Back

「ニューヨークの“街の音”が積み重なって僕らの音の背景になっている」
ハウス・デュオ、musclecarsが語る
ダンス・ミュージックへの愛とコミュニティ作りの12年

07 October 2025 | By Rumi Miyamoto

今年9月に初のジャパン・ツアーを行ったニューヨークを拠点に活動するDJ/プロデューサー・デュオ、musclecars。ブランドンとクレイグによるこのユニットは、ニューヨークの豊かな音楽的ルーツを背景に、ハウス、ソウル、ヒップホップのエネルギーを独自の形で昇華し続けている。

彼らが大切にするのは“本物であること”と“人とのつながり”。ニューヨークのクラブ・シーンで急速に存在感を増す彼らに、音楽的原点から現在のニューヨークの空気までを訊いた。
(インタヴュー・文/Rumi Miyamoto 通訳/Amica Baxter 写真/Yuuki Shino)

左からBrandon Weems、Craig Handfield

Interview with Brandon Weems and Craig Handfield(musclecars)

──まずは自己紹介と、“musclecars”という名前の由来を教えてください。

Brandon Weems(以下、B): 僕はブランドン。

Craig Handfield(以下、C): 僕はクレイグ。僕たちはmusclecars。DJと音楽制作を始めて、もう12〜13年になるかな。musclecarsという名前は、友達とのちょっとした内輪のジョークがきっかけなんだ。特に深い意味はなくて、僕たち、車にめちゃくちゃ詳しいわけでもないんだ(笑)。

B:ツイン・シャドウのMVのワンシーンに、マッスルカーについて熱く語る男が出てくるんだけど、そこから生まれたんだ。最初はただのネタだったのに、いつの間にかみんながそのフレーズを真似するようになって……名前を決める時に自然と出てきたんだ。当時は“クレイグ&ブランドン”って名乗ってたけど、DJ名としては全然キマらなかったからね(笑)。

──2人が出会い、一緒に音楽活動を始めることになったきっかけは何でしたか?

B:出会いは2009年。僕らは、元々スニーカーオタクだったんだ。当時、スニーカーを集めて情報交換するフォーラムがあって、みんなそこで売買したり、コレクションを見せ合ったりしてた。音楽掲示板じゃなくて、完全にスニーカーのコミュニティ。そのフォーラムの中に「Electric Zoo(エレクトリック・ズー)」っていうニューヨークのフェス専用スレッドが立ってて、そこで初めて会ったんだ。お互い、周りにダンス・ミュージック好きがいなかったから、すぐに意気投合して一緒にフェスに行くようになった。

2012年頃に一緒にDJを始めたけど、最初は不定期だったね。当時まだ未成年で、ニューヨークでは21歳未満はクラブに入れないから(笑)。2018年に自分たちのパーティー《Coloring Lessons》を始めて、そこから本格的に活動が安定したんだ。

──ニューヨークという街は、あなたたちのサウンドやスタイルにどんな影響を与えてきましたか?

C:そうだね。大きく分けて二つあると思う。まず一つ目は、街そのもののエネルギー。ニューヨークには、ヒップホップの誕生からソウル、ダンス・ミュージック、クラブ・カルチャーまで、あらゆるジャンルが根付いてる。街を歩けば、車の窓から流れるビートやブロック・パーティーの音が自然と染み込んでいくんだ。僕らの拠点にしているブルックリンの遊園地にも、本格的なサウンドシステムが備わっていてね。どこにいても、街全体が音楽で満ちてるんだ。

僕らはヒップホップを聴いて育ったから、最初からダンス・ミュージックを意識的に取り入れていたわけじゃないけれど、周りに溢れていたからこそ、自然と馴染んでいったんだ。

そしてもう一つは、歴史的な意味での“ルーツ”としての影響。クラブ・カルチャーの原点といえば、1970年代の《The Loft》。デヴィッド・マンキューソをはじめ、マスターズ・アット・ワーク、DJ Spinnaなど、伝説的なDJたちがこの街で育った。そんな人たちと同じ空気を吸っていること自体が、僕らにとって大きな影響なんだ。

