INTERVIEWS : 28 June 2017

Yousuke Yukimatsu

A man who lives to this day, now, and the future.

By Shinpei Horita

INTERVIEWS : 28 June 2017

Yousuke Yukimatsu

A man who lives to this day, now, and the future.

By Shinpei Horita

行松陽介〜今日まで、そして現在、未来をも生きる男

日本を代表する異形のDJ・行松陽介インタヴュー

 “繊細さ”と“大胆さ”、“野蛮”と“知性”、“剛直”と“しなやかさ”……頭を振り乱し、鍛え抜かれた体をくねらせながらプレイする彼のそのDJを体験すると本来相反するそんな言葉がいつも頭に浮かぶ。しかもそれは簡単には調和せず彼の中で相反したまま、並列に存在していて、時に彼のDJ自体が“多様性を認める”というメッセージとして成立しているように思えるのだ。そしてそれこそが彼のDJとしての魅力であり特異点であろう。アルカを始めとして多くの異才からも一目置かれる理由もそんなところに隠れているのかもしれない。

 行松陽介。2008年頃から活動を開始し、多くの内外アクトと共演、2016年からは主宰イベント『ZONE UNKNOWN』をもスタートさせた今年38歳を迎える彼は、大阪…というよりもはや日本を代表する異形のDJ、クリエイターと言っていい。昨年、突然自宅で倒れて救急搬送。脳腫瘍が見つかり二度に渡る手術を行ったことは我々に大きな衝撃を与えたが、術後の経過は良好で、今春たちあげたクラウドファンディングでの呼びかけも目標金額をはるかに上回る成果となって終了している。サヴァイヴした彼の次の新たな挑戦が顕在化するにはもう少し時間がかかるかもしれないが、その前に、このタフな男に、自身のこれまでの経歴を改めて振り返ってもらったのでお届けしよう。日本に行松陽介あり。そんな事実が、今、こんなにも嬉しい。(取材/文:堀田慎平)

――お生まれは何年なのですか?

行松陽介:昭和54年。1979です。

――生まれも育ちも大阪?

行松:大阪です。でも生まれた病院とかは覚えていない。小さい頃何回か引っ越ししてて。記憶があるのは諏訪っていう城東区のあたりですね。

――ご実家がレコード屋だったそうですね。

行松:俺が小学校5年か6年の時に今親父が住んでいる実家に引っ越したんですけど、その前に諏訪に引っ越した時に長屋みたいなところに住んでいて。そこの端がガレージになっててその中でレコード屋やっていました。記憶にないけど親父仕事はやめてなかったと思うので仕事終わってからとか日曜だけとか多分そんな感じでやっていたと思うんですけど。なんとなくレコードが並んでいたりする風景は覚えてますけどその時は興味なかったし細かくは覚えてないですね。ただ、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフと「天国への階段」のイントロとビートルズ。小さい頃かな。ずっとその3つが家でかかっていたのは覚えてる。だからディープ・パープルとツッペリンとビートルズがやたらかかっている家でした。「天国への階段」は耳にタコができるくらい。で、日曜になったら家族総出で日本橋に行ってCD屋巡りしてましたね(笑)。でも全然興味がないというか、ずっと待ってるだけでつまんねえなって。

――自分から音楽を聴くようになるきっかけというのは?

行松:それはB’zなんですよ。小5くらいかな。まわりがB’zの話してたけど全然分かんなくてテープ借りたりしてやっと音楽に興味持って。そこからコレクター癖が出てとりあえずB’zのCD全部買うみたいな。というか買ってもらって(笑)。でも、B’zがハード・ロックと繋がってるんだとかって気づいたのは中学になってからかな。とにかく小学生時代はB’z一色でした。あと《ミュージックステーション》とか観てベスト・ランキングみたいなのからいいなと思ったものを近所のレンタルCD屋で借りて全部テープにダビングして。自分の好きな曲ばっかのテープつくってました。

――洋楽との出会いというと何になるんですか?

