世界に誇る最強バンドであるために
アーロン・デスナーが語るザ・ナショナルが無敵の理由
このインタビューは2年前、2017年9月に発表された通算7枚目のスタジオ・アルバム『Sleep Well Beast』のリリースに際して筆者が行ったものだ。相手はアーロン・デスナー。このバンドの音楽面でのアイデア出しの重責を担っているとされる双子のデスナー兄弟の一人である。坂本龍一、アルヴァ・ノト、クロノス・クァルテットらと交流を結び、ドイツ・グラモフォンやアンタイから作品を出す現代音楽指向の強いブライス・デスナーに対し、アーロンの個人活動でおそらく最も知られているのはボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンと企画する音楽フェス《Eau Claires Festival》や、そこから派生するかのように誕生したジャスティンとのユニット=Big Red Machineだろう(アルバム『Big Red Machine』は2018年発売)。もちろん、エイズ・チャリティ・シリーズでもある『Dark Was The Night』(2009年)や、グレイトフル・デッドのトリビュート・アルバム『Day Of The Dead』(2016年)の監修・プロデュース、あるいは『Transpecos』(2016年)などの映画音楽の制作、インディー・レーベル《Brassland》の運営など、多くの作業でデスナー兄弟が揃うことは多いし、ブライスの仕事にアーロンがサポートしていることも少なくないので、この兄弟の個性は“二人で一人”というように捉えられがちではある。実際の音楽性や指向性も、ともにギタリストでコンポーザーでもあるブライスとはとても近いと本人も認める。
だが、このインタビューの時点でデンマークはコペンハーゲンに暮らすアーロンは、取材中に熱弁を奮っているように、おそらく“人と人とのオープンなつながり”をかなり強く意識して制作、活動しているのではないかと思う。そういう意味でもアーロンがザ・ナショナルでの活動以外に最も手腕を発揮できる場の一つは、ジャスティン・ヴァーノンと企画するフェス《Eau Claires Festival》のようなキュレーション・ワークなのかもしれない。「他の人に対して心を開き、他の人から学んで、オープンかつ寛容な気持ちでコラボレーションする。それが成長の秘訣」と語るアーロン……。2年前に行ったこのインタビューではザ・ナショナルの頭脳の一人である彼の、そんな大らかな姿勢を感じ取ることができるだろう。しかしだからこそ、ザ・ナショナルの音楽が内包する政治や社会への批判も説得力がある。リベラルとは誰とでもつながり互いの意見を尊重することから始まるという意識が、ロック・ミュージックの持つ情緒的でさえある強烈なエモーションと合流したとき――それが、バラク・オバマが大統領選の際にキャペーンで使用した「Fake Empire」と、オハイオ出身者としての騒ぐ血を誇らしげに綴った「Bloodbuzz Ohio」を今なお同時に堂々と披露する、ヴォーカリストのマット・バーニンガー中心の最強5人組=ザ・ナショナルの無敵さを形作っているからだ。
なお、ご存知のように『Sleep Well Beast』は第60回グラミー賞【最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバム】を受賞した。その後、初期の代表作である『Boxer』(2007年)のリリース10周年を記念して、2017年11月9日にブリュッセルにて行われた完全再現ライヴを昨2018年に『Boxer (Live in Brussels)』として発表。そして、いよいよニュー・アルバム『I Am Easy To Find』がもうまもなく(2019年5月17日)リリースされる。ご存知のようにザ・ナショナルにはもう一組、ブライアンとスコットによる双子のデヴェンドーフ兄弟がいるが、最新インタビューとしてスコット・デヴェンドーフが語る『I Am Easy To Find』の記事をお届けする予定だ(下記リンクで公開済み)。
また、このインタビューは「Sorrow」(『High Violet』収録曲)を105回連続で演奏した約6時間のパフォーマンス『A Lot of Sorrow(たくさんの悲哀)』(撮影、制作/ラグナル・キャルタンソン)の話題から始まっている。《MoMA PS1》のサンデイ・セッションズ・シリーズで披露された、桁違いのパフォーマンスは今も部分的に映像で観られるので未見の方はぜひ“体験”してみてほしい。(取材・文/岡村詩野)
ニュー・アルバム『I Am Easy To Find』についての最新インタビューはこちら
【INTERVIEW】
人はまっさらで生まれ、喜びや挫折を浴びて育ち、強く気高く終えていく〜ザ・ナショナル最高傑作『I Am Easy To Find』ここに誕生!
