二階堂和美、14年ぶりのアルバム『潮汐』クロスレビュー
満ち汐の歌うたい
ある時期から二階堂和美はギターを弾かなくなった。実はこれ、かなり重要だと思っている。逆に言えば、彼女はもうギターや鍵盤を自ら演奏する必要がなくなった。ソングライティングはともかく、少なくともパフォームするにあたって、今の二階堂和美には“歌”という表現がすべてなのである。しかし、こうしたスタイルになってからの作品にふれるたび、不思議なもので、初めて彼女のライヴを観たときのことを頻繁に思い出すようになった。
筆者が二階堂と“共演“(そう、私は彼女と吉祥寺のライヴ・ハウスで共演したのが最初の出会いなのだ)して出会ったのはもう四半世紀も前……2000年のことだが、その時、彼女は細くて小さな体にアコースティック・ギターを抱えてステージに立っていた。一見するとオーセンティックなギター弾き語りのシンガー・ソングライターだったが、ひとたび声が聞こえてくると、これはもう圧倒的に芸の域の人だとわかり、たちまちそのパフォーマンスに魅了されてしまった。“芸”と言うと、やや誤解を招きかねないが、彼女は曲ごとに、いや曲の中でも次々とさまざまな人物に変身する。時に美空ひばりに、時にサッチモに……と声帯模写も交えて歌の世界を鮮やかに広げていく様子は、ミュージシャンというより表現者といった方が適切で、ライヴを見ていると本当の二階堂和美はどれなのか? とクラクラすることさえあった。けれど、だからこそ、そののちにイルリメや渋谷毅らフィールドやキャリアを超えた曲者たちと組んだり楽曲を提供を受けても、二階堂和美という創造性豊かなシンガーとして形にすることができたのだろう。彼女はそこに曲があれば、歌のモチーフがあれば、そして、歌いたいという欲求があれば、それでいい。それがすべて。それ以外必要ない。おそらく登場した時から今に至るまでずっと、そこは変わっていないはずだ。
デビュー当時との違いがあるとすれば、今は体を安心して委ねることができる仲間との時間を過ごせていることだろう。ピアニストの黒瀬みどり、コントラバス/ベースの岩見継吾、ドラムの中村亮を従えた編成に落ち着いてからの彼女は、歌に専念することの豊かさを大いに伝えてくれている。もちろん、広島の実家(お寺)を継いだことで頻繁にライヴ活動ができなくなったこと、楽曲制作もそうそう毎日できないこと、彼女の夫だったガンジー西垣(CINEMA dub MONKS)を喪ったこと、そして50代を迎えたことなど、彼女の中で痛みや淋しさがジレンマとなって増幅していただろうことは想像に難くないが、それでもクラムボンの原田郁子を共同プロデューサーに迎えた本作を聴けばわかる。自分のタイム感を受け止めてくれるアンサンブルのもと、“歌うたい“である事実を今、どれほど謳歌しているかが。その上で、彼女はサッチモにも美空ひばりにもなれるが、何より二階堂和美であることを楽しんでいる。
心地よくリズムに乗って歌う「BILLIE」が象徴的だ。“私が死んだらあれこれ嗅ぎまわらないで“”育ちがどうとかあの頃の恋人がどうとか…そんなものに耳を貸さないで“。まるで遺書のような歌詞だけ見ると、とてもアイロニカルで、まるで聴く者に警告しているかのよう。だが、軽やかなスウィング調の演奏に乗って歌う二階堂は優雅で麗らかで穏やかだ。これは彼女がリスペクトするビリー・ホリデイのことを歌ったもので、ドキュメント映画『BILLIE』からインスピレーションを受けて書かれた曲。これに関しては作詞作曲どちらも二階堂が手掛けているが、「All Of Me」や「Blue Moon」のビリーのようにリラックスして言葉をくゆらせているので、歌詞の内容ほどには重くない。彼女の中にビリー・ホリデイが生きているが、憑依ではなく、二階堂和美としてビリーの人生を味わっているかのようだ。そういう意味では、サッチモや美空ひばりの声真似を交えていた初期とは、もうかなり離れたところまで到達しているし、いかなる喜びに出会っても、いかなる壁にぶつかっても、歌うたいとしての矜持が、芸の“域”(いき)ではなく“粋”(いき)へと昇華させていることに気づく。
ceroの髙城晶平、mina perhonenのデザイナーである皆川明、原田郁子、キセルの辻村豪文ら馴染みの面々がソングライティングに関わっている前半4曲と、二階堂自身の作詞作曲で完成された「BILLIE」を含む後半4曲とが綺麗に分かれていることも象徴的だろう。同じピアノだけをバックにした曲でも、髙城作詞作曲によるオブスキュアなニュアンスが表現の難しさを伝える1曲目「リトル・トラベラー」、デモさながらの録音がワルツのテンポに心地よさをもたらすラストの「あうん」ではまったく歌の表情は異なる。緊張感ある前半と、プライヴェート感が漏れ出す後半へと繋がるグラデーション美しい流れが、二階堂の成長が一朝一夕になしえたものではないこと、さまざまな紆余曲折を経てゆるやかに今に至っていることをおしえてくれるのだ。
