音楽映画の海 Vol.7
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』
軍政権下のブラジルに現れた異才の強靭な反逆精神と人生の光と陰
本連載の第5回で紹介した『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』は1970年代後半のアルゼンチンの軍政下で起きたミュージシャンの拉致・殺人事件を題材にしていた。8月に日本公開された映画『アイム・スティル・ヒア』はブラジルのウォルター・サレス監督が1970年初頭のブラジルで起こった軍事政権による拉致・殺人事件を扱った映画だ。実話に基づく家族の物語で、題材はシリアスだが、映像には詩的が美しさあり、カエターノ・ヴェローゾ、トン・ゼーなどの音楽が印象的な使われ方をする。
カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルは当時、軍政権の迫害を逃れて、ロンドンに亡命中だったが、彼らがブラジルの人々にとって、どんな存在だったかも映画『アイム・スティル・ヒア』は教えてくれる。カエターノは先頃、マリア・ベターニャとのライヴ・アルバム『Caetano e Bethania Ao Vivo』を発表したが、これも軍政権の時代に音楽活動を始めた二人のキャリアを総括するような内容だった。世代を超えた観客がその時代の曲を大合唱する様は、映画『アイム・スティル・ヒア』と共振するかのようだった。
映画『アイム・スティル・ヒア』のブラジルでの公開は2024年だが、脚本作業は2022年には始まっていたようだ。2022年のブラジルはまだジャイール・ボルソナロが大統領の時代だ。ボルソナーロは元軍人の極右政治家。現大統領のルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァはボルソナロ政権下では汚職の罪で投獄されていた。ボルソナロはジルベルト・ジルが大臣を務めたこともあるブラジルの文化省を廃止。ジルやカエターノはかつての軍事政権の記憶を蘇らすようなボルソナーロ政権を強く批判していた。
2022年の最高裁判決で政治的権利を取り戻したルラ・ダ・シルヴァは。同年暮れの大統領選で、ボルソナロに勝利した。2023年とともにルラ・ダ・シルヴァ政権が始まったことは、ブラジルの多くのアーティストに歓迎された。ルラ・ダ・シルヴァ大統領は文化省を復活させ、現在はバイーア出身の女性アーティスト、マルガレッチ・ミネーゼスが大臣を務めている。
今年始め、映画『アイム・スティル・ヒア』がアカデミー賞の最優秀国際長編映画賞を受賞すると、ルラ・ダ・シルヴァ大統領はウォルター・サレス監督、主演のフェルナンダ・トーレス、そして製作陣の全員を讃えるメッセージを発した。大統領は映画のアカデミー賞受賞がブラジルの人々、ブラジルの精神にとって重要な出来事であると強調した。このことはブラジルの文化全体に大きな影響を与えていくのではないかと思われる。
映画『Homem com H』のブラジル劇場版のトレイラー
さて、今回取り上げる音楽映画『ラテン・ブラッド:ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』にもそんなブラジルの1970年代の軍政権時代のことが多く描きこまれている。本作はブラジルのスーパースターの一人であるネイ・マトグロッソの伝記映画で、ブラジルでも2025年に劇場公開されたばかり。それがNetflixで早くも配信リリースされ、日本語字幕版も用意されていたのには驚いた。
映画の原題は『Homem com H』。意味するのは「男らしい男」だろうか。邦題の『ラテン・ブラッド』はマトグロッソが1970年代に在籍したロック・バンド、セコス・イ・モリャードスの代表曲「Sangue Latino」から取られたものだろう。しかし、ネイ・マトグロッソというアーティストをまったく知らないと、タイトルから内容を想像するのは困難かもしれない。