B:本当にそう思う。それにニューヨークは本当に多文化的な街で、例えば「ボデガ」っていう、いわばニューヨーク版のコンビニがあるんだけど、ドミニカ人やプエルトリコ人、中東出身の人たちが経営していることが多い。だから牛乳や水を買いに行くだけでも、店によってプエルトリコのサルサだったり、中東系のポップだったり、流れている音楽が全然違うんだ。僕らは自然と多様なサウンドに囲まれて生きてるんだよね。

C:街を歩くだけでも、そこら中から音が聞こえてくるんだ。例えば、僕の家の角には帽子を売っている人がいて、大きなスピーカーでソウルやファンクのクラシック、Strafeの「Set It Off」とかをいつも流している。夏になると、通りにスピーカーを出してソウルやファンクを流す人がたくさんいるんだ。だから“ニューヨークの音”っていうのは、本当に生活の一部なんだと思う。そういう“街の音”が積み重なって、僕らの音の背景になっているんだと思うよ。

──幼少期に影響を受けたアーティスト、そして今特に刺激を受けている人がいたら教えてください。

B:10代の頃はヒップホップに夢中で、50セントやディプロマッツの大ファンだったんだ。そこから90年代の音楽やカニエ・ウェストを通じて、エレクトロニック・ミュージックにも惹かれていった。

特にダフト・パンクは僕にとって大きな存在で、実は僕らが最初に意気投合したのも「ダフト・パンク好き」という共通点からだったんだ。 今はルイ・ヴェガやモーリス・フルトンから大きなインスピレーションを受けているよ。

C:僕も同じくヒップホップ育ちだ。50セント、Gユニット、ザ・ロックス、ディプロマッツ……あの時代はそれが“当たり前”だった。

でも『Grand Theft Auto』というゲームでティム・スウィーニー(ラジオ番組『Beats in Space』のホスト)が音楽監督をしていて、その中で初めてハウスやファンク、ソウルの曲を知ったんだ。ロイ・エアーズやハービー・ハンコック、マーシャル・ジェファーソンの音楽に夢中になって、自然にダンス・ミュージックへとつながっていった。今ではルイ・ヴェガ、ケニー・ドープ、ジョーキン・ジョー・クラーゼル、ロン・トレント……そして仲間でもあるLove InjectionやToribioからも強く刺激を受けている。

──DJ/プロデューサーとして大切にしている価値観はありますか?

B:妥協しないことかな。僕たちが演奏する音楽や関わりたい人に関しては、単に取引や出世のためだけに動くことはしない。本物であること、意図をもって行動することを大切にしているんだ。クレイグも同じだと思うけどね。

C:ああ、まさにその通りだね。特にダンス・ミュージック業界では、“本物であること”が本当に重要だと思う。他人の流行や動きに流されず、自分たちが音楽シーンに何を残したいかに集中し続けることが大事なんだ。

──2018年に始めた《Coloring Lessons》はどんなコミュニティですか?

C:うーん……僕ら的には結構受動的な感じかな。周りで色んなことが起きてても、焦点は常に音楽と、そこで集まる人たちにあるんだ。特定の思想とか信念とかを押し付ける場所じゃなくて、あくまで音楽中心って感じ。始めた理由は正直、コミュニティの為っていうよりちょっと自己満的だったかも。アイデアを考え始めたのは2017〜2018年くらいで、パーティー自体の始まりは2016年までさかのぼるかな。僕らにとってすごく影響力のある音楽を共有できる場所が他になかったんだよね。当時のニューヨークでは、僕らの世代でこういう音楽をやってる人って本当に少なかったし、聴きに行く場所もほとんどなかった。あと単純に、クラブで「何をかけろ」って指示されるのとか、特定の客層向けに迎合するのに疲れちゃったってのもある。ヒップホップとかポップとか、そういうのばっかり求められてさ。

