映画『わたのはらぞこ』公開記念インタヴュー
音楽を手がけた三浦康嗣が語る、“掟破り”の制作方法
加藤紗希と豊島晴香による創作ユニット「点」との長編第2作『わたのはらぞこ』が今夏公開される。前作『距ててて』(2022年)の上映でふたりが訪れた長野県上田市の人びとや場所にインスパイアされて制作された本作。東京での暮らしに疲れ、上田に“休憩”に訪れた主人公、ヨシノ(神田朱未)が、いくつもの不可思議な出来事に巻き込まれながら回復していく。そんな物語を描く本作で重要な役割を果たしているのが、“音”や“音楽”、あるいはヨシノたちが紡ぐラップの“言葉”だ。“地味ミュージカル”を掲げ、ある種の音楽劇でもあるこの映画で音楽/音響デザイン/作詞を担当したのが、□□□の三浦康嗣だ。
実際、『わたのはらぞこ』は□□□の諸作品や、声優ユニット=イヤホンズへの提供楽曲、あるいは三浦が音楽を手掛けたままごとの演劇作品『わが星』(2009年初演)といった過去の仕事を彷彿とさせる、音楽、映画、演劇が交差してゆくようなおもしろさにあふれている。どのように『わたのはらぞこ』はつくられたのか、三浦の視点から話を伺った。
(インタヴュー・文/imdkm 協力/天野龍太郎)
Interview with Koshi Miura
「地味ミュージカル」を支えた作詞
──今回、『わたのはらぞこ』で初めて映画音楽を手がけることになった経緯を教えてください。
三浦康嗣(以下、M):実は、□□□として昔一度やったことはあるんですけどね。三浦康嗣としては初めてなんです。もともと(加藤)紗希ちゃんとは知り合いで、東京にいたときの家にもよく来ていて。そんな感じのノリで、点との前作『距ててて』のコメントを書いたり、トーク・イベントに出ることになったりして。それから、何年前かな。“地味ミュージカル”、つまり大掛かりなミュージカルじゃなくて、地味なミュージカルをやりたいから音楽をお願いしたいと言われていたんですね。次作はそれで行きたい、みたいな。全然いいよ、って言ってたらそれが実現したのが今作です。
──“地味ミュージカル”というコンセプトのとおり、音楽や音が出てくる場面自体は多くないけれど、物語を進めるすごく重要な役割を担っている。三浦さんは音楽だけじゃなく「音響デザイン」や「作詞」としてもクレジットされています。
M:そもそも彼女たちが映画をつくる専門の人たちではないし、友達という関係性から始まっているから、各々の役割はここからここまでって明確に決まっていないんですよね。「映画はだいたいこういうふうに作るものだ」っていう業界的なルーティーンを通っていない。だから、相談事があったらLINEグループに連絡してくるみたいな感じだったりする。この映画が“音楽映画”っぽくなっているとしたら、こういう制作のやり方が一番大きいと思います。
たとえば、僕は知らなかったんですけど、映画をつくる過程では“ピクチャー・ロック”といって、映像を編集したらまず画をロックする。これ以上は絶対変えないことにして、その上に音楽をつけるというのが一般的な順序らしいんです。でも、点とのふたりが制作のために塩屋の家(三浦は2024年に神戸・塩屋に移住、自宅とスタジオがある)に2回くらい来て、その2回目のときはもう試写用の納品直前で、ピクチャー・ロックした後だったんですけど、演技と会話っていう“意味”だけで物語が進みすぎてるから、観ててちょっと疲れてしまうし、音楽に身を委ねるシーンをもうちょっと増やそうという話になって。ただ曲が流れてるみたいなカットをつくるために、ふつうは絶対にやらないんですけど、編集しなおして3箇所くらいけっこう変えちゃったんです。ふつうの映画制作だったら掟破りなことをやっている。それがこの映画の象徴的なところだと思います。
作詞については、劇中にラップするシーンがあるんですけど、そこのラップの詞は全部僕が書きました。
──実際、聴けば三浦さんだろうなというのがわかるぐらい、まさしくこれまでの三浦さんのお仕事の延長線上にある気がします。たとえば『わが星』もそうですし、イヤホンズへの提供曲も思い出しました。具体的にはどういうふうに作詞を進めていったんでしょう?