本作を監督したエズミール・フィーリョは2011年の長編デビュー作『名前のない少年、脚のない少女』が日本公開されたことがある。2020年の『Verlust』は音楽業界の内側を描いた作品で、70年代から活動するブラジルの女性ロック・ミュージシャン、マリーナ・リマがレニーの名で出演。レニーのマネージャーやその家族の緊張関係が綴られている。その『Verlust』を撮ったことが本作へと繋がっているように思われる。
映画『Verlust』トレイラー
映画の原作となったのは2021年に出版されたジャーナリストのジュリオ・マリアによるネイ・マトグロッソの伝記本『Ney Matogrosso: A biografia』で、映画中に聴かれるネイの音楽はすべて彼自身のパフォーマンスを使用したものだ。ということは、これは本人の協力を得て制作されたオフィシャルな伝記映画と考えてもいいだろう。しかし、近年、量産されるミュージシャンの伝記映画の枠をはるかに超えた、妖しく深みある魅力を本作は放っている。それは主演のジェスイータ・バルボーザの演技に負うところも大きい。
実をいえば、僕もこの映画を観るまでは、ネイ・マトグロッソという特異なアーティストについて、十分な知識を持っていたとは言い難い。ネイ・デ・スーザ・ペレイラという本名を持つ彼は1941年生まれで、世代的にはカエターノ・ヴェローゾよりも少し年上である。しかし、ミュジーシャンとしてのデビューは遅く、セコス・イ・モリャードスが1973年に発表した同名のアルバムで存在を知られるようになった。1975年以後、ソロになり、現在までに発表したオリジナル・アルバムは30枚を超える。
映画『ラテン・ブラッド』でジェズイータ・バルボサ演じるセコス・イ・モリャードス時代のネイ・マトグロッソ
ネイ・マトグロッソのアルバムの日本盤が出たという記憶はない。僕が彼のアルバムを最初に手にしたのは1988年の『Quem Não Vive Tem Medo Da Morte』だった。銀座の山野楽器でブラジルのMPBのアルバムを沢山ジャケ買いした中に含まれていた。2曲目の「Dama Do Cassino」という曲のうるわしいメロディーが大好きになったが、これはカエターノ・ヴェローゾが書いた曲をマトグロッソが最初に録音したものだった。後にはマリア・ベターニャなども歌っている名曲だ。しかし、『Quem Não Vive Tem Medo Da Morte』というアルバムを聴いただけでは、ネイ・マトグロッソというアーティストの全体像はよく分からなかった。女声のようなハイトーン・ヴォイスで様々なタイプの曲を歌うシンガーという認識以上ものは得られなかった。
『Quem Não Vive Tem Medo Da Morte』収録の名曲「Dama Do Cassino」。カエターノ ・ヴェローゾが書いて、ネイが最初に歌った
その後も1996年発表の全曲シコ・ブアルキ作品を歌い上げたライヴ・アルバム『Um Brasileiro』や1999年発表のダンサブルなアルバム『Olhos De Farol』などをぽつぽつと買ったりはしていたもの、そこまで深く追求することはなく、年月が過ぎていた。僕がネイ・マトグロッソに強い興味を向けたのは21世紀になり、インターネット上のブログなどで60〜70年代のブラジリアン・サイケの発掘ブームが起こってからだった。その流れの中でようやくセコス・イ・モリャードスの1973年のデビュー・アルバムとネイ・マトグロッソの1975年の初ソロ・アルバムに辿り着いたのだ。
この2枚はもうジャケットからして何じゃコレは!のアルバムだった。セコス・イ・モリャードスはキッスよりも早くメイクしたロック・バンドだと言われるが、それだけでなくメンバーの生首を皿の上に載せているのだ。時代的にはイギリスでグラム・ロックを巻き起こした頃だが、音楽的にはセコス・イ・モリャードスもマトグロッソの初ソロもサイケ・フォークといった方が近いかもしれない。そこにはブラジルの自然と触れ合った神秘主義も見て取れる。
