでより面白くなるかも、みたいな期待とか柔らかさがついてきました。これはちょっと理由はわかんないです、加齢だと思います(笑)

あとは、『FINE LINE』くらいまでで自分たちの引き出しはある程度出したと思っていて。次に自分たちの力だけでまとまったものを作るならもう少しインプット期間が必要だと考えていたので、そういうタイミングなら外の人の意見を入れて開かれた作品を作るのが面白いんじゃないかって思い始めたのかなと。作曲の段階で実際にアーティストといろんな音楽性を混ざり合わせて作るところもあると思うんですけど、その前の制作チームとの相談の段階でも、ボーカルを誰にお願いするかとか今までよりだいぶ人の意見を聞いたと思います。

──いろんな人と作業を進める中で、自分たちだけだとこうはならないなと思ったことはありましたか?

S:そうですね。まず一番はMFSさん。ラップを自分たちは書けないし、アーティスト性とフローと歌詞が全部一体化してその人になってるので。あの曲はトラックだけ渡して、構成とかもMFSさんが一緒に考えてくださって作った曲なんですけど、自分たちに出てこない発想というか、たぶん音とかリズムの捉え方が根本的に全然違っていて、ビシッとラップが最初に入ったときはやっぱりくらいましたね。

──いちばん意外で新鮮だと思った楽曲でした! 西山さんはいかがですか?

N:どの曲も割と外部の影響があったと思うんですけど、「Empty」は意外と自分で作れそうで作れないなって思ったんですよね。まず僕が仮歌を含めてメロディーを作って、ほとんど今の形に近いオケと合わせて井入くんに送って、井入くんがそれを自分でアレンジしてみますって言ってくれて。歌詞も入ってたけど、歌詞もメロディーも全部変えていいって言ってたんですよ。

それで実際ほとんど変わって返ってきて。ただ、僕が入れてたやつのエッセンスがちょっと入ってて、それが純粋にすごく良くなってたんですよね。オートチューンらしいフレーズとかもあるし、そこに乗ってくるハモリとかも良くて。コーラス、ハモリをどう作るかってアーティストによってすごく個性があると思っているんですけど、自分はこういうふうには書けないなって思うような被せ、ハモリが入っていて、井入くんのスタイルそのものの音楽だったから頼んでよかったと思ったというか、相性のいい曲をお互いで作れたなって思えたので、コライトっぽい感覚が自分にはありましたね。

──これまでの作品よりも、リリックや内省的なサウンドなどが生活に近いと感じたのですが、そのあたりはゲストの方とも相談したのでしょうか?

N:日常にあるときめきを表現したいみたいな大きなテーマの話は事前にして、リリックはお任せした人がほとんどなんですけど、みんな自然とフォーク的な感覚で書いてくれたなと思いました。僕が想定していたよりもかなりまとまりがあったので、運も良かったというか、みんなの汲み取り能力がすごい高かったのかなって思います。

──どのリリックも少し寂しいのにどこか前向きなところがあると感じたのですが、偶然の部分も大きかったんですね。

N:そうですね。最初の段階でバイブスが合う人を選んでたんですね。

S:嗅覚が働くという言い方はあれなんですけど、もしかしたら共感してくれるのでは?と期待している部分があったのかなって思いました。

──これまでの作品で描いてきた風景や海に託してきた感情を、過去のものとして大事にしている感じが寂しさとポジティヴさのようなものを感じさせる気がします。

N:そうですね。音楽的にはいろいろ試しますけど、テーマ的には劇的に今までと違うことだったり、表現したいことがそこまであるわけではないというか。サウンドデザインの追求は一生やると思うんですけど、リリックの部分で、自分が感動することはそんなに変わらないんで、それをどこから話をするかだけの違いだと思っていて。なので割と過去作で言ったような内容が、そのまんまちょっと違う表現で乗っているふうに聞こえる部分も多いかなとは思いましたね。

──アルバムを通して聴いたときに、ビートやシンセサイザーだけのトラックがムードを変化させているように聴こえて、アルバムの中でムードの揺れがあるように感じました。アルバムの構成や楽曲の順序などはどのように考えられましたか。

S:流れとか曲順にはすごく気を遣いましたね。特にビートのある曲が多いので、ノンビートな曲とかスキットみたいなものをどこに配置するか、曲順は念入りにいろいろ試して。ダンスミュージックっていう言葉でくくると統一感があるように思うんですけど、やっぱり曲によって使ってるドラムの音色とかビートの感じが違うんで、そこがちぐはぐにならないように何が接着剤として働くかとか、全体を通してスキットとかノンビートの楽曲でどういうふうに揺らぎみたいなものを出すか考えました。

──そういった流れの中で、推進力や疾走感、何かが通り過ぎて行く感覚を持っている曲があると感じました。特に「Please me」は途中で加速するようなところがあると思います。スピード感みたいなものは意識されましたか?