でも今となっては、このパーティーは“とにかくいい音楽を聴きたい人が集まれる場所”になったと思う。安全な空気感もあって、昼間にやることが多いし、薬とかでヤバい感じの人は少ないから、健全な楽しさもある。まあそれも全部、音楽とパーティーがもたらすエネルギーの二次的なものだけどね。

B:それに、ここに来る人たちは本当に音楽のために来てるんだ。たとえ携帯電話禁止とか厳しくしてなくても、みんな自然とルール守ってくれる。喧嘩もトラブルも一度もないし。初めて来た人も周りの雰囲気を見て、自然と場に合わせて行動する感じだね。

C:うん、僕らとしては、音楽やトーク、ワークショップを通して、みんなに意識的に楽しんでもらうようにしてる。スペースの使い方とか人との関わり方とかも意図的にできる人が多くて、それがパーティーのエネルギーや自由さを生むんだ。ありがたいことに、どこでやってもこの雰囲気はちゃんと保たれてるよ。

──他の国でやっても、ニューヨークと同じような感覚はありますか?

C:実は、去年がニューヨーク以外で初めてやった年だったんだよね。僕らにとっての目標は、まずニューヨークでやりたいことをしっかりやること。僕らが何かやる大きな理由の一つは、地元のシーンをスポットライトに当てたいっていうのもあるんだ。だから、もし参加したいならニューヨークに来て、オリジナルの形で体験してもらいたいって思ってた。去年はパノラマ・バーでLorettoとKristenと一緒に《Coloring Lessons》をやったし、今年はベルリンの野外オープン・エアでやった。11月にもまた別の会場でやる予定。メルボルンのフェスのステージみたいな場所だね。他の場所は二次的って感じかな。僕らが作りたいのはニューヨークにあるものだから。だって、さっきも言ったけど、コミュニティがなくて、聴きたい音楽を聴けなかったり、一緒にいたい人たちと過ごせなかったりって状況を知ってるからね。そういう場所があることで、気持ち良くて安全に感じられるんだ。

これを美化するつもりはないけど、全部仕事なんだよね。パーティーの前には必ず意図を伝えるようにしてる。長いリストを貼って、「こういう雰囲気のパーティーです」ってね。携帯使うならフロアから離れてねとか、オールエイジでBYOB(持ち込み可)とか、暴力はダメとか、そんな感じ。これはダンスフロア特有のルールなんだけど、掲示したり、話したりして、場のエネルギーを繰り返し伝えることがすごく大事だと思ってる。だから、ただクラブで「あ、クールだな」っていうだけじゃないんだよね。

あと長くなるけど、歴史的・文化的背景にも少し関係してると思うんだけど、多世代の客層っていうのもすごく大事。親世代や祖父母世代に近い人たちも、21歳になったばかりの人たちも歓迎してる。だって、みんながお互いから学べるからね。こういう小さな積み重ねが、今のパーティーの形を作ってるんだと思う。

──若い頃のニューヨークのシーンの話は聞きましたが、今のダンス・ミュージックのシーンはどう見えていますか?

B:今はもっと盛り上がってる感じかな。ニューヨークだけじゃなくて、DJカルチャー自体がめちゃくちゃ人気になってるんだよね。アメリカの小さな町に行っても、ちゃんとシーンがあって、アンダーグラウンドな音楽を流すナイトクラブがあったりする。これって、昔のニューヨークではめちゃくちゃ珍しかったんだ。昔は、ほとんどのクラブがトップ40とか流してて、ダンス・ミュージックをやるのは金曜か土曜の夜だけ、しかも月に数回ぐらいって感じだった。でも今は、アンダーグラウンドなダンス音楽だけをやるクラブもあって、本当にシーンが活発になってる。才能あるDJもたくさんいるしね。

それと同時に、15年、20年前から続いている伝統的なパーティーもまだやってたりするのが面白いんだよね。例えば《718 Sessions》っていうのはDanny Krivitがやってて、もう20年以上続いてるし、《Soul Summit》っていう公園でのパーティーもあって、こっちはだいたい15年ぐらい。若い世代も来るようになって、この音楽を知りたがってる。昔は本当にニッチで、特定の世代だけにしか向けられてなかったんだけど、今はシーン全体が広がってるって感じかな。

──これまでのキャリアを振り返って、特に忘れられない瞬間はありますか?

