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ケンドリック・ラマーによるディス・ソング「Not Like Us」が歴史的1曲になるまで

30 August 2024 | By Keiko Tsukada

歴史的ディス曲の応酬:ドレイクvs.ケンドリック・ラマー

今年、ドレイクとケンドリック・ラマーが、驚くべきスピードと熱量で一線を越えまくった歴史的なディス曲の応酬を繰り広げ、ヒップホップ界を大いに沸かせてきた。とりあえず落ちついたように見える昨今だが、ふたりのビーフを振り返りながら、ケンドリックがロサンゼルスで開催したイヴェント《The Pop Out: Ken & Friends》、今や社会現象と化した「Not Like Us」に焦点を当てて、その全体像を探ってみたい。

ビーフのタイムライン

そもそもヒップホップの世界では、ラッパーが大袈裟に自分の自慢をするのはよくあることであり、その主張は往々にして軋轢(ビーフ)を生んできた。そしてビーフとは、ヒップホップ文化にとっての競技スポーツ、プロレスのようなエンターテイメントとしての側面を持ち、言葉遊びや比喩表現を武器に、ときにハッタリも含むラップでお互いのスキルを競い合うゲームとして、ファンを楽しませてきた。有名どころでは、ジュース・クルーvs.KRS・ワンのブリッジ・バトルから、ビギーvs.2パックのいわゆる東西抗争(これはふたりを死に追いやってしまったが…)、片っ端からビーフを仕掛ける50セント、長年続いたジェイ・Z vs.ナズまで、歴史的にも多くのビーフが繰り広げられてきた。

そしてその現代版が、今年話題になったドレイクとケンドリック・ラマーのビーフだ。ドレイクの『Take Care』(2011年)収録の「Buried Alive Interlude」、ケンドリックの『good kid, m.A.A.d city』(2012年)収録の「Poetic Justice」と、お互いに客演参加した友好的な時代はあったものの、ふたりの間の溝は徐々に深まっていった。なかでも最近繰り広げられたふたりの激しいディス曲の応酬はかなり話題になったので、既にご存知の方も多いかと思うが、簡単にタイムラインを振り返ってみよう。

・2023年10月31日にドレイクがリリースした『For All the Dogs』収録、J. コール客演の「First Person Shooter」(1人称視点のシューティング・ゲーム)で、J. コールが、ケンドリック、ドレイク、自身を「ビッグ3」と発言。これらのタイトルから、以降、ディスへのアンサー曲に、「犬」、「銃」のテーマが多く使われるようになる。

・2024年3月26日にフューチャーとメトロ・ブーミンがリリースした『We Don’t Trust You』収録の「Like That」で、客演のケンドリックが「ビッグ3なんてクソ喰らえ、ビッグなのは俺だけ(ビッグ・ミー)」と応戦。

・J. コールが4月5日にリリースした『Might Delete Later』(後で消すかも)に、「Like That」におけるケンドリックへの威嚇射撃的なアンサー曲として「7 Minute Drill」を収録したが、後に謝罪発言をして同曲をストリーミングから削除、実質的にビーフから身を引く。

・「Like That」へのアンサー曲として、ドレイクが4月9日に「Push Ups」、4月19日に「Taylor Made Freestyle」をリリース。「Taylor Made Freestyle」ではケンドリックが尊敬する2パックとスヌープ・ドッグの声をAI生成したことで、2パックの遺産管理側からの反応を受け、ストリーミングから取り下げる。スヌープは呆れてものも言えないという態度をとりつつ、平和にスルーしていた。

・ケンドリックが4月30日に、黒人文化との繋がりの薄さなどあらゆる角度からドレイクを批判する「Euphoria」、5月3日にドレイクの人格や行動を批判する挑発的な「6:16 in LA」をリリースして応戦。

・同日4月30日にドレイクが「Family Matters」で応戦。ケンドリックの婚約者を名指し、マネージャーのデイヴ・フリーが婚約者と子供のひとりの父親と発言(証拠はない)するなど、家族を巻き込んだ個人的な内容でケンドリックを攻撃し、ビーフがさらに激化。

・家族をネタに出されて怒り心頭のケンドリックが、5月3日にドレイクの家族に向けた手紙風の「meet the grahams」をリリース。ドレイクに対し「彼は死ぬべき」との発言や、噂されている隠し子の娘について暴露などを含む、非常にダークな内容で応戦。

・立て続けに翌5月4日、ケンドリックがマスタード制作のビートに乗せた「Not Like Us」をリリース。ドレイクに噂されている小児性愛を指摘するなど、ドレイクに徹底応戦の姿勢を見せる。リリース後、本原稿でも後に触れる6月19日開催のイヴェント、7月4日リリースの同曲MVを通して、このバトルの明暗を分けるモンスター曲に成長する。