セコス・イ・モリャードスはジョアン・リカルド、ジェルソン・コンラッドの二人が中心のバンドだったし、最初のソロ・アルバムではモトグロッソはジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、ファギネルといったMPBの才人達の曲を歌っている。実はネイは長いキャリアの中でもほとんど自作曲を書いていない。しかし、彼はどんな曲も自分だけのものにしてしまう翻訳者だった。妖艶なハイトーン・ヴォイス、セクシュアルな演劇的パフォーマンス、その異化作用が曲を違う次元に運ぶ。音楽のジャンルは溶解し、すべてがネイの住む世界を彩るパーツとなる。
『ラテン・ブラッド:ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』をこれから観る人はできれば、セコス・イ・モリャードスもマトグロッソの初ソロの二枚を聴いておいた方が良いかもしれない。その二枚さえ聴いておけば、僕とスタートラインはさして変わらないだろう。あとは映画に身をまかせるだけで、ネイの特異なアーティスト性と挑戦的なキャリアの渦の中に巻き込まれていくはずである。
映画の魅力のひとつは、一人の不安定な少年が強靭なアーティストに生まれ変わっていく過程を瑞々しく描いているところにある。ブラジル南西部、パラグアイと接するベラ・ビスタの自然環境がネイのバックグラウンドにあった。しかし、父親は軍人で、男らしさに欠けるネイの振る舞いを好まず、恥ずべき息子として扱った。
父から離れ、独立するために、ネイが選んだ方法は軍に入隊することだった。家父長制の抑圧、軍生活の抑圧、そして自身のジェンダーをめぐる葛藤、それらがネイの表現者としての人生に長く深い影を落としたことを映画は浮かび上がらせていく上がらせていく。ネイ・デ・スーザ・ペレイラがネイ・マトグロッソというアーティストとして歩み出すまでには時間がかかった。それ以前の自信なさげなネイを演ずるジェスイータ・バルボーザの表情や身のこなしが強い印象を残す。
ネイはミュージシャンを志していた訳ではなかった。彼の興味は音楽よりも演劇や工芸美術にあった。シンガーになったのは、周囲の人々に背中を押されたからだった。合唱団に参加していたネイは声が高いので、女声のパートを歌っていた。コーラスの指導者がそのネイの声に特別なものを見出す。ネイはバンドをやるべきだと考え、セコス・イ・モリャードスのジョアン・リカルド、ジェルソン・コンラッドに引き合わせたのは、当時のガールフレンドだった。
映画中のセコス・イ・モリャードス。実際のテレビ出演シーンを再現している
ネイを加えたセコス・イ・モリャードスが活動を始めるのは、まさしくブラジルの軍政が文化にも強い抑圧を加えていた時期だった。ネイのパフォーマンスそれに対する反逆だった。セコス・イ・モリャードスのデビュー・アルバムは100万枚を超えるセールスを挙げた。しかし、ネイはすぐにバンドに見切りつけ。ソロでさらに過激な活動を積み重ねていく。
1975年にソロとなった頃のネイ・マトグロッソ。ネアンデルタール人を標榜した土俗的パフォーマンスで度肝を抜いた
映画のタイトルとなった「Homem com H」は1981年のヒット曲だ。ノルデスチ(ブラジル北部)のフォホーのリズムを使った曲だが、非男性的なセクシュアリティーを放つネイが「男らしい男」を歌う逆説の中から、父親との対立、軍政への反逆、旧来のジェンダー観から解放など、様々な意味が浮かび上がる。映画の前半の映像の中にちりばめられた伏線が、アーティストとして爆発した後のネイの音楽、ネイの表現と見事に繋がっていくのが、この映画の魅力的なダイナミクスだ。
1981年のネイ・マトグロッソの『「Homem com H」のリアル・パフォーマンス
ロック・ミュージシャンのカズーサや長年のパートナーだったマルコ・ヂ・マリアとの関係は。ブラジル人にはよく知られたエピソードなのだろう。僕はこの映画で初めて知ったこともあって、ゲイ・カップルの生々しい愛憎関係の描きこみには少したじろいだ。比べると、フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンの映画はかなり抑制的にとどめていたのだろう、ということにも思い及んだ。怪奇なステージ・パフォーマンスの圧倒的な迫力と、その裏側の日常にあるネイ個人の弱さや脆さの対照をジェスイータ・バルボーザは全身で表現している。
