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またホンデで会おう〜韓国インディ音楽通信〜第6回
「同時代の最もかっこいいバンドたちと一緒に肩を並べたい」韓国から最狂のポストパンク・バンド、ソウムパルグァン登場

17 February 2022 | By Daichi Yamamoto

ソウムパルグァン(소음발광 Soumbalgwang)は、韓国でいま最も熱いパンク・バンドであり、90年代に韓国で独自に生まれた”朝鮮パンク”を進化させているバンドだ。2016年にデビューし、1枚のEPと2枚のフル・アルバムを発表している4人組だが、筆者は昨年のアルバム『기쁨, 꽃(Happiness, Flower)』で彼らと出会った。1曲目「낙하 Fall」。再生するとすぐに鳴り響く、導火線に火をつけるようなギター・ノイズ、そのうち脱線してしまいそうな暴走する機関車のようにキレが良すぎるカッティング・ギター、冷たいトーンで言葉を吐き捨てたかと思えば、サビでは興奮したようにシャウトするボーカル……。「降り注ぐ 跡の夜/粉々になる 落下の踊り」というサビで繰り返される意味のよくわからない歌詞まで、とにかく強烈だった。音楽的にはまさに昨今のイギリスやアイルランドの再燃するポストパンクと共鳴するようなサウンドだが、調べてみると根底には韓国のパンクの先達たちはもちろん、ナンバーガール、銀杏BOYZなど日本のバンドもルーツにあるという。だが、そういう体系的な部分は置いておいても、休む間も無く全力でエネルギーを吐き出し続ける彼らの音楽に、筆者は美しさを感じた。

ソウムパルグァン 낙하(Fall)

一方で、このバンドが韓国第二の都市・釜山の現在のインディ・シーンを代表する存在であることも重要だ。アルバム『기쁨, 꽃(Happiness, Flower)』は、来日公演の経験もあるセイ・スー・ミー(Say Sue Me)のキム・ビョンギュがプロデュースを務め、ラストの「Happiness 기쁨」ではコーラスでボスドンクーラー(Bosudongcooler)、ハサウェイ(hathaw9y)のメンバーが参加するなど、同じ釜山を拠点とするバンドたちとともに完成させた。音楽産業がソウルに一極集中する韓国において釜山のバンド・シーンをレペゼンしようという意志も感じた。

そんなソウムパルグァンが上京し、ショーケース公演を行うと知って、インタビューを敢行することにした。アルバムの音楽性から釜山の音楽シーン、日本のパンク・バンドを見つけた時のことまで幅広いトピックについて話を訊いてみた。(もはや感動的でもあったその日のライヴの映像は、記事の最後にリンクしておくのであわせて見てみてください)(インタビュー取材・文/山本大地)

──ニュー・アルバム『기쁨, 꽃(Happiness, Flower)』を聴いて、歌詞も音楽性も自分達だけのスタイルや世界観を確立しているバンドだと感じました。自信の持てる作品が出来たのではないでしょうか?

カン・ドンス(ギター・ボーカル、以下ドンス):「これが僕たちの名盤だ」とまでは言えないけれど、メンバー全員が自信を持っているアルバムだと思っています。前作まではドラムのキックやベース、ギターのリフなどまでほとんど僕の要求通りにやってもらっていたけれど、メンバー皆が一緒に参加して作ったアルバムは今作が初めてなんです。気分がとても良いですし、面白い作品が出来たと思います。

──ディスコグラフィをデビューEP『풋(Huh)』から聴いてみると、当初は爽快なギター・ロックだったのが、今ではシャウトやノイズも多いより攻撃的なサウンドになっていて、その変化の過程が面白いです。こうした変化にはきっかけがあったのでしょうか。

ドンス:ソウムパルグァンを始めた時は、ジャングル・ポップをやりたかったんですが、パンクを幼い時から聴いていたので、自然とパンク音楽になったんだと思います。バンドをやりながら聴く音楽の幅も広がったし、私は影響を受けやすい方なので、音楽スタイルも少しずつ変わっていったんだと思います。

──前作『도화선 Fuze』を出した後には、新たなギタリストとしてキム・ギテさんが加わりましたね。ギテさんが加わったことはバンドにどんな変化をもたらしましたか?

ドンス:ギテが加わってバンドの平均年齢が下がったことで、前よりも衝動的で破壊的なニュアンスが生まれたし、より若々しさの伝わる音楽を作れるようになったと思います。

──ニュー・アルバム『기쁨, 꽃(Happiness, Flower)』はローファイに作られた前作『도화선(Fuze)』とは違い、よりポップで洗練されていますね。今作はどんなテーマやビジョンを持って制作を始めましたか?