C:DJとしては、ブランドンもさっき話してた《Soul Summit》のパーティーかな。あそこでスペシャル・ゲストDJとして呼ばれたのは本当に大きな瞬間だった。自分たちよりずっと長く活動してきた人たちの前でプレイできるのって、すごくやりがいがあるんだよね。90年代とか80年代の話を聞いてきた歴史の一部に、ちょっとだけ触れられる感じ。

あと音楽的には、5月に初めてライヴをやったことかな。ベルリンの《XJAZZ!》というフェスで、ムーア・マザーやリトル・ドラゴンのユキミと一緒にヘッドライナーとして出演したんだ。初めてのライヴで、緊張と準備のすべてを乗り越えて、自分たちが思い描いた形で演奏できた瞬間は、ほんと特別だった。手が震えながらプレイしてたんだけど、小さい会場でも同じくらい特別な体験になったと思う。

B:僕の場合、DJとしては2022年の初めての海外ツアーかな。人生で初めて国を出て、音楽をやりながら世界を回るって、自分でも想像できなかったんだ。それが現実になった瞬間は、めちゃくちゃ印象的だった。

音楽的には、ルイ・ヴェガとスタジオでエレメンツ・オブ・ライフのレコーディングを見たこと。それから最近は、シェフィールドでモーリス・フルトンやMim Suleimanと2日間一緒に過ごして、スタジオに入ったことも忘れられない。こういう経験を積むたびに、まだまだ新しいことだらけだなって感じるんだよね。だから日本に来てる今も、自分にとっては特別な体験だし、こうやって色々な場所で音楽ができることには本当に感謝してる。Midori Aoyamaが言ってたんだけど、日本ではヨーロッパやアメリカで有名なアーティストでもあまり知られていないことが多いんだって。だから、こうして僕たちの音楽を知ってくれて、ライヴに来てくれたり、チケットを買ってくれたりすること、本当にありがたいし、当たり前だとは思ってないよ。

──2024年にリリースされた話題の最新作『Sugar Honey Iced Tea!』には、どんなテーマがあったんでしょう?

C:実は僕たちは、アルバムのテーマを最初に全部書き出してから制作を始めるんだ。音楽的な作り方としては、リリースの何年も前から曲を書き始めて、そこから聴き返したり、ミックスをやり直したりする。すごく長いプロセスなんだけど、その頃にはもう次の作品づくりに取りかかってたりするから、リリースする頃には気持ち的にはもう1年以上その音楽から離れてる感じなんだよね。

テーマについてはスマホに全部メモしてあるんだけど(笑)、今回のアルバムでは「人間関係のバランス」「失われた時間と得た時間」「喪失と再発見」「喪にまつわる感情」「無力感」「死後の世界への問い」みたいなテーマを扱ってる。あと、「アフロ・アメリカンのディストピア」みたいな要素もある。かなり幅広いテーマが詰まってるけど、根底にあるのは「ブラック・エクスペリエンス(黒人としての経験)」というより「アーティストとして世界で生きる自分たちの経験」を音楽で語ることだったと思う。

結局のところ、それが多くの人に響くのは、こうした感情や経験が実はすごく普遍的だからなんじゃないかな。僕たちは常に音楽を作り続けてるけど、毎回「今の自分たちが何を感じてるか」っていう感情を出発点にして、そこから次の作品のテーマやモチーフが決まっていく。そして曲を書き始めて、メロディや歌詞を作っていく、そんな流れなんだ。

──コラボレーションするアーティストを選ぶ基準は何かありますか?