http://turntokyo.com/features/interviews-the-national-2/
アルバム『Sleep Well Beast』リリース後2017年11月29日のパフォーマンス
Interview with Aaron Dessner
――実は私、2年前に京都の《PARASOPHIA(京都国際現代芸術祭2015)》で『A Lot of Sorrow(たくさんの悲哀)』の映像を観ていまして。あれは「Sorrow」(『High Violet』収録曲)だけを繰り返し演奏した約6時間のパフォーマンスなんですよね。
アーロン・デスナー(以下、A):へえ! 《MoMA PS1》(サンデイ・セッションズ・シリーズ)のやつだね、ニューヨークの。2013年だから、もうけっこう前になるのか。そうなんだ、あれは僕らバンドにとって、史上最高に楽しい日に数えられるよ。あんなことができるとは、僕らは思ってもいなかったからね。あれを制作したアイスランドのラグナル(・キャルタンソン)はその後、僕らの大親友になり、大好きなコラボレーターにもなっているんだが、そもそものヴィジョンは彼のもので、あの曲をマントラのように繰り返し演奏したらどうなるか、という…で、やってみたら、笑いあり、悲しさあり、なんとなくカタルシスを覚えるような感覚が演奏している僕らの中を通り抜けていった。ほとんどの人は入ってきてそのままそこに残ってくれたんで、最終的には6時間演奏を続ける僕らを何百人という人が見ていて、歌詞をちゃんと歌ってくれたりとか…あれはクレイジーだったな。その中のひとりがビョークで、僕の真ん前に立っていたんだけど(笑)、なんとも不思議な、すごく特別な経験だったよ。
――なんでもあの時は「Sorrow」を105回も演奏したそうですが。
A:そう、その通り。105回の演奏で6時間。後から実感したんだけど、理にかなってはいたんだよね。というのも、ザ・ナショナルにはああいう、瞑想というか、マントラっぽいところがある曲が多いから。シンプルな発想…感情の断片みたいなものを反復させることでカタルシスを得る、というような…発散する、というのかな。
《PARASOPHIA(京都国際現代芸術祭2015)》にて展示上映された、ザ・ナショナル「Sorrow」を105回繰り返した6時間にも及ぶ演奏を作品化した『A Lot of Sorrow』
――あの曲で“I don’t wanna get over you”と繰り返すような…? まさにマントラですね。
A:そうそう!
――ただ、あの『A Lot of Sorrow』は、《MoMA PS1》の時点でも『High Violet』でのリリースから3年経っていたわけですよね。
A:そうだね。だから、新しい命を吹き込んだような感覚もあった。最近、あの曲をやると不思議な気持ちになるんだ。なんか、当初とは違う意味合いを持つようになっていて…、あそこでひとつの芸術作品化したことによって、ね。
――演奏しながら頭に浮かぶ景色が変わった、ということですか?