映画の最後では現在のネイ自身が登場する。しかし、ネイ・マトグロッソのライヴを観たことがなかった僕は、ジェスイータ・バルボーザの演ずるネイに激しく魅了され、ネイ・マトグロッソそのものであると信じられるような感覚が生まれていた。映画中のネイの歌声は本人のものなのだから、それはそれで良いのかもしれない。
ネイ・マトグロッソは今も現役。昨年はロンドン公演を行い、今年も大きなフェスティヴァル出演がある。これは2020年のDVDから。シコ・ブアルキの曲を歌っている
映画を観てから一ヶ月ほどが過ぎた7月の半ば、ネイ・マトグロッソは二作の音源を配信リリースした。タイトルはどちらも『Homem com H』で映画に関連するのだが、一つは15曲入りのアルバム、一つは4曲入りのEPで、重なる曲はない。大変に紛らわしいリリースだ。前者は過去のアルバム収録曲やライヴ音源を集めたコンピレーションだが、後者は2024年に映画のためにレコーディングされたもので、今年84歳になるネイの最新リリースに当たる。この4曲が素晴らしいので、最後に紹介しておこう。
冒頭の「Rosa De Hiroshima」はセコス・イ・モリャードスの代表曲で、ヴィニシウス・モラエスの詩にジェソン・コンラッドが曲を付けたものだ、この最新録音は現代的な小編成のストリングス・アレンジを施して歌われる。しなやかさを失わないネイのヴォーカルにも驚かされる。
2曲目の「O mundo é um moinho」はサンビスタのカルトーラの曲。ネイは2002年発表のカルトーラのカヴァー・アルバム『Interpreta Cartora』の中でも同曲を歌っているが、映画中では父親の死を受け止めたシーンでそれが歌われる。長年の対立を経て、最後にはネイを偉大なアーティストを認めた父を偲ぶネイの心情がこめられた歌唱だ。
3曲目の「Cashina Pequenina」は先述した合唱団の練習時に指揮者がネイの特別な声を発見するシーンで歌われていた曲だ。作者不詳のブラジルの古い伝承曲で、多くのアーティストに歌われてきたが、最初の録音は1906年にマリオ・ピニエイロに遡る。
4曲目の「Réquiem para Matraga」はジョアン・リカルド、ジェルソン・コンラッドと出会ったネイが、バンドへの加入オーディション時に歌う曲だ。作者はジェラルド・マンドレで、1965年にマンドレ自身が発表している。ジェラルド・マンドレはサン・パウロ出身のシンガー/ギタリストで、アイアート・モレイラ、エルメート・パスコワールを含むクァルテート・ノヴォをバック・バンドとして従えていたこともある。
この4曲入りEPはMPBの中でも際立って特異な存在だったネイ・マトグロッソが、常にブラジルの魂とともにある音楽家だったことを示しているようにも思われる。鎮静感のある録音の雰囲気もとても良い。映画『ラテン・ブラッド:ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』を観てみようか、まだ迷っている人がいたら、この4曲を先に聴いてみるものありだと思う。(高橋健太郎)
映画中の「O mundo é um moinho」の歌唱シーン。カルトーラの名曲が父との追憶に重ねられる
Text By Kentaro Takahashi
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』
Netflixにて独占配信中
監督 : エズミール・フィーリョ
出演 : ジェズイータ・バルボサ、ロムロ・ブラガ、エルミーラ・ゲーデス
音楽 : ウンベルト・スメリッリ
2024年 / ブラジル 原題 : Homem com H
配給 : Netflix
公式サイト(配信はこちらから)
https://www.netflix.com/jp/title/81754156

