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音楽映画の海 Vol.5
『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』
スペインの映画監督がブラジル音楽への愛と批評精神を炸裂させたアニメーション映画

27 May 2025 | By Kentaro Takahashi

昨今はフィクション、ドキュメンタリー含め、音楽映画の制作本数が激増している。月イチの本連載では紹介したい作品が紹介しきれないくらいだ。しかし、全体的な状況としては、粗製乱造の感も否めない。とりわけ、ドキュメンタリー映画に関しては、似たような企画、似たような構成のものが多過ぎる。たいていは記録映像と関係者証言のパッチワーク。好きなアーティストのドキュメンタリーだったら、それでも見てしまうのだが、見終わってみると、ほとんどは知ってることの確認。紋切り型の賛辞が多過ぎて、こんなんで映画と言えるのだろうか?と思ってしまうことも少なくない。

そんな中、見終わった後に、猛烈に調べ物を始めねばならなくなるという貴重な映画体験をしたのが、4月に日本公開された『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』だった。1976年に消息を絶ったブラジルのピアニスト、テノーリオ・ジュニオル(本名:フランシスコ・テノリオ・セルケイラ)に焦点を当てたアニメーション映画だ。



テノーリオ・ジュニオルが1964年。23歳で発表した唯一のソロ・アルバム『Embalo』

テノーリオは1960年代の始めのリオ・デ・ジャネイロで頭角を表したピアニストで、1964年に『embalo』というソロ・アルバムを残している。当時の彼はドラマーのミルトン・バナナ、ベーシストのジョゼ・カルロスらとともにオス・コブラスというグループを組んでいて、サンバ・ジャズの最前衛に位置していた。『embalo』はその時期のテノーリオの唯一のリーダー作だ。



オス・コブラスの1964年作。当時のサンバ・ジャズの高揚感が充満

僕は30年くらい前にリイシューされた『embalo』のCDやLPは持っていた。その中の「Nebulosa」という曲はクラブ・ジャズ系のDJに人気だった時期があり、数多くサンプリングされたりもしていた。

だが、『embalo』より後の時代のテノーリオ・ジュニオルの活動となると、僕もあまり意識したことがなかった。1970年代には彼はロー・ボルジェス、トニーニョ・オロタ、ネルソン・アンジェロといったブラジルのミナス派のミュージシャンと接近。ミルトン・ナシメントやエルゲルト・ジスモンチのアルバムなどにも参加していたのだが、それに僕が気付いたのは映画を見終わった後。Discogsで片っ端からテノーリオの参加作をチェックしてからだった。70年代のテノーリオはエレクトリック・ピアノやオルガンも弾いて、プログレ・フュージョン的な志向も見せ、僕の愛聴盤にも数多く参加していた。しかし、僕はサンバ・ジャズのピアニストという認識しか持っていなかったのだ。



ミナス「街角」派の1973年の重要作でもテノーリオ・ジュニオルはエレクトリック・ピアノなどをプレイしている。この曲はトニーニョ・オルタが作曲、ヴォーカルを取っている

そんなテノーリオ・ジュニオルという知る人ぞ知るブラジルのミュージシャンについての映画、おまけに全編アニメーションとなると、これは興味を持つ人も限られるだろう。加えて、誤解を招きそうなこともある。『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』という邦題だが、テノーリオとボサノヴァとの関わりはさほど深くない。60年代のテノーリオはサンバ・ジャズのミュージシャンの中でも最も米国のジャズに接近していた一人だった。しかも、彼の失踪事件が起こったのは1976年で、もうボサノヴァよりもMPB(Música Popular Brasileira)の時代である。

もうひとつ、『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』は多くのところでドキュメンタリー映画として紹介されているが、この映画は純粋なドキュメンタリーではない。むしろ、まったくのフィクションが軸になっている。ただ、何の基礎知識もなしに映画を観ただけでは、何がフィクションで、何がノンフィクションなのかは分かりにくい。僕も映画を観ながら、幾つかのシーンであれ?と思い、観終わった後に多くの調べ物をして、この映画の複雑な背景と構造、そして、なぜアニメーションなのか?という問いの答えを見つけたと言っていい。

