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音楽映画の海 Vol.9
『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』
アルバム『Nebraska』期に焦点を当て、揺れ動くブルース・スプリングスティーンの内面を描き出す

31 October 2025 | By Kentaro Takahashi

実在のミュージシャンを題材にした映画でも、全キャリアを俯瞰するような伝記映画ではなく、特定の期間のエピソードだけを集中的に描くタイプの映画が近年は増えてきている。ニューヨークにやってきたボブ・ディランが1964年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演するまでを追った映画『名もなき者(Complete Unknown)』は象徴的な例になるだろう。それ以前のディランにもそれ以後のディランにも、あの映画はまったく触れることがない。

2024年に日本公開された『ボブ・マーリー:ONE LOVE』もマーリーの生涯を描いたというよりは、ジャマイカの自宅で狙撃され、ロンドンでアルバム『Exodus』を制作する時期のマーリーに焦点を当てている。今年後半の話題をさらい、来年のアカデミー賞候補作になるのは確実と思われる映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ(Springsteen: Deliver Me FromNowhere)』もよく似た作りだ。これはアルバム『Nebraska』制作時期のブルース・スプリングスティーンを描き出す、実話に基づくフィクション映画である。

映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』はアメリカでは10月26日からの一般公開だ。日本では《東京国際映画祭》でプレミア上映が行われた後、11月14日から一般公開される。

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』を監督したスコット・クーパーは2009年の映画『クレイジー・ハート』で監督デビューしている。『クレイジー・ハート』はジェフ・ブリッジス扮するカントリー・シンガーの再起を描いた作品で、ブリッジスがアカデミー賞の主演男優賞を獲得。T・ボーン・バーネットとライアン・ビンガムが書いた「The Weary Kind」が同賞のベスト・ソング賞を受賞するという成功を収めた。『クレイジー・ハート』はオリジナル・ソングの充実した音楽映画で、テキサスの名ギタリスト、ステファン・ブルトンも曲提供や演奏で活躍したが、彼は映画の公開前に死去してしまった。



ジェフ・ブリッジズがカントリー・シンガーに扮した映画『クレイジー・ハート』トレイラー

スコット・クーパー監督はその後、サスペンス映画を多く手掛けてきたが、音楽映画に戻ってきて、本作を手掛けたのはまったく不思議ない。ただ、『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』は音楽映画に違いないとしても、先に挙げた『名もなき者』や『ボブ・マーリー:ONE LOVE』とはかなり違った感触を持つ映画でもある。それはひとつには、ブルース・スプリングスティーンというアーティストが持つ一般的なイメージからはかけ離れた男性像を描き出しているからかもしれない。

スプリングスティーンは「ボス」というニックネームを持つ。だが、この映画の中には「ボス」らしい男はいない。何しろ彼には仲間がいないのだ。映画の冒頭こそ、Eストリート・バンドを率いた爆発的なステージ・シーンがあるが、その後の映画の中ではバンド・メンバーは時折、映りこむだけ。サックス奏者のクラレンス・クレモンズも、ギタリストのスティーヴ・ヴァン・ザントも。彼らとの会話シーンすらないスプリングスティーンの映画というのは想像していなかった。

ブルース・スプリングスティーンを演じるジェレミー・アレン・ホワイト

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』でスプリングスティーンを演ずるのは米国の俳優、ジェレミー・アレン・ホワイト。彼はあまりスプリンスティーンに似ているとは思えない。労働階級の汗臭さみたいなものを感じさせる風貌ではないからだ。だが、『名もなき者』でボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメと同じように、映画を観ているうちに違和感なく、画面の中にはスプリングスティーンがいると思えてくる。

ホワイトは2020年の映画『Viena and the Fantomes』でポスト・パンク・バンドのドラマー役を演じたことはあるが、音楽経験は乏しく、本作のオファーを受けた時は冗談だろう? と思ったそうだ。ギターの演奏経験もなかったというが、5ヶ月の特訓の甲斐あって、映画中ではヴォーカルもギターもスプリングスティーンの雰囲気を見事に捉えている。ステージでの身のくねらせ方などもそっくりだ。