B:基本的には、もともとつながりのある人たちだね。たとえば女性ヴォーカルが必要になったとしても、有名な人にいきなり声をかけるより、「まず自分たちの周りにいい人がいないか?」って考える。大事なのは、その関係がちゃんと“リアルで自然”なこと。前にも話したけど、ただ名前を借りるための取引的なコラボはしたくないんだ。そうじゃなくて、お互いに共鳴できる関係であることが大事。

それに、相手が僕らのパーティーに来たことがあったり、これまでの作品を聴いてくれてたりすると、より理解も深くて、同じ方向を向けるんだよね。

C:そうそう。そのほうがパフォーマンスのときも、断然リラックスできるし、いい空気が出るんだ。

──では『Sugar Honey Iced Tea』に参加しているアーティストも、もともとつながりのあった人たちなんですね。

B:うん、そうだね。今は曲ごとに「この楽曲には誰が合うか」っていうのをかなり意識して考えてるけど、まず最初に思い浮かぶのはやっぱり、自分たちがすでに関係を築いてる人たちなんだ。たとえ「もっと上手く歌える人がいるかも」と思っても、やっぱり”つながり”の方がずっと大事なんだよね。

それに、コラボってお互いに成長していくことでもあると思ってる。僕たちが一緒にやるアーティストは、みんな本当に信頼していて、それぞれが自分なりの形で成長していくのを応援したいと思える人たち。

C:ブランドンが言ってたように、もっと有名な人とやれば名前は広がるかもしれないけど、僕らはそういうやり方より、自分たちの地元やシーンにいるアーティストと一緒に育っていける方がずっと意味があると思ってるんだ。

──普段から仲が良いアーティストや、特に影響を受けている仲間はいますか?

C:そうだね、さっきも話したけど、ToribioとLove Injectionは普段からよく会う仲間だよ。彼らもニューヨークに住んでて、必要なら一緒にスタジオ入って音楽作ることもあるけど、実際は一緒にアイス食べたり、ただダラダラ話したりしてることの方が多い(笑)。

それからNatalie Greffelもすごく大事な存在。ToribioもNatalieも、長く続いてる関係で、今も一緒に新しいプロジェクトを進めてるんだ。Toribioとは10月にEPをリリースするんだけど、それもまさに「人とのつながりが音楽にどう影響するか」を体現してると思う。音を聴いたら、どれだけ感覚が合ってるかが伝わると思うよ。そういうのって、レーベルが「この2人組ませよう」って無理にスタジオに入れても絶対生まれないものなんだ。

──制作プロセスでは役割を2人でどう分担していますか?

C:本当はもっとちゃんと整理できると思うんだよね。僕はADHD脳だから、やることはやるんだけど、計画性とか組織化がほとんどなくて(笑)。

B:でもできるだけ50/50で分けるようにはしてるよ。もちろん、自然とどっちかに偏っちゃうこともあるけど、基本はなるべく平等にやるようにしてるんだ。

──DJセットを組むとき、一番大事にしていることは何でしょう?

C:うーん……正直、曲をキューに入れるまで分からないんだよね。

B:そうそう、予測するのは難しいんだ。2人だからね。家で「この順番でやる」って決められるわけじゃなくて、今流してる曲の次に何をやるかは、相手次第だから。でもそれがあるおかげで、すごく即興的に、柔軟にできるんだ。

あと大事なのは、オーディエンスとちゃんとつながること。自分たちのやりたいことだけやるんじゃなくて、その場の雰囲気に合わせることかな。例えば、前日の《CIRCUS TOKYO》は満員だったけど、次の日は《club JB’S》で20人しかいない、みたいな時に同じやり方はしない。環境に合ったことをやるようにしてるよ。

C:あと、セットに入る時も同じで、お互いのプレイに合わせる感じ。ツアー中はオープニングDJの後で入ることも多いけど、その場の流れを壊すんじゃなくて、全体に価値を足す感じでやる。自分たち中心じゃなくて、場全体のためにプレイするってことだね。

──ハウス・シーンの中で、musclecarsならではの個性や強みはどんなところだと思いますか?