M:“地味ミュージカル”映画として、最後にラップのシーンで終わるから、この映画ではラップがすごく大事なんだと言われてお願いされて書きました。上田の街を歩いて目に入った看板からリリックをつくるシーンが途中で出てくるんですけど、点とのふたりは上田市にすごく前から通っていたので、実際に上田にあるいろんな看板の候補を写真で見せてもらって。それをもとに、イカしたパンチラインのあるリリックを、登場人物が即興で出してくるような感じで書いてくれ、と言われて何パターンか書いたんです。そのなかから、そのシーンに合いそうなものをふたりが選びました。最後のラップも、伏線回収じゃないですけど、この映画のなかで出てきたエピソードをふまえたものがいいんじゃないかというので、そのシーンを観たうえで書きました。
僕は、物語のなかに出てきたものをキュッとコンパクトにまとめたいんですよ。あまり要素を増やしたくない。だから、ある意味これ全体が“1曲”になってるんです。ひとつのモチーフの変奏になっている。そういう意味では(□□□の「00:00:00」を使用した)『わが星』という舞台とまったく同じなんですよ。
ヨシノさんが訪れる映画館のシーンでは、実際に撮影のときにその場で演奏していた人たちの音を僕がエディットしているんですけど、映画全体がアコースティックな音になっていたから、ちょっとエレクトロニックなエディットを加えたりしています。あと、映画館ってすごく低音が出るじゃないですか。だから(TR-)808の低音をローカットせずに鳴らしています。音の周波数的なレンジの遊びを入れたかったんです。
主婦/主夫料理的なアプローチでつくる
──音楽がきちんときれいにクライマックスにつながっているのがすごく印象的だったので、制作過程の話を聞いてすごく納得しました。“きちんと”というのがこの映画について適切な表現かわからないんですけど。
M:「ちゃんとしたい」という気持ちはありましたよ。謎なことがずっと起き続ける、意味を論理的に捉えづらい映画だから、ある種のキャッチーさとして、自分が関わる部分はできるだけきちんとまとめたいかなって。カオスのまま突き進んでわけわかんないけど面白かったっていうのも全然ありなんですけど。音楽でポップに落とし込んだほうが間口が広くなるし、自分はそういうのが得意なんですよ。彼女らからすれば、「そんなことないよ」って言われるかもしれないですけど。
主婦/主夫料理的に、あるものだけでやるのが案外よかったりする。要素を増やさないほうがいいっていうのが僕の好みとしてあるので、歌詞も音楽も、あらかじめ決めていたわけではないんですけど、そうなりましたね。たとえば、最後にラップが始まる前、みんなで一緒にご飯を用意して食べるシーンがありますよね。その催しも上田で実際に定期的にあるものらしいんですけど。そのシーンで、アップライト・ピアノでアルペジオみたいなのを誰かがこじんまりと弾いて歌っているんですけど、その音が入るんだったらその音をラップのテーマに使おうと。
最後のラップのシーンは、クリックを聞いて歌っていたわけではなかったから、彼女たちの韻とかリズムとか、役者が勝手にやってるんです。それでもずっとアカペラでは難しいから、音をなにかしら入れたほうがいい。アップライト・ピアノを弾いている人がいて、自作のフォーク・ソングを歌っている人もいたから、そのふたりが急に「ミュージック・カモン!」って言われて即興で演奏する、というアイデアで行こうと思って。テンポがヨレヨレだから、自分でひとつひとつ、全タイミングに手動でクリックを打ちました。このヨレだったらこのくらいのリズムかな、どうしても変なところはこっちの基準に寄せればいいかな……みたいな感じで、すごく手間のかかることもやったりして。それも手作りっぽくて、いまとなっては面白かったですね。
──撮影に三浦さんは……。
M:行ってないんですよ。
──届いた素材をもとに再構築したんですね。
M:そうですね。そうこうしているうちに、ピアノのアルペジオがあるならそれを途中にも持ってくることに決めて。一番最初のタイトル・バックで鳴る音も、主旋律だけあのメロディを使って、不穏なコードをあてることにしました。点とのふたりとしては、ふつうにいい感じのイントロをイメージしていたみたいなんですけど、けっこう不思議なコード進行にして。明るいのか暗いのかよくわからない。ちょっと不気味ではあるけどそこまで暗くはない。それが映画が進むにつれて、だんだん安心できるコードに変わっていくんです。中盤、半田さん(豊島晴香)による化石のワークショップのシーンの後に化石だけ映すカットがあるんですけど、そこでようやくまともな進行になる。そこに、ヨシノさんの心情をリンクさせてみたり。
──この映画って、登場人物のあいだで対話があったりすれ違いが起こったりといったドラマはあまりなくて、変なことがひたすら起こっていくうちに、上田に“休憩”に訪れたヨシノさんに変化がうまれていく。それぞれの場面を取り出すと不条理でシュールなシーンの連続なんですが、コード進行の話もしかり、音や音楽が、そこに不条理なだけじゃない意味やニュアンスをつくっているように思います。ヨシノさんの身の回りにあふれる日常の音が徐々にリズムを刻み始める印象的なシーンもありますが、こうした音の演出にも三浦さんは関わっていたんでしょうか?