アルバム・タイトル“潮汐(ちょうせき)“は海の満ち引きを意味する言葉だが、実際に二階堂は、満潮になったかと思えば、また干潮になり…そしてまた大潮の時期を迎えたり下弦の月の頃に小さな波となって寄せてきたり…を繰り返しているのだろう。でも、海の彼方や水平線はとても穏やかで、月の満ち欠けに従って次の波を静かに送り出してくるだけだ。いつのまにか二階堂和美はそんな歌うたいになっている。(岡村詩野)
死や無情のテーマ、拡がる豊かな景色、またたき
広島県大竹市にある実家の寺で住職をつとめながら、ソウルシンガーとしても活動する二階堂和美。過去には高畑勲の遺作『かぐや姫の物語』の主題歌を務め、夫であるCINEMA dub MONKガンジー西垣とのあいだに二人の子を授かった。しかし3年前、その夫を亡くしている。そんな濃密な境遇を経て、前作の『にじみ』以来、14年ぶりのアルバム『潮汐』がリリースされた。
黒瀬みどりの静かな不協和音のピアノのしらべから始まる「リトル・トラベラー」は、ceroの髙城晶平が手がけた一曲。忘れていく記憶と感覚、朝、雪道、ラクダの群れ、夜の月、雨、海……。移ろう景色を経て、残されたきらめきを想うこの曲に、絹のような二階堂の声がなびく。もし髙城が歌っていれば、その懐っこい声で情景のなかに他の動物や人間の姿も思い浮かぶのだが、今回の二階堂の場合は、独り佇む姿がくっきりと浮かび上がるようで不思議だ。
二階堂がイメージ・モデルなどをつとめ、長いあいだ交流のあるブランドminä perhonenのデザイナー、皆川明が作詞を手がけた「つけっぱなし」。岩見継吾のコントラバスと羽のようなピアノ、中村亮の一音一音大切に置かれるようなドラムの音。そこに重なるたおやかな二階堂の声と、ヴァイオリンと聞き紛うようなスキャット。加湿器から蒸気が出るのを眺めるときのような、静かな安心感を覚える。
クラムボンの原田郁子が手掛け、パーカッションで参加する「あれもこれも」は、スローテンポのサンバ・ナンバーだ。幾重にも重なるコーラス、ホーンやピアノの和音が積み上がり、音に押しつぶされそうななか、一瞬の凪を見るかのように西陽と水面で跳ねる魚の情景がよぎる。再びさまざまな音の雑踏にまみれ、二階堂の自由なスキャットが始まったかと思えば、静寂の中にガンジー西垣の雑談も聞こえてくる。まるで生涯の日々を積み重ね、その堆積をガサゴソと愛おしく手繰り寄せる有様を見るようだ。
キセルの辻村豪文が手がける「恋しがっているよ」は、いつまでも記憶に残っている何気ない出来事に想いを寄せ、その強い気持ちが未来をつくるというテーマだ。二階堂の優しい歌声とピアノのしらべ、さりげないコントラバスの音で、果てない空に吸い込まれそうな気持ちにさえなる。テーマは違えど、荒井由実の名曲の一つ、「ひこうき雲」の令和版といっても過言ではないほどの傑作である。
先行で発表された「BILLIE」は、縦横無尽の歌声を備えた二階堂の良さをこれでもかと浴びるスウィンギン・ソングだ。どんな過去があっても死者に口なし、残るのは歌だけと、伸びやかに歌う爽快感がたまらない。後半にかけて畳み掛ける二階堂のスキャットは、ビリー・ホリデイのドキュメンタリー『BILLIE』に影響を受け意識したものと思われるが、ここまで生命力を感じられるシンガーが今もここに存在する喜びを噛み締めざるを得ない。
クイーンの「We Will Rock You」を彷彿とさせる足踏みとクラップのリズムから始まり、「ぼくたちは 生きている/この瞬間を 生きている」という歌い出しに度肝を抜かれる「つながりあって生きている」。これは二階堂の地元、広島県大竹市の特別支援学校の生徒との共作だ。あたたかく、そして心の芯の強さを感じる一曲となっている。
「うまれてきたから」は、電車の中、夜の散歩、あたたかい部屋で椅子に座って、家事をしながら、そしてこれを執筆しながら聴いて、例外なく身体が震え、涙が流れてしまう。”生まれたら死ぬ”という不変の事実と、神戸・塩屋の三田村管打団?による柔らかな日差しのような合奏、そして二階堂の声が心に眩しく響く。その結果、涙腺は解かれ、いてもたってもいられなくなるのだ。
金沢のライヴハウス《もっきりや》でライヴ録音された「あうん」では、「どうか明日も ささやかに/ここであなたを 待つよろこびを」とフォーキーに、軽やかに語りかける。とりあえず今は、先を楽しみにと、ふわっと心を軽くするように今作は幕を閉じる。
遠くで近くで、シンガーとして、共に生きるものとして。二階堂和美の声や音楽は、まだ見ぬ己の死に日々近づき生きるからこそ、やはり必要だと思うのである。(ぽっぷ)
Text By popShino Okamura
二階堂和美
『潮汐』
LABEL : P-VINE / カクバリズム
RELEASE DATE : 2026.1.21
TOWER RECORDS / hmv / Amazon
/ Apple Music
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