C:僕らはハウス・シーンにはいるけど、別にハウス・アーティストってわけでもないんだ。アルバムを聴いてもらえればわかるけど、前のアルバムも、これから出す作品も、R&Bっぽかったり、ダウンテンポだったり、ジャズ寄りの曲もある。だから、ジャンルに縛られないことが大事だし、クラブ用に作ってるわけでもない。単純に音楽を作ってるだけで、ありがたいことにクラブでも流してもらえるけど、家で聴く人も多いし、車で聴く人もいる。だから、ハウス系のアーティストとはちょっと違うんだと思う。

B:DJ的な視点で言うと、クラシックもかけるし、他のDJがやるような曲もかけるけど、僕らの個人的な好みも入れてるんだ。僕はダブ・テクノとかテクノとかジャズとか、色んなジャンルが好きだからね。だから、昔のDJのコピーじゃなくて、自分たちらしい個性を出すことを大事にしてるよ。

──今のダンス・ミュージック・シーンについて何か思うことはありますか?

B:人気が出てきてるのはいいことだと思う。前にも言ったけど、今までシーンがなかった場所にもクラブがどんどん増えてるしね。僕自身は、流行りの音楽に特別ハマってるわけじゃないけど、それでもいいと思うんだ。少なくとも、そこから人々が僕らの世界に入ってくるきっかけになるし。だから、世界的に見てもシーン全体のインフラが整う助けになってると思う。

──ダンスフロアって、いろんなバックグラウンドの人が一緒に集まって過ごせる場所ですよね。この先もダンスフロアはたくさんの人種を超えて、みんなが踊れる場所として変わらないと思いますか?

C:うん、ブランドンが言ったことにちょっと繋がるけど、ますますグローバルでアクセスしやすくなっていると思う。10年前と比べても、ダンス・ミュージックを知る入り口ってすごく増えたしね。僕らが始めたころとは違って、今はポップカルチャーや映画、テレビでも聞けるし、世界のトップポップアーティスト、ビヨンセやドレイクとかもダンス系プロデューサーと組んで独自の作品を出してるし。

だからリスナーの目線でも、間違いなくそうだと思う。クラブでも《The Loft》でも《The Warehouse》でも、ダンスフロアっていうコンセプト自体が“安全に自由に自分らしくいられる場所”なんだよね。性別も人種もセクシャリティも関係なく、みんながそういう場で楽しめる。意識してそういう場を守ろうとしている人たちがいれば、絶対にこれからもそういうダンスフロアは続くと思うよ。

──最近、ライヴ・パフォーマンスだけでなく、DJが映像やライヴ配信をセットに取り入れる機会も増えています。コロナ禍で加速した部分もあると思いますが、こうした変化についてどう思いますか?

B:うーん、良いことだと思うよ。これが今の状況って感じかな(笑)。面白いのは、僕たち世代って「ダンスフロアではスマホ禁止」「動画撮るよりその場に集中」みたいな考えが強いんだけど、逆に50歳以上の人たちのパーティーに行くと、みんなFacebook Liveで撮ってるんだよね。もし彼らの世代でも同じ状況だったら、やってたんじゃないかなって思う。

これがクラブに実際に来て、生の音を体験する人を減らすとは思わないし、むしろ自分を広めたり、他のDJが注目されるきっかけになるならいいことだと思う。ネガティヴに考えすぎないようにしてる。

C:そうそう、今はこういう時代ってことだと思う。僕たちのやってることやシーンを奪ってはいないし、完全に別のこととして存在してる。それなら全然問題ないかな。

──世界各地でプレイしてきて、日本のクラブ・シーンやオーディエンスについてどう感じますか?

