「アメリカにいると着眼点が自分とは違うと思うことが多い」
デビュー30年を《Blue Note》移籍第一弾作で飾るミシェル・ンデゲオチェロの“be”である強さ
今年2023年はミシェル・ンデゲオチェロがアルバム『Plantation Lullabies』でデビューしてちょうど30年にあたる。キャリアの前半はマドンナのレーベル《Marverick》から、近年はフランスの《Naïve》からコンスタントにアルバムをリリースしてきた彼女だが、節目の年となる今年、とうとう《Blue Note》から新作のアナウンスがもたらされことは大ニュースの一つだったと言ってもいいだろう。いや、ローリング・ストーンズ、チャカ・カーン、プリンス、ハービー・ハンコック……数々のビッグネームと共演を重ね、グラミー賞に10度もノミネートされてきた実績を鑑みるに、彼女のそのハイブリッドでしなやかな音楽性をもってすればむしろ《Blue Note》移籍は遅いくらいだと言っていい。
加えて、近年、とりわけロバート・グラスパー、ブランディ・ヤンガー、サム・ゲンデルといった彼女より若い世代のジャズ系ミュージシャンや、イベイー、ジョーン・アズ・ポリス・ウーマンといったアーティストと交流を深めていたミシェルは、ベーシストとして、シンガー・ソングライターとして、ヴォーカリストとして率先して自身が活動する領域を拡張してきた。「今の自分は音楽コミュニティにおける役割を理解している」と話す彼女だが、“鳥のように自由”という意味のスワヒリ語(ミシェル・ンデゲオチェロ)を名乗る通り、役割どころか、次々と柔軟にスポンティニアスに、何にも妨げられることなく思いのままに音楽に向き合っている。その優雅で野生的、現代的かつプリミティヴな音と歌は、まるで深い森の中で驚くほど造形的な巨木に出会い、圧倒され、そしてその濃密な空気に陶酔し、次第に穏やかになっていく自身の心の変化のプロセスに触れているかのようだ。
カヴァー・アルバム『Ventriloquism』(2018年)を経て、『Comet, Come to Me』(2014年)以来のオリジナル作、そして《Blue Note》移籍第一弾でもあるニュー・アルバム『The Omnichord Real Book』は全曲本人の書き下ろしによる18曲を収録している(日本盤にはボーナス・トラックが1曲追加)。ハリー・スタイルズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レオン・ブリッジズなど様々なアーティストと共演してきたジョシュ・ジョンソンがプロデュース。ジェイソン・モラン、アンブローズ・アキンムシーレ、ジョエル・ロス、ジェフ・パーカー、ブランディー・ヤンガー、ジュリアス・ロドリゲス、マーク・ジュリアナ、コリー・ヘンリー、ジョーン・アズ・ポリス・ウーマン、タンディスワらゲストも多彩だ。ジャズ・サックス奏者でもあった彼女の父が遺した「リアル・ブック」(ジャズのスタンダード曲を集めた楽譜)と、新たに手にいれた電子楽器のオムニコード(今年2023年に復刻モデルが発売になる予定)が制作の起点となったという新作について話を聞いた。
(インタビュー・文/岡村詩野 通訳:丸山京子)
Interview with Meshell Ndegeocello
──ロバート・グラスパー『Black Radio』(2012年)やジェイソン・モラン『All Rise: A Joyful Elegy for Fats Waller』(2014年)などの作品に参加してきた流れもありましたが、今回ついにあなた自身が《Blue Note》からアルバムをリリースすることになりました。最初にその経緯をおしえてください。
Meshell Ndegeocello(以下、M):まず、《Blue Note》が大好きなのはセシル・テイラーがいるからです(笑)。あと、ジェイソン・モランも。コネクションができたきっかけは、ロバート・グラスパーとの仕事です。その時、ドン・ウォズ(現在の《Blue Note》の社長兼プロデューサー)にも会いました。ドン・ウォズは面白い音楽を作ると同時に、面白い場をミュージシャンに作り出している人だと常々思っていていましたので、それでチャンスに賭けてみようと思い、彼にメールで曲を送ったというわけです。それ以来、いい関係で来れていると思います。それが1年前の話です。
──《Blue Note》のカタログで特に影響を受けた作品はありますか?