M:そうですね。こことこことここに音が欲しい、というのは伝えられて、そこに加えて入れたほうがいいと思ったらとりあえず入れてください、みたいな感じで。シーンごとにバーって入れていって、「これはもう最高っすね」というところもあれば、「もっとこういう感じがいい」っていうところもいろいろあって。それをすり合わせていくうちに、音のなんとなくの通り道が見えてきたかな。だから、全部成り行きなんですよね。でも、音が入っているところってそんなにないんですけどね。
──たしかに、書き出すとすれば、両手で足りそうなくらいというか。
M:ほかにも微妙な調整をしていて、重要な場面ではピアノのアルペジオが響いている余韻を急に切らずに、次のシーンまでまたぐように長めにするとか。当たり前の手法ではあるんですけど。そういうことも勝手に自分でやって、だいたいの部分は「いいじゃん」って言ってくれましたね。相性がいいんだと思います。アイデアがぽんぽん出てくるし、ラップの歌詞もそんなに時間をかけずにざっと書けた。音楽的にも全然悩んでいないです。エンディングテーマを録るときに、いろんな人から集めた合唱の素材を編集するのが面倒だったとか、そういう実務的な大変さはありましたけどね。
『わたのはらぞこ』の音楽を支えた人たち
──合唱って、エンドロールで流れる主題歌(「わたのはらぞこ」)ですよね。
M:はい。本当は上田の人に歌ってもらう予定だったんですけど、撮影の都合で時間がとれなかったから、上田に限らず自分たちの友達まわりでいろんな人に歌を録音してもらって合唱にしています。うちのスタジオにも15人くらい来てもらって、そこで一発録りしたものをメインに使っていますね。
──なるほど。最後のエンド・クレジットに、演奏者の名前が出るじゃないですか。よく見たら、今年の春に三浦さんを訪ねて塩屋に行ったときにお会いした人の名前が、すごくたくさん出てきていて……。
M:一緒にトーク・イベントをやったheso.のナベちゃん(渡邉彬之さん)とか、森本アリさんとかね。清造(理英子)さんに関しては、合唱だけじゃなくてトロンボーンも吹いてもらってますし。毎度のことながら手弁当で、「適当に吹いてみてよ」とかいって吹いてもらって、いい感じに編集して。
あと、今回「音響デザイン」というクレジットにはなっているんですけど、実際のミックス作業の大半は、David Shimamotoさんに手伝ってもらっています。
──あの『とーくばっく ~デジタル・スタジオの話~』の著者としても知られる方ですよね。クレジット見てそこもびっくりしました。
M:もともと、東京にいたときから付き合いはあったんですけど。Shimamotoさんはヴォーカルのエディットをたくさんやっているので、声の処理とかが速くて的確なんです。もうおれひとりじゃ無理だと思って、Shimamotoさんに素材を渡してやってもらいました。だから、もちろん「音響デザイン」はおれもやってますけど、実質はShimamotoさんがやってくれているんです。ちなみに、「あたしのなかのものがたり」(イヤホンズ、2018年)のヴォーカル・エディットもShimamotoさんにお願いしていますね。
だから、個人的に自分が一番頑張ったというか、自分にしかできなかったなと思ったのは、いま思えば劇中の歌詞ですね。ちゃんと物語に極力寄り添って歌詞を書くっていうのは、できない人はできないと思うので、うまく書けたという実感があります。
──三浦さんは撮影の現場にいらっしゃらなかったということは、どうラップをデリバリーするかは役者の皆さんにお任せという感じですか?