・5月5日にドレイクが、ケンドリックがシリーズ化してきた曲名をもじった「The Heart Part 6」で「ちゃんと事実確認しろよ、俺が少女たちとヤってたら逮捕されてるだろ」と応戦(ドレイクはトロントを象徴する6を取って「シックス・ゴッド」と自称)。

補足:ヒップホップのリリック和訳、徹底解説については、Shot Gun Dandyさん(Mad Respect!)のYouTubeが最高なので、まだご存じない方はぜひ!
ShotGunDandyのHIP HOP和訳チャンネル

「Not Like Us」を歴史的重要曲へと引き上げた《The Pop Out: Ken & Friends》

しばらく静寂が続き、ふたりのビーフは収まったかのように見えた6月初旬、突如ケンドリックが、LA郊外のイングルウッドで《The Pop Out: Ken & Friends》なるイヴェントの開催を発表した。しかもイヴェント開催2週間前という唐突さ。わたしは幸運にもチケットを入手することができたのだが、ゲストは一切明かされていなかった。そのイヴェントが行われる6月19日は、アメリカ黒人の奴隷解放を記念する、ほんの3年前に連邦レベルで制定されたばかりの新しい祝日「ジュンティーンス」であるため、お祝いムードのイヴェントになることが予想された。また、アルバムを出していない時は公の場からしばらく姿を消してしまうことから、「突然出てくる」ことを意味する「Pop Out」というイヴェント名は、ケンドリックをよく表しているように感じられた。

~DJ Hedが紹介するニューアクトたち~

突然の告知だったこともあり、実はそこまで期待せずに出かけたイヴェント当日。4時から7時までというキッズも出かけられる時間帯に、Dスモークとサー(SiR)兄弟の地元、イングルウッドにある、《Kia Forum》(旧The Forum)のステージ上で、DJ Hed(カーソン出身)がビートを流す中、アップカミングなアーティストたちが次々と登場し、1ヴァースずつ、各自1分ほどパフォーマンスを披露した。調べてみると、みなコンプトンやLA郊外の出身のアーティストばかりで、わたしが知っていたウェストサイド・ブギー(コンプトン出身)とG・ぺリコ(サウス・セントラル出身) も登場した。本当にごくわずかなステージ時間だったのだが、ケンドリックの支援をバックに、みな誇らしげに晴れ舞台を盛り上げていた。全体的に舞台カラーは青でまとめられ、LAから全米に広がったギャング、クリップスを思わせた。

もうひとつ注目すべきは、後に「Not Like Us」のヴィデオに出演した、ピエロ(クラウン)の恰好をしたダンサーでレジェンドの、トミー・ザ・クラウン(サウス・セントラル育ち)の登場だ。後にクランピング(Krumping)と呼ばれるダンス・スタイルの原型、クラウニング(clowning)を考案したことで知られる彼は、ストリートのギャング活動やドラッグに関わることを防ぐために、インナーシティの子供たちにダンスを教え、ポジティヴなライフスタイルへと導いてきた。この夜もティーンエイジャーのキッズたちがトミー指導の元、鳥肌モノのダンス・パフォーマンスを披露してくれた。

~マスタード率いる大御所軍団~

そしてクリップスと共に2大ギャングと呼ばれるブラッズ/パイルズ(ブラッズの主要なサブセット)を思わせる赤の舞台カラーに変わり、LA出身のマスタードがDJセットと共に登場して、観客が一気に盛り上がる。最初にステージに登場したのは、310babii(スリーワンオーベイビー、イングルウッド出身)。高校生の時にベッドルームで録音した「soak city (do it)」がSNSを通してバズり、デビューを果たした18才だ。

次はブラスト(Blxst、サウス・セントラル出身)とタイ・ダラー・サイン(サウス・セントラル出身)が登場し、ヒット曲「Chosen」を披露すると、会場が明るく活気づいた。次は『From the Westside with Love』シリーズでもお馴染みのドム・ケネディ(ラマート・パーク育ち)が登場。彼はそこまで名の知れたアーティストではないかもしれないが、地元LAでは絶大な人気を誇っている。

そして、みんな大好きスティーヴ・レイシー(コンプトン出身)が登場。スティーヴと言えば、iPhoneで音楽制作を始め、ケンドリックの『DAMN.』(2017年)収録「PRIDE.」の制作など、飛び抜けた才能でジ・インターネットだけに留まらない活躍を披露してきた。この夜は「Static」をパフォーマンスし、会場がスウィートな雰囲気に包まれた。