映画の最初の舞台はニューヨークの書店だ。本の出版記念のトークショーで、著者がインタヴューを受けている。アニメーションだから、少しユーモラスな雰囲気がある。その後のシリアスな展開は予想もできない。

著者は音楽ジャーナリストのジェフ・ハリス。テノーリオ・ジュニオルに関するノンフィクションを上梓した彼が、なぜ、それを書くに至ったかを話し始める。以後、映画全体がその彼の回想録を綴る形になっていく。もともとはボサノヴァの歴史についての本を書くために、彼はリオ・デ・ジャネイロに飛んだ。出版社が三回のブラジル取材旅行の費用を持ってくれたなんて話は、同業者としては羨むしかない。



映画『チコとリタ』オフィシャル・トレイラー

しかし、実はこのジェフ・ハリスは架空の人物なのだ。彼のPC画面などから、現代のストーリーだと分かるが、音楽ジャーナリストにしてはブラジル音楽の知識が浅過ぎる。今さらな取材、今さらな出版企画に思えるが、そこも意図的な設定なのだろう。というのも、ニューヨークの書店から始まるこの映画は、実はスペインで制作されている。監督はベテランのフェルナンド・トルエバ。アニメーション原画&共同監督はハビエル・マリスカルで、二人は過去にはキューバ音楽をテーマにしたアニメーション映画『チコとリタ』(2010年)でもコンビを組み、2011年のアカデミー賞の長編アニメ映画賞にノミネートを果たしている。

そういうスペインの歴戦のクリエーター二人(ともに70代)が今度はブラジル音楽についての映画を作った。それが本作なのだ。

実際にはフェルナンド・トルエバ監督らがスペインからブラジルに取材旅行に出掛けた。しかし、アニメーション映画の中では架空のアメリカ人ジャーナリスト、ジェフ・ハリスが狂言回しになる。その点ではこの映画は完全なフィクション。だが、現地での取材内容は緻密なもので、史実を解き明かしていく。その情報量はとても実写のドキュメンタリーには詰め込めなかった。だから、アニメーション映画という形式が選択されたということもありそうだ。

ジェフ・ハリスはガイドの協力を得て、まずは1960年代のボサノヴァ創成期についての取材を進めていく。この部分のアニメーションもとても良い。ブラジル音楽史のレクチャーを受けているような感じだが、映像や写真が残っていないことも、アニメーションなら証言に合わせて描くことができる。エラ・フィッツジェラルドがお忍びでリオのクラブにやってくるエピソードなどはワクワクする。

ヴィニシウス・ヂ・モライスとアントニオ・カルロス・ジョビン

多くのミュージシャンが証言者として登場するが、カエターノ・ヴェローゾが鼻歌を歌うシーンで、姿はアニメでも声は本人だと僕は気づいた。クレジットをチェックすると、ジョアン・ジルベルトもヴィニシウス・ヂ・モラエスもミルトン・ナシメントもジルベルト・ジルもシコ・ブアルキもジョアン・ドナートなども本人の肉声だった。中には録音はOKでも撮影はNGの人々もいただろうが、アニメで取材シーンを再現する形にすれば、そのあたりも凸凹なく映画にできる。そういう利点もあったのかもしれない。

ミュージシャンへのインタヴュー・シーンでは背景も魅力的だった。彼らの自宅と思われる空間が多く描きこまれているからだ。ジョアンの部屋、ヴィニシウスの部屋、カエターノの部屋、ミルトンの部屋などが次々にイラスト化されていく。部屋に置かれている小物や壁に飾られている絵など、その細部に僕の目は惹きつけられていった。

アニメならやろうと思えば何でもできる。ただ、この映画にはひとつ禁則があった。それはテノーリオ・ジュニオルに喋らせることだ。そういう再現シーンは作らない。テノーリオ本人の声や言葉は聴くことができず、彼のキャラクターをあぶり出すのは関係者の証言だけ。これも監督らのこだわったポイントに違いない。