行松:洋楽との出会いは多分エアロスミスの『ゲット・ア・グリップ』。中2くらいかな。とにかく子供心に圧倒的にカッコよかったんですよね。英語で意味は分からないけど。それから中学時代は毎週伊藤政則のラジオをチェックして。完全にメタルにいきましたね。メタルとハードロック。それはB’zからの流れもあると思うんですけど。家にジューダス・プリーストの『運命の翼』と『復讐の叫び』がありました。とにかく家には音楽いっぱいあったんで、そこから気になったやつ引っ張り出してきて聴いたりしていましたね。

――その頃にバンドをやったりはしなかったんですか?

行松:バンドはやりたいなとは思っていて。レスポールのレプリカを買ってもらったり。ガンズが凄く好きだったんで、スラッシュの真似したくて。ただまわりにそういう友達もいなくてバンドは一回もやってないです。中学でデスメタルとかメロディック・デスメタルとかあらゆるジャンルのメタルを聴ようになってましたから。でも、それまでずっと『BURRN!』買ってたけど、高校に入ってやっぱりメタルってダサいんじゃないかなって意識が芽生えて(笑)、ちょうどその頃U2の『ポップ』とケミカル・ブラザーズのセカンドが同じ頃に出たと思うんですけど、そのタイミングでU2が表紙の『CROSSBEAT』を手にとったんです。

――U2の『ポップ』が1997年ですね。

行松:じゃあ高3くらいまで『BURRN!』買ってたのかも(笑)。とにかくその時期に『CROSSBEAT』に乗り換えましたね。確か4月号にデペッシュ・モードの特集があったんです。丁度『ウルトラ』が出た時期だったかな、めちゃくちゃ気になったんですよ。デイヴ・ガーンが心肺停止してそのあと生き返ってから初めて作った、みたいなエピソードも。その特集に載っている写真が凄いデカダンで。それまでデペッシュ・モード全然知らなかったけど写真のカッコよさだけで気になって。それでデペッシュ・モード聴いてみたりそっちにシフトしていきました。それから完全にメタル聴かなくなって。ソニック・ユースとかシカゴ音響派とか聴き始めて。『FADER』とかも読み始めて。だからやっぱり『CROSSBEAT』効果ですよね。それまで『BURRN!』しか読んでこなかったからメタル以外の情報は全然入ってきてなくて。ニルヴァーナとかグランジはクソだみたいに思っていましたからね(笑)。

――音楽雑誌の影響力大きいですね(笑)。

行松:実際、そのあたりからノイズにも意識がいくようになったと思うし。ソニック・ユースのアンサンブルの凄さ、コード感が独特じゃないですか。不協和音をカッコ良く聴かすとか、ノイズで旋律つくってしかもそれがめちゃくちゃカッコイイとか。そこから爆発的に色んな音楽聴きだして。メルツバウとか。やっぱりサーストンの影響はありますね。凄い音楽マニアでインタビューとかでも色んな話出てくるし。で、それからボアダムズの『スーパーアー』をリアルタイムで聴いてって感じですね。でも、俺、ライヴとかは全然行ってなくて。ライヴ行くお金あるならCDひたすら買ってたから。コレクター気質なんですよ(笑)。聴きたいんです。全部揃えたい。なんか抜けているアルバムがあるとソワソワする。今はすごい量聴いてるからそこまでは無理だけど(笑)

――そういう感覚がDJに向かわせたのでしょうか。そもそもDJは高校卒業後に始められたんですか?

行松:いや高校卒業してすぐはフリーターみたいな感じでした。高校の頃は水泳をほんとに一生懸命やっていたので水泳のインストラクターをしていたり。なろうとしていたのは理学療法士。公立で費用がとても安くて倍率が高い学校が大阪にあったんです。そこの面接を二回落ちたんですけど、三回目の時に面接のマニュアルみたいなのを読んだら椅子の左側にたって一礼するとか書いてて。「そんなんで決めんの」とか思って。面接で話した内容は三回ともそんなに変わってないはずなんですけど左側に立ったら受かったんですよ(笑)。でもやっぱり俺は音楽が好きだし俺より理学療法士なりたい人もいるだろうなと思って辞退して。今こうしているのはその時やめたおかげですね(笑)。それで高校生くらいの時の教科書に載っていた三島由紀夫の短編に炭鉱の男たちの美しさみたいなことが書かれていてそれがなんか印象に残っていて。そういうのもあって俺も現場で働こう、肉体労働しようと思って。

