目覚めぎわの夢の中の街、マイアミを卓越したサウンド・プロダクションで描く
Nick León『A Tropical Entropy』
「Xtasis」を2022年の最優秀トラックに選出したResident Advisorが指摘しているように、ニック・レオンとDJ Babatrによるすさまじい破壊力と即効性を持つこの曲のポイントとなっているのが、中毒性の高いドラム・ループの間に置かれたKorg M1のオルガン・ベースであった。その後このベースラインはビヨンセも引用し本格的なリヴァイバルを果たすことになるのだが、当初レオンは陳腐すぎるという理由で発表をためらっていたという。コロンビアのレーベル《TraTraTrax》創設者のひとり、JP Lópezの強い勧めによりリリースし、結果世界的に高い評価を得ることとなる。レオンは同じ年、ロザリア『Motomami』収録の「Diablo」においてアディショナル・プロダクションとして参加。彼女のピッチシフトされたヴォーカルを塗り込むようにレゲトンとインダストリアルなシンセを重ね、不吉さを存分に掻き立てたこの曲で『Motomami』の完成度に貢献を果たしている。
デンボウ、レゲトン、テクノなどシンコペーションの効いたリズムをベースに幅広いサウンドのスペクトラムを網羅し、ボトムのリズムが流れるように変化していくことで、光景を変えていく──そうした陶酔をレオンはトラック・メイキングにおいて持ち味としている。
2024年にトロントのCasey MQによる「The Make Believe (feat. Oklou)」に共同プロデューサーとして参加。コペンハーゲン出身のエリカ・デ・カシエールのアルバム『Still』(2024年)収録の「Ex-Girlfriend」にプロデューサーとして参加したのに続き、彼女をフィーチャーしたシングル「Bikini」を発表した。かねてから2021年に「Better Than That」のレゲトン解釈を発表しているように、以前からポップ・ミュージックに接近していたし、メランコリックな楽曲に照準を合わせてきた流れもあり、「Bikini」は自身にとっても会心のナンバーだったようだ。これまでヒラリー・ダフ(https://nicknoexit.bandcamp.com/album/2023-edits)までエディットして自身のDJプレイや楽曲制作のムードを提示してきたレオンだが、カシエールとの作業でポップ・ミュージック制作において大きな自信をつけたことは間違いない。
「Xtasis」「Bikini」で突如ラテン・クラブのライジング・スターとして祭り上げられたレオンは、永遠に続くかのようなワールドDJツアー(『Sustain-Release』での来日も含む)に駆り出されることになる。ハードなスケジュールに心身ともに疲弊した彼はその時のエージェントと袂を分かち、レコーディング・アーティストとしてスタジオ制作に力を注ぐことを決意する。そのようにして、DJツアーのルーティンからいちど外れることにより生まれたアルバム『A Tropical Entropy』にはおおきなテーマがあった。レゲトンなどのエレクトロニック・ダンス・ミュージックに対する人々の認識を再構築すること、そして(これはおそらく結果的なものだと思うけれど)“フェイク”・ポップ・レコードを作ること。「Bikini」で発揮された、ポップなダウンテンポから突如パーカッシヴに展開していく、その振幅で物語や光景を作っていく手法が代表的で、一聴してポップでありながら、アンビエント、テクノ、レゲトン、ラテンなど彼を形作ってきた多様なダンス・ミュージックのスタイルでビルドアップさせていくDJスタイル譲りの構成力を、その先へと推し進めたアルバムだ。同郷マイアミのXander AmahdやJonny from Space、Anthony Naples(「Entropy」で制作に参加)、コロンビアのエラ・マイナス、ドミニカのEstyやmediopicky、ベルリンのLavurn、前述のCasey MQなど、多様なコラボレーターを迎えることで、彼の創作スタイルがよりあらわになっているところが興味深い。
ドラマティックなメロディ、フェイクギターとプラックを多用した漂うようなドリーミーなプロダクションには、初期の12インチにあったヒプノティックなグルーヴを継承しながら、《PC Music》的なブリップ、エモ・エレクトロ、オートチューン、IDM的な音色、歪んだメロディー・ループ、シンセのドローンとさらに音色の幅を広げている。引っかかりを残すリズムのインダストリアルなディテール、”汚し”のテクニックは、メタリックなサウンド・デザインをいびつに輝かせる。