B:音楽的にピンとくるのって、日本とイギリスくらいかな。80〜90年代にDJが来日してプレイしていた歴史がすごく長いからだと思う。日本のハウス・シーン、ダンス・シーンって大きいって聞くし、ニューヨークでも存在感はあるけど、特に日本の人たちは何にでもすごく熱中して理解しようとしてる感じが好きなんだ。

僕たちのジャンルのダンス・ミュージックに関して言うと、熱意があってちゃんとリスペクトがあるのが伝わる。ヨーロッパの一部の場所だと「カッコいいね」って軽く流して、自分たちのやり方だけで進めちゃうこともあるけど、日本は逆で、本当に歴史や今も関わってる人たちをリスペクトしてくれてる感じがするね。

──今回の日本ツアーを終えての率直な感想や、特に印象的だった瞬間はありましたか?

C:僕にとって印象的だったのは、現地で出会ったDJたちのプレイを聴けたことかな。新しい場所に行くと、特にメインストリームのアンダーグラウンドとあまり繋がりのない場所だと、その土地のDJやアーティストが何に影響を受けているのかすごく気になるんだ。例えば、昨日ラジオ(TSUBAKI fm)で見たMOE FURUYAのプレイとか、FUのセットとか、地元シーンの熱量を直に感じられて刺激になった。ニューヨークに戻ると、自分たちが影響を受けてきた音楽のルーツはある程度知ってるけど、現地のアーティストがどう解釈しているかを見るのは面白いね。それが1番の収穫だったかな。

B:去年は《翠月 -MITSUKI-》でのパーティーで5日間だけ日本に来たから、今回は長めに滞在して、他の都市にも行って文化にもっと浸れたのがよかったね。シーンの様子も直に見れて面白かった。しかも、音楽に熱中してるのが年配世代だけじゃなくて、若い世代もちゃんといるっていうのも嬉しかった。《CIRCUS TOKYO》や他のライヴでも感じたし。特にこれっていう一瞬は選べないけど、ツアー全体を通して本当に素晴らしかったよ!

──次に日本に来たら、またやりたいことや新しく挑戦してみたいことはあります?

C:カピバラカフェに行きたいね(笑)。

B:同じく、カピバラカフェ(笑)。あと、僕はもっとレコード・ショップ巡りかな。それと、まだラーメン食べてないんだよね。信じられる? 去年も今年も、めっちゃ暑くてなかなか行く気になれなかったんだ。でも、今日か明日か木曜には絶対食べるよ。あとは、あえてリストを作らずに、ぶらぶら歩きながら偶然見つける感じでいろいろ探索したいな。

C:それと、直島とかも行きたい。あと名古屋で知り合った友達がすごい自転車旅行してて、次回はそういうのも体験したいかな。豊橋に引っ越した友達のところでビーチに行くのも。

B:いろんな県をもっと回りたいな。札幌とか北海道、沖縄、福岡とかも行きたい!

──最後に今後挑戦してみたいことや、コラボしてみたいアーティストはいますか?

C:もちろん! やりたいことは山ほどあるんだけど、最近はスケジュールがちょっとハードで、6月からほとんど家に帰ってないんだ。まずトップにあるのは、ライヴをもっと作り込むことと、シーンの他のアーティストと一緒にワークショップやレクチャーをやることかな。

B:うん、僕も同じ意見だね。コラボの話になると、やっぱりルイ・ヴェガは大きいかな。7月にモーリス・フルトンと一緒に仕事するチャンスもあったけど、まず真っ先に思い浮かぶのはルイ・ヴェガかな。

C:僕はKuniyuki Takahashiともぜひやりたい。すごく才能あるし、ニューヨークの《Coloring Lessons》のパーティーで出会ったんだ。去年だったかな。演奏も最高で、マーク・ド・クライヴ・ロウと一緒にツアーしてたこともあるし、2人とも一緒に作れたら最高だね。

<了>

Text By Rumi Miyamoto

Photo By Yuuki Shino

Interpretation By Amica Baxter


【関連記事】
【INTERVIEW】
「こんな風に父のことを想うのは初めてでした」
亡き父の歩みを辿り、もう一度父と出会う音の旅
マーク・ド・クライヴ・ロウの語る完全ソロの新作
『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』
https://turntokyo.com/features/mark-de-clive-lowe-interview-past-present/

1 2 3 84