S:鋭いご質問でございます(笑)

N:(笑)

S:そうなんです。同じBPM帯の中でどういうふうにスピード感みたいなものをコントロールするかは、今回の個人的なテーマでもあって。うぃょょょ〜みたいな、それまでのフレーズの間隔を急に短くしたようなところが多いです。そういうBPMは変わらないけどスピード感が変わることで、緩急によってつんのめる感じとか一定間隔じゃない変な心やリズムの抑揚みたいなものはすごく意識して作っていて。BPMは変わってないけど、加速感が変わったり引き伸ばされている感じをやりたいなって思っていました。

──それがダンスミュージック的な身体性にも繋がるのかなとも思いました。別のインタヴューで、身体性のある音楽をやりたいと思ったというお話をされていたのが印象的だったのですが、このアルバムから感じ取れる身体性の一つなのかなと。

S:今回、キーボードを弾いたりとか、シンセサイザーをリアルタイムでいじくって、うにゃうにゃうにゃ〜みたいにして、楽器のみたいな手演奏が多くて。生楽器のアーティキュレーションがあると思うんですけど、例えばバイオリンだと弓の力を強くするとか、ピアノだとフォルテって書いてたらちょっと強く弾くとか。それがその楽器の身体性なのかなって思っていて。身体的なもの=ダンサブルっていう捉え方もあると思うんですけど、もうちょっといろんな意味がある言葉だと思って、演奏的な要素でアーティキュレーションを手でつけました。それがさっきのスピード感みたいなものに直接反映されてるんですけど。シンセサイザーの面白いところは、LFOとかそういう値をいじることで、流れているフレーズがぐわーって速くなったりとか遅くなったりとか、そういうのを手演奏でできることだなと思ってて。身体性っていう言葉が適切かどうかはいまだに疑問ではあるんですけど、そのテーマにはちょっと向き合えたかなって思ってます。

──1曲目(「Heart(Intro)」)や2曲目(「Hello」)で聴こえる弦楽器みたいな音はどのように演奏されているんですか?

S:シンセサイザーの音なんですけれども、ダダダダダみたいな音とかはシンセサイザーでリアルタイムでトリルの奏法みたいに自分で弾いたりとか、つまみを捻ってトリルの速度を変えたりとか、そういうことは1、2曲目でやった覚えがあります。

──「Empty」の波や風っぽい音もシンセサイザーで真似て作られた音だったりするんですか?

N:それはノイズですね。ノイズオシレーターを使って鳴らしているんですけど、ノイズって音量調整とかをうまくやるとああいう音になるんです。

──実際に録りにいった音もあるんですか?

N:自分で録りに行った音じゃないんですけど、サンプルでそういう特定の場所のアンビエンス、雰囲気の音を入れた記憶はあるので、それも混ざってると思います。

──話し声や子供がしゃべってるような音とか、鳥の鳴き声とか。

S:そうですね。あれは結構サンプルを使ってて。「Empty」の前の曲(「僥倖」)とかはiPhoneで録ったものを使ってたりします。

──「僥倖」は空想や想像的なものと現実が交わるような感じがする楽曲で、そのあと「Empty」でアルバムで終わるのは納得というか知っている感覚のようなものがあるなと思いました。こういう流れでアルバムを終わらせることになったのはどうしてですか?

N:表立って出しているテーマではないんですけど、最初になんとなくイメージをつけるのに2人で話し合って決めたのが、昼過ぎとか夕方ぐらいから家を出て、例えばナイトクラブに行って好きな音楽を聴いたり、一瞬出会いがあったり、そういういろいろな夜の面白い瞬間が過ぎて、日が出るか出ないかぐらいのときに家に帰るまで、そういう一つの大きな時間の流れで曲を配置すると、まとまりが出て面白いんじゃないかっていうことで。

「僥倖」のあたりは深夜に遊ぶ非日常感とかふわふわしているイメージで、そこから一人で家に帰る瞬間の、すごい楽しかったんだけどものすごく寂しくなる感じを表現してみたのが「僥倖」から「Empty」の流れだと思います。なので、最初に決めていた大きな時間軸みたいな想定の中でその流れが生まれたんだと思いますね。

──最後の質問ですが、アートワークは歩き出す動きを捉えているのかなと思いました。去っていくようにもどこかに向かって歩き出すようにも見えます。アートワークの背景などがあったらお聞きしたいです。

N:とんだ林蘭さんに音楽的テーマをお伝えして、後日ラフ画が送られてきた段階でこれだったんです。今回は内省的な感覚と身体性のハイブリッドみたいなものを作りたいんですよねという話をして。じゃあ身体性ってなんなのかという話になるんですけど、自分たちが思ってることを伝えすぎたぐらいいろいろ喋ったんですよ。そしたら、とんださんが言ってくれたのが、いろいろな深いテーマがあるけど、印象としてもう少しシンプルでインパクトがあるように伝えたいところを絞ってやってみましたということで。センセーショナルだけど情報量が少ないっていうか。『FINE LINE』と比べると全然物もないですし。

