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映画『KNEECAP/ニーキャップ』
破天荒でラディカルなヒップホップ映画

18 August 2025 | By Tatsuki Ichikawa

FUCK ISRAEL FREE PALESTINE

今年4月に開催された《コーチェラ・フェスティヴァル》で、一際物議を醸したのは、パフォーマンスのスクリーンにこのようなメッセージを映し出したアイルランド初のヒップホップ・グループ、ニーキャップだ。

モ・カラ、モグリー・バップ、DJ プロヴィの3人のメンバーからなるこのヒップホップ・グループは、ハウスやテクノなどのクラブ・ミュージックからの影響を感じさせるようなサウンドに乗ったラップで、一貫して反体制的態度を貫いてきた。アイルランド語話者である彼らは、英国の植民地主義と言語統制へ反発の態度を貫き、デビュー・シングル「C.E.A.R.T.A」(そのタイトルの文字面はウータン・クランのクラシック「C.R.E.A.M.」を連想させるものである)は、アイルランド語が多くの割合を占めるラップ・ソングで、ドラッグなどの過激な描写が目立つその内容からラジオでの放送規制の対象になるなど、話題を集めた。今年の5月にはメンバーのモ・カラが英国警察の捜査対象になり、過去の発言からテロ容疑をかけられ起訴されたこともニュースになった。

また、早い段階で親パレスチナを掲げてきたグループとしても話題になっており、7月の《グラストンベリー・フェスティヴァル》のパフォーマンスでも、パレスチナの国旗をステージで掲げながら、現在進行形のジェノサイドに対する抗議を示した。先日、マッシヴ・アタックがソーシャル・メディアを通じて、パレスチナ問題に対する発言を行うアーティストの連盟を発表し、ブライアン・イーノやフォンテインズD.C.とともに彼らの名前も並んでいる。

彼らの政治的な態度は、過去のヒップホップ・グループというよりも、「セックス・ピストルズ以来最も物議を醸すバンド」とも言われるように、かつてのロック、パンク・バンドと並べて語られることも多い。ニーキャップは、特に英国のロック・バンドをはじめとする過去のアーティストたちが示していたような反体制、反資本主義の息吹と熱を、ラディカルな形で現代に実践しているグループと言えるだろう。彼らの伝記映画『KNEECAP/ニーキャップ』は、そういった彼らの存在を掘り下げる、勢いと知性と野蛮さを持った映画である。もちろん正攻法ではない。

『KNEECAP/ニーキャップ』 8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 © Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024

この映画で、監督のリッチ・ペピアットがやった重要なことは大きく二つある。一つは、アナーキーで破天荒な彼らのスタイルを、映画の形式として表現したこと。もう一つは、その過激さを解体するような視点を取り入れたこと。

まず一つ目。この映画の面白いところは、事実を忠実に再現するような、単純なノンフィクション映画の形をとっていないところにある。劇中で描かれることの大半は、実際の出来事から大幅に脚色されている。伝記映画において実際の出来事から脚色されることは、特段珍しいことでもないが、本作においては、主役を本人たち自身が演じていることも含めて、従来の伝記映画の型を崩していると言えるだろう。丁寧に物事を紡いでいく様式美からは外れて、ひたすらに出鱈目で不真面目、しかしそれでいてこのグループの核心が掴めるような内容にもなっている。周りにマイケル・ファスベンダーなど実力派の役者を迎えながらも、ニーキャップたちの“本人役”も遜色ない演技で、多くのラッパー兼アクターのアーティストたちと同じように今後の活躍も期待できそうなくらいだ。