そしてそして! おそらく、この日一番予想外だったのが、タイラー・ザ・クリエイター(ラデラハイツ出身)の登場だった。彼が主催するフェス、《Camp Flog Gnaw》もほぼ毎年参加するほど大ファンのわたしは、会場が大合唱する「WusYaName」、「EARFQUAKE」のパフォーマンスを、正気を失って思いっきり楽しんだ。タイラーとケンドリックは、一見あまり繋がりがないように見えるかもしれないが、評価が大きく割れた、自身の真実を開示したケンドリックの『Mr. Morale & the Big Steppers』(2022年)を、タイラーは大絶賛していた。去年のタイラーのフェスでもケンドリックとベイビー・キームがヘッドライナーを務めているから、この夜お互いへの尊敬の念を再確認できたのは、個人的にとても嬉しかった。そしていつものように、最後に「ありがとう」と深いお辞儀をして、観客に感謝の意を表したタイラーの謙虚さにも、心が温まった。

そして(涙)。真っ赤な会場が突然ブルーに変わってモニターに「RIP NIP」と映し出され、マスタードが「Perfect Ten」を流して観客をニプシー・ハッスル(サウス・セントラル出身)追憶モードに誘った。これにはもう、彼が生きてライヴをしてくれていたなら……と願わずにはいられず、泣けて泣けてしかたなかった。観客はみなスマホのライトを灯して天国のニプシーを想った。悲しみに打ちひしがれる中、「Last Time That I Checc’d」が流れると、会場は涙を拭いてニプシーのレガシーを祝う雰囲気にシフトした。

引き続き青い会場の中でロディ・リッチ(コンプトン出身)が登場し、ニプシー追憶ムードを引き継ぎながら、ロディが客演した「Racks In The Middle」を披露した。LAのレジェンド、ビッグ・ボーイ(シカゴ生まれ、LA育ち)が司会する「Big Boy’s Neighborhood」という番組で後に明かしていたのだが、ロディはこのイヴェントへの参加をケンドリックに打診された時、同じタイミングでパリ・コレクションに参加する予定だったのだという。その時の彼の言葉が非常に印象的だった。

「パリに行く予定を立てていたから、ドット(ケンドリック)に、 『既に大金費やしちゃったんだよー』と伝えると、『分かるよ。お前がやるべきことをやれよ』って言われてね。数日考えてみたけどさ、(このイヴェントに参加することは)パリよりずっと大事なんだよ。いろんなコミュニティの人たちが集まって、友情を育む姿を見れたのは素晴らしかったね。ステージの上だけじゃなく、バックステージでも、みんなが握手を交わしてさ。カネを払って買えるもんじゃないし、その瞬間は絶対に再現することもできない」

そして再び会場が真っ赤になって登場したのが、ニプシーやマスタードとも縁の深いYG(コンプトン出身)だ。ドレイクvs.ケンドリックのビーフでは、ドレイクがコンプトン出身のYGやザ・ゲーム(この日は参加せず)と仲が良いことを自慢していたため(また、YGとマスタードは確か最近仲違いしたと記憶していたため)、この日の出演は正直、ちょっと意外な気がした。しかしYGは、「My N***a」や「You Broke」など、カリスマ性溢れるパフォーマンスで大物の貫禄を見せつけてくれた。

休憩をはさんで、E-40(ヴァレーホ出身)の録音されたナレーションが流れると、ついにケンドリックの登場だ。静かなヴァースの「euphoria」で始まり、オンライン上で発表されてきたディス曲が初めてライブで披露された瞬間となった。ケンドリックの怒りが露わになるヴァースになると、合わせてステージで花火が噴き上げ、会場にも一気に興奮。新しい曲にもかかわらずシンガロングしている観客も少なくなかった。

過去のヒット曲である「DNA.」、「ELEMENT.」、「Alight」、「Swimming Pools (Drank)」で会場を熱狂に包んだ後、ケンドリックが感情的に「カリフォルニアのすべてのギャングがひとつのステージで団結しているなんて、マジでとんでもないことなんだぜ。だから、過去と未来を見せていくのは、至極当然のことだ」と言うと、「Money Trees」のイントロが流れて会場がエモーショナルな雰囲気に包まれる。

同時に、この曲を演るということは……とワクワクどきどきする気持ちを抱えていると、やはり客演のジェイ・ロック(ワッツ出身)が登場し、またもや正気を失いながらもエモさがさらに高まった。「Money Trees」が終わった時に、無名な頃から同じ《TDE》(Top Dawg Entertainment)のレーベルメイトとして切磋琢磨してきた旧友のジェイ・ロックを紹介するときの、ケンドリックの嬉しそうな声といったら。そして「WIN」とくればもう、スマホなど忘れて盛り上がらずにはいられない。ケンドリックとジェイの息の合った掛け合いはホーミー愛に満ちていて、観ているこちらまで嬉しさがこみ上げてくる。「King’s Dead」、「Wow Freestyle」と、ジェイのケンドリック客演曲が続いていくと、頭に思い浮かぶのは……。