とりわけラストを飾る「Bikini」の前に配置された、彼自身のことを指しているであろうタイトルを持つ「Broward Boyy」は「Bikini」と並ぶ、アルバムのなかで彼の展開の特徴が顕著に現れた楽曲といえるだろう。彼が好むメロディには、ルーツであるレゲトンの強烈な哀愁、メランコリアが引き出されている、と言っても大げさではないと思う。溶けていくような人懐っこいメロディであればあるほど、彼のトラック・メイキングの展開の妙が引き出されている。
アルバム後半に据えられた、水中で耳にするくぐもった外界の音のごとき音色と、消え入りそうなほど儚いヴォーカルが過剰なほど切なさを掻き立てる「Ocean Apart」に辿り着くあたりで、このゆらめく薄っすらとした浮遊感、最近もどこかで耳にしたことがあるな、と考えていたのだけれど、それはこの曲に参加するCasey MQがプロデュースするOklouのアルバム『choke enough』(2025年)だった。レオンは同作収録の「harvest sky」でアディショナル・プロダクションとして参加。Crazy Frog「Popcorn」すら想起させる2000年代初期のトランス、ユーロポップあるいはいささか大仰なバロック風の旋律と2000年代の分厚いシンセが塗り込められた音像に現代的なスパイスを加えているのがレオンだったことは不思議と腑に落ちる。6月に発表された『choke enough (remixies)』でもリミキサーとして参加しており、相思相愛ぶりがうかがえ、われわれがあえて今作を「ポスト・クラブ・アルバム」と形容するよりも早く、彼自身の活動がポップ・フィールドとダンスフロアを行き来するものだったことを再確認させてくれる。
最後にアルバム・タイトルの由来についても触れなければならない。「トロピカル・エントロピーが蔓延し、それが傍目にも鮮やかに遠大な計画を凌駕しつつあった」(『マイアミ:亡命ラテン・エリートのアメリカ』ジョーン・ディディオン著、白州栄子訳より引用)──1980年代前半この地に赴いたジョーン・ディディオンが、キューバからの亡命者と彼らがマイアミに社会的、政治的に与えた影響を記したこの本は、レオンにとって重要な道しるべとなった。アルバムのもうひとつのテーマに、自身が生まれた街マイアミを再定義することがあったからだ。マイアミの北に位置するブロワード郡フォート・ローダーデールでコロンビア人の母親のもとで育った彼にとって、マイアミを捉えなおすために、カリフォルニア出身のディディオンによる外部からの視点が必要だったことは間違いない。ちぐはぐなまま自然と都市が絡み合う様を描写したディディオンの筆致と批評性をもって、トランプ、ICE(移民関税執行局)、移民、キューバの問題など、矛盾と混乱に満ちたマイアミをアメリカ、そして世界の問題の縮図として捉えることが、レオンにとってアルバム制作の推進力となったのではないだろうか。ディディオンはこの本のなかで続けて、滞在していたマイアミの風景をこう描写している。「マングローヴの湿原とバリア・リーフの間の空中に浮かんだ新しい高層ビルの上にいまだに建設中のクレーンが載っている光景は、まるで蜃気楼のような危険な魅力があった」「何もかもが流動的」「こうした雰囲気のマイアミは、ある実在の都市と言うより、物語か南国のロマンス、どんなことでも起こり得る目覚めぎわの夢の中の街のような感じがする」(同上より引用)。ディディオンの筆致は、そのまま陽炎のなかに浮かび上がる『A Tropical Entropy』のプロダクション、そしてヴィジュアル・アーティスト、Ezra Millerにより、陽の光でオレンジに染まった海岸をAIにより光沢のある金属素材で覆った美しくも不気味なアートワークそのままである。
とはいえ、矛盾と混乱に満ちた街をディストピアとして描く、というにはあまりに甘ったるく、センチメンタルだ。今作の卓越したサウンド・プロダクションにある抗いようのないユーフォリックな感覚には、彼が抱くマイアミという地への愛情と希望が確かに刻まれているのだと思う。『A Tropical Entropy』は、きらびやかなビーチのようなステレオタイプな楽園のようなマイアミのイメージをひっぺがし、彼の脳内の風景とマイアミの風景を溶け合わせ、カオスとサイケデリアに彩られた、スタジオ・クリエイターとしての確かな才能と自信に満ちたアルバムとなっている。(駒井憲嗣)
Text By Kenji Komai
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