音楽映画の海 Vol.1
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』
ビル・ポーラッド監督と実在する家族は映画に何を仕掛けたのか?
気がつくと、最近は週に一本くらいのペースで音楽映画を見ている。こんなに音楽映画が量産される時代が来るとは思わなかった。しかも、量ばかりでなく、質的な変化もそこにはある。そんなことを考えていた折に、本誌『TURN』から連載のお誘いが。じゃあ、毎月、音楽映画について書くのはどうでしょう? と岡村詩野編集長にお話しした。 “音楽映画の海”というタイトルは、ついさっき思いついた。ここで言う「音楽映画」というのは幾つかに分類される。大きく分ければドキュメンタリーとフィクション。だが、ドキュメンタリー映像を挟み込んだフィクションもあるし、フィクションを挟み込むようなドキュメンタリーもあるので、その境界線はくっきりしたものではない。 考えてみると、本当に様々なパターンがあるが、この連載ではこれらすべてをざっくり「音楽映画」として扱うことにする。実際のところ、僕は映画を観始める時には、そのへんの差異をあまり意識していない。あれ? これはドキュメンタリーかと思ったらフィクションなの? と観始めてから気がつくことすらあるくらい。ドキュメンタリーだからといって事実をそのまま伝えているとは限らない。それは監督の視点を反映した映画作品だと考えるし、フィクションが音楽をめぐる真実を鋭く抉り出していると思うこともある。ジョン・バティステが音楽を手がけた『ソウルフル・ワールド』(2020年)はピクサーのファンタジー・アニメだったが、あれほど深い音楽映画はなかなかないと思う。 ミュージシャンの伝記映画を見て、実在したそのミュージシャン以上に、映画中で俳優が演じているミュージシャン像に魅力を感じて、夢中になることもある。音楽体験として考えたら、それも当然のことだろう。オリジナル・ヴァージョンよりもカヴァー・ヴァージョンが好きになることだってあるのだから。現代の音楽映画ではそういうことがしばしば起こるようになった、というのが僕の実感だ。 さて、前置きが長くなったが、今回はもうすぐ日本公開される『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』という映画の話をしたい。先ほど、ひとくちに「音楽映画」と言っても、いろいろなパターンがあるということを書いたのも、ひとつには、この『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』を観たことが契機になっている。 『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』はブライアン・ウィルソンの半生を題材とした映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(2014年)を手掛けたビル・ポーラッド監督の新作だ。ポーラッドは監督としてはこれが三作目だが、プロデューサー、脚本家としては映画業界で長いキャリアを持つ。1955年生まれというから、僕とほぼ同世代である。 実話に基づくといっても、ドニー・エマーソンのキャリアについては何も知らないので、映画からの情報がすべてである。しかし、アフレック演ずる中年のミュージシャンの生活はリアルに感じられた。かつては野心的で、自分は成功すると信じていたが、辿り着いたのはプライヴェート・スタジオを経営し、ドラマーである妻とともにウェディング・バンドで演奏して何とか食いつなぐ日々。ああ、もう分かり過ぎるほどに分かってしまう。僕自身も僕の周囲のミュージシャンの多くも、同じような境遇を生き抜いているからだ。 ところが、思わぬ知らせが舞い込む。1978年、ドニーが16歳の時に兄のジョーとともに自主制作したアルバム『Dreamin’ Wild』がレア盤としてマニアの注目を集めているというのだ。アルバムはワシントン州フルートンのエマーソン兄弟の実家で、父親が庭に建ててくれたスタジオで録音されたものだった。ワシントン州シアトルを拠点とするリイシュー・レーベルの《Light In The Attic》のA&Rがそこにやってくる。実際にアルバム『Dreamin’ Wild』は2012年に《Light In The Attic》からリイシューされている。 リイシュー・アルバムが世に出て、コンサートの話も持ち上がり、エマーソン家の人々は喜ぶ。挟み込まれる十代の追憶シーンは、田舎の農場で暮らした家族の絆を印象づける。しかし、30年以上遅れたティーンエイジ・ドリームの実現は、ドニーにとっては痛みを伴うものだった。彼の音楽の才能を信じて、父親が多額の投資をしたことに、ドニーは引け目を感じ続けていた。家族の期待には添えなかったものの、50代に差し掛かるまで音楽家としての努力を重ねてきた彼にとって、若さの勢いで作った曲は、もはや演奏して楽しめるものではなかった。 たぶん、ここまで書いたくらいのことは、他の映画評でも書かれているかもしれない。だが、僕が驚き、打ち震えたのは、そんな映画の最後の数分間だった。感傷的なエピローグかと思いきや、そこには予期せぬ映画のマジックが仕掛けられていた(ここから先は、ネタバレを読みたくない人は、映画を観てからにした方が良いかもしれない)。 Text By