――それがひとつの転機だったと。

行松:そうです。そこから、とにかくたくさんの音楽をチェックしていって、ミニマルテクノが今一番刺激的なんじゃないかと思ったり。その頃だとリッチー・ホウティンに田中フミヤとか。それで2006年にアメ村にあった《CISCO》に行きました。メタル聴いてたオタクからしたらすごいオシャレな空間だったんですけど(笑)。勇気を出してはいったらマーク・スチュワートのセカンドが置いてあったりして。その時店内にKARAFUTOのイベントのポスターが貼ってあったんですよ。大正の《Sound Channel》というハコだったんですけど「これは運命だ」と思って行ってみたらそれがめちゃくちゃ良くて楽しかったんですよ。と同時にDJなら自分でも出来るんじゃないかと思えて。それからDJセットも買いました。

――初DJは憶えてられてますか。

行松:初DJは小さなバーです。他にも色々小さな場所でやってたけど音も小さくて全然楽しくなかった。それから2008年に当時Newtone recordsで働いていたMITSUKIとDJのSPINNUTSが主催するパーティで初めて《atmosphäre》に行ったんですよ。そこも小さなとこなんですけどデカイJBLが二つあって凄い音が出るんです。ここで俺もやりたいと思って「家近いからレコード持ってくるんでやらしてもらえませんか」って頼んだんです。普通ありえないけど主催の二人がやらせてくれたんですよ。朝7時くらいから一時間くらいかな。最初バーズムかけたんですけど無反応、そこからスレイヤーかけてそこにリッチー・ホウティン繋いだらブチ上がって。結局一時間超盛り上がって。それが俺のプロフィール上のDJデビューです。

――この時期にはすでに現在に近いスタイルが確立されていたんですね。

行松:昔から聴いていたものも新しい音も全部ずっと好きなんですよ。昔聴いていたけど今聴いたらつまんないなとかあんまりなくて。

――それこそ小学生の頃に聴いていたB’zやエアロのような音楽もアタックの強い音、攻撃的な音に惹かれたという点では今現在にもずっと繋がっていますよね。

行松:やっぱり激しいものが好きなんです。それは性格的なものもあるけど。子供のころの反抗心とかそういうのも凄いあるし。

――それは今の行松さんのDJプレイなどにも直結していますか?

行松:直結してる。間違いなく。でも中学の時からモーターヘッドのアルバムに入っているバラードが大好きだったんですよ。メタルでもバラードがめちゃくちゃ好き。でもアタックの強い音も好き。だから両極端併せ持っている。ただ自然にやってたらそうなっていったんですけど。

――そういった点では2016年にリリースされた『lazy rouse』はタイトルからして相反するものを併せ持つ行松さんのスタイルを象徴しているなと思いました。

行松:あれは良いタイトル考えたなと自分でも思っています(笑)。(あのタイトルを考えている時に)蓮實重彦とかが思い浮かんだんです。「繊細な大胆さ」とかそういう言葉をずっと反芻していたんで…。レトリックとして面白いというのもありますが、実際にそういう言葉がフィットする事象ってあって、影響受けたと言えますね。あの人は本当にすごいです。

――何がきっかけで蓮實重彦に傾倒することになったのでしょうか?