A:う…ん、今となってはこう…彫刻のような感じ? あのインスタレーションが自分たちの中に重要な記憶と体験になっているのはもちろんだけど、映像としての『A Lot of Sorrow』というラグナルの作品も世界各地の美術館を巡回しているので、僕らバンドのことは知らなくても、あの作品は見たという人がけっこういるんだよ。コペンハーゲンなりニューヨークなりで観た人たちの解釈という手も加わって彫り込まれていく彫刻みたいな存在というか。で、それはむしろ僕らの、というよりラグナルの作品だから、自分たちの曲なのにそうじゃないものに形を変えていくような感覚。僕はそれを楽しんでいるけどね。
――もともとあのアイデアは選曲も含めてすべてラグナルの発案だったんですか。
A:うん、そうだよ。彼から僕らに手紙が届いたんだ。そこに書かれていたのが、あの手のコード進行の歴史について。ああいう旋回する…それ自体はシンプルなんだけれどもグルグル旋回するような、どこかメランコリックなコード進行について語りながら、歴史的にみて音楽における悲しさや哀愁というものが、同じものをループにして演奏することで強調されるとか、精神性や、さっき言った彫刻を思わせるような質を帯びていくんだ…みたいな話でね。で、あの曲でそれをやってみないか、と勧めてくれたんだよ。他にも彼は、僕ら(デスナー)兄弟とアイスランドの溶岩原で同じ曲を2時間演奏するっていう企画もくれて、夏だっていうのに死ぬほど寒い中でやってきたんだけど、あんなのラグナルじゃなきゃ思いつかないよ(笑)。翌日、背中が痛くて動けなかったもんなあ(笑)。ていうかさ、そもそもギターを下げて6時間演奏するということが、あんなに大変だとは思っていなかったよ。メンバーみんなそうだったけど、僕も指から流血したり…尤も、その甲斐はある素晴らしさだったんだけどね。
――今日はデンマークにいるあなたと話しているのですが、現在はニューヨークとコペンハーゲンを行ったり来たりの生活なのですか? (2017年時点)
A:うん、半分はデンマークのコペンハーゲン、もう半分はニューヨークのアップステート…ニューヨークシティの北……レコーディング・スタジオのあるロングポンドで過ごしてる。レコードを作ったのはニューヨークのハドソンの近く。それぞれの場所を行ったり来たり半々で、という、なかなかいい生活リズムだよ。
――NYは仕事の場所、という感じですか。
A:そう…なんだけど、向こうにも家があって、そこは農場…昔の農家なんだけど、NYで一番落ち着くのはそこかな。
――では、デンマークに住むようになったのは?
A:ああ、妻がデンマーク人なんだよ。彼女の母親が病気になって、その世話をするために家族で移ってきたんだ。残念ながらその義母は亡くなってしまったんだけど…でも僕らにも小さい子供が2人いるから、環境もいいし、子供たちがデンマーク語を覚えるいい機会だとも思ったし、僕は兄弟がパリに、姉妹がイタリアに住んでいるから、近年ヨーロッパで過ごすことが多くなっていたしね。それでそのままデンマークにいるってわけ。
――ベルリンにいたこともありましたよね。
A:ああ、今回のアルバムも実験的なプロセスが進行したのはベルリンなんだ。現地でホテルを所有しているミッシェル・バーガーという親しい友人がいるのが理由で、『Trouble Will Find Me』のレコーディングも一部そのホテルでやったんだけど、今度のアルバムでは去年(2016年)、東ドイツ時代の古いラジオ局の建物…50年代ぐらいに建てられた巨大な建築物なんだけど、そこで僕らがレジデンシーとして色々なミュージシャンを招いてコラボレーションしたり、制作中の作品を披露したりということをやって、中でもブライス(・デスナー)と僕はオープン・スタジオというのをやってね、基本、知らない人でも誰でもいいから興味があればスタジオに入って来て ザ・ナショナルのレコードに参加してもらうという……あ、でもヴォーカルはオフにしてあったから、参加した人はそれが何の素材なのかは知らないままで、目的も僕らからは誰にも伝えなかったので、まさに純粋な…インプロヴィゼーションが繰り広げられたんだ。その感じがレコードを聴いていてもわかると思うよ。
――それは言わば、今回のアルバムの曲のインスト・ヴァージョンを素材にして、スタジオに来た人に自由に参加してもらったということですか?
A:そのとおり。空いてるトラックに自由にインプロして録音してもらった。楽器は何でもOK。1曲目の「Nobody Else Will Be There」の中に、ちょっとしたスペースだけどランダムにノイズが交錯してるところがあって、あと、あの曲は最後もノイズの海みたいにすべてが溶け合っていくんだけど、そういう箇所がアルバムの中にいくつもあるのがわかると思う。それがいわゆる、インプロ・セッションの成果だ。音素材を集める方法としては興味深いものがあったよ。曲に寄り添うという主旨では必ずしもない素材が集まるからね。だいじなのは違うものを…、何も破壊主義ってわけじゃないけど、たまにきれいなものをこっそり汚したくなるっていうか、そういうのが好きなんだよ僕らは。
――実際にベルリンでその「Nobody Else Will Be There」セッションに参加した人たちは、アルバムに自分たちの音が入っていることを知っているんですか?