ドンス:前作『도화선(Fuze)』まではやりたいようにやってきました。前々作のEP『풋(Huh)』は共同プロデューサーみたいな感じでマッシュルーム・レコーディング・スタジオのチョン・ハクジュさんがついてくれたのですが、僕たちが作ったというより彼が作ってくれたという感じがしたんです。なので、前作は「僕たちが作りたいように作ってみよう、そうすれば悔いもないだろう」と考えて作ったのですが、当時僕がペイヴメントにハマっていてローファイに作りたかったので、ただ練習室で録ったんです。けれど、今回は僕たちが成長するにはもっと良いクオリティでやってみる機会が大事だと思いました。ローファイが良くないというわけではなくて、多様なやり方でレコーディングしてみる必要があると思ったので、もっと洗練されたものを表現したかったです。

춤 (Dance) MV

──今作の場合はパンクといっても初期のパンクよりもポストパンクの影響を感じます。私も聴いてすぐにザ・フォールとか、最近のバンドならフォンテインズD.C.とかの名前が浮かびました。ブログにあるアルバム制作記にもこうしたバンドは言及されていますが、ポストパンク・サウンドにはどんな魅力があると思いますか?

ドンス:ポストパンクといわれているバンドを聴いてみると、一つのジャンルとして見るのが難しいくらい多様な音楽をしているバンドが多いじゃないですか。僕たちは皆やりたい音楽や、音楽の好みが異なります。僕たちはパンクを標榜しているバンドですが、ポストパンクがより僕たちの好みを自由にかつ美しく表現出来ると思いました。

キム・ギヨン(ベース、以下ギヨン):僕はポストパンクに関してはドンスが薦めてくれて聴くようになったし、パンクとポストパンクの違いについて歴史的な部分とかは詳しくはわかっていないです。でも、初期のパンクが労働者たちにとって簡単なコードで自分たちのメッセージを伝えるためのものだったなら、そのスタイルを借用してもっと芸術的で多様なサウンドを表現出来るのがポストパンクだと知って、とても興味深かったです。パンクの時流も、アーティストたちが労働者たちの正直な感情を受け継いで表現したということも興味深かったですね。

──最近はフォンテインズD.C.やシェイム、アイドルズ、ドライ・クリーニングといったバンドを始め、イギリスやアイルランドなどでポストパンクがまた流行っていますよね。こうした同時代のバンドたちの存在は刺激になったりしますか?

ドンス:フォンテインズD.C.やシェイムのサウンドは僕たちもリファレンスしました。僕はいつかパンクのブームがまた来たらいいなという思いを持っていたので、(今のポストパンクが流行している状況)は胸が熱くなる思いです。制作していた時にこうした同時代のバンドたちの存在がとても刺激になりました。制作記に書いたように同時代の最もかっこいいバンドたちを僕たちが真似するわけではないけれど、パンクをするのなら一緒に肩を並べられるバンドにならなきゃいけないのではと思いました。

──さっき言及したようなバンドたちと一緒にライブを出来る機会があったらいいな、なんて考えたりもしますよね。

ギヨン:はい、スター・バンドって初めはかっこいいバンドのオープニング・アクトから活動を始めてることが多いじゃないですか。「このバンドを見に来たんだけど、このバンドもいいね」って観客たちが感じてもらえたらいいですよね。そういう夢を僕たちも見ますよ。

──アイドルズにDMを送ったそうですが、返事は返って来ましたか……?

ドンス:まだです!(笑)
ギヨン:きっと来るでしょう!(笑)

──今作に影響を与えたアルバムを紹介されていたインスタグラムの投稿を興味深く読みました。中でもビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』について「最も素晴らしいポップ・アルバム」、ソニック・ユースの『Sister』にも「どこかポップ的な要素がある」と評している部分を読んで、音楽の好みに関して「ポップであること」を重要視しているようだと思いました。ソウムパルグァンが考えるポップの定義は何で、ポップのどんな部分に惹かれますか?

ドンス:大衆的であろうと、非大衆的であろうと、美しいと感じられる音楽をポップだと考える時が多いです。例えばソニック・ユースの変則的な要素やノイズの間にも美しい要素があると思うし、特に『Sister』は「美しい音楽がポップではないか」と思わせてくれたアルバムでした。でも、アーティストたちはそれを考慮してはいないと思います。「大衆的な音楽を作らなきゃ」と思ってポップを作るわけではないと思うので。

──そうした「ポップの美しさ」を追求する性向は、幼い頃からあったのでしょうか?

