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ジョン・キャロル・カービー、角銅真実からの質問に答える
──楽器の可能性を拡張すること、音楽文化を横断すること、時間を越えて思考すること

12 March 2026 | By Manami Kakudo

ロサンゼルスを拠点に活動する鍵盤奏者/プロデューサー、ジョン・キャロル・カービー(John Carroll Kirby)。ジャズ、アンビエント、ニューエイジ、エレクトロニカを自在に横断しながら「楽器の可能性を拡張すること」に取り組み、ソロピアノ作品では音を極限まで削ぎ落とす表現を追求してきた音楽家だ。ソランジュやフランク・オーシャンらの楽曲プロデュースでも知られている。

その歩みは単なるクロスオーヴァーではない。文化をまたぎ、時代を越え、音そのものの輪郭を問い直す。彼が敬意を示す細野晴臣や冨田勲の仕事は、その姿勢を象徴している。細野の終わりなき探求心──世界の音楽文化や過去の時間へと意識を伸ばし続ける態度。冨田が示した、シンセサイザーがオーケストラやピアノと同等に美しく、表情豊かであり得るという革命。カービーはその系譜に連なりながら、現代的な方法で“想像上の場所”を音にしている。

2026年3月、彼は《Billboard Live TOKYO》(15日)、および《Billboard Live OSAKA》(18日)にて来日公演を行う。今回は近年のバンド編成とは異なり、ソロ・ピアノを軸に据えた特別なステージとなる。新作からの先行曲「Suntory」、ソロ・ピアノ作品『Tuscany』(2019年)や『Conflict』(2020年)収録曲に加え、未発表曲の日本初披露や既存曲の新たなアレンジも予定。ピアノに立ち返りながら、彼の作曲と思考のプロセスをより直接的に体験できる機会となりそうだ。

2020年に《Stones Throw》からリリースされた『My Garden』以降、彼は『Conflict』『Septet』(2020年)『Blowout』(2023年)といった作品を通じて、ソロ・ピアノ、バンド・サウンド、エレクトロニカを行き来してきた。「Suntory」はツアーの合間、日本滞在中に限られた時間で書き留められた楽曲のひとつで、冨田勲やアーマッド・ジャマル(Ahmad Jamal)からの影響も語っている。

本インタヴューでいくつかの質問を投げかけるのは角銅真実。打楽器や声、身の回りの物音までも編み込みながら、音楽を“空間”や“出来事”として表現してきた彼女には、出発点や方法論は異なるものの、即興性や余白、演奏と空間の関係性を重視する姿勢において、共通する感覚がある。

二人は、ともに2024年の細野晴臣のカヴァー・アルバム『HOSONO HOUSE COVERS』に参加し、細野のライヴ現場などを通じて交流を重ねてきた。角銅が自身のアルバム『Contact』(2024年)で探究してきた“その場に共鳴する演奏”という考え方は、限られた時間と環境のなかでピアノに向かい、その瞬間にしか生まれ得ない音を書き留めてきたカービーの姿勢とも重なっている。本記事では、角銅真実からの質問も通じて、ジョン・キャロル・カービーの思考を紐解きながら、来日公演、そして新作へと至る現在地を探っていく。(編集部)
(インタヴュー・文/角銅真実、編集部 トップ写真/Sela Shiloni)

Photo by Sela Shiloni

Interview with John Carroll Kirby

Questions from Editors – 1

──こんにちは! 今はどちらにいらっしゃいますか?

John Carroll Kirby(以下、J):いまはロサンゼルスにある母の家にいる。外はよく晴れていて、庭にはかわいいリスがたくさんいて、すごく気に入っているよ。LAでの普段の生活は、朝起きてジムに行って、それからやるべきことをやる感じ。セッションやミーティングがたくさんあって、日々いろんな人と会いながら音楽に向き合っている。今日は素晴らしいプロデューサーのマイケル・ユゾウル(Michael Uzuwuru *SZAやFrank Oceanの作品でも知られる)とスタジオに入る予定なんだ。

──今回、来日ライヴでは『Conflict』や『Tuscany』の楽曲なども披露するそうですね。この2作品や「Suntory」を含めこれから発表されるという作品に共通しているのは、ソロ・ピアノという“隠れられない”フォーマットだと思います。フル・バンドやコラボレーションのセットでのライヴとは意識は変わりますか?