やはり、やはり、次はアブ・ソウル(カーソン育ち)の登場だ。表舞台にしゃしゃり出ることを嫌い、ホーミーを立てるアブちゃんらしく、彼はあえて自分の曲を演らずに、ケンドリックがドレイクへのディス曲「6:16 in LA」を披露。アブちゃんが相槌を打つ中、ケンドリックが向かい合うアブちゃんの右肩にずっと手を置いてスピットする姿は、ふたりの硬い兄弟愛と信頼がうかがえる光景だった。ジェイ、アブちゃん、ケンドリックがステージを歩き回って観客と掛け合いをしている間中、わたしの胸は高鳴りながら、脳内でずっと「あの曲」のビートが鳴っていた……。

ケンドリックが「他にも何か忘れてるよな?」と言うと、案の定「Collard Greens」のイントロが流れ、もうわたしは気絶しそうになりながら(笑)、スクールボーイ・Q(サウス・セントラル育ち)とジェイ、アブちゃん、ケンドリックと一緒に、最高すぎる「Collard Greens」、そして続く「THat Part」を思う存分楽しんだ。ブラック・ヒッピーが勢揃いすると、3人が楽しそうにステージで踊る中で、ケンドリックは伸び伸びと「King Kunta」のパフォーマンスを披露(We want the FUNK!)。ああ、なんという幸せな夜。

仲間がステージを去ってからも、ケンドリックは「m.A.A.d city」(MCエイトが参加しなかったのは残念)、「HUMBLE.」で会場を盛り上げた後に、ついにディス曲「Like That」を投下してきた。

「さっきも言ったように、デイ・ワン(売れる前から支えてくれた仲間たち)で始めるのが当然だよな。彼らのレガシーがなかったら…」とケンドリックが語り始めると、なんとドクター・ドレー(コンプトン出身)が「Still D.R.E.」のあのピアノのイントロと共に登場し、観客はケンドリックの言葉の意味を理解することになる。子弟関係のふたりは、お互いをリスペクトし合い、コンプトンへの愛を表明した。

すると「California Love」のパフォーマンスが始まった。ケンドリックには、子供の頃、コンプトンで行われた同曲のMV撮影現場に、父親の肩車に乗って観に行った思い出がある。その頃のケンドリックは、パックとドレーの姿を見て、自分もいつか彼らに負けないほどの大物になることを、思い浮かべていたのだろうか。時が流れ、彼は子供心に父の肩から見たヒーローと同じステージに上がれるほどの「ビッグ・ミー」になっていた。

しかも、曲の始まりに入った囁き声、「Psst, I see dead people」(映画『シックス・センス』内の台詞を引用)をドレーに言わせるという、何とも粋な始まり方で「Not Like Us」に突入し、1万6千人の観客が揃ってこの曲のリリックを大合唱した。考えてみれば、ディス曲でここまで盛り上がるコンサートなど、今まであっただろうか? 冷静に考えれば、そして敵の立場になって考えてみれば、なんともたちの悪いジョークのような気がしないでもない。

〜繰り返し鳴り響く「Not Like Us」〜

しかしこの夜「Not Like Us」が果たした役割のひとつは、「ドレイク対西海岸」の構図を強調しながらも、地元で敵対してきたギャングたちの団結へと昇華させたことにあるだろう。パフォーマンスが終わると、ケンドリックは湧き上がる会場に向かって、「俺たちは誰にもウェスト・コーストをディスリスペクトさせないよな? 俺たちは誰にも俺たちのレジェンドの真似なんてさせないよな?」と団結を呼びかけた。そうだ、ドレイクはアンサーソングで2パックの声をAI生成してケンドリックに対抗するという、地雷を踏んでしまったのだ。ただでさえ、ゴーストライターにリリックを書かせているという噂が絶えないドレイクは、決して敵に回していけない相手を敵に回してしまったのだ。

盛り上がりは治まる気配もなく、「Not Like Us」は3回、4回と繰り返され、ジェイ・Zとカニエ・ウエストが、ふたりのジョイント・アルバム『Watch The Throne』(2011年)のツアーで、メガ・ヒット曲「Ni**as In Paris」を7回ほどアンコールでパフォーマンスしたことを思い出した(彼らはツアー中に同楽曲を最高12回繰り返したらしい)。当時幸運にもLAでライヴを観に行くことができたわたしは、右足首を捻挫していたにも関わらず、左足でジャンプしながらトランス状態で盛り上がった。今夜の「Not Like Us」も、ノンストップであの時の興奮に負けない盛り上がりを見せていた。