ドンス:実はロック・ミュージックに初めて接した中学生・高校生の頃は、荒くてうるさいのが最高で、少しでもポップでふわふわしていたり、美しかったりすると、「これは音楽じゃない」と考えていた時期がありました。でも、一緒に釜山で活動するリーブス・ブラック(Leaves Black 검은잎들 コムニプドゥル)のお兄さん、お姉さんたちと親しくなってから変わりました。 Leaves Blackが追求する「美しさ」がかっこよくて、ポップに目覚めること自体はその前から始まっていましたが、彼らが一気に気づかせてくれた感じです。その後は美しいものについて狂ったように執着するようになりました。

──今作はセイ・スー・ミーのギタリスト、キム・ビョンギュさんが全曲プロデューサーを務めましたね。どういった経緯で一緒に制作することになったのか、共作してみてどうだったのか教えてください。

キム・ギテ(ギター、以下ギテ):セイ・スー・ミーはもともとすごく好きなバンドでしたが、ギター・ボーカルのチェ・スミさんがソウムパルグァンの前作『도화선 Fuze』を気に入ってくれ、接点が生まれました。すごく嬉しかったし、プロデューサーとしても、釜山で先に音楽をしていた先輩、お兄さんとしても、僕たちが自分達の方向性を見つける手助けをしてくれたと思います。制作以外にも人として励ましてくれたり、応援もしてくれました。パンクやポップに関しては韓国でとても高い地位にいるバンドなので、音楽的にもたくさんのコメントをしてくれたし、良い曲が出来るようにサポートをしてくれました。

ギヨン:僕たちがプロデューサーの言うことを聞かないことだってあるじゃないですか。トラブルが起こることもあるし。でも、セイ・スー・ミーという僕たちが信じているバンドのギタリストでもあり、リスペクトしているので、僕たちも助言や意見を積極的に聞いたと思います。僕達が望んだような、洗練されて美しく飾られた音楽になるように、様々な要素についてアドバイスをしてくれました。

キム・ボギョン(ドラム、以下ボギョン):ギターの場合は、エフェクトもたくさん使って、あれこれ電子機材を使って出来ることが多いですよね。でもドラムはアナログな楽器なので、トーンに対してそれほど深刻に気を遣ったことがなかったんです。ただ「私が好きなトーンは重いトーン、あるスネアから出るトーンが好き」というくらいだったんですが、ビョンギュさんと一緒に作業しながらセッティング、ミュートやトーンとか、すごく細かく気を使ってくださってそういうのがすごく良かったです。

ドンス: 僕たちはこれが2枚目のアルバムだというのにも関わらず、学生の頃、バンドを始めた時のような体験でした。ポップなことをするなら、どうすればいいか指示したり、教えてくれるというよりは、一緒に悩んでくれる良い先輩のような感じでした。実は僕たちもポップに関して「ただうるさく、メロディーさえこうすればポップなんだ」程度だったのですが、そういう部分から目覚めさせてくれたのが、今回の最大の成果であり、学びだったと思います。

──セイ・スー・ミーは日本を含む海外でも活発に活動しているバンドでもありますね。地元、釜山ではどんな存在なのでしょうか。

ドンス:釜山のインディ・シーンは、ホンデに比べると、あまり注目されない。でも、セイ・スー・ミーは海外でも活動するロックスターだし、有名なので、釜山では嫉妬する人もいれば、好きなのに近づきづらそうにする人もいます。セイ・スー・ミーは自ら周囲の人たちに近づこうとはしませんが、僕らのようなバンドが近づくと、拒まず一緒に楽しんでくれる、そんな人たちです。重くはないお姉さん、お兄さん、そういう感じ。恥ずかしがり屋だけど、近づくと喜んでくれます。

ギヨン:セイ・スー・ミーはロックスター。釜山の自慢です。

Say Sue Me “So Tender” MV

──本作の歌詞についても少しお話を聞かせてください。全体的にこれまでよりも抽象的な描写が多く感じましたが、どんなテーマで書こうとしたのか、歌詞の書き方を変えたりもしたのでしょうか。

ドンス:前作『도화선(Fuze)』は、日記を基に歌詞を書きましたが、今作はコード進行や編曲がある程度出来たら、30分、短ければ5分以内で歌詞を全部書きました。ただその場の状況や目の前にあるキーワードを羅列して書いたので、ストーリーも少し曖昧に聞こえるのだと思います。テーマは特に決めていませんでしたが、僕が基本的に少し憂鬱な人なので、そういう部分が暴力的に表出したと思います。