揺らぎと身体性を重要な部分として伝えていて、揺らぎはカメラのブレで表現することになって。固定されている地に足ついたビートみたいな感じの一番左の人と、浮遊感があってふわふわして消えちゃいそうな一番右の人がグラデーションになっているような、同じ格好の3体が徐々にブレていくっていうとんださんのアイデアは、音楽的な話から伝えたいことを選んで入れてくれたジャケットになっていると思います。

S:当時のメモがあったんですけど、「動いているものと静かなものみたいなのを両方」とか、音楽的にも「ノンビートなものとビートのもの」、「機械的なもの、マシン的な音と有機的な音」みたいな、単純なパラメーターにすると雑ですけど、相反するものを一つにまとめたいとなったときに、僕たちで考えると全部の要素を説明的に入れたくなっちゃってどうしていいかわからないところから相談が始まって。だから相反するものをグラデーションで、構図でどう作るかすごく考えてくださいました。

編集部岡村:ちなみになんですけど、西山さんがポップさを担保する必要を考えているというのは、ポップという感覚とは違って、ポピュラーな存在を意識しているということなのでしょうか?

N:仰る通りですね。僕たちの音楽を聴いてくれている人ってすごく幅広い層いると思っていて。ライヴに来てくれた人と話して、普段何聴いてるか訊くと、現行のUKダンスとか、あんまり表現良くないですけどハイリテラシーな、普通あまり聴かないような音楽を調べて追求している人もいるし、逆にポップスとして聴いてる人もいるっていうか。

僕はこの状態がかなりいいと思っていて。いろんな音楽を聴くのが楽しいと思うんですけど、普通に生活していて調べないと出てこない音楽とか流行ってない音楽とか、そういうのに自分からアプローチする人ってそこまでいないですよね。そうなったらいいなと僕は思いますけど、そういうカロリー使うことが今の時代なかなか難しいのもわかりますし。

その中で、僕らの歌ものの楽曲がプレイリストで流れてきていいなと思って、そこからアルバムを聴いてみたときに、普段だったら聴かないようなインストゥルメンタルな長尺の曲に触れて、すごくいいなって思うような体験をする人がいたら、それってすごく面白いなと思うので。自分は両方好きなんですけど、両方がアルバムの中に収まっていることで、聴く人がより幅広くいろんなものに触れる機会があるような、そういうアーティストとして存在できたらいいなと思ってるので。そういう意味でポピュラーさを担保するっていう表現を使ったのかなと思いました。

岡村:なるほど。これまでの歴史の中でそれを実現してきている日本人クリエイターは全然いないという実感はありますか?

N:ああ、言われてみたらそうかもしれないですね。自分は電気グルーヴとかYMOがそれを感じたアーティストだったんです。そういうアーティストにものすごくいろいろ教えてもらったなと思うので。たしかに少ないかもしれないですね。

岡村:そういう意味ではパソコン音楽クラブは、いわゆる電子音楽、もしくはエレクトロニックなユニットだというふうに言い切られることは、やはり本意ではないということになりませんか?

N:ああ、でも電子楽器を使っているというところで、あくまで自分はエレクトロニック・ミュージックをやっていると思ってます。広義のテクノミュージックというか。機械が好きなところもあるので。何をもって定義するか難しいですけど、アイデンティティとしては電子音楽をやっているっていう感覚は結構強いんですよね。

岡村:ではそう言われるとむしろ本意なのでしょうか?

N:嫌ではないですね、全然。

岡村:なるほど、面白いです。もう一つ、先ほど西山さんが、いわゆる現行のJ-POPなど歌もののフォーミュラがはっきりあるタイプの音楽をほとんど聴かないとおっしゃっていたと思います。でもそうは言っても、さっきおっしゃったようにポップスとしてパソコン音楽クラブを聴いているファンの方も一定数いると思うんです。そういう人たちに向けて作るという姿勢は、二人にはあまりないのかなという気がするのですが、こういうのが今売れているんだとか、こういうのが今のJ-POPなのね、というようなリサーチを作曲の作業の中でかける事はあったりするんですか?