ちなみに、マスタードはケンドリックに使ってもらうべく、毎日ビートを5つ送り続け、その中のひとつがこの「Not Like Us」になったのだそうだ。これはモンク・ヒギンズというサックス奏者が、レイ・チャールズのオリジナル曲「I Believe to My Soul」をカヴァーした1968年の曲からサンプリングして作られている。それはマスタードがほんの30分で作ったビートだったが、実際に曲がリリースされるまで、まさか自分のビートが、しかもあんな風に使われるとは、まったく知らなかったという。

そして特筆すべきは、4回目、5回目辺りから、ケンドリックが「俺たちはニプシーが死んでからというもの、コービーが死んでからというもの、うちのめされてきた。異なるギャングのセクションの人たちが、ひとつのステージでずっと平和に接する姿を、俺たちは見たことがない」と語りかけながら、ステージ際のゲスト陣を次々とステージに上げて、皆が曲に合わせて踊り出したことだ。その中には、LAのラジオ司会者のビッグ・ボーイ、NBA選手のラッセル・ウエストブルック(ロングビーチ出身)や、「Not Like Us」のリリックやMVにも出演したデマー・デローザン(コンプトン出身)の姿も見えた。

しかも彼らは、ステージ上で所狭しとそれぞれのギャングを象徴するクリップ・ウォークやブラッド・ウォークなどのダンス・ステップで、何とも楽しそうに踊っている。異様な光景とは言わないまでも、敵対するギャング同士のダンスが同時に、しかも平和に展開するという、目を疑うような光景が広がっていた。そこにはただ、楽しい時を過ごす仲間たちがいるだけだった(ちなみにスヌープも、パリ・オリンピックの開会式でトーチを持ちながらクリップ・ウォークしていた)。さらにケンドリックはステージの一箇所に皆を集め、集合写真を撮影し始める。皆に召集をかけながら、「これは最高な団結の瞬間だ。イングルウッド、ロサンゼルス、君たちが成し遂げてくれたんだ。最高に誇りに思ってる。エモーショナルになっちまうぜ」と語っていたケンドリックの姿を、今も忘れることができない。

現在は昔ほど敵対するギャング同士の抗争はなくなり、クリップス内、ブラッズ内の派閥争いが続いていると、以前聞いたことがある。そして、そんな敵同士が過去に停戦協定を結んだのは、LA暴動の時くらいだったとも(敵は同胞ではなく、人種差別的な蛮行行為を働く警察、権威側なのだと気づいたことから)。あまりに多くの同胞の死を耐え忍んできた者たちの気持ちを、わたしは想像することしかできない。しかしそんな過去と現実を抱える彼らの貴重な団結が実現する瞬間を、そして「Not Like Us」が単なるディス曲を超越し、実際に西海岸のアンセムとして体現された瞬間を、売上や名声より文化に重きを置いたケンドリックにファンが共鳴した瞬間を、アメリカ黒人の解放を祝うジュンティーンスという祝日に、わたしたちは目の当たりにしたのだ。

さらに、《The Pop Out: Ken & Friends》で地元を団結させた偉業を讃えて、スヌープに「K・ドット、お前はウェスト・コーストのキングだ。あれはキングがとるべき行動。俺たちは団結するんだ」と言わしめた。これは2011年に、スヌープ、ドレー、ザ・ゲームら、ビッグホーミーからステージ上でウェスト・コースト・ラップのトーチを渡され、泣きじゃくったケンドリックの姿を思い起こさせる。

また、先日行われたComplexのインタヴューでのスヌープ(ロングビーチ出身、元クリップスのメンバー)のコメントが、このイヴェントを見事に要約していた。スヌープと同郷で元ギャングのヴィンス・ステイプルズが《The Pop Out》に関して、「長い間、水面下では多くの地域(のギャング)が結束してきていて、それが今カメラに収められただけ」と指摘している。それに対してスヌープは、「それは事実だ。でも、ケンドリックはシティ全体を結束させたんだ。キングの立場を生かして、ラップビーフという暴力的な状況から平和を作り出し、ホーミーたちがステージに上がり、MVや彼のムーヴメントに参加し、彼のように行動する機会を与えた。彼は平和、愛の人だ。彼はギャング出身じゃないが、ギャングが多い都市の出身で、その都市を結束させた~暴力的な曲から平和を生み出したことは、評価されるべきだ」とケンドリックを称賛している。

