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小煩い男の棲むセピアの世界を、ポップにガーリーに横切って

10 September 2025 | By Nami Igusa

遡ること2ヶ月前の7月中旬に、神田スクエアホールでのアコースティック・ライヴが突如発表されたレイヴェイ(本作収録の楽曲「Lover Girl」のMV撮影も兼ねての来日だったのだろう)。あろうことか、チケット争奪戦に競り負けた筆者である。と同時に、想定以上の日本での人気の加熱ぶりにも(不勉強ながら)驚かされたのだった。2024年にグラミー賞の《ベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム》を受賞しその直前には17,000人規模のハリウッド・ボウル公演も敢行、今年はマディソン・スクエア・ガーデンの2デイズをふくむアリーナツアーも予定されているわけだが、グラミー後の2024年のサマーソニックのステージは東京ではソニック・ステージと現地のライヴに比べるとさほど規模は大きくなく、日本での広がりはまだ限定的ではないか? とタカを括っていたのである。

本邦で広くウケるのかどうかと感じたポイントであるとともに、筆者が“ときめいた”のはやはりそのミッドセンチュリー期のアメリカン・スタンダードをよく再現し尽くした、セピア色の甘美なソング・ライティングだ。グレイト・アメリカン・ソングブックの中でも特にコール・ポーターによく似ていて、26歳という実年齢よりずっと成熟して聴こえる低音が深く響くヴォーカルは、彼の作曲したエラ・フィッツジェラルドのナンバーにさえ思えてくる……なんて書くと、小煩いジャズ評論家に鼻で笑われそうだが、レイヴェイの新しさと真骨頂は、まさにそこにある。

その点を掘り下げる前に、まず彼女の略歴をさらっておこう。アイスランド人の父親と、アイスランド交響楽団の首席ヴァイオリニストだった中国人の母の間に生まれたミックス・ルーツのレイヴェイ。幼いころからヴァイオリンやピアノ、チェロに打ち込んだクラシックのエリートで、奨学金を得てバークリー音楽大学へと進学。ここではジャズを学び……という最中に起こったのがパンデミック。アイスランドの自宅に戻った際にTikTokに投稿したスタンダード・ナンバーのカヴァーが話題となったことがシンガー・ソングライターとしてのキャリアの端緒になっているだけあり、この音楽性にして若年層のファン層が厚いのも特徴だ。

ノスタルジックな楽曲とは裏腹に現代的な言い回しやスラングも用い、恋や愛にまつわる感情を題材にする様が同世代にウケている……という、海外メディアで度々言及される分析も、確かに一理あるだろう。反面、筆者個人的には、彼女のリリックは今売れている他の多くのポップ・シンガーのそれ── 私生活を自ら切り売りしたようなゴシップ的メロドラマだったり、生々しく抑うつ的なメンタルヘルスへの言及、イラつきや怒りが前面に出たリリック── とは、一線を画しているように思う(もちろん後者2つは大事なテーマではあるが)。シンプルな言葉で綴られる彼女のリリックは、どの曲もおとぎ話のなかの初恋のようなピュアさを湛え続けており、そうした刺々しさの無さは前述のような氾濫する売れ線ポップスと比較すると、かえって新鮮である。

そしてそれは、ストレートに甘やかに愛を歌い上げるグレイト・アメリカン・ソングブックの多くとも共通する点だ。現代的な言い回しを使いながらも、世代や時代に左右されない愛の普遍的で本質的な部分を掬い取っているのが、レイヴェイのリリックの魅力なのだとも言えるだろう。若年層のみならず、彼女のライヴには歳のグンと離れた世代も足を運んでいるらしい、というのも頷ける話だ。「自分の日常がオースティンの小説になったような」という表現も海外メディアで目にしたが、まさに言い得て妙。彼女のシネマティックな音楽は、常に誰かの極端な感情に晒されやすい現代では、ある種のエスケーピズムも孕んでいるのかもしれない。

さて前置きが長くなったが、そんな彼女が英米圏でブレイクを果たしたタイミングでの新譜がこの3枚目のアルバム『A Matter of Time』。制作過程についてはこれまでと大きく変わったところはないと本人は語っており、実際ほとんどがストリングス・アレンジのロマンチックなヴェールを纏った楽曲になっている。ただ、序盤の「Lover Girl」やクレイロが参加した「Mr. Eclectic」ではジャズ・ボッサをコケティッシュに歌い、「Clean Air」ではカントリー・テイストに接近、失恋の予感を歌った終盤の「Sabotage」では、滝壺に落ちていくような音色をストリングスが奏でるやや前衛的なサウンドも取り入れてみせたりとアレンジの幅の広がりも感じ取れ、このタイミングでよりジャンル横断的なシンガー・ソングライターとしてやっていこうという決意も窺える。

白眉なのは「Snow White」と「Forget-Me-Not」だ。前者はつい外見に囚われてしまう現代の女性としての自分自身を歌ったナンバーで、乾いたギターとメランコリックなメロディをストリングスが映画音楽のように掻き立てながらも抑制的に終わる様が自らの精神の解放への祈りのようで胸に迫るものがあるし、後者はホールいっぱいに繊細に響きわたるようなアイスランド交響楽団の演奏をバックに、望郷の想いをアイスランド語を交えながらオペラを思わせる歌唱でもって聴かせており、彼女のバックグラウンドあっての風格の漂う一曲に。ただカントリー・ポップ調の「Castle In Hollywood」や「Tough Luck」などは敬愛するテイラー・スウィフトのソング・ライティングに忠実すぎる気がするし、テイラーの系譜であるグレイシー・エイブラムスとも被る印象が。両者に共通するアーロン・デスナーの起用も含め、“大文字のポップス”のフィールドで際立つレイヴェイらしさがもう一つ欲しい……とも思ってしまった。そういう意味では、クラシカル~ジャズに傾倒しスタンダード・ナンバーの風格を帯びていた前作までの方がかえって尖っていた、とも言えなくはない。

とはいえ少なくとも、誰しもの耳に残る“大文字のポップス”のメロディを真っ直ぐに力強く書けるソングライターは、まずそもそもそんなにはいない。しかも彼女は本来、クラシックとジャズのエキスパートである。前述の「Mr. Eclectic」では、小難しい顔をした“マンスプレイニングおじさん”を軽やかに皮肉っているが(あの甘やかなアルト・ヴォイスで歌われると皮肉も気品高く感じるのが不思議だ)、音楽ジャンルの中でも、小難しい顔をしたマンスプおじさんがとりわけ跋扈する2大ジャンルに確かな素養と知識とリスペクトを持ち合わせた若い女性として、“大文字のポップス”──しかもそういうおじさん達こそ小馬鹿にしそうなガールズ・ポップを歌い、ジャンルを大胆に横切っていく痛快さと新しさが、レイヴェイにはあるのだ。そしてそれこそが、彼女のシンガー・ソングライターとしての真価になりそうな予感が、この『A Matter of Time』には秘められているように感じるのである。(井草七海)

Text By Nami Igusa


Laufey

『A Matter of Time』

LABEL : AWAL / Sony Music Japan International
RELEASE DATE : 2025.08.22
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