Kentaro Takahashi 『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』 1月31日(金) TOHO シネマズ シャンテほか全国公開
監督 : ビル・ポーラッド
ただし、最初に告白しておくと、僕は映画評を書くのは苦手である。時折、頼まれれば映画評も書いてはきたものの、それは音楽評とはまったく違うテクニックを必要とすると痛感してきた。ネタバレを避けるという音楽評にはないルールもあり、依頼される800字とか1200文字とか、そんな文字数では全然上手く書けずに終わる。餅は餅屋というか、映画評論家の友人はさすがだなあと思ってきた過去がある。
しかし、近年、音楽映画について長い原稿を書いてみると、これがよく読まれる。読者から大きな反応がある。そういう経験をするようになった。映画という題材を通して、音楽やその周辺のことを十分なヴォリュームで書く。それなら、僕にもやれることがあるかもしれない。そう思えるようになってきた。
近年の“音楽映画”の数々
さらに後者のフィクションには様々なスタイルがある。映画史の発展とも深く結びつく伝統を持つのはミュージカル映画。かつては、それはミュージシャンの重要な活躍の場でもあった。が、現代においてはもう、ミュージカル映画の様式はさほどポピュラーとは言えないかもしれない。昨今の音楽映画の主流は間違いなく、ミュージシャンの伝記映画だろう。有名俳優がビッグネームのミュージシャンを演ずる映画が次々に作られて、今年も話題を集め続けるはずである。
ここから先の分類を整理するのは、ちょっと混み入った話になってくる。ミュージシャンの伝記映画とは言えないものの、実在のモデルがいて、実話に基づく物語を描き出す音楽映画もある。音楽を重要なモチーフにしているが、ストーリー自体は完全にフィクションの映画もある。これらは、そこに使われる音楽が既存のものか、映画のために作曲されたオリジナルか、でも分類できる。
近年の例を少し挙げてみよう。例えば、コーエン兄弟が監督した『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013年)は「実在のモデルがいて、実話に基づく内容の映画」だった。明らかにデイヴ・ヴァン・ロンクをモデルにしているが主人公は別名。しかし、多くのエピソードは60年代のアメリカのフォーク・シーンの史実に基づいている。対して、ブレイク・ミルズが音楽を手がけたTVシリーズ『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』(2023年)の場合は、70年代のフリートウッド・マックをモデルにしているのは分かるものの、ストーリーは完全なフィクションで、音楽はオリジナルである。
「既存の音楽をモチーフにしているが、ストーリー自体はフィクションの映画」は、ビートルズの名曲満載のSFファンタジーだったダニー・ボイル監督の『イエスタデイ』(2019年)が分かりやすい例になりそうだ。アカデミー賞3部門をはじめ数多くの受賞作となったシアン・ヘダー監督の『コーダ あいのうた』(2021年)も同様の音楽映画に含めて考えていいかもしれない。一方、『はじまりのうた』(2013年)や『シング・ストリート 未来へのうた』(2016年)をはじめとするジョン・カーニー監督の一連の作品は「オリジナルの音楽を使った音楽的なストーリーの映画」となるだろう。
映画を観る前に僕が予備知識として入れておいたのは、『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』は実話に基づくフィクションであるということ。題材とされたドニー&ジョー・エマーソンという二人組は実在し、1978年に『Dreamin’ Wild』というアルバムを残しているということ。リイシューされているそのアルバムを軽く聴いてから、映画を観ることにした。主人公となるドニー・エマーソンを演ずるのは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でアカデミー賞の主演男優賞を獲ったケイシー・アフレックだ。
ケイシー・アフレック