また、先日YGが、パイルズ(ブラッズのサブセット)の2つの派閥のリーダーと共に、コンプトンで平和の行進を先導しながら、10年続いた派閥抗争の停戦に踏み出した。直接ケンドリックの影響がなかったとしても、平和のエネルギーが広がっている印象を受けた。

わたしはこの日ほどLAに引っ越してきたことに喜びを感じたことはなかったし、この歴史的瞬間を体験できた喜びで胸をいっぱいにして、帰途についた。この夜以降、ケンドリックの過去の作品がリフレッシュされた新作のように、また新たな気持ちで楽しめることができたのも、とても嬉しいお土産となった。

コンプトンに描かれたケンドリックの壁画。
壁画左)2016年にコンプトンへの「Key To The City」(顕著な活躍をした住民に送られる賞)を受賞したケンドリック
壁画右)「BET Hip Hop Awards 2023」で4つの部門(最優秀ヒップホップ・アーティスト賞、最優秀ライブパフォーマー賞、最優秀リリシスト賞、デイヴ・フリーと共に最優秀ビデオ監督賞)を受賞したケンドリック

「Not Like Us」MVが生み出した社会現象

イギリスからの独立を祝う、アメリカで最も盛大な祝日のひとつである独立記念日、7月4日に、ケンドリックが「Not Like Us」のMVをリリースした。《The Pop Out: Ken & Friends》の開催辺りから、コンプトンでこの曲のヴィデオ撮影をするニュースが流れていたのだが、親戚や友人が集まってビールを飲みながらBBQを楽しむ祝日にぴったりのお祝いモードのMVになっている。

完成度の高い「Not Like Us」のリリースから、「Pop Out」イヴェントによって影響力がさらに増大した時点で、既にこのビーフでの勝敗は明らかに見えた。しかし、信じられないほど細部にこだわった、芸術的なヴィジュアルが加わったこのMVのリリースによって、ケンドリックの勝利は完全に確定し、揺るぎないものとなったことは、多くの人が認めるところだろう。

その結果は数値にも裏打ちされている。この原稿を書いている8月12日時点で、この曲とMVが更新した記録を一部挙げてみよう。

・5月4日:「Not Like Us」リリース。

・5月15日:全ストリーミング・サイトで合計9600万回のストリーム回数を記録、すべてのジャンルで、この10年の間に1週間で最もストリームされた曲となる。

・6月11日:リリース後35日間でSpotifyで3億回ストリームされ、至上最速でストリームされたヒップホップ・ソングとなる。

・6月25日:グラミー賞にノミネートされる可能性が浮上。

・7月4日:「Not Like Us」MVが公開。

・7月5日:リリース後24時間以内にMVが1,910万回再生され、YouTube史上初日に最も観られたヒップホップMVの記録を更新。

・7月16日:2024年に最も売れたラップ・ソングの記録を更新。

・8月1日:Spotify上でドレイクの全曲のストリーム回数を上回る。

・8月5日:アメリカ国内で400万回の売上を更新、今年アメリカで最も売れた曲となる。

・8月12日:2パックの「Hit ‘Em Up」の記録を破り、Spotify至上最もストリームされたディス曲となる。

その影響力は留まるところを知らず、アメリカ次期大統領候補のカマラ・ハリスが7月30日にアトランタで行った民主党の集会で、早速「Not Like Us」をかけて、支援者の団結を即していた。政治集会での使用をケンドリックが許可したかどうかは定かではないが、本人の意図を超えて影響を与える様は、『To Pimp a Butterfly』(2015年)収録の「Alright」が、自然発生的にブラック・ライヴズ・マター・ムーヴメントのアンセムになった出来事を思い起こさせる。さらに、「Not Like Us」のMVにインスピレーションを受けたヴィデオ・ゲームまで作られている。

さらに「Not Like Us」の影響はアメリカ国外にも広がっている。南アフリカのとある学校で青年たちがブラスバンドで「Not Like Us」を演奏し、チャントする様子がSNSで拡散されていた。またケニアでは、Z世代ラッパー、サビ・ウーが「Not Like Us」にインスピレーションを受けて同曲をサンプリングし、2024年財政法案に異議を唱えた「Reject Hio Bill」と題された曲を生み出し、法外な増税案を打ち出したケニア政府に変革を求める運動のテーマソングになったという。そして、つい最近日本に旅行に行ったというアメリカ人の青年に聞いた話では、おそらく野球関連のイヴェントで明治神宮球場に行った際にこの曲が流れていたらしく、その影響力をあらためて思い知った。