ジェレミー・アレン・ホワイトは2023年の映画『アイアン・クロウ』ではプロレスラーを演じて、強い印象を残した。これは「アイアン・クロウ(鉄の爪)」の異名を取ったプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックと彼の指導を受けてプロレスラーになった息子たち(フォン・エリック・ブラザーズ)の実話に基づく映画だ。ホワイト演ずる四男のケリー・フォン・エリックは一家が生んだ最初のNWA世界ヘビー級チャンピオンになるが、オートバイ事故で右足を切断。義足でカムバックを果たすも、薬物中毒になり、最後はピストル自殺する。



映画『アイアン・クロウ』ではジェレミー・アレン・ホワイトが実在のプロレスラーを演じた

ホワイトは『アイアン・クロウ』のために作り上げた身体からかなり筋肉を落として、『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の撮影に臨んだたものと思われるが、二本の映画の中の彼は繋がって見える部分もある。プロレスラーと同じく、ミュージシャンも巡業を重ねる。ステージを終えた後は汗まみれだ。そして、スプリングスティーンはバンド・メンバーとは別の一人だけの楽屋に戻る。『アイアン・クロウ』の中のケリー・フォン・エリックも孤独で、そこには父親との関係が深い影を落としているが、『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』中のスプリングスティーンもまったく同じだ。彼が心を許す人間はこの映画中には3人しか出てこない。旧友のマットとギター・テックのマイク、そして、プロデューサー/マネージャーのジョン・ランダウだ。

映画のストーリーはアルバム『The River』発表後のツアーを終えたスプリングスティーンが、マットに手伝ってもらって、ニュージャージーの湖畔の一軒家に引っ越すところから始まる。そこでスプリングスティーンは次作のための曲作りを始める。エンジニア経験のないマイクの手を借りて、ティアック社のTASCAM 144というモデルの4トラック・カセット・レコーダーに曲を録りためていく。

1980年発表のダブル・アルバム『The River』が全米ナンバーワンに輝き、スプリングスティーンは成功の階段を昇りつめようとしていた。しかし、彼は自分は何者なのか? という問いの中にいた。かつて拠点としたアズベリー・パークのライヴ・バー《Stone Pony》に出掛けて、地元のブルーズ・バンドとジャムったりはするものの、郊外の一軒家でのスプリングスティーンは長い孤独な時を過ごす。床に寝そべったスプリングスティーンがスーサイドの1977年のアルバム『Suicide』を繰り返し聴いているシーンもある。これがもしジェレミー・アレン・ホワイトが架空のミュージシャンを演じている映画だったなら、死亡フラグが立った、とそこで思っていただろう。

オデッサ・ヤング演じるフェイ(右)は、実在のモデルのいない物語上の架空の人物

ブルース・スプリングスティーンの映画だから、彼が死ぬことはないと観客は知ってはいる訳だが、ニュージャージーで深い関係を結んだシングルマザーの女性から逃げ出すように湖畔の家を引き払ったスプリングスティーンは、ロスアンジェルスに引っ越して、さらに孤独になる。鬱病の治療に10ヶ月間を費やしたということも映画の中で明かされる。女性とのエピソードはフィクションの部分が多いとは思われるが、「ボス」の振る舞いとは思えないダメ男ぶりがたらたらとこぼれ落ちる。それがこの映画中のスプリングスティーンなのだ。

プロデューサー/マネージャーのジョン・ランダウが映画中でどのように描かれているかにも、僕は強い興味を惹かれていた。このことを書くには、僕のスプリングスティーン体験を先に説明しておいた方が良いだろう。僕は1973年のデビュー・アルバム『Greetings from Asbury Park, N.J.(アズベリー・パークからの挨拶)』でスプリングスティーンを知った。1974年になってからだから、大学1年の時である。

高校時代からニール・ヤングやジェームズ・テイラーやジョニ・ミッチェルなどの音楽をたくさん聴いてはいたが、彼らは1960年代にデビューしている。僕がデビュー・アルバムから追うことになったシンガー・ソングライターは、ブルース・スプリングスティーンが最初だった。