J:ソロ・ピアノのセッティングでは、完全に自分にフォーカスが当たることになる。でもそれは同時に、かなりの自由も意味している。バンド・メンバーがいて、自分がリードしなければいけない状況ではないから、やろうと思えばレールを外れることもできるし、その瞬間の感覚に従って進むこともできる。ある意味では、自分の頭の中をそのまま覗き込まれるような感覚だね。

──あなたは以前、“インテグリティ(誠実さ)”と同時に、「あえてそれを投げ捨てて“トラッシュなこと”をする必要もある」と話していました。この二面性があなたの作品のユニークさ、ユーモアに強く繋がっているしていると思います。その二つの感覚はどのように共存していますか?

J:僕にとって“誠実さ”というのは、最終的には“音楽に奉仕すること”なんだ。つまり、自分が表現しようとしていることに対して、もっとも直接的な道を選ぶこと。遠回りせずに、核心に向かうことだね。そして、ときにはその“もっとも直接的な道”が、トラッシーなことだったり、制御不能だったり、あるいは醜く聞こえるものだったりもする。なぜなら、人生や感情そのものが、そういう側面を持っているからだ。アートはそれを正直に映し出すべきだと思っている。

──今年、《Stones Throw》が30周年を迎えます。せっかくなので、《Stones Throw》についても少しだけお聞かせください。《Stones Throw》というと、 ヒップホップやビート、グルーヴのイメージを持つ人も多いと思います。その中で、『Conflict』などソロ・ピアノ作品を出すことについて、思うことはありましたか?

J:(レーベル創設者の)ピーナッツ・バター・ウルフ(Peanut Butter Wolf)の音楽的な趣味の広さを知っていたから、『Conflict』のようなソロ・ピアノ作品を《Stones Throw》から出すことに違和感を感じたことは一度もなかったよ。《Stones Throw》と契約する前は《Leaving Records》から作品を出していて、そこが《Stones Throw》とつながっていたから、ある意味で自然な流れで“ステップアップ”した感じだった。レーベルには本当に音楽を愛している人たちがいて、僕がアーティストとして成長していくことを純粋にサポートしてくれている。それはすごく刺激的な環境だと思う。好きな作品はたくさんあるけれど、J・ディラ、デイム・ファンク、Automatic(LA拠点の3人組)、エディ・チャコンの作品は特に好きだね。

──《Stones Throw》の作品やアートワーク、 アーティストたちの振る舞いには、どこか深刻になりすぎないユーモアがあると感じます。その空気感の影響はありましたか? あなたが思う“《Stones Throw》らしさ”とは?

J:ははは、そうだね、クラシックな《Stones Throw》のジャケットを見ていると、どこか“カートゥーンの世界”が存在しているように感じるんだ。僕自身がそのまま漫画の世界に住んでいるとは思わないけれど、もしかしたら似たような感覚はあるかもしれない。 カートゥーンって、子どもの頃のノスタルジーを強く呼び起こすものだよね。そういう感情を呼び覚ますことは、僕も音楽の中で好んでよく遊んでいる部分だと思う。僕にとっての“《Stones Throw》らしさ”とは、音楽への情熱、そして何よりも表現の自由のことだよ。

──「Suntory」など新作に収録される楽曲は“このピアノに触れられるのは1〜2日だけ”という状況で書かれたものが多いそうですね。 “二度と同じ条件では弾けない”という前提は、作曲や即興にどんな影響を与えていますか?