それでは、肝心なこの曲のメッセージとは? 先日、《ユニヴァーサル・ミュージック・ジャパン》でリリック和訳を担当させていただいたので、紹介させていただきたい。字幕で収まる長さに調整する必要があるため、複雑なダブルミーニングや背景の説明ができないところに歯痒さは残るが、雰囲気が伝わっていれば幸いだ。

この和訳に加え、このMVでわたしが個人的にびっくりした芸の細かさ、その考察など、SNS等で紹介されていた情報を元に触れておきたい。

イントロ:まず、MVのイントロ部分には、ストリーム曲にはなかった新たなパートが追加されている。ここを訳している時に、何だか支離滅裂でいまいち意味が通じないなと感じていたのだが、それもそもはず。このイントロ部分は、なんと、ドレイクが過去にリリックを盗んだ曲のタイトルをパズルのように繋げたものだというのだ。まさかとは思ったが、各曲のカヴァー・アートと曲名に合わせてプレイする《Notez Studio》の説明をご覧いただきたい。この情報には度肝を抜かれたと同時に、ケンドリックの用意周到さ、徹底的なリサーチ、その執念深さと攻撃力に、正直ちょっと怖くなった(笑)。ケンドリックを決して敵にまわしてはいけない(Kendrick Lamar ain’t nothin’ to F*** with)、と思い知らされた瞬間である。

1:16~1:33:ケンドリックが腕立て伏せをする姿は、以前SNSでミーム化されたこともあり、特に何の変哲もないように見える。しかしPigeons & Planesの情報によれば、「なあ、ドレイク、未成年が好みなんだってな」と言いながらケンドリックが簡易ベッドの横で腕立てするこのシーンは、1997年にユルゲン・テラーという写真家が撮影した有名女優/モデルのミラ・ジョヴォヴィッチのイメージと視覚的に酷似していると指摘する。フランスのモデルスカウトであるジャン=リュック・ブルネルが11歳のジョヴォヴィッチを発掘し、未成年のうちからモデルとしてのキャリアを始めるが、業界での虐待報告を受けてブルネルは業界から追放されるも、児童の性的人身売買の容疑で悪名高い実業家、ジェフリー・エプスタインの資金提供を受けて、《MC2 Model Management》を設立。後にブルネルはさらなる告発で逮捕され、刑務所で自殺している。未成年の女子に手を出している噂が立てられているドレイク(立証はされていない)への、非常に芸の細かい攻撃的な描写には、驚愕せざるを得ない。

1:42~1:50:「Aマイナーのつもりか?」という言葉には、音楽のコード(和音)に加え、未成年を意味する「マイナー」という裏の意味もある。アメリカでは女の子が道路にチョークでマスを書いて数字を振り、その上をけんけんして遊ぶホップスコッチを、ケンドリックがAマイナー音と合わせて歌いながらけんけんする姿には、「そこまでやる!?」と突っ込みながらも、思わず爆笑してしまった。中には、ケンドリックはトロントを象徴する数字「6」を敢えて飛ばしてけんけんしているという指摘さえあり、もう考察は底なし沼に嵌っていると言えるだろう。

2:03~2:38:マスタードと一緒に高級車に乗って参上するのが、コンプトンにあるチェーン店、タムズ・バーガー(Tam’s Burger)だ。このMV撮影後にこのバーガー店の売り上げは爆上がりしたそうで、今では店の外に「Not Like Us」の壁画が描かれている。壁画を見に先日訪れた際にも、取材撮影した人たちがバーガーセットを楽しんでいた(ちなみにMV撮影の時にケンドリックが注文したのは、ベーコン・チーズ・バーガーだったそう)。

このタムズ・バーガーについて、わたしが翻訳を担当させていただいたケンドリックの評伝『バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝』の中に触れておきたい場面がある。当時8歳だったケンドリックは、小学校の帰りにローズクラン・アヴェニューにあるこのタムズ・バーガーの前を歩いていた時に、ドライブスルーでバーガーを注文していたある男性が、銃で撃ち殺される姿を目撃している。そしてケンドリックは5歳の時にも、ティーンエイジャーのドラッグ・ディーラーが、彼のアパートの目の前で撃ち殺される姿を目撃している。だからわたしがタムズ・バーガーを訪れた際には、楽しそうなMVのシーンとは裏腹に、常に危険に晒された環境の中で育ち、「闘うか逃げるか」の選択を常に迫られ、多くのホーミーや親戚を亡くしながらも奇跡的に生き残り、世界を熱狂させているケンドリックの軌跡を想った。