M:はい。ラフなデモはあったので、それを聞いて練習していたと思うんですけど。映画では喋るようにラップしていますけど、デモではあんな感じじゃなかったんですよ。みんなラッパーじゃなくて役者だし、セリフの延長で自然に言うことで、結果的にああなった。時間をかけて練習して、クリックを流したうえでやっていたらまた違った仕上がりになっていたと思います。
三浦康嗣と“映画”
──映画音楽に今回がっつり関わってみて、なにか新鮮だったこと、逆にこれまでの仕事との連続性を感じたことはありますか?
M:それこそイヤホンズの諸作とか、ポップ・ミュージックとしてリリースされる作品でも、演劇的、映画的時間を使ってきているんです。紗希ちゃんもそのあたりを聴いてすごく評価してくれていて。ほかにも□□□でいえば『everyday is a symphony』(2009年)とか。あの作品も、当時演劇の若い人たちと仲良くなって、それに触発されたところもあるので。
たとえばイヤホンズの「あたしのなかのものがたり」だったら、主人公の高野麻里佳さんが、50年後のおばあちゃんになった自分である長久友紀さんに、「おーい!」って一小節かけて語りかけて、一小節空白になる。おばあちゃんだから耳が遠いのか返事がなくて、そこでもう一回「おーい!」って語りかけるんですね。そこで「あら」って返事が来て、「なかなか返事がないから心配になったよ」って駄目押しで説明も入れてるんですけど。この間の取り方は演劇的だなと思って。
同じイヤホンズの「記憶」(2020年)は、パートの切れ目を境にひとりの女性の5歳の頃と25歳の頃を描いているんですけど。子どもがぱたぱたぱたぱた……って走っていく音が、だんだんと終電に向かう疲れたOLの足音に切り替わって、時間が20年飛ぶんですよ。こんな風に20年も時間が飛ぶのって、とても映画的だと思ったりして。こんなふうに、ポップスでも音楽的じゃない時間の使い方をやってきたから、映画音楽をやっても違和感はなかったですね。むしろ、もっと自分なりにできることがあったかもしれないと思ってます。
──半田さんが電車のなかで延々一人語りをして、電車のなかで響いている喋り声が、ボイスオーバーに切り替わっていきますよね。そこでコラージュっぽくなって、エフェクトもかかって。一人語りだけだったら多分成立しないような場面だけれども、音の使い方で成立しているなと思って。個人的にそこがすごく良かったです。
M:あそこ、いいですよね。語りの部分だけ、うちのスタジオで録りました。できるだけハイファイなマイクで録って。音が相当クリアだと思うんですよ。撮影で使っているピンマイクやガンマイクだと、いかにも“映画の音”っていう感じになるんですけど。逆にぱきっとしたハイファイにして、ダブルやトリプルで重ねたりして。一応ビートもあるし、エレピやベースもある。最後にラップのシーンが来ても唐突すぎない、絶妙な塩梅で。コード進行も同じにしてあるので、意味で映画が進み続けるのを緩和して、音に身を委ねる気持ちいい時間みたいな。もともと、ふたりのなかではそういうつもりだったみたいですよ。「こんな感じかな?」ってやってみたら、「めっちゃいいっすね」と。音楽でもあるし、語りでもあるし、ラップっぽく聞こえなくもないし、エフェクトも飛んでるし、一番すべてが溶け合っている時間ですよね。
──せっかくの機会なので聞いてみたいんですが、三浦さんはどんな映画を観てこられてきたんでしょう?