『アズベリー・パークからの挨拶』とそれに続く『The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle(青春の叫び)』。この2枚のアルバムに僕は熱中した。ヴァン・モリソンのそれをもっとスピードアップして、やたらに言葉を詰めこんだ感じのヴォーカル・スタイルが大好きになった。「狂犬」の異名を持つニュージャージー時代からの相棒のドラマー、ヴィニ・ロペスとのコンビネーションも最高だった。

この最初期のスプリングスティーンの音楽は、少し遅れてやってくるニューヨークのパンク・ロックの呼び水にも思えるものだった。実際、スプリングスティーンはパティ・スミスとも親交があった。そのパティ・スミスがデビュー・アルバム『Horses』を発表した1975年に、スプリングスティーンはサード・アルバムの『Born To Run(明日なき暴走)』を発表して、最初の大きな成功を掴む。その『明日なき暴走』から制作途中から、それまでのプロデューサー/マネージャーだったマイク・アペルに替わって、スプリングスティーンの協力者となったのがジョン・ランドウだった。

ランダウはもともとは音楽評論家で、1974年にボストンの新聞上(《The Real Paper》)で「私はロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」という有名な評文を書いた。そのランダウをスプリンスティーンはアドバイザーとしてスタジオに招き入れたのだ。

スプリングスティーンの協力者となるジョン・ランダウ(右/ジェレミー・ストロング)

しかし、最初の2枚のアルバムに惹かれていた僕は『明日なき暴走』を聴いて、がっかりした。ヴィニ・ロペスが脱けたバンドは安定感を増していたが、それはアメリカン・ロックンロールの伝統に沿うもので、性急なスリルは消えてしまったと思った。僕はパティ・スミスの方に惹かれ、70年代後半にはパンク・ムーヴメントに心奪われて、テレヴィジョンやトーキング・ヘッズに熱中した。1980年の『The River』は大傑作だと賞賛する友人が少なくなかったが、パンク/ニューウェイヴのヘンテコな音楽ばかり聴くようになっていた僕は、どんどん普通の大仰なロックンロールになっていくと、スプリングスティーンへの興味を捨ててしまった。

1982年の『Nebraska』はそんな僕が久々に何度もLPに針を落とすことになったスプリグスティーンのアルバムだった。アコースティック・ギターの弾き語りで歌われる曲は古いバラッドのよう。タイトル曲の「Nebraska」は1958年にネブラスカ州で起きた連続殺人事件を題材に、殺人犯の視点で歌詩が書かれている。なぜ、スプリングスティーンが急にそんなアルバムを作ったのか、当時は訳が分からなかった。しかし、訳が分からないからこそ、何度も聴いた。エコーにまみれたローファイなサウンドは、パンクやニューウェイヴと同時に聴ける音楽を生み出してもいた。

『Nebraska』でのスプリングスティーンのライティング・スタイルの変化はどこに起因したのか。2024年のウォーレン・ゼインズの著作『Deliver Me from Nowhere: The Making of Bruce Springsteen’s Nebraska』は、40年以上の時を経て、そこに光を当てた書籍だった。それが映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の原作となった。ゼインズは1980年代にボストンから登場したデル・フェゴスのギタリストとしても知られるが、その後、ジャーナリストに転身。スプリングスティーンへの長時間のインタヴューをもとに、同書を書きあげた。その映画化にあたっては、スプリングスティーンとジョン・ランダウが脚本の段階から関わり、撮影現場にも足を運んだという。

ランダウがスプリングスティーンのキャリアを変えた人物であることは間違いなく、彼らは長年の信頼関係を築いてもいる。だが、映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』で描かれたランドウの姿は、僕にはちょっと意外なものだった。彼のプロデューサーとしての辣腕ぶりが見られるようなシーンはほぼないからだ。

スプリングスティーンはもともとはシンガーであるよりもギタリストだった。ニュージャージー時代の彼はアルヴィン・リーばりの速弾きを得意とする、界隈では一番のブルーズ・ロック・ギタリストだったとされる。《Columbia Records》は彼を第二のボブ・ディランのように売り出したが、彼はディランのようにアメリカのフォーク・ミュージックの伝統を掘り下げてはいなかった。