N:リサーチはたしかにしますね。あと歌物の構造がしっかりした曲が嫌いというわけではないんですよ。でも能動的に聞くタイミングがわからなくて(笑)。移動中に聴きたいとも思わなくて、完全に好みの問題ですね。だけど、自分が学生の頃とかに流行っていたJ-POPとかが、居酒屋とかでかかってたら嬉しくなったりカラオケで歌ったりとかするんで、嫌いでは全くないですね。でも、今は音楽の消費的な面がドンドン加速している感覚はやっぱりあるんで、そこに振り回されたくはないとは思ってるかもしれないですね。

S:僕は、自分っていかに音楽を聴くシチュエーションが限られているのだろうって思うことがすごく多くて。音楽をやっていない友達と遊んでて、ふとスマホでJ-POPをかけたときに、自分が家で聴いたときはパッとしなかったけどこの曲めっちゃいいなと思う瞬間とか、ラーメン屋で流れているJ-POPがその環境で聴くとめちゃめちゃいいとか。

普段、自分がヘッドフォンとかクラブとかで聴いている、個人で選択した音楽は、結構幅広いように思えて実はすごい選択の果てに選び抜かれた曲が多くて。オミットしている音楽は本当にたくさんあるし、それは聴くシチュエーションが自分にないからで。友達がふとスマホやカーステで流し始めたときに輝き出す曲はめちゃくちゃあるなって昔から思っています。コロナで友達と会わない期間もあったんですけど、最近再びドライブに行ったり川辺でまったりしているときにJ-POPを流してめっちゃいいなと思ったり。バンドの曲もしばらく離れていたんですけど、最近ロックフェスにも呼ばれることがあって、ロックフェスのプレイリストを順番に聞いて自分の曲も交互で聴いていると、自分たちの曲もこういうふうに聴こえているのかもしれない、みたいな新たな発見があって。いかに自分が囚われた音楽の聴き方というか、すごく選択してオミットして聴いているんだなって痛感することが最近多いですね。

岡村:でも、その程度でいいのかもしれないですよね。ドライブで聴くとか、機会があるからプレイリストでチェックするくらいで。

S:だから良い距離感というか、自分には関係ないと思っていた音楽が、輝くシチュエーションは確実にあるなと思って。一方で、そういうときに自分たちの曲を聴くと、なんだコレ?って思っちゃうときがあって。

岡村:あはは、そうですかね?

S:いつ聴くんだろう、俺の曲は、とか考えちゃうんですけど、それはそれで、そういう音楽をやっているし。でも、このシチュエーションじゃないな、俺らは、みたいに思っちゃうことがあって(笑)

岡村:難しいところですよね。そういう同じ土俵の上でYMOは闘ってきましたし。

S:そうなんですよね。

岡村:電気グルーヴもそうだったと思いますし。そこを考えたら、私も現行のJ-POPを個人的には聴かない人間ですけど、でもパソコン音楽クラブに対してはポップなものとして聴くところはすごく大きいです。私はパソコン音楽クラブの楽曲が現行のJ-POPのプレイリストにポンと入っていても、違和感であったり異様なものが紛れ込んでるという気は全くしないですね。むしろ、もしかしたらお二人にとっては不本意かもしれないですが、さっきおっしゃった担保されているという形でポップさがどんどん表出されている気がしています。

N:ああ、なるほど。

S:逆に安心しますね。

岡村:身体性の話が出たときも面白かったです。身体性とポップさは、全然違う乖離されたものとして見られがちですが、パソコン音楽クラブの中では身体性とポップさ、ポピュラリティは大前提として同居するものとしてやってらっしゃるのかな、少なくとも今回のアルバムはそうなのかなという気がしたのですが、そこら辺は結果論だったりするのでしょうか?

N:あー、でも日本語の歌は扱いが難しいと思っていて。母音優勢、子音優勢みたいな物理的な話があると思うんですけど。やっぱり日本語で歌うと確実にいなたくなると思うんですよね。それをどうやったら超えられるかとか、逆手にとってエキゾチックに聴かせれないかとか、そういうことは考えました。ひとつのアプローチとして、日本語で身体的に聞かせる歌い方ってラップだと思ったので、MFSさんにお願いしたのもあります。

岡村:なるほど。さっきのラップの話も面白かったので、そこにつながるんですね。 YMOの「SPORTS MEN」という曲があるじゃないですか。パソコン音楽クラブがやってらっしゃることがあの曲の感覚に近いなと思います。

N:あーなるほど。

岡村:「SPORTS MEN」って今、細野晴臣がソロでもやっているんですよ。ソロになってからはめちゃくちゃカントリーっぽいアレンジで。ひとつの楽曲がアレンジによってアングルが変わることで全然違うものになる、位相が変わっていく感じって面白いなと思っていて。でも、どういうアレンジになっても身体性がすごい伴った曲で。その感覚がパソコン音楽クラブにあるのかなと新作を聴いて思っていました。

N:いやー嬉しいです、それは。

<了>

Text By Haruka Sato

Photo By Syuya Aoki


パソコン音楽クラブ

『Love Flutter』

LABEL : HATIHATI PRO. / SPACE SHOWER MUSIC
RELEASE DATE : 2024.8.21
購入はこちら: TOWER RECORDS / HMV / Amazon / Apple Music


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