行松:高校卒業後に付き合っていた人が村上龍の本を持っていて『69 sixty nine』とかを読んだのがきっかけでした。で、村上龍と坂本龍一って仲良いじゃないですか。そこから色々な本も読むようになって、坂本龍一へと繋がって…。坂本龍一が凄い好きになったんですよ。そしたら坂本龍一が青山真治監督の『ユリイカ』を絶賛してたので観に行ってみたら、これがまたすごい良くて。映画館に二度も観に行きました。そういえば、ジャ・ジャンクー監督の『プラットホーム』も同じ年に公開されてるんですけど、それも二度劇場まで観に行った。蓮實重彦の『批評空間』(柄谷行人と浅田彰が主体となって出していた季刊誌)での映画評にジャ・ジャンクーの事が書いてあって…。この年二回観に行く映画が二本あったから映画は凄いんじゃないかって思ってそれから映画観まくりました。

――『ユリイカ』日本での公開が2001年ですね。まさにジム・オルークとかアルバート・アイラーの楽曲が使われていて。そしてそのジム・オルークがソニック・ユースに加入するとか今まで触れてきたもの全部繋がっていますね。

行松:うですね。今になって考えると全部繋がっている中に飛び込んでたんですね。実際、彼ら(ジム・オルークもアルバート・アイラーも)、質感をめちゃくちゃ大事にするじゃないですか。音だったり映像だったり。良いものってテクスチャーがすごいと思うんですよ。今の音楽もそれを研ぎ澄ましている感じがある。なんか強度みたいなのが僕なりに感じられるんですよ。どういう作品であれ。

――強度、ですか。

行松:そうです。そういうところに一番影響を受けてるかもしれない。音の感触とか。結局それも坂本龍一からの影響かもしれないな。

――強度というのは何に対しての強さだと思いますか?

行松:何に対してというより、抽象的ですがそのもの自体の強さというか何にも向かっていない強さとかそういうものだと思います。

――そういう強度が2016年からパーティ『ZONE UNKNOWN』を主催されるようになりました。

行松:そもそもはNOBUくんから「Shapednoiseが日本に来たがってるんだけど、自分はその時日本にいないから(イベント制作に)興味あるか?」って連絡がきたんですよ。で、好きだったから「やりたいです」って返事して。そこからですね。でも、一度も自分からは呼んでいないんですね。自分の好きな人が来るって言うからやってる。でも正直あんま儲からないししんどいからやりたくない(笑)。ただ毎回内容は良くて、あと俺良いアテンドしてると思うから出演者みんな凄く仲良くなれるんですよ。

――海外からのゲスト以外は毎回出演者が固定されているのも特徴だと思います。お互いライバルと公言されているYPYもほぼ毎回出演されています。

行松:スケジュール合わない時以外は毎回ですね。日野くんに毎回ライブやってもらうっていうのも目玉の一つです。いつもハッパかけていつもとちょっと違うことやってもらったりとにかく思い切りやりたいことやってくださいって言ってやってもらってます。『ZONE…』の時のYPYはいつもいいんですよ。

――場を作らなければという使命感のようなものはありますか?

行松:いややっぱやりたいからやっているだけだと思います。お金はかかるけどチャンスじゃないですか。素晴らしいアーティストと一緒にパーティやれるっていうだけで。世界が拡がるチャンスでもあるし。その繋がりのおかげで今年はヨーロッパにも行けると思うし……他にも『ZONE…』ではないですが、2015年の《PAN》のショーケース・イベントはすごかったですね。リー・ギャンブルとのバック・トゥ・バックも凄い面白かったし。

――去年のアルカの大阪公演で共演もされていますね。

行松:Arcaとの共演も印象深かったことの一つですね。歌い方もそうだけど曲が圧倒的にかっこいい。新しいサウンドを作り出したと思う。立体的なサウンド…あれは発明だと思う。今は皆あの上で成り立っているという状況にあると言ってもいいんじゃないかな。トラップとかも全部そこからきてる気はする。トラックメーカーとして凄い。

――アルカ自身にもすごく気にいってもらえたそうですね。

行松:俺がDJしてる下で寝そべってずっとカメラで撮ってました(笑)。ライブ自体は2時間くらいやってたのかな。その後俺がやったんですけどアルカはもう裸同然でした。それで俺も最初からTシャツ脱いでDJブースに行って。で、アルカに言ったんですよ「俺DJするから歌ってくれ」って。それ言えたのもすごいなと思うんですけど(笑)。実は、その前に、リー・ギャンブルとの時にもバック・トゥ・バックやってくれませんかって自分から言ったんですよ。その時の体験から言わないよりは言った方がいい、言えば何か起きるかもしれないって思って……そしたらアルカ、本当にやってくれたんですよ。俺も変なのいっぱいかけて。