A:うん、最終的に使ったものについては本人にも知らせてあるよ。中にはその前から知り合いだった人もいるし、それを機に知り合った人もいて、実際に使った素材の大半は何らかの形で既に知り合いだった人のものが多いんだ。
――偶発的な面白さが「Nobody Else Will Be There」にはあるというわけですね。
A:そう。しっかり作り込まれた箇所がある一方で、コンポーズされていない…カオスとは言わないけど、フガジ的実験が進行しているような箇所もある。ああいうやり方で音を集められたのは面白かった。いつもの僕らの世界から外に飛び出した感じで。そして…うん、確かにベルリンにはエレクトロニック・ミュージックや実験音楽の古い伝統があるし、そういうヨーロッパ的なものへの興味というのも、こっちに暮らす後押しになってはいるかもしれないが…、まあ、ね、とりあえず今はアメリカを離れて暮らすにはいいタイミングだよ。ドナルド・トランプのおかげで、ひどく気が重い状況だからね。とはいえ、僕らもまたアメリカに戻って闘わなきゃ! って気持ちも最近は出てきている。何かを変えないと。しかしまあ、僕らみたいに長年ツアーをやっていると世界中に友達ができて、オーストラリアにも日本にもヨーロッパにも友達がいるんで、20年…18年のツアー生活の果てに気が付いたら友達がいる場所が自分たちのホーム、みたいな感覚になっているんだよね。これってなかなか興味深いじゃない? でも、それだけに悩み深いよ(苦笑)。どこへ行っても違う場所にいる友達が恋しくなるという、万年ホームシック状態だ(笑)。
――じゃあ、いつか日本のお友達のところに長期滞在する可能性も?
A:うん、あるよ、本当に。
――おっしゃるようにアメリカの政治的状況はリベラルな立場から見てあまり好ましくないですが、日本も同じような傾向です。ザ・ナショナルは常に政治や社会に意識的なバンドですから創作への影響も当然反映されるとは思いますが、そもそもアルバム『Sleep Well Beast』は大統領選の結果が出る前に完成していたのですか?
A:いや、音楽は…音楽の部分はかなり完成していたけど、マット(・バーニンガー)はまだ歌詞を書き終えていなかったんだ。だから、その時点ではまだ制作中だった。で、アイツ(笑)が当選した時はもう…僕なんか、何日かベッドから起き上がれなかったくらいの、なんて言うか…歴史的な落ち込み具合だったよ。アメリカにとってはもちろんのこと、ああいう人間がアメリカのリーダーになることが世界にとってどういう意味を持つか考えると…ね。とはいえ、君の言うように僕らの曲が政治的なのは今に始まったことではなくて、政治と個人の生活はもう切り離しては考えられないと思うんだよね。僕らの生活に影響し、僕らの子供たちの生活に影響してくることなんだから。いわゆる右翼なアメリカ政府が僕らの娘たちが自分の身体とどう向き合うべきかを決めてしまったり、環境保護に力を入れないと決めてしまったり、そういうのは僕らの子供たちにも、そのまた子供たちにも影響を及ぼす。僕らが作る曲には、常にそういったことがにじみ出ていた。内容は様々で、不安や愛やセックスと同列で政治というのも入っていたと思う。ただ、とりたてて自分たちが政治的なバンドだとは認識していなかったんだけど、今回のような経緯をたどってアルバムを作った今は、それを受け入れるようになった気がするから面白いものだね。僕らは確かに政治的なバンドです、と。そういった問題を前に沈黙してはいられないし、ただの製品を、娯楽のための製品を作ることに僕らは興味を持てないからね。芸術的プロジェクトを手掛ける以上、自分たちの発言には意識的でなければならないと思う。だからマットは…、そうだな、例えばあのアルバムに収録されている「Turtleneck」は明らかに……具体的に反トランプを歌っているわけでこそないけど、暴力的な何かがあって、それに反応を示さずにはいられないという歌だよね。マットだけじゃない。僕の書く音楽もエモーションがぎっしり詰まっている。どうしてかわからないけど、歌詞とは別に、すごく感情的な音楽に惹かれるんだ。聴いていて瞑想しているような感覚に陥るような…カタルシスっていうのかな。僕ら兄弟の間では、そうやって音楽で感情をやり取りするのが一種のゲームのようになっているみたいだ。面白いのはさ、マットがよく言うんだ。僕らが書いた音楽に導かれるようにして書きたい歌詞が浮かんでくるって。
――へえ! お互いに感化されあって曲が完成していくんですね。