テノーリオと家族

取材を進めるうちに、ジェフ・ハリスはテノーリオの失踪事件に興味を惹かれ、そのリサーチに深入りしていく。テノーリオは先鋭的なピアニストだったが、完璧を追い求める音楽家の気性には癖もあり、活動がままならない時期もあった。

1976年にテノーリオはヴィニシウス・ヂ・モラエスから誘いを受ける。この時期、ヴィニシウスはアルゼンチンで暮らしていた。アルゼンチンでのヴィニシウスの連続公演のために、テノーリオはギタリストのトッキーニョらとブエノスアイレスに向かう。だが、それは愛人を連れた逃避行の色も帯びたものだった。

1976年3月18日、コンサートを終えた後の午前3時頃、テノーリオはホテルからサンドイッチを買いに出たきり、帰ってこなかった。ヴィニシウスらが手を尽くして探しても、行方はまったく分からなかった。

クーデターのシーン

その時、アルゼンチンでは軍事クーデターが進行していた。テノーリオはそこに巻き込まれたと考えられたが、真相が明らかになったのは10年後だった。退役したアルゼンチン海軍の情報局の元伍長が、テノーリオは軍のパトロール部隊に拉致され、銃殺されたと明かした。この証言も映画には登場する。テノーリオが収監された秘密の監獄、そこで行われた拷問なども現地検証される。前半の展開から一転、アニメーションは急激に暗い色を帯びる。

テノーリオは政治的な活動はしたことがなく、軍にマークされていたとは考えにくい。だが、長髪の芸術家然とした風貌から、左翼的な危険人物と判断されたのではないかと考えられている。テノーリオを銃殺したのは、悪名高い情報将校のアルフレド・アスティスだったとされる。アスティスは2011年にアルゼンチンで人道に対する罪で終身刑を言い渡されている。

映画はこうした失踪事件の真相を追う一方で、テノーリオの元恋人や残された家族にも取材する。心に傷をを抱えた人々のプライヴェートに踏み込んでいくそうした取材のためには交渉を重ね、信頼を掴んでいく必要があったに違いない。アニメーションは次第にそういう苦さも滲ませたものになっていく。

アルゼンチンに限らず、1960年代から1970年代にかけて、南米では多くの国で軍事クーデターが起こった。ブラジルでは1964年。それがボサノヴァを失速させ、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルは軍事政権の圧迫を逃れて、イギリスに亡命した。ジョアン・ジルベルトもアメリカからブラジルに戻らず、メキシコに長く滞在した期間があった。チリでは1973年に軍事クーデターが起こり、シンガー・ソングライターのビクトル・ハラが処刑された。知識としては僕もそうした史実を知ってはいた。しかし、うっすらとした理解でしかなく、軍政下のミュージシャンの境遇について深く考えたことはなかった。

トルエバ監督はそうした歴史の暗部に深くメスを入れ、切り裂いていく。南米諸国の相次ぐ軍事クーデターは連鎖した出来事であり、そこには共産主義国家誕生を恐れた米CIAの関与があったという指摘にも映画は辿り着く。多くの音楽家がそこに巻き込まれ、人生を左右された。思えば、映画『チコとリタ』も才能溢れるキューバのピアニストとシンガーのカップルがキューバ革命による米国との関係変化によって引き裂かれ、音楽家としての未来も失ってしまうという物語だった。

映画『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』では、米国人の音楽ジャーナリストがブラジルやアルゼンチンを旅する中で、米国の覇権主義が南米諸国に与えた影響に気づかされていく。アルゼンチン軍によるテノーリオの惨殺は1986年には明らかになっていた事実だが、現代のアメリカ人がようやくそれを発見するという物語を設定したところに、スペイン人の監督が作ったこの映画の鋭い批評性があると言ってもいいかもしれない。

膨大な取材・証言で構成された本作は、音楽だけに集中できる時間は少ない。しかし、映画の最後で譜面だけが残されたテノーリオ作曲の「Viva Donato」という曲をジョアン・ドナートが弾くシーンは、トルエバ監督がこの映画のために仕掛けたもので、彼の音楽愛が凝縮されている瞬間に思われた。