2016年6月にはアルカと大阪で共演 Photo By Jun Yokoyama

"手術をしてメンタルも生活も大きく変わった。太陽出てる時は外を散歩したり、一口ずつ味わって食事をするとか。それができる今の自分は幸運だと思う。これからの自分の活動に生かしていきたい"

――2016年7月に脳腫瘍で倒れられ、その後さらに二度の摘出手術を行いました。そうした経験が、行松さんの活動にどのような意識変化をもたらしたと考えますか?

行松:当然気持ちの変化はあって。まず今は寝られるんですよ。目覚ましもかけずに。前は昼間は働いて、週末は朝までDJやったりして、帰宅しても寝ないでまた仕事……みたいな生活だった。手術をしてからはメンタルも肉体的にも全部変わった。音楽聴きながら本読むとかしなくなりました。例えば食事だったら一口ずつ味わって食べるとか。ひとつひとつのことを大事にするようになりましたね。あと僕リラックスが下手なんです。歯ぎしりもするからマウスピースして寝てるんです。考え事している時とかでもふと気付くと力んでるというか体に力が入りすぎてる。それがクセになっていてそれが抜けきらない。だからリラックスすることを心掛けています。太陽出てる時は外を散歩したりとか。みんな忙しくてそんな事できないと思う。だから出来ている自分は幸運だとも思う。ただ、とにかく変化が多すぎて今は自分でもまだよく分からないです。

――行松さんがこうしてサヴァイヴしてDJを続けている、体を大事にしながらでもやっていけるんだというメッセージにもなりますよね

行松:それは伝えていきたいですね。あと最近ちょっと大阪今さびしいというか盛り上がってないように感じるんです。まあ東京も同じだとは思うんですけどなんとかしたいというか、出来るかは分からないけど自分が引っ張っていくという責任もあるのかなとはちょっと最近考えます。

――若い世代をフックアップしていくような活動もしていきたいと?

行松:そうですね。

――最近の若い世代で良いなと思ったミュージシャンやDJはいますか?

行松:東京だとSapphire Slowsとか。大阪は…まあ日野くんがいるからね(笑)。彼と切磋琢磨してやっていけたらなとは思います。そう言いつつ面白い人っていうのはほっといても自力で出てくるんじゃないかとは思うし。僕自身、これからこうやって生き延びてきた成果を活動の中で出していけたらなと思う。ほんと色んな経験したんでそういうのは今後何かしらでてくるんじゃないかな。来年には今は想像出来ないような状況になっているようにしたいですね。

Text By Shinpei Horita

Photo By Shino okamura


Yousuke Yukimatsu

Lazy Rouse

LABEL : Black Smoker
CAT.No : BSMX066

■Black Smoker
http://blacksmoker.cart.fc2.com/ca444/389/p-r-s/

■行松陽介 OFFICIAL SITE
https://jp.residentadvisor.net/dj/yosukeyukimatsu-jp

呂布カルマ X あっこゴリラ

@CIRCUS OSAKA
2017.7.08.SAT
LIVE
呂布カルマ
あっこゴリラ

DJ
行松陽介
Curry: Buttah

OPEN 17:00 – 21:00
ADV: 2500
DOOR: 3000
※別途1d

イベント詳細はこちら

Ramza「pessim」Release Party

@WWW
2017.7.08.SAT
BEST LIVE
Ramza / Free Babyronia

LIVE
Campanella / Nero Imai / DUO TOKYO

DJ
行松陽介 / BUSHMIND / DJ HIGH SCHOOL

OPEN/START 24:00/24:00
ADV: 1500
DOOR: 2000
※税込 / オールスタンディング

イベント詳細はこちら


MORE FEATURES

  • FEATURES : 25 October 2017

    Superorganism

    2017年のポップ・ミュージック最大の謎?! 予想外のアクシデント?! 現行ポップの景色を変えるSuperorganismとは何者?!