A:そうなんだ。マットに言わせると、僕が曲を書くと、あたかもこう音楽に「こういうことを言え」って指示されるような……そんな感覚があるらしいよ(笑)。僕も、音楽は言葉が乗る前段階で既に感情を持った生き物のように感じられてしかるべきだと思う。だからさっきも言ったように、僕の書く音楽はいつも……う~ん、具体的に何というのではないけれど、気持ちの上で政治的なものの影響下にあると言っていいと思う。「Turtleneck」を書いた時は、ギターをプラグインして、めちゃめちゃな音量で弾き始めて、それをどんどん重ねて…みたいな感じだったんだけど、そういうやり方を僕は最近よくしてるんだ。今回のアルバムには入らなかった素材もいっぱいあって、何か違う形で発表する機会もあるかもしれない。基本、僕とギターとアンプ、それだけで大音量で弾きまくるという…そんなこと、あんまりなかったんだけどね。もしかすると、それも状況に対する反応なのかもね。
――つまり「Turtleneck」に歌詞がついて完成したのは、トランプ就任後のことで制作過程の終わりの方だったということですか?
A:そうだね。終わりの方だったと思う。
――あなた自身は前のアルバム(『Trouble Will Find Me』(2013年)のツアーが終わらないうちから新しいアルバムのアイデアを考えていたそうですが。
A:ああ『Trouble Will Find Me』のツアーの終盤には、僕はいくつか新しい曲を書いていたよ。あのレコードのサイクルの締めくくりがロンドンの《O2アリーナ》でヘッドライナーという、ザ・ナショナルにとってはけっこう大きな出来事だったんだけど、記憶ではその時にもう僕からマットに10曲ぐらい素材を渡してた。その中からアルバムに入ったのは数曲だけだけど、「Carin at the Liquor Store」や「Nobody Else Will Be There」とかはその頃からもう話し合いを始めていたんだ。2014年の11月……かな。だからずいぶん時間はかかってるよね。僕らのアルバムは簡単には出来ないし、じっくり取り組むことにしてるから、その間に色々と面白い展開になったりもして、いわば何か作り上げては自分で壊して、また作り直して、屋根を変えてみたり、窓を変えてみたり…微妙な違いやトーンにこだわっていじくり回すという、そのやり方は長年変わらない。サッと作ったアルバムは…といっても、そこまで早くはなくて、あくまで僕ら基準だけど『Alligator』(2005年)が最後かな。あれは4か月ぐらいかかったと思う。その後はずっと、アルバム1枚作るのに1年、2年、3年、とかかってるんだ。
――しかも、近年は一箇所にとどまっての制作ではないですよね。『Sleep Well Beast』もパリ、ベルリン、ニューヨーク、とレコード制作の場所を変えながら、パリでは地元のオーケストラと録音したり、ニューヨークでは自分たちのスタジオで時間を気にせず作業できたり…とその都度その都度フレキシブルに移動しています。
A:そうなんだよね。ただ、アルバム制作の本部(ヘッドクォーター)はロングポンドの僕のスタジオだったと言っていいと思う。そのスタジオ自体、僕らがこのバンドのためにデザインして作ったものだから、コントロール・ルームも無いオープンな空間で色んなコラボレーションが可能な、みんなでリラックスして過ごせる環境になっているんだ。ほんと、広くて素敵な空間だよ。仕事にもいいし、自然も楽しめる。そこが本部。だから今度のアルバムもおおよそそこで作られたことになる。ミックスもそこでやったし。ただ、僕もプロデューサーとしての経験から場所によって違う効果を得られることはよくわかっていて、その面白さも捨てがたいんだ。部屋によって、空気というか、響きというか、なんか違うんだよね。それを取り入れることによってレコードに広がりを持たせる…という狙いから、さっき話したベルリンのレジデンシーをやってみたり、パリでストリング・オーケストラやウィンドアンサンブルとレコーディングしてみたり…、録ったものをいじって加工する作業もパリでやった。マットが住んでるからLAでもちょっと録音したけど……僕らみんなLAで仕事するのは好きじゃないんだよなあ(笑)。
――ははははは。
A:ね、なんでだろうね。キレイな女性が大勢いすぎるからかな(笑)。ま、そんなこんなで色々な場所、色々なやり方でやってるってわけなんだ。