M:まずはウェイン・ショーターの『Motto Grosso Feio』(1974年)。ウェイン・ショーターのアルバムの中でも特にお気に入りなのですが、最初《Blue Note》はリリースしたがらなかったという1枚ですよね。《Blue Note》の中ではこれが一番ですね。父の持っていた中に《Blue Note》のものがたくさんあったからそれで私は知ることとなったのです。他にもたくさん……ドクター・ロニー・スミス、リー・モーガン……あとは、そう、人生を変えられるほどの衝撃だったのはジョン・コルトレーン『Blue Train』(1957年)と、エリック・ドルフィーの『Out To Lunch』(1964年)も! 他にもドン・チェリー、フレディ・ハバード、ボビー・ハッチャーソン……本当に何枚もの素晴らしい作品を世に送り出してきたレーベル……あげ出したらキリがないくらいですよ!
──あなた自身はファースト・アルバム『Plantation Lullabies』(1993年)をリリースして今年で実に30年です。この30年を振り返っていただき、シンガー・ソングライターとして、またベース・プレイヤー及び演奏者として、なにより表現者としてどのように変化してきたと感じていますか?
M:自分では、ソングライターとして成長していると思いたいですね。パフォーマンスって点では、常にスキルを磨こうと心がけています。ベーシストとしての私は、ものすごくダイナミックなタイプじゃないかもしれないけれど、サウンド的にエキサイティングなショーにする自信はあるんです。今のバンドはタイトなユニット。ライヴに来てくれれば、即興的要素に少しだけ……デペッシュ・モードが入ってる(笑)ってことがわかると思いますよ。音楽の温かさとヴァイブを感じられるものにしたいっていうか。私は“ファンクとR&Bだけの人”だと思われがちだけど、実際はそうではない、もっと大きなものを作りたいと思っています。音の絵、といったらいいのでしょうか……。
──ええ、確かにあなたはプレイヤビリティの高さを競うタイプのベーシストではないかもしれないし、いわゆる歌のバッキングとしての役割が軸になったスタイルでもない。そこがあなたの表現者としての層を厚さだと思うのですが、そんな多面的な自身の可能性をコントロール、もしくは混在させるのは難しいことですか?
M:それはもう全く! むしろ楽しんでいます。先人たち、たとえばプリンスがやってたことは本来両立できないと思われてたことですよね? 「あんなに有名人。それでいて素晴らしい音楽も作れる」なんてあり得ないとみんな思っていました。マイケル・ジャクソンもそう。だからって自分が彼らと同じレヴェルだなんて言ってるわけじゃないですよ(笑)。ただ昔から「いいミュージシャンになりたい」「いいライヴを届けたい」という思いだけでした。それをずっと続けてきたんです。私にとっての究極のアイコンはデヴィッド・ボウイ。彼は年を重ね、優れた、面白い音楽を作り続けました。私のゴールもそこにあるんです。作り手のパーソナリティに関係ない、音楽がすべてなタイムレスなものが作りたいだけ。それが私のゴール。だって観客は高いお金を払ってライヴを観に来るのだから、私は彼らの心をアップリフトするものを届けなきゃ。サン・ラのように、何かを与えるんです。悲しみを晴らすのでもいい。音楽を介して人を一つにするような。何が変化したかというさっきの話に戻ると、最初、私は利己的でした。若さゆえの利己主義。でも今の自分は音楽コミュニティにおける役割を理解していると思っています。
──なるほど。そういうお話を聞くと、今作の聞こえ方もまた違うものとなるような気がします。前作はカヴァー集だったのでオリジナル・アルバムとしては今作は『Comet, Come To Me』以来となりますが、実際にこれほど間が空いたのはあなたのキャリアの中では初めてのことです。これは意図的に間を空けたと考えてもいいのでしょうか?