J:時間制限があることは、音楽制作にとってむしろ良いこともある。自分の頭の中でぐるぐる考えすぎる状態から抜け出させてくれるからね。それに、旅は僕の人生の大きな部分を占めていて、周囲の環境からインスピレーションを受けることができる。新しい場所、空気、光、時間の流れ……そういったものが自然と音楽に入り込んでくる。即興的に聞こえる曲でも、実際にはかなりの構造や制限がある。完全な自由というわけではない。だから僕にとって良い即興というのは、自由と制約のちょうど真ん中にあるものなんだ。

──あなたは“想像上の嫌なエゴを持ったセッション・プレイヤー”になりきって演奏することがある、と話していましたね。そこにはどのような意図がありますか?

J:自分の頭の中でそういうキャラクターを作ることがあるのは、“正しい”とか“プロフェッショナル”とか“良い趣味”とされる基準を回避するためなんだ。それは実在の誰かというより、むしろ自分の中にある別の側面だと思う。自分がこれまで条件づけられてきた行動パターンに逆らうためのツール、安全な選択をしないための仕掛けみたいなものだね。そうすることで、自分でも予想していなかったものを引き出すことができる。安全な選択をしないための仕掛け、と言ってもいいかもしれない。

角銅真実(Photo by Kei Murata)

Questions from Manami Kakudo

──あなたの音楽を聴くとき、映画の中のような様々な状況を感じます。音楽が小説を読んでいるような体験になることもあります。とある場所(ホテルの長い廊下やジャングルなど)に登場人物がいたり。私の中で“景色”を感じる音楽はよくあるのですが、“状況”を感じる音楽というのはすこし稀で、それをいつも楽しんでいます。時にユニークで大好きです。制作過程では、そういった何かイメージをもとに作ったりもするのですか? 歌詞がなくとも、イメージのもとになるような詩やプロットのようなものを書いたりしますか?

J:ありがとう、Manami!! そうだね、僕は作曲のときに、かなり頻繁に“ヴィジュアライゼーション”や物語的な発想を使っているよ。曲を書き始めるときに、「この音はどんなイメージを呼び起こすんだろう?」と自分に問いかけることがある。そこから、そのイメージを軸にして物語を組み立てていくんだ。

例えば、今度出るピアノ・アルバムの中に一曲、ちょっとした“ふざけた歌詞”がついている曲があってね。もちろん誰かに聴かせる必要はないようなものなんだけど(笑)、自分にとってはその曲を理解するための大事な手がかりになっている。歌詞が世に出るかどうかは別として、物語やイメージを持つことが、曲の核心を掴む助けになるんだ。

──これまでソウルでのソロのライヴ、そしてバリや東京ではバンド・セットのライヴを観ることができました。バンド・メンバーもとても素敵で、それぞれの個性が調和しているオープンさを感じました。だけど音楽のコアやフレームはとても確固たるものがあって、そのバランスがとてもクールでかっこよかったです! ソロ公演も歌詞はなくても、どこか語り部的な、ある物語や状況を共有してもらっているような、そんな風に楽しんだ素晴らしいライヴでした。ライヴの時は、音楽の再現性と即興性のバランスはどこまで意識しますか? リハーサルの時に1番大事にすることはどんなことですか?

J:ライヴにおいて、とくにバンド編成のときは、即興はあくまで“楽曲の一部”であって、その曲に奉仕するものであるべきだと考えている。僕は自分を最高の即興演奏家だとは思っていないから、即興のための即興、つまり“即興すること自体が目的”になるような演奏には基本的にあまり賛成じゃないんだ。

リハーサルで一番大事にしているのは、それぞれのセクションの“目的”をバンド全員が理解していること。このパートは何に向かってビルドしているのか? それともダイナミクスを落とす場面なのか? 特定のミュージシャンをフィーチャーする箇所なのか? それとも全員が同等に前に出る部分なのか? ある演奏が別のミュージシャンにどう影響しているのか? そして、単純に音量を上げることが、実はエネルギーを“下げて”しまっていないか? そういった問いを常に投げかけているよ。

──私はライヴの日に、出かける時に目があった楽器を持っていって使ったりもするのですが、そんな偶然性をライヴに取り入れたりもしますか?