そんなスプリングスティーンに評論家出身のランダウがウディ・ガスリーの『Dust Bawl Ballad』を聴かせたとか、そういうエピソードも『Nebraska』の背後にはあったのではないかと、僕は何となく思い込んでいたのだが、映画中のランダウは暗いデモ曲集にのめりこんだアーティストと巨大なヒット・ソングを望むレコード会社の間に挟まれて、調整役を務めるマネージャーの役回りでしかなかった。ランダウの音楽的な素養が覗くのは、湖畔の家でサム・クック&ソウル・スターラーズのレコードをかけるシーンくらいだ。曲が「The Last Miles Of The Way」だったのはランダウの指定に違いないだろうが。

古い新聞記事に啓示を受けて、殺人者が一人称で語る形式の「Nebraska」のような曲を書くスプリングスティーンの姿から、僕が思い及んだのは2018年の映画『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』の中で彼が語っていた言葉だった。映画はスプリングスティーンが2017年にブロードウェイで行った自伝的な内容のショウを収録したものだが、その冒頭で彼はこんな告白をする。

自分はバンドマンしかやってこなかった。まともな仕事に就いたことがない。工場の中を覗いたことすらないんだ。自分ではまったく経験していないことを歌って、大成功したんだ。

スプリングスティーンは労働階級の代表のように語られてきた。彼自身が服装などで、そういう演出をしてきたところも多分にある。それはフェイクではないのか? 『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』に描かれるスプリングスティーンの自分は何者なのか?という問いはそういうことだったようにも思われる。

だが、シンガー・ソングライターは自身が経験したことだけを歌っていれば良いのだろうか? 「Nebraska」は殺人者の視点で歌われる歌だが、僕は研究のために、そういう歌を拾い集めた経験がある。マーダー・バラッドと呼ばれる伝承歌は、たいていは三人称で殺人犯のことを歌う。だが、フランスの古い伝承バラッドの中には、一人称で淡々と自分が犯した殺人を語るものもあった。あるいは、初期のデルタ・ブルーズの中にも殺人を告白する歌が幾つかある。

スプリングスティーンの「Nebraska」はそれらの伝統に沿ったものだったとも言えるだろう。他者の視点、他者の内心を自分の声で歌うことの意味をこの時期のスプリングスティーンは突き詰めていたのかもしれない。

『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』の中で、スプリングスティーンは自分の声や服装は父親から借りたものだとも明かしている。不器用な労働者だった父親との理解し合えない関係が『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の中では回想シーンを重ねて描かれる。アルバム『Nebraska』にはそれが深く埋め込まれていたことを窺わせる。



『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』トレイラー

カセット・レコーダーで録って、マエストロのエコープレックスを通してミックスしたデモ音源にスプリングスティーンはこだわりを募らせていく。《Power Station Studios》でバンドとともにデモの曲をレコーディングしても、上手く行ったのは「Born In The USA」1曲だけ。他の曲のバンド・テイクはすぐに却下された。「Born In The USA」は絶対に大ヒットすると周囲は確信したが、スプリングスティーンはバンドとともにその曲をフィーチュアしたアルバムを作るより先に、デモ音源をそのままアルバムにしたいと主張する。

仕方なく、ランダウはプロデューサー/エンジニアのチャック・プロトキンにその方向で仕事を任せる。しかし、これがまた上手く行かない。そこからの彼らの苦闘が『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の音楽映画としての他にない見どころではあるかもしれない。

カセットで録ったデモを超えられない。これは僕も経験したことがあるし、1990年代くらいまでは各所で見られた出来事だった。じゃあカセットの音をそのまま完成品のレコードにできるかというと、それも難しい。プロ・スタジオのモニター環境で聴くとノイズは多いし、音は歪んでいる。しかし、そのノイズや歪みが音楽に独特の雰囲気を与えているので、スタジオの高級機材を使って、きれいに整えようとすると、何かが死んでしまう。