M:ええ、私にも自分の生活がありました。二人の子供がいるし、コロナだったので、少しブレイクを取りたくて。その間はTVのスコアを書いたりしていました。あと、両親の死もあり……自分の生活を送ってたという、まあ、それだけのことなんです(笑)。
──その亡くなられたジャズ・サックス奏者のお父様が持っていたという「リアル・ブック」を見つけたことが制作のきっかけの一つだったそうですね。どのように意識が変化したのかを教えてください。
M:リアル・ブックはいわば地図。楽曲を通じて、私たちを旅に連れてってくれる地図なんです。あれを読んで、人が演奏したいと思うような曲を私も書きたいと思ったのです。つまり、その中に載っている曲を皆で演奏することで人はつながる。そのためのツールなんですよね。
──今回、ジョシュ・ジョンソンをプロデューサーに迎えたのもその流れを感じさせますね。
M:ええ、ジョシュは今作にも参加してくれているジェフ・パーカーと一緒にやっている他、リオン・ブリッジズの音楽監督、ハリー・スタイルスのプロデュース他の仕事をしているとても才能ある人です。LAに住んでた時、彼がジェフ・パーカーとプレイするのを観に行ったことがあって。その時やってたのは即興的なセットでした。その時、こんなミュージシャンは会ったことがないと思ったのです。心の広さというか、音楽の向き合い方というか。前作の『Ventriloquism』を作ったあと、バンドとはお互いのことを知りすぎてしまった気がしたんです。それで馴れ合いを断ち、導いてくれる“別の誰か”が必要だと感じていたタイミングでもありました。でも、ジョシュのおかげで、私たち、考え過ぎることがなくなったのです。ジョシュは「とにかくプレイして。忘れちゃダメだよ、君たちはバンドだってことを。自分達を信じて」と言ってくれました。それにはとても助けられました。ともするとコンピューターばかり眺めて、完璧な波形やループ見つけようとしてしまいます。彼はそうではなく、バンドとして演奏するよう、言ってくれたんです。
──つまり、今回のアルバムの曲はその過程で生まれたということですか?
M:ええ、そう。あと、もちろんコロナによって色々と考えたのも大きかったですね。あのコロナの間に、私は自分をもう一度知ることができたんです。だからあのタイミングで一旦ブレイクを取ったのはいいことだったと思っています。アメリカで生きることのカオスから一度切り離された、ってことはとても大きかったですね。
──しかも、そのコロナの間にオムニコードを手にしたとも聞きました。
M:そう、誕生日にもらったんです。コロナの間は映画やスコアの仕事をしてたから、常にコンピューターを前にしていたんですけど、ある夜、曲を書こうと思った時、たまたま手元にあったそのオムニコードで書いてみたんです。そしたらなんだかよくて。(PCなどの)スクリーン越しじゃないってことがよかったんだと思います。その楽器から実際に音が聞こえてくるのが、リラックスできていいな……って。実際、コンピューターを立ち上げてログインして……と思ったらメールの着信音に邪魔されることもあるんですけど、そういうこともオムニコードという楽器を使うことで、より深く自分の中に入っていくことができたんです。
──1曲ごとに興味深いゲスト・パフォーマーが参加していますが、彼らとのマッチングも曲を作るプロセスで視野に入れていたのでしょうか?
