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映画『NOPE/ノープ』
銃からカメラへ
──その先の景色を捉えること

02 October 2022 | By Tatsuki Ichikawa

思うに、前作『アス』(2019年)のラストにおける、ミニー・リパートンをダイナミックに流すような大胆なポップミュージック使いは本作にはない。しかし、“未知との遭遇“を想像する前半から一転、直球なエンターテイメントとして後半戦になだれ込んでいくジョーダン・ピールの新作『NOPE』が見せる大胆さ、そして豪快さは忘れ難い。

『NOPE』は風を切り走る馬に跨って、アメリカ映画のジャンル史を駆け抜ける。SFからホラーに、ホラーからモンスター映画に、そして映画は西部劇、もしくはアメリカンヒーローの映画として着地する。

ジャンルという定型は時代が進むごとに、少しずつ変わっていくものであるだろう。いや、変わらず物語る作品も存在するが、少なくとも『NOPE』はそうではない。至ってシンプルな定型を、シンプルに見せること。少なくとも映画の前半においては、そのことを拒んでいるようにも見える。その姿勢は逸脱や脱線、破綻を恐れていない。

例えば、ストレートな“未知との遭遇”を回避する前半が醸し出すのは、怪奇映画、または心霊映画のようなムードだ。“動かない雲”の不気味さは心霊写真に対する気味悪さと同種のものであり、スティーブ・ユアン演じるジュープが子役時代に経験した“チンパンジーの惨劇”は、まるで怪談話のように語られ、映画の前半の至る所に挿入される。

一方で、映画は超常的なムードからフィジカルな転換を見せる。映画後半、Sheb Wooley「The Purple People Eater」を口ずさむ(サウンドトラックのクレジットでは“Purple People Reader”となっている)マイケル・ウィンコット演じるベテランの撮影監督に、「Show Me The Way To Go Home」を歌う『ジョーズ』(1975年)のロバート・ショウの姿を重ねたのは自分だけだろうか。だとしたら、本作における主人公兄妹の家(それは映画中盤で血のシャワーを浴び、怪奇映画のような血塗られた屋敷に変貌する)は、サメ退治に向かう3人の海の男を乗せたオルカ号なのだろうか。飛行物体の正体が明らかになる映画後半は、周囲を脅かすモンスターの脅威に立ち向かう市井の人々の物語に変化する。

かつての『ジョーズ』、そしてピール自身もフェイバリットに挙げるモンスター映画『トレマーズ』(1990年)が白人男性による非常にアメリカ的なヒーロー譚(街を脅かす脅威に打ち勝つ)だったのに対し、本作は様々な転換を経て、ジャンル自体のアップデートを示す。

映画史において見て見ぬふりをされてきたもの。劇中で歴史上初めての映画と言われるエドワード・マイブリッジによる連続写真には、馬を走らせる黒人騎手が写っていた。被写体である彼の存在は無視され続け、その子孫である兄妹はハリウッドの片隅で農場を経営する。黒人の被写体、そして製作者の隠匿と摂取はハリウッドの闇として、この映画の背景に影を落とす。

例えば、クエストラブによる映画『サマー・オブ・ソウル』(2021年)は歴史に葬られた“黒人のウッドストック”を、現代に回想し、歴史に刻むためのドキュメンタリーであった。さらに近いところで言えば、かつてのマリオン・ヴァン・ピーブルズによる映画『黒豹のバラード』(1993年)を想起させる映画『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』(2021年)は、史実と反してその存在を無いことのようにして語られてきた黒人のキャストのみで、アメリカ製西部劇を語り直した作品だった。そして、『NOPE』もまた、白人主義の歴史を奪還する。

トーマス・アルフレッドソンからクリストファー・ノーランにまで、自作のショットを託されてきた撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマによる本作の撮影は、開けた広大な空間性を大いに生かし、贅沢かつクリアな映像を生み出している。荒野を舞う砂埃、そして夜の暗闇(かつてジョン・フォードがそうだったように、本作のいくつかの夜間場面は“アメリカの夜”の手法を使っている)の先の景色を、確かに収めるショット。その手腕はまるで、遠方の獲物を仕留めるスナイパーのようである。

カメラは銃だ。『ジョーズ』においても、または『トレマーズ』においても、銃は銃として出てきたが、この2作を特に連想する、西部劇のプロットを模したモンスター映画である本作に銃は出てこない。彼らの目的は、怪物を銃で仕留めることではなく、ショットを収めることなのである。

ピールの作品においてカメラというモチーフが登場したのは本作が初めてではない。そう何よりも『ゲット・アウト』(2017年)の主人公が写真家であった事実を忘れるわけにはいかないだろう。『ゲット・アウト』におけるカメラのシャッターは、肉体を乗っ取られた黒人の人々に自我を取り戻させるもの、つまり不気味さの奥にある真実を捉えるものとして機能していた。そして同時に、劇中における「写真」も主人公に真実を伝えるものとして役割を果たす。一方で、同作に銃が出てきたことも見逃せない。クライマックスに登場する銃は、主人公を葬ろうとする存在として出てきた。ここで葬るものと刻むものとして、銃とカメラの役割は対をなす。

この銃とカメラの関係性を記憶しているのであれば、銃の代わりに徹底してカメラを武器とする『NOPE』の直向きさに胸を打たれずにはいられないだろう。かつて葬ることで大団円を迎えていた同ジャンルだが、本作は歴史を捉えること、刻むことにこそ価値を見出す。その時、銃はカメラに代わる。

映画はお互いを見ることを選ぶ。気高きヒーローの姿を、砂埃に埋めさせまいと、カメラはその先の、馬に跨ったオレンジ色のパーカーを確かに捉える。(市川タツキ)


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Text By Tatsuki Ichikawa


『NOPE/ノープ』

監督/脚本:ジョーダン・ピール
キャスト:ダニエル・カルーヤ(『ゲット・アウト』)、キキ・パーマー(『ハスラーズ』)、スティーヴン・ユァン(『ミナリ』)、マイケル・ウィンコット、ブランドン・ペレア他
製作:イアン・クーパー、ジョーダン・ピール
8月26日(金)より全国公開
アメリカ公開:2022年7月22日(金)
配給:東宝東和
©2021 UNIVERSAL STUDIOS
公式サイト

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