"今の音楽業界は過剰に商業主義的だったり切り貼りばっかりで同じアーティストが同じ音楽を何度も何度も演奏しているような感じになっている。音楽フェスだって同じさ。それでフェスを名乗るのは僕は違うと思うんだ。"
――あなたもブライスもザ・ナショナルのメンバーとして以外の活動も多いですよね。特に裏方仕事……あなたとボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンと企画運営する音楽フェス《Eau Claires Festival》の企画、グレイトフル・デッドのトリビュート・アルバム『Day Of The Dead』といったプロデュース、キュレートはもちろん、映画音楽の制作やレーベル運営もそうですが、そうした幅広い視座で音楽制作をすることの意味とその影響をあなた自身はどのように考えていますか。
A:もちろんすごく意味のあることだよ。音楽に関して僕が重要視しているのはオープンでいること。他の人に対して心を開き、他の人から学んで、オープンかつ寛容な気持ちでコラボレーションする。それが成長の秘訣だと思うんだ。自分が落とす影に魅入られているようじゃ、成長は止まってしまう…と、僕は思う。少なくとも僕は他の人たちとのインタラクションを必要としているし、プロデュースや共演を通じて僕が相手に教えられることもあるだろうけど、それ以上に僕が教えてもらうことの方が多いと感じているんだ。僕ら兄弟はずっとそういう考え方でやってきた。バンドとしても僕らはかなりオープンな方だと思う。だから意識的にコラボレーションの機会を自分たちで創り出すようにしてるんだ。《Eau Claires Festival》は最初は友達の集まりで、一緒に演奏して音楽を創ろうというのが始まりだった。でも、せっかくだから友達以外のアーティストも招くことでオーディエンスにとっても興味深い出会いが生まれるんじゃないか、と。そうやって続けているんだ。僕とブライスたちが一緒になってコペンハーゲンでやっている《Haven Festival》もそう。今の音楽業界は、とにかく過剰に商業主義的だったり、切り貼りばっかりで同じアーティストが同じ音楽を何度も何度も演奏しているような感じになってるよね。音楽フェスだって同じものを切り貼りしてお茶を濁してる。それで音楽フェスを名乗るのは、僕は違うと思うんだ。そんな型を打ち破って、もっと面白いところへ持っていく必要があると思う。新たな可能性を探るなり、とにかく新しいことをやるように皆を奨励したいというのがあるんだ。ジャスティン・ヴァーノンもそういう考え方だから、互いに完成前からどんどん人に聴かせようとする。そこで、僕とジャスティンは、Big Red Machineというユニットで制作をすることにしたんだ。トライしたのは、公開サウンド・チェックみたいにして全然完成してない曲を人前で演奏してみるってやり方。観てる方も面白かったと思うけど、そうやってフィードバックをもらうのは僕らにとっても興味深いものだったよ。
――《Eau Claires Festival》からBig Red Machineへと自然に発展していったのですね。
A:そうなんだ。でも、そもそも60年代なんかはこういうやり方が普通だったと思う。インターネットなんか無かった時代の方がずっとスポンテニアスにことを進められた。最近はリハーサルをやり過ぎて、磨き上げ過ぎてしまうアーティストが多い。ソフトウェア…デジタルソフトウェアが充実した分、即時性という楽しみが音楽から大幅に奪われてしまっている。と言う俺も、そこに加担しているわけだけどね(笑)。ザ・ナショナルも年月とともにどんどん大きなバンドになってきて、完璧な演奏をしなければ、と考えるようになっているから。でも、完璧なんてものは存在しない…どころか、めちゃくちゃやるのが面白かったりもするわけで(笑)。だから僕は楽しんでやっていることだし…、うん、だからたぶんキュレーションというのとはちょっと違うな。もっとこう…人を集めていくって感じ? コミュニティ作りとかね。僕がやりたいのはそっちなんだ。
――オープンに人を集めて受け入れ発展させていく。その姿勢があなた自身、ひいてはザ・ナショナルというバンドの包容力を支えているのですね。