J:ははは、僕はまったくやらないよ(笑)。でも、君のそういう演奏スタイルは本当に素敵だと思うし、尊敬しているよ。

──音楽以外からもインスピレーションを得ることはありますか? 例えば私だと、最近はブラジリアン柔術や、ムエタイ、けん玉など。身体的な新たな体験から音楽を考えてみようとしています。

J:うん、偶然なんだけど、僕も格闘家からたくさんインスピレーションを受けている。最近のお気に入りは井上尚弥だね。彼のアラン・ピカソ戦は本当に芸術的な戦いだったよ。

Questions from Editors – 2

──「Suntory」は、日本で、偶然ピアノの上に置かれていたコーヒーのボトルから生まれた曲だそうですね。例えば、日本でピアノに向かうとき、アメリカやヨーロッパとは違う“時間の流れ”や“沈黙”を感じることはありますか?

J:全く異なるものがあると思う。日本には、静かで内省的な独特な空気がある。それは世界のどこでも見つけたことがないものなんだ。

──「Suntory」では、共演者に「極力ミニマルに演奏し、決してグルーヴにロックインしない(to play very minimally and never lock into a groove.)」と指示したそうですが、誰かと共作していくうえで、自分でも可笑しいと思った作曲上の指示はありますか?

J:ははは、スタジオでは本当にたくさんの変なことをミュージシャンに言ってきたし、逆に僕もいろいろ変なことを言われてきたよ。音楽的な意図を言葉にするのは、思っている以上に難しい。お互いに辛抱強くいることが大事なんだと思うよ。

──日本の音楽家では細野晴臣や冨田勲の仕事にも深い敬意を示していますよね。彼らの音楽から学んだ“想像力”や“距離感”は、あなたの作品にどう影響していますか?

J:細野さんは音楽における終わりなき探求そのものを体現している人だと思う。特に、世界中の音楽文化や、あるいは異なる時代そのものに対する強い関心と好奇心。冨田勲は、シンセサイザーがピアノやオーケストラと同じくらい美しく、そして表現力豊かな楽器になり得ることを初めて示した先駆者の一人だと思う。そうした想像力に満ちたアプローチは、僕自身の音楽でも大切にしている姿勢だよ。

──これからピアノはあなたにとってどんな存在であってほしいですか?

J:ピアノはこれからもずっと、僕の人生の一部であり続けると思う。自分をヴィルトゥオーソ(名手)だと思ったことは一度もない。それがたぶん、シンセサイザーやプログラミング、プロダクションといった他の音楽制作の形へと枝分かれしていった理由でもあるんだと思う。でも結局のところ、ピアノはいつだって僕のお気に入りの楽器なんだよね 🙂

──では、リスナーや今回のライヴへ参加するミュージック・ラヴァーのみなさんに、最後にひとことお願いします。

J:日本のファンには本当に感謝しているし、ある意味で恩義すら感じている。ずっと支え続けてくれていることに心からありがとうと言いたい。日本で演奏すると、自分が本当に“理解されている”と感じる瞬間がある。それは僕が音楽を作る理由そのものなんだ。

Photo by Thierry Van Dort

<了>

Text By Manami Kakudo

Photo By Sela Shiloni, Thierry Van Dort


ジョン・キャロル・カービー来日公演

2026年3月15日(日)Billboard Live TOKYO
1stステージ 開場/開演:15:00/16:00
2ndステージ 開場/開演:18:00/19:00
詳細はこちら

2026年3月18日(水)Billboard Live OSAKA
1stステージ 開場/開演:16:30/17:30
2ndステージ 開場/開演:19:30/20:30
詳細はこちら


John Carroll Kirby

「Suntory」

RELEASE DATE : 2026.02.25
LABEL : Stones Throw
各種配信リンクは以下から
https://ffm.to/suntory


角銅真実
https://manamikakudo.com/

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