──「기쁨 (Happiness) 」は、後半のボスドンクーラー(Bosudongcooler)、ハサウェイ(hathaw9y)のメンバーたちと一緒に歌うパートが力強く、「それでも明日も生きていこう」みたいなポジティブさも感じました。

ドンス:「기쁨 (Happiness) 」はもともとのタイトルが”自殺”でした。当時ボギョンが「歌はとても良いけれど私には歌詞やタイトルが重すぎる。この曲は使いたくない」と言うので使わないつもりでいましたが、ギテが「兄さん、この曲すごくいいのに、なんで使わないんですか?」って言うんです。それで歌詞を変えることにして、一番率直なことを、重すぎないレベルで書いてみました。この曲の歌詞は唯一日記を基に書いています。実際、僕たちは生まれたくて生まれたわけではないし、憂鬱な時も、嬉しい時も、挫折する時もあり、自分たちの感情に忠実に生きていくことも出来るのに、メディアは喜びだけを強要していると感じていました。最後に皆で叫ぶ「こうだよ、何かしてみたことはないです/生きようと努力してみたこともないです」という部分は、「明日も生きていこう」というメッセージを込めて書いたわけではありませんが、皆で諦め、自分の感情を共有したかったんです。そうしてみれば解放感が感じられるんです。今の僕の感情は、僕だけが感じている訳じゃないと思って、一緒に歌いました。

ギヨン:僕たちの元ドラマーや、私の妻も一緒に歌いました。

──曲名の「기쁨 (Happiness) 」という言葉はアルバムのタイトルにも入っていますし、アルバムの中でも 特に重要な曲になりましたよね?

ドンス:一番大事な曲です。

기쁨 (Happiness) MV

──同じ釜山を拠点にするボスドンクーラー(Bosudongcooler)、ハサウェイ(hathaw9y)と共演して「 기쁨(Happiness)」以外にも、今回のアルバムは、プロデュースをセイ・スーミーのキム・ビョンギュさんが務めたりと、釜山のバンドとの連帯感のようなものも感じたのですが、同じ釜山を基盤に活動するこれらのバンドは皆さんにとってどんな存在でしょうか。

ドンス:例えば、セイ・スー・ミー、リーブス・ブラック、ボスドンクーラー、ハサウェイ、ザ·バスターズ(The Bastards)とはよく交流をしているし、リーブス・ブラックとザ·バスターズとは「盗賊団」というクルーも作ったんですよ。彼らは私たちに釜山で音楽ができる力を与えてくれる存在であり、これらのバンドたちが中心になればソウルではなく釜山で私たちがまた違う文化を作ることができるのではないか、そう思わせてくれる存在です。

──韓国ではミュージシャンたちがソウルに集中していますよね。そうした状況で釜山で活動することは、バンド活動にどのような影響を与えていると思いますか?

ギヨン:セイ・スー・ミーは、海が好きだから釜山に残っているとも言いますが、僕たちは地域への愛情が特別にあるわけではありません。ソウルに行ってライヴを見ることもできますが、ここでも十分近くで見られるということもありました。自慢ではないですが、特に2016年、17年頃は釜山にアーティストも多かったし、ソウルより大きなシーンがあって、ソウルよりも先頭に立って音楽をしていました。僕はその時期に影響をたくさん受けました。今はシーンが小さくなってしまいましたが、僕たちも釜山で十分にできるという考えを持っています。でも今は、昔から住んでいる場所に対する安心感が一番大きいですね。音楽をするということだけでもストレスがとても多いので、ソウルに行ってより多くのストレスを感じて暮らすこともないかなと思いました。釜山でも活動ができるし、ソウルのバンドたちを呼ぶこともできる十分な関係があるので、可能であれば釜山でずっとやってみたいと思っています。

ドンス:ホンデ(ソウル)はバンドが多いので、平日の夜からキャリアをスタートして週末の夜にライヴをするようになるという段階がありますが、僕たち釜山のバンドは(そもそもバンドの数が少ないので)週末にライブが出来ます。ソウルに行っても(週末しか行けないので)必ず週末だけ(笑)。

ギヨン:ソウルはバンドが多いので最初はぱっと注目されにくいですが、釜山ではすぐに舞台に立つことができます(笑)。

ドンス:有名になったら分からないけど、最初はローカルの方が有利な部分が多いんじゃないかと思います。

──2016、17年頃の釜山の音楽シーンは今とどう違っていたのでしょう?