トルエバは映画監督であると同時に音楽プロデューサーでもある。ラテン・ジャズのミュージシャンを追った2000年のドキュメンタリー映画『Calle 54』でキューバ出身のピアニスト、ベボ・ヴァルデス(チューチョ・ヴァルデスの父)のカムバックのきっかけを作り、以後、べボのアルバムを何枚もプロデュースしている。《Calle 54》というレーベルも主宰していて、シンガーのプリマヴェーラやギタリストのニーニョ・ホセレなどのアルバムもリリースしている。映画『チコとリタ』でベボ・ヴァルデスとともに作り上げた劇中の音楽のクォリティーもとても高かった。



フェルナンド・トルエバがプロデュースしたベボ・ヴァルデスとスペインのフラメンコ歌手ディエゴ・エル・シガラのデュオ作。2004年にラテン・グラミー賞のベスト・トラディショナル・トロピカル・アルバムに選出

本作の原題(スペイン語では「Dispararon Al Pianista〜撃たれたピアニスト」)がトリュフォーの『ピアニストを撃て』から来ているのは言うまでもないが、もうひとつ、トルエバ監督が意識した近年の映画に、2018年の『ジョアン・ジルベルトを探して』もあったのではないかという気がする。これはフランスのジョルジュ・ガショ監督がリオ・デ・ジャネイロに赴いて、撮影した作品で、監督が宿泊したコパカパーナの海岸沿いのホテルが舞台のひとつになっている。『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』でもジェフ・ハリスがコパカパーナの海岸沿いのホテルに宿泊する。実写とアニメの違いはあるが、同じようなベランダのシーンが見られたりする。



『ジョアン・ジルベルトを探して』トレイラー

『ジョアン・ジルベルトを探して』はジョアンに心酔していたドイツの音楽ジャーナリスト、マーク・フィッシャーの著作を元にした映画だ。フィッシャーはリオを訪れ、ジョアンとの対面の機会を探ったが、夢は叶わず、その体験を『Ho-ba-la-lá: À Procura de João Gilberto』という手記にまとめた。しかし、その出版前に彼は自殺してしまった。

ガショ監督はフィッシャーの手記を頼りに、同じようにジョアンへの接近を試みて、その過程を詩的に綴った映画を作り上げた。『ジョアン・ジルベルトを探して』ではガショ監督も結局、ジョアンには近づききれずに終わる。『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』のトルエバ監督はジョアンへの取材も成功させている。しかし、その道中には『ジョアン・ジルベルトを探して』と同じような時間があったのではないだろうか。



フェルナンド・トルエバ監督から日本の映画ファンへのメッセージ

片や監督自身が主演し、ジャーナリストの足跡を追う映画、片や監督が取材した内容をアニメ化して、架空のジャーナリストに語らせる映画。奇妙な対照性があるが、どちらも通俗的なドキュメンタリーのクリシェを避けた映画ではある。取材対象への誠実性があり、それゆえの緊張感を映画空間の中に抱えている。こういう音楽映画がもっと作られて欲しいなとは思う。(高橋健太郎)



想いあふれて


Text By Kentaro Takahashi


『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』

2025年4月11日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、キノシネマ新宿ほか全国公開

監督・脚本 : フェルナンド・トルエバ
声の出演 : ジェフ・ゴールドブラム
アニメーション監督 : カルロス・レオン・サンチャ
キャラクターデザイン : マルセロ・キンタニーリャ
編集 : アルナウ・キレス
サウンドエディター : エドゥアルド・カストロ
配給・宣伝 : 2ミーターテインメント/ゴンゾ
© 2022 THEY SHOT THE PIANO PLAYER AIE – FERNANDO TRUEBA PRODUCCIONES CINEMATOGRAFICAS, S.A. – JULIAN PIKER & FERMÍN SL – LES FILMS D’ICI MEDITERRANEE – SUBMARINE SUBLIME – ANIMANOSTRA CAM, LDA – PRODUCCIONES TONDERO SAC. ALL RIGHTS RESERVED.

公式サイト
https://bossanova.2-meter.net/home


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