M:そう、ちょうど10曲くらい書けたところで、これはアルバムになると思って、どのミュージシャンと一緒にやりたいかということを考え始めたのです。そうやって曲を書いていく段階から、誰をゲストに迎えようか、みたいなイメージも湧いていきました。多くの場合、その人とセッションをやりたいと思うのは、そこになんらかのエネルギーを感じるからです。この良いエネルギーを世に送り出したい、と私が思うかどうか。そこが決め手になるんです。彼らのプレイに「ああ、とても好き」って思える何かがあって、気持ちがウキウキさせられるエネルギーがあるか、もしくは「この人となら私が表現したいこととうまく混じり合って形になる」と思えるか。そういうことなんです。
──まさに曲に合った適材適所のゲストですよね。どの曲も興味深くて、一人一人へのコメントをいただきたいくらいです。
M:(笑)ああ、そうそう、ただ残念だったのは、ブランディ・ヤンガーとだけは同じ場所で、一緒にやることができなかったことなんです。彼女がツアー中だったので、トラックを送りあって作りました。ブランディーのステージは見たことがあったし、会って話もしていたので、なんとしてで彼女のハープを入れたい、まるでバンドの一員であるかのようにハープを使いたいと思ったので(笑)、とにかく実現だけでもできて嬉しかったですね。そうそう、私も彼女の今年のアルバム(『Brand New Life』)で歌っていますよ。あと、ジョーン・アズ・ポリス・ウーマンは大親友の一人で、大ファンなんです。彼女が一緒に歌ってくれた曲「Gatsby」はとても大きな意味があるんです。音楽ビジネスの中で私たち、お互いを知っているわけですが、彼女がいかにハーモニー・アレンジャーとして凄腕かということを世の中に知らせたかったので、そういう意味でも一緒にやってくれてとても嬉しかったですね。
──やはりアフリカン・アメリカンのルーツを共有できるゲスト・パフォーマーが目を引きますね。
M:ええ、まさに。ジョーン・アズ・ポリス・ウーマンと同じ「Gatsby」に参加してくれたコリー・ヘンリーは私の知る限りでは、最高のライヴ・パフォーマーの一人。私のアイドルです(笑)。だから一緒にやることに、彼が「イエス」と言ってくれた時はとっても嬉しかったですね。彼は(ビリー・)ストレイホーンみたいな感じ。同時にデューク・エリントンのようでもありますね。それから『The World Has Made Me The Man of My Dreams』(2007年)にも参加してくれていた南アフリカ出身のタンディスワ(・マズワイ)とも互いの作品に参加し合う仲です。彼女は天才。私にとっては、今の時代のミリアム・マケバみたいな人です(笑)。あとは、アンブローズ・アキンムシーレ……彼はファースト・アルバムの頃からのファンでした。彼も《Blue Note》アーティストですね。彼のトーン、表現力は本当に美しく正しいエネルギーに満ちています。音で絵を描く画家(audible painter)という感じですね。ええと、それからジェイソン・モラン! 彼に対してはもう言葉がありません! 私にとっては父みたいな人です(笑)。私自身が、ジェイソン・モランと肩を並べられるだけのアーティストになりたいくらいです。こうやってみると、トランプ政権後、アフリカン・アメリカンとして、私は一層、私の先祖が生まれた場所(homeland)とリコネクトしようとしているのだ、と気づかされますね。
──もともと客演が多かったあなたですが、2010年代以降はロバート・グラスパー、今作にも参加しているブランディ・ヤンガー、そしてサム・ゲンデルなど、新世代のジャズ・プレイヤーとも言える精鋭たちの作品での素晴らしいパフォーマンスが際立っています。それによって、あなたがデビュー当初からさまざまな点ハイブリッドで先鋭的な存在だったことに改めて気づかされた若いリスナーも多いと思いますが、こうしたとりわけ近年のセッションで学んだことはありますか?