M:たしかに、あまり聞かれたことはないですね。たぶん、高校から大学時代が一番ひねくれた映画を観ていたと思うんですよね。ヌーヴェルヴァーグ的なものとか。あと、セルジュ・ゲンスブール関係の映画はほとんど観ていました。そういうふうに、音楽とセットで、フランス系のものを見ていましたね。ほかにも、マイルス・デイヴィスが音楽をやったルイ・マルの『死刑台のエレベーター』(1958年)とか、ハービー・ハンコックがやったミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』(1966年)とか……。高校から大学の途中までは観てましたけど、ある時期急に観なくなって。逆にハリウッドものを一時期すごく観ていたこともあります。
音楽の聴き方と似てるかもしれないです。若い頃はすごくアンダーグラウンドなものを聴いていて、逆に□□□で『ファンファーレ』(2005年)ってアルバムを出す頃には歌謡曲ばっかり聴いていて。ジャズも、普通にジャズ・ヴォーカルを聴く前にジョン・コルトレーンとかファラオ・サンダースのスピリチュアルなジャズや、オーネット・コールマンから入って。シカゴ音響派が流行った時代でもあったので。そこからちょっとだけモード・ジャズに行って、ビバップとかに行って、最終的にスタンダードなジャズ・ヴォーカルを聴くようになる。
ちなみに、好きな映画を聞かれたら、だいたい『オーシャンズ』シリーズを推してますね。
──マジのハリウッドエンタメ映画ですね。
M:不完全だけどすごく一芸に秀でたひとたちが集まって、デコボコしているけどなにかひとつのことをやるっていう、それだけでちょっと泣いちゃうところがある。かつ、音楽を含めて暗い要素が全然ないんですよね。しみったれたところがない。ただ、のちに女性だけのスピンオフ(『オーシャンズ8』、2018年)もつくられはするんですけど、めっちゃ男男しているし、人種の描かれ方も典型的すぎるんですけどね。中国人のキャラクターはカンフーの達人で変な身体の動きができるとか、黒人が泥棒だったりとか、今思うとけっこうどうかなってところもある。そういうところをおいておけば、すごく好きですね。
──そんな『オーシャンズ』好きの三浦さんとしては、完成した『わたのはらぞこ』はどうご覧になってますか。
M:自分が関わっているだけに、やっぱりよくわからないですよね。もっとこうすりゃよかったな、とか思ってしまうので。でも、「なんでこんなことになるんだろう」っていう引っ掛かりがある映画だと思いますね。意味不明なことが起こるけど、そのオチは別にない。そこに振り切れるのはすごい気がします。
──明るい映画なのか暗い映画なのか、それとも悲しい映画なのか、ずっとわからないですよね。
M:どういうモードで観ればいいのか、あんまりわからない。それがいいというか。個人的にはそういうものが好きなので。面白さというよりも、そのアティチュードに惹かれてしまう。
──三浦さんのこれまでのお仕事に触れてきたファンの方にも楽しんでもらえる作品だと思います。
M:『わが星』が好きだった人とかにも、観てもらえたらいいですね。ちなみに、10月には『MONDAYS』という舞台の仕事も決まっていて、東京では《PARCO劇場》で3週間くらいやるのかな。この作品も音楽劇という形式で、絶賛制作中です。演出家の方が神戸に縁があることもあって、うちのスタジオに来て一緒にやろうという話にもなっています。今回の映画みたいに、どこまでが音楽の仕事でどこまでが演出の仕事か、よくわからないバランスになったら成功だなと勝手に思ってます。
──『MONDAYS』、上田市の劇場で上演するじゃないですか。
M:そうなんですよ。すごい偶然だなと思って。来月には□□□でライヴもしにいくし。本当に謎なんですけど、縁がありますよ。
<了>
Text By imdkm
『わたのはらぞこ』
監督:加藤紗希
脚本:豊島晴香
出演:神田朱未/加藤紗希/豊島晴香/釜口恵太/本荘澪/湯川紋子/髙羽快
音楽・音響デザイン・作詞:三浦康嗣(□□□)
撮影:寺西涼
照明:西野正浩
録音:鈴木万里
スチール:髙羽快
宣伝美術:一野篤
宣伝協力:天野龍太郎/山本梨央/ウスバアミ
企画・製作:点と
オフィシャルサイト:https://watanoharazoko.com/
X公式アカウント:https://x.com/watanoharazoko
Instagram公式アカウント:https://www.instagram.com/watanoharazoko/
2025年8月1日(金)~上田映劇(長野県)
8月23日(土)~ポレポレ東中野(東京都)ほか全国順次公開
LIVE INFORMATION
□□□ ×『わたのはらぞこ』スペシャルライブ/映画と音楽の時間
2025年8月2日(土)長野・上田映劇
開場/開演:13:30:14:00
出演:□□□(三浦康嗣と村田シゲだけ)、点と(加藤紗希、豊島晴香) ほか
住所:〒386-0012 長野県上田市中央2-12-30
入場料:前売り¥5,500 当日¥6,000(いずれも税込)
主催:わたぞこライブ実行委員会
共催:上田映劇
お問い合わせ:わたのはらぞこinfo watanoharazoko@gmail.com
発売方法:Googleフォームの受付先着順
受付URL:https://forms.gle/vpnW4bW4M4uuMcUdA
受付開始:2025年6月20日(金)正午12:00
詳細は上田映劇のオフィシャルサイト(https://www.uedaeigeki.com/news/29644/)で