ギヨン:当時はバンドも多かったし、音楽が出来る場所、楽しめる場所も今より多かったです。当時はパブじゃなくてライヴクラブがたくさんあったし。

ドンス:今ではライヴクラブは2つしか残ってないですが、それでも存在していることに感謝しています。16、17年頃はライヴクラブも多かったけど、新しく出てくるバンドや先輩バンドも多くて、それらが僕たちに多くの影響を与えました。 残念なのは、その時に出たきたバンドの中で今も残っているのはボスドンクーラーとソウムパルグァンだけだということです。

──シーンが小さくなったのはきっかけがあったのでしょうか? それとも自然とバンドが少なくなったのでしょうか。

ドンス:コロナウイルス流行の影響でライヴクラブが閉まり始めました。2019年頃から少しずつ、僕たちと一緒にやってきたバンドがいなくなっていたのですが、それがコロナウイルスを契機に、完全に今のようになってしまった気がします。

──最後にソウムパルグァンの音楽的アイデンティティを象徴する「パンク」についてもう少しお話を聞きたいです。韓国でパンクといえば90年代後半、韓国インディーズ第1世代のクライング・ナット(Crying Nut)やノー・ブレイン(No Brain)のようなバンドがやはりとても大きな存在だと思います。

ドンス:クライング・ナットの曲が収録されている『Our Nation』というコンピレーション・アルバムを聴いて、バンドをしようと思ったし、パンクのかっこよさを知ったのはノー・ブレインの『大朝鮮パンク ノー・ブレイン:青年暴徒猛進歌』というアルバムだったので、彼らは僕にとって大きな意味がある人たちです。20年以上活動しているパンク・バンドであり、尊敬することができる対象がまだ生きているということなので、僕たちの力になります。

Crying Nut “말달리자 Speed Up Losers”

ギヨン:スクール・バンドたちは皆カバーしますよ。デリスパイス(Delispice)、ノー・ブレイン、クライング・ナット、そして紫雨林(ジャウリム・Jaurim)とかを。

──皆さんよりもずっと上の世代のバンドたちだと思いますが、今でもそういうバンドがよくカバーされるんですね!

ドンス:日本ではザ・ブルー・ハーツがよくカバーされると聞きました。そういう存在だと思います。

──ブルー・ハーツといえば、バンドのブログを読んでみると、ザ・ブルー・ハーツの他にも、ナンバーガール、銀杏BOYZといった日本のパンク、ポストパンクバンドへの言及もあります。これらのバンドはどうやって見つけたのでしょうか?

ドンス:ナンバーガールの場合、韓国では”日本のピクシーズ”、”日本のソニック・ユース”みたいに呼ばれたりもしています。僕もピクシーズとソニック・ユースが好きだから、 自然と聞くようになりました。 ザ・ブルー・ハーツはリーブス・ブラック (Leaves Black)の影響です。彼らがザ・ブルー・ハーツのマニアなんですよ。銀杏BOYZはある日YouTubeで見つけたんですが、涙を流しながら叫んでいるライヴがポップそのものでした。とても美しかったです。「駆け抜けて性春」は、いつも聞きながら胸が熱くなるものがあります。

──ソウムパルグァンは強い野心を持っているバンドというイメージがあります。今後のバンド活動に関して目標があればお聞きしたいです。

ドンス:いま一番かっこいいバンド、一番美しいバンドになりたいです。以前は、「釜山といえばソウムパルグァンが思い浮かんだらいいな」と思っていたのですが、どうせ音楽をするなら、大きな夢を持っていたほうがいいんじゃないか、そうすれば半分は到達するだろうと思って。

〈了〉

取材当日のライブ映像(ソウムパルグァンのInstagramより)


連載アーカイブ

【第5回】2021年韓国インディー・ベスト10
【第4回】海辺の田舎町から聴こえてくる懐かしいフォーク!?〜韓国インディ・シーンに登場した新鋭、サゴン
【第3回】Best Korean Indie Albums for The Second Half of 2020
【第2回】朝鮮伝統音楽からジャズ、ファンク、レゲエまで…韓国インディ・シーンのルーツ音楽を更新するバンドたち
【第1回】Best Korean Indie Albums for The First Half of 2020

Text By Daichi Yamamoto


Soumbalgwang

기쁨, 꽃(Happiness, Flower)

LABEL : OSORIWORKS
RELEASE DATE : 2021.10.06

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