M:学んだのは謙虚でオープンであれ、ということです(笑)。人から若いという理由で見下した態度を取られるのが、私は大嫌いでした。だから私自身、若い人にそういう態度は絶対に取りません。彼らの話を聞き、彼らと参加しようとする。だって、ヴァーチュオーゾ(ヴィルトゥオーソ=名手)という意味では、若い人は私を遥かに超えたところにいて、私なんて彼らと肩を並べるところまで行かないんですよ。「その人がどうあるべきか(how to be)」ということを、言いがちなのがこの世界の間違ってるところです。そうではなく、ただ「その人である」……つまり“be”だけでいいのです。だから私はただ彼らと一緒にいよう、というだけ。愛情をもって、良い経験を、彼らと一緒にしようっていう、それだけなんですよ(笑)。
──これは答えたくない質問かもしれませんので、パスしていただいても構いません。あなたがオープンリー・バイセクシュアルを公言していることと、今の“be”のお話……ただその人である、ということとは関係があるでしょうか? あなたがデビューした当時はまだ公言するアーティストは少なかったですが、今では多くのミュージシャンが堂々と自身のセクシャリティをオープンにしています。例えば、あなたとは少し畑違いかもしれませんがボーイジーニアスの3人……フィービー・ブリジャーズ、ジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダッカス……。
M:ええ、もちろん彼女たちのことは知っています。セクシュアルなことに対して、人は何をそんなに心配してるんだろう? そんなことを思わなければいいのに、と思ったりはしますね。人はただ“be”……その人であろうとしてるんだと思うんです。それなのに、音楽だけでなく、自分まで売らなければならないことが悲しい。なんらかのキャラクターを売り、パーソナルなことまで話さなきゃならないのはなぜ? だって私の人生のパーソナルな部分は、私のものなんですから。だから、今、あなたがパーソナルな質問だから答えなくていい、と言ってくれて嬉しいです。実際、話したくないですから。だって私がどう生きるかは、私の問題です。ただ、嘘のない、人が傷つけられることなく、安心して生きられる世界であってほしいと願います。そして透明で澄んだ水と空気を失うことない世界であってほしい。それが私の願いなんですよ。私には33歳の息子と13歳の息子がいます。生きるってことは、それ自体、大きくて美しい、分からないことだらけ。だから私は息子たちにとって、フィービー・ブリジャーズにとって、サム・スミスにとって、全ての人にとって、なれる限り、良い人間でありたいと思っているんです。誰もが、経験できる時に一番いい経験をしてほしい。そしてうまく行かなくなった時は、音楽を介して一つになってほしい。世の中はかつてと比べ、変わってしまっていますけれど……。日本の人がどう感じているのかは分からないですが、ここ(アメリカ)にいると、着眼点が自分とは違うなと思うことがすごく多いんですよ。
──正直にお答えいただきありがとうございます。とはいえ、あなたの作品は、スピリットとして音楽への感謝を伝えるものという側面だけではなく、録音、音質の良さも際立っていて、そうした側面からあなたの音楽に触れる人も多いと思います。
M:私がブライアン・イーノの大ファンというのもあるかもしれません。音がどう届くか、ミキシングのされ方、音波、そういったものが音楽の受け止め方に大きく影響するのだと思っていますから。そのことを身をもって示してくれたのは、ファースト・アルバム以来すべてのアルバムをミックスしてくれているボブ・パワーです。私はただ聴く人が聴いて気持ちいいと感じる音波を作ろうとしているだけだと思います。だからサウンドはめちゃくちゃ重要なんです。音楽は聴く人を癒すし、精神状態を変えることだってできますから。最初に少し話をしました、ミュージシャンだった父から教えられたのは、何をするにしても“100%関われ”ということです。父は音楽の喜びを知っていた人だったから、私にも音楽は贈り物なんだ、最善を尽くせと言っていました。音楽のおかげで私は世界を旅し、世界を知れた。音楽のおかげで私は子供、人生、家庭を持てました。音楽は私が与えられた贈り物であり、創造主との精神的なつながり。音楽は私にとても良くしてくれたんです! そんな音楽を父が私にくれました。私が音楽をやるようになったのは、間違いなく父のDNAのおかげだし、特に女性として、生きる上で必要な生業……仕事が私にはあるんですよ。感謝しかないんです。例えば、日本を訪れ《Blue Note》に出演できる自分。異文化をこの目で見て、素晴らしい料理を楽しみ、ディテールへのこだわりに触れ、素晴らしい音楽、歴史、哲学を知る……。なんて光栄なことでしょう! もっと多くの人、もっと多くのアメリカの有色人種たちが日本に行ければいいと願います。自分達が知る以外の意識や存在意義がそこにはあるってこと。言葉では説明できないけれど、私は音楽によって、それを知ることができたのです。
<了>
Text By Shino Okamura
Interpretation By Kyoko Maruyama
Meshell Ndegeocello
『The Omnichord Real Book』
LABEL : Blue Note / Universal Music Japan
RELEASE DATE : 2023.06.16
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