    By Daichi Yamamoto

    “ポップ・ミュージック、Superorganismを発見”……それは2017年に起こった最も記憶されるべき出来事であり、最も予想外のアクシデントだ。もちろん良い意味で。そう断言していい。それは今年3月

  • FEATURES : 21 October 2017

    Beck

    ベックは音楽の歴史そのものだ! 『メロウ・ゴールド』から新作『カラーズ』まで――ベックのオリジナル・アルバム・ガイドで来日予習! 

    By Shino Okamura / Tetsuya Sakamoto / Yuta Sakauchi / Yasuyuki Ono / Nami Igusa / Keigo Sadakane / Kohei Ueno

    グレッグ・カースティンがプロデュースを手掛けたニュー・アルバム『カラーズ』は、ベックがアメリカの音楽の歴史の中で最も重要な……いや、世界規模であらゆる国の新旧大衆音楽の位置付けを見直し、それをアップデ

  • INTERVIEWS : 20 October 2017

    kitty, Daisy & Lewis

    アメリカにアラバマ・シェイクス、ロバート・グラスパーがいるならイギリスにはこの兄姉妹がいる! キティ・デイジー&ルイスが1月来日決定

    By Shino Okamura

    キティ・デイジー&ルイスのことを、いまだに1950年代前後のルーツ・ミュージックに傾倒するロンドンのレトロ・キッズたちだと思っていたら、それはもうとんでもない損失だ、ということをまず断言しておきたい。

  • INTERVIEWS : 22 September 2017

    Moses Sumney

    モーゼス・サムニーの清くダークな歌世界、それは誰の胸にも宿る天国と地獄~ サンダーキャット、ジェイムス・ブレイク、スフィアン・スティーヴンスまでもを魅了したシンガー・ソングライター、ついにファースト・アルバムをドロップ!

    By Shino Okamura

    本人と思しき男性が体の後ろで手を組み、飛び込むかのように前方にジャンプしている後ろ姿。前かがみになっているため頭は見えない。その様子は、例えがよくないかもしれないが、まるで捕らわれの身となった囚人のよ

  • INTERVIEWS : 21 September 2017

    The Horrors

    ザ・ホラーズ~ダーク・サイドへの帰還と、そこから始まる新たな旅路

    By Hiroko Aizawa

    ザ・ホラーズが久々にダークな側面を打ち出して3年ぶりに戻ってきた。デビュー・アルバムである『ストレンジ・ハウス』は、ダークでオカルト的な雰囲気も持つガレージ・ロック。その時期、多くのガレージ・ロック・

  • FEATURES : 21 September 2017

    Knox Fortune

    チャンス・ザ・ラッパーとインディ・ロックの壁を破る男!?シカゴのニュー・カマー、Knox Fortuneって誰?

    By Daichi Yamamoto

    ここ3年ほど、チャンス・ザ・ラッパーやヴィック・メンサを中心としたクルー=セイブマネーとその周辺のシカゴのヒップホップ、R&Bシーンから多数の才能が産み出されていることはご存知の通り。昨年も

  • FEATURES : 15 September 2017

    Thurston Moore

    なぜ今無骨なバンド・アンサンブルなのか? 音響をロックンロールでダイナミックに構築するサーストン・ムーア・グループ来日ツアーに期待するもの

    By Tetsuya Sakamoto

    サーストン・ムーアの音楽のとらえ方が少し変わったと思ったのが、彼がエレクトリック・ギターからアコースティック・ギターに持ち変えた『デモリッシュド・ソウツ』(2011年)だった。その奥行きと浮遊感のある

  • INTERVIEWS : 08 September 2017

    Queens Of The Stone Age

    ジョシュとトロイが語る、ただただロックンロール・バンドでいるために必要だった引き算の美学~新作が初の全英1位を獲得したクイーンズ・オブ・ザ・ストーンエイジの未来

    By Tetsuya Sakamoto

    クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジは確かにデンジャラスなロックンロール・バンドだ。全米チャート1位となった前作『ライク・クロックワーク』に続いて、初めて全英チャート1位を獲得したニュー・アルバム『