A:だといいね。人間って忘れちゃう生き物だ。例えば子供の頃、楽器を覚えようとしていたら友達が来て一緒に弾くようになって…って具合に予想だにしない感じでバンドに発展していくじゃない? でも、ミュージシャンシップとかインタラクションていうのはそもそもそこから始まってるんだよ。会話なんだよね。それが大人になってバンドを始めて、人前で演奏するようになって名前が知られるようになって、そうすると最初にあったそういうものを忘れてしまう。誰かと一緒にやれる喜びとか、楽しさだけど追求する姿勢…といったものを。音楽をやる上で、先の展開は必ずしも見えている必要はない。その点ジャズは…最近、僕はジャズが改めて好きになっているんだ。即時性とか、即興性とか、もちろん曲自体もそうだけど、即興力はあの音楽においてものすごく重要なカギだよね。音楽的に生命線ともいえる振る舞いが即興なのに、ポップ・ミュージックではそれが少し失われてしまっている上に、デジタル化した環境のせいで加速する一方だ。加えて、何もかもがきっちりマーケティングされているし、どんどん音楽が送り出されてくるし、そんな中で抽象的な音楽が存在する余地は見出してもらえないというか、あったとしてもごく限られているというか…ま、とにかく、僕はステージに上がって何だかわからない曲を何とか弾こうとするのが楽しいんだよ(笑)。それでスゴイことをやってのける、とは限らないけどさ。でも、耳を傾ければ…僕は聴くことも大好きなんで…最近もデンマークのヘイヴンで初めて共演する相手と初めて聴く曲を演奏するという経験をしたけど、ものすごく刺激的だった。しっかり聴いた上で反応していく…というのが本当に楽しかったんだ。
――一方で、マットやデヴェンドーフ兄弟もそうですが、あなたにはブライス・デスナーという兄弟であり最高の刺激をもたらしてくれる仲間がバンドの中にいます。
A:うん。まあ、双子兄弟だからやりたいと思うことも趣味も似てるしね。ブライスが参加した『The Revenant(蘇えりし者)』(2016年)のサントラは素晴らしかったよ。坂本龍一、アルヴァ・ノトらとともにブライスも関わっていて、彼はそのストリングスのアレンジのかなりの部分を担当したんだ。実は『Sleep Well Beast』ではその時のテクニックを再活用していてね。僕からブライスに具体的に頼んだんだ。例えば「Sleep Well Beast」の終わりのストリング・オーケストラの使い方がそう。ブライスのあのサントラでの仕事がインスピレーションになっている。あと、ブライスと僕で『Transpecos』(2016年)という映画のサントラを作曲したんだけど、ほとんどギター・ミュージックみたいな簡単な作りの音楽を手早くレコーディングする方法をあの時に編み出したんだ。というのも、ちょうど僕らの今回のアルバム制作中でね。並行してやった作業だったから、それが役立ったというのはある。それから、僕ら兄弟が一緒に仕事をしているフランス人の二人のピアニスト=ラベック姉妹のために、ピアノ2台とギター2本で演奏する曲を、と思いながら僕が書いていた曲が、気が付いたらザ・ナショナルの曲になっていた…ってこともあったよ。それが「Sleep Well Beast」なんだ。途中に2台のピアノが絡み合うパートが出てきて、そこは当初、ピアノ2台とギター2本でやるクラシック音楽を想定していたのが、だんだん「ドラムのビートが入ってもいいかも」なんて思うようになって、いつの間にか抽象的なザ・ナショナルの歌に仕上がっていたってわけ。
【REVIEW】
Dessner – Labeque『El Chan』
http://ai132qgt0r.previewdomain.jp/wp/reviews/el-chan/
――素晴らしい相乗効果ですね。でも決してそれらが混同されていない。音楽的にもちゃんと一つ一つの作品が独立した個性あるものになっているのは、作業上でどの程度意識しているのでしょうか。
A:正直まったく何に影響されてどう展開するか自分でもわからないときがあるよ(笑)。《Eau Claires Festival》からジャスティン・ヴァーノンとBig Red Machineを始め、坂本龍一やラベック姉妹との交流からまた違う作品が生まれ……自分でもすごく面白いと思う。最初話した『A Lot of Sorrow』、あれを撮影、制作してくれたラグナル・キャルタンソンに『The Visitors』という作品があってね。彼の作品中でも僕が特に好きなものの1つなんだけど、これは映像作品で、ある家の中に9人の人間がいて、それぞれ違う部屋で同じ歌を延々繰り返して歌っている。そのメロディの中に…これは僕も後で気が付いたんだけど、「Carin at the Liquor Store」のメロディにすごく似たやつが出てくるんだ(笑)。僕が「Carin~」を作っている時は無意識だったけど、何となく『The Visitors』を見て体が記憶していて…それでピアノ曲を書いているうちに出てきたものなんだろな。そういうことはよくあって、無意識に盗みを働いているというね(笑)。でも、たいてい友達のものだから、誰も怒りはしないよ。