リッチ・ペピアットの演出は、シンプルなカットを焦燥感のある編集で繋いでいき、ダニー・ボイルやガイ・リッチーなどの当時のイギリスの新鋭監督たちが仕掛けた90年代の猥雑なギャング映画、ストリート映画の空気感を現代に甦らせながら、同じくアイルランド出身の映画監督であるジョン・カーニーの音楽映画を通過したようなモダナイズも施されている。エリック・アッペル『こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語』(2022年)、アレックス・ロス・ペリー『Pavements』(2025年)などの映画や、『ウータン・クラン:アメリカン・サーガ』や『デイブ』といったテレビ・シリーズなど、実在のアーティストを題材にしながら虚実入り乱れたケレン味溢れる形式で描く音楽映画/テレビ・シリーズが、多く作られるような近年のトレンドの中に本作を並べてみてもいいかもしれない。同時に、定型をぶち壊していく、そのような映画の様式自体がアナーキーなのである。

『KNEECAP/ニーキャップ』 8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 © Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024

そしてもう一つ重要なのは、そういった彼らのあり方に対する、批評的な視点が十分に盛り込まれていることだ。例えば、上記の“FUCK ISRAEL FREE PALESTINE”というメッセージは、もしかしたら必要以上に過激とも映るかもしれない。その様は、今や話者が減少し、英国内で差別的で排斥的な扱いを受けるアイルランド語話者として、ライヴの最中に「イギリス人は出て行け」と叫んだ後、モ・カラがパートナーの彼女に責められ「君のことじゃない」と言う劇中の印象的なシーンと重なる。まさに反ユダヤ主義とも捉えかねない親パレスチナを表明するスローガンの真意に繋がるような、彼らのパフォーマンスに込められているニュアンスを、このシークエンスでは表現していると言えるだろう。同時に、彼らの動きに影響される周縁の人々の描写も細々と描くことによって、人種で括られたその先にいる個人の存在をしっかり見つめ、彼らのパフォーマンスに対する批評的な視座を本作に与えている。

このように、本作は対象のアーティストの在り方に形式からアジャストしていきながら、細かい部分で隙のない映画だ。何よりも、エンターテイメントとしてのケレン味とそういった分析的な側面を両立させ、立体的にニーキャップという存在を浮かび上がらせていることは、初監督作にして極めて高い達成と言えるだろう。

もちろん、自らのアイデンティティとしてアイルランド語という言語を屈託なく守り抜こうとする様と、ヒップホップが言葉で魅せる音楽でもあるという事実が大いに関係していることは明白だ。そのような、彼らの音楽がヒップホップであることの意味も、この映画を観ることでさらに深く理解することができるだろう。かつて、スーザン・ソンタグが、映画を芸術であると同時に、テレビ誕生以前はパフォーミング・アートを伝聞する“媒体”でもあったと指摘したように、あるいは、かつてパブリック・エネミーのチャック・Dがラップを“黒人のCNN”と表現したように、この映画を観ること、または彼らの音楽を聴くことで見えてくる現実がたしかにある。映画『KNEECAP/ニーキャップ』は、間違いなく、実際の彼らの音楽やパフォーマンスと同じようにラディカルなのだ。(市川タツキ)

参考
https://www.theguardian.com/music/article/2024/aug/18/kneecap-how-northern-irish-rap-trio-rose-to-fame-by-subverting-the-troubles

https://www.nme.com/news/music/massive-attack-announce-alliance-of-musicians-speaking-out-over-gaza-against-intimidations-from-within-our-industry-3879020

https://www.flaunt.com/post/kneecap-fleeting-twilight-issue

Text By Tatsuki Ichikawa


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http://turntokyo.com/features/kneecap-rich-peppiatt-interview/


『KNEECAP/ニーキャップ』

8月1日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開
監督・脚本:リッチ・ペピアット
製作:トレバー・バーニー、ジャック・ターリング
撮影:ライアン・カーナハン
音楽:マイケル・“マイキー・J”・アサンテ
出演:モウグリ・バップ、モ・カラ、DJプロヴィ、ジョシー・ウォーカー、マイケル・ファスべンダー
2024年/105分/イギリス・アイルランド/原題:KNEECAP/カラー/5.1ch/2.35:1/R18+
© Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024
日本語字幕:松本小夏 後援:アイルランド大使館 配給:アンプラグド 
公式サイト

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