デモ音源のマスターレコーダーは水没して故障したラジカセで、テープの回転数からしておかしかった。スプリングスティーンをそのカセットをケースにも入れず持ち歩いていた。しかし、チープなアナログ機材が偶然に生み出したサウンドは理屈を超えた魔法を備えていた。『Nebraska』をスプリングスティーンが望む形で完成させるために、プロトキンらが最後に見つけた答えは、それをアトランティック・レコードのカッティング・スタジオに持ち込み、そこにある古い真空管機材を使って、極めて低いレベルでマスタリング/カッティングを行うことだった。

Discogsで調べてみると、『Nebraska』のオリジナルLPは確かに《Atlantic Studios》で専属エンジニアのデニス・キングがカッティングしている。《Atlantic Studios》で他社の作品がカッティングされることは稀で、《Columbia Records》の音源が持ち込まれたのは『Nebraska』くらいしかないと思われる。僕は1970年代の米アトランティックのLP盤の音質が大好きだったのだが、この映画はその理由も解き明かしてくれた。



『Nebraska』に収録される楽曲のレコーディングにスプリングスティーンが選んだのは「Tascam 144」であることが、劇中でも確認できる(Tascam 公式インスタグラムより)
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ところで、映画の公開に合わせて、10月17日には『Nebraska ’82: Expanded Edition』と題されたCD4枚組+ブルーレイのボックス・セットが発売された。CD4枚組はアルバム『Nebraska』の新しいリマスター、2025年春にニュージャージーの劇場で録音された『Nebraska』の曲のソロ・ライヴ(ただし無観客での録音)、『Nebraska』には収録されなかったデモ録音の曲やスタジオ録音したソロの曲、却下された『Nebraska』の曲のバンド録音などで構成されているが、最大の聴きものは最後に挙げた『Electric Nebraska』とも呼ばれるバンド・ヴァージョンだろう。

CD2に収録されているその8曲は予想外の素晴らしさだった。3人もしくは5人の小編成での録音で、これはこれでありのバンド・サウンドだったと思わせる。とりわけ、冒頭の「Nebraska」はシンセサイザーやマンドリンの響きが効果的で、幽玄なアメリカーナとも言うべき1曲に仕上がっている。この「Nebraska」が1982年に発表されていたら、違う意味で音楽史を書き換えていたのではないだろうか。

早々に却下されたバンド・ヴァージョンはスプリングスティーンもその存在すら忘れていて、発掘されたテープを聴いて、そのフレッシュな魅力に驚いたという。映画をきっかけに本人も『Nebraska』期の自分を再検証するに至ったというのは、稀有な出来事に思われる。映画に興味を持った方は、まずはオリジナルの『Nebraska』とこの『Electril Nebraska』を聴いてから、映画館に足を運ぶのが良いと思う。(高橋健太郎)



《Power Station Studios》でのレコーディング・シーン

Text By Kentaro Takahashi


『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』

11月14日(金)全国ロードショー

監督・脚本 : スコット・クーパー(原作:ウォーレン・ゼインズ著『Deliver Me from Nowhere』)
出演 : ジェレミー・アレン・ホワイト(ブルース・スプリングスティーン)、ジェレミー・ストロング(ジョン・ランダウ)、ポール・ウォルター・ハウザー(マイク・バトラン)、スティーヴン・グレアム(父ダグ)、オデッサ・ヤング(フェイ)、ギャビー・ホフマン(母アデル)、マーク・マロン(チャック・プロトキン)、デヴィッド・クラムホルツ(アル・テラー)
プロデューサー : スコット・クーパー、エレン・ゴールドスミス=ヴァイン、エリック・ロビンソン、スコット・ステューバー
製作総指揮 : トレイシー・ランドン、ジョン・ヴァイン、ウォーレン・ゼインズ
配給 : ウォルト・ディズニー・ジャパン

©2025 20th Century Studios

公式サイト
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/springsteen


Bruce Springsteen

『Nebraska ’82: Expanded Edition』

RELEASE DATE : 2025.10.17
LABEL : Sony Music
購入は以下から
ソニー・ミュージック公式オンラインサイト


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