「Not Like Us」MVの撮影現場になった、コンプトン、ローズクラン・アヴェニュー沿いのタムズ・バーガーに描かれた壁画 タムズ・バーガーの店内

0:20~0:23、3:30~3:47:Rap Marathonの情報によれば、イントロに出てくるよく知られるドアのノック音は、「Shave and A Haircut Two Bits」と呼ばれ、1899年にチャールズ・ヘイルという人物が発表したミンストレル・ショー(19世紀初期に白人俳優が顔を黒塗りして、コミカルに黒人の真似をして始めた演劇)の曲、「At A Darktown Cakewalk」に由来する。“Darktown”はジョージア州アトランタのアフリカ系アメリカ人居住区だった。“Cakewalk”という言葉は、今では「楽勝」という意味に曲解されるようになったが、元々人種差別に根ざしており、大農場で奴隷にされたアフリカ人が強制的に踊らされたダンス・コンテストで、最も奇妙な歩き方をした者が賞品としてケーキをもらえたことが語源になっていて、奴隷が奴隷主の作法を公然と嘲笑する手段となった。この歴史を知ると、ケンドリックがアトランタの黒人の歴史を語りながら、ダンサーと共にコミカルな歩き方をして見せる意味合いと、金を稼ぐためにアトランタに駆け込むドレイクを入植者と罵るヴァースと重なってくる。

おそらくこのMVには、まだまだ解明されていない細かい芸が何層も仕込まれているのだろうと想像する。それにしても、ケンドリックのアイディアを綿密に体現する能力、入念にリサーチする完璧主義、カルチャーを軽んじる者への想像を絶する攻撃、楽曲だけでなく視覚的にも芸術的なレベルの技を織り込んだMVの完成度の高さには、驚きを隠せない。

そしてこの視覚的な芸術性には、ケンドリックのマネージャーであり、《pgLAng》ブランドのパートナー、ケンドリックと「Not Like Us」の共同監督を務めた映像作家、デイヴ・フリーが非常に重要な役割を果たしているだろう。デイヴは、《pgLAng》が「クオリティ、高水準、魅力的、先進的、未来」を特徴にして正しく提供できれば、何百年も続くブランドになると確信していると、elephant.artのインタヴューで語っている。

高校生の時に出会い、音楽業界での成功を目指していたデイヴとケンドリックは、ラップだけでなく、コメディアンのマーティン・ローレンス主役のコメディ番組『Martin』好きで意気投合した(デビュー当時のケンドリックは、『Martin』を知らない白人のインタヴュアーに呆れ、席を立ったエピソードがある)。『Martin』がいかに限られた手段で上質のブラックアートを作り出したかに魅了されたふたりは、映像作品にも同様のエネルギーを注いだという。彼らは「リトル・ホーミーズ」と名乗り、黒人コミュニティにより深いインパクトを与えた広大な景観や大規模なイメージに重きを置いたというから、今わたしたちが目にしているケンドックの映像作品へのこだわりは、その頃に始まっていたのだ(※エピソードは『バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝』より)。

「ラップの南北戦争」とも呼ばれる、このドレイクとケンドリックの歴史的なビーフ。「自分こそが(今活躍しているラッパーの中で)トップ」であることを証明すべく、ふたりは激しいディス曲の応酬を繰り広げた。振り返ってみると、人気を重視してトップの座を失う恐怖に煽られて闘ったドレイクと、ヒップホップが誇る芸術性を伝統的な流儀で証明すべく、驚異的なスキルを提示して闘ったケンドリック、という構図が浮かび上がったように思う。

売上(ストリーム数)や人気度、メロディを重視し、大衆を魅了するキャッチーな曲を作る能力において、ドレイクは天才的で、まさに彼がよく自身と比較するマイケル・ジャクソンのような、ヒップホップ界のポップスターと言えるだろう。

かたやケンドリックは、人気よりヒップホップの芸術性と文化を重視し、コンセプトに基づいた非常に緻密かつ複雑なフロウとライム、聴き手が共感できるストーリーテリングなどで、時の試練に耐えうる職人技のクラフトを創り出してきた。まさに現代ヒップホップのキングに相応しい芸術家だと感じている。

もちろん、ふたりとも行き過ぎたところはあったと思うが、ヒップホップ界のトップに君臨するスターであり続け、これからもそれぞれのファンを魅了し続けるだろう。聴き手の知的探求心を刺激し、ヒップホップ愛を十二分に表現してわたしたちを楽しませくれたふたりに感謝したい。これだからヒップホップはやめられない。(文・写真/塚田桂子)

《The Pop Out: Ken & Friends》で撮影された集合写真が、「THANK YOU KDOT」というメッセージと共にコンプトンのビルボードに飾られている。この集合写真は『To Pimp A Butterfly』のカヴァー・アートを彷彿とさせるという声も

Text By Keiko Tsukada

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