少年時代のドニーとジョーを演ずるのはノア・ジュープとジャック・ディラン・グレイザー
『Dreamin’ Wild』は《Light In The Attic》からアナログ・レコードやCDでもリリースされている
音楽を辞めて久しい兄のジョーがドラマーとして復帰しようとするが、彼の拙い演奏にドニーは苛立つ。ブランクを埋める難しさ。これも僕は体験として知っている。ドラムはジョーじゃなくちゃダメと、ズーイー・デシャネル演ずる妻のナンシーがドニーを説得する。複雑な感情が交差する家族の物語が『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』という映画の軸をなしている。
題材となった音楽は70年代後半の時代感を持つ、ハッピーなロックンロールやスウィートなソウル・ミュージックのテイストがあるポップ・ソングだが、登場人物はみな老いを抱えながら、人生を見つめなおすことになる。
ズーイー・デシャネルとケイシー・アフレック。ズーイーはマット・ウォードと組むシー&ヒムとして実際に音楽活動もしている
アルバムのリイシューに伴うつかのまの狂騒が過ぎて、ドニーとジョーは地元のクラブで細々と演奏活動を続ける。アルバムの中でも最も人気を博した「Baby」という曲を二人が落ち着いたムードで演奏する姿が映し出される。ところが、曲が終わって、ドニーがジョーを観客に紹介する瞬間に、全員が急に歳を取る。ジョーの頭はすっかり禿げ上がっている。場面はさらに10年以上が過ぎたと思われる同じクラブの情景にすり替わるのだ。
そして、ナンシーを加えたバンドは「When A Dream Is Beautiful」という曲を演奏する。アルバム『Dreamin’ Wild』には収録されてない曲だ。職人的なソングライティングが凝らされた甘美なバラードが映画の最後を飾り、エンドロールへと移っていく。そのソング・クレジットまで来たところで、僕は震え上がった。
映画中のアルバム『Dreamin’ Wild』の曲の再演も、最後の「When A Dream Is Beautiful」も、演奏しているのはすべてドニー・エマーソン、ジョー・エマーソン、ナンシー・エマーソンだったのだ。実話を元に、俳優が演じるフィクションだと思っていたが、この映画はそれだけではなかった。《Light In The Attic》のリイシューからさらに10年を経たドニー&ジョー・エマーソンの音楽をサウンドトラックに刻み込んでいるのが、『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』という映画だった。それどころか、最後のシーンの老け込んだドニーとジョーとナンシーは本人達に違いない(あらためて確認しても、映画のクレジットにはそれは書かれていないが)。
何という驚くべき音楽映画だろうか。思えば、ドニー&ジョー・エマーソンの物語はドキュメンタリーにもできたはずである。2012年のリイシュー前後の活動は映像が残されているに違いない。十代の頃に自主制作したアルバムが発掘され、人気を得るというストーリーだけでも、十分にキャッチーなドキュメンタリーの題材になったはずだ。
だが、終わった物語を描くだけの映画には彼らは興味なかったのだろう。『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』という映画は、そこから先の彼らの人生、彼らの音楽があってこそ、生み出されたものだった。60代になったドニー&ジョー・エマーソンが「When A Dream Is Beautiful」という新曲を発表する。その瞬間のために、映画が準備された。何があっても音楽活動はやめないという彼らの意思を結晶させたのがこの映画だった。そんな風に考えることだって、できるかもしれない。
ドニー&ジョー・エマーソンとビル・ポーラッド監督は世代的にも近い。音楽をやめちゃダメだ、仲間を大事にして続けるんだ。そんなメッセージを放つ映画を作り出すべく、彼らは議論を重ね、アイデアを凝らしたのだと思われるが、さて、この映画は最初の方に書いた「音楽映画」のどのパターンに当てはまるのだろうか? 実はまだ混乱していて、よく分からない。劇場公開されたら、もう一度観て、考えてみることにしよう。(高橋健太郎)
《Light In The Attic》から2024年にリリースされたドニー&ジョー・エマーソンの新曲「Searching」
出演 : ケイシー・アフレック、ノア・ジュプ、ズーイー・デシャネル、ウォルトン・ゴギンズ、ボー・ブリッジス
配給 : SUNDAE
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公式サイト
https://sundae-films.com/dreamin-wild/