――そのようにメンバーそれぞれの様々な作業を通じてできた曲が詰まっているアルバムですが、全体的には、さきほど話をしてもらったようにアメリカ社会の行き詰まりや諦念のようなものが反映された概ねダークなタッチであり、それを最終的に一つのテーゼの中にまとめるような構成力が感じられる作品になっています。例えば、「Sleep Well Beast」はアルバムの最後に出てきて、とてもストイックでミニマムな曲ですが、同じタイプの曲であるオープニングの「Nobody Else Will Be There」とともにアルバム全体を挟んでいるような、言わばブックエンドのような構成になっていますね。これは意図的なアイデアだったのでしょうか。
A:そうだね、マットが今回のアルバムの曲順にはすごくこだわっていたよ。僕もわかるような気がする。もっとも、そのこだわりが意味を成すのは、辛抱強いリスナーが相手の時だけかもしれないけど(笑)、僕らも、もっとこう…いわゆるポップソング…すぐに聴き手の心をつかむような曲も書いてはいるし、今回だと「The System Only Dreams In Total Darkness」とか、ああいう即効性のある曲も入っているけれど、ブックエンドになっている「Nobody~」と「Sleep Well Beast」は実験寄りの曲だよね。アルバム全体のトーン設定は、とても重要だ。「Sleep Well Beast」は最も実験性が高い曲だから、あれで冒頭にトーンを設定しておいて、その後、アルバムを構成する様々な要素が最後の曲に集結して霧に巻かれるようにして消えていく…という流れかな。そのまとめ方は僕も面白いと思う。ただ、「Sleep Well Beast」が最後の曲になることは、僕ら最初からわかっていた気がする。曲のタイトルからして、幕切れ感があるよね。Beastというのうはバンドを指すわけじゃないけど、「これがザ・ナショナル最後のアルバムになるのなら、あとはゆっくりお休み、野獣(=バンド)よ」というのも1つの意味合いなんだ。もちろん、これが最後ってことはたぶんないけど(笑)。
――では、あなたがこの曲で考えるBeastは何でしょう? 何を象徴するものだと思いますか?
A:う~ん、マットが言ってたのは、これは一種のシンドロームのことだ、と。例えば、スウェーデンには難民が大勢流れ込んでいるけれど、その子供たちも避難先を提供されるどころか元いた場所へ戻れと言われる現状があり、子供たちは事実上、どこにも存在しないことになっている。実は同じように一部の支配階級から大きな影響を受けながら育っている若者がアメリカを始め世界中に大勢いて、今はおとなしくしているが、いつか目覚めて明確な答を要求し始めるのではないか、と。なんで地球を破壊するんだ、守ろうとしないんだ、とね。たぶんマットは自分の娘のことも考えながら歌ってるんじゃないかな。人道的な視点から。と同時に、このバンドのことを言い表してもいるような気が僕はしているんだ。
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■The National Official Site
https://americanmary.com/
■ビートインク内アーティスト情報
https://www.beatink.com/products/list.php?transactionid=2b06b08221454132d1757fe461d92224e1a34452&mode=search&name=The+National&search.x=0&search.y=0
Text By Shino Okamura
Photo By Graham MacIndoe
The National Japan Tour 2020
2020/03/17(火) 東京Zepp DiverCity Tokyo
2020/03/18(水) 東京